1752話
目の前の光景は、マルキスにとって信じられないものだった。
自分や、ギルムで出会った気の合う仲間達全員で掛かっても、ろくに傷すらつけることが出来なかったガメリオンというモンスターを、突然現れた小柄な人物……深紅の異名を持つレイは、その辺の雑草でも刈るかのような気楽さで、ガメリオンの首を切断したのだ。
マルキスは一瞬、目の前の光景が夢か何かではないのかと、そう思った。
だが、自分の手の中にある槍の感触が……そして首を切断されても勢いを殺すようなことが出来ず、そのまま地面を転げ回って切断された首から流れている血の強烈な鉄錆の臭いが、目の前の光景は夢ではないと、そう強烈にマルキスに教えている。
「だ、大丈夫か? 死んでないよな?」
ガメリオンが殺されたことに安堵したマルキスは、自分の背後にいる仲間に向かって声を掛ける。
「あ、ああ。何とか無事だよ」
「あたしの方も問題ないわ。けど、オービニエが気絶したままよ」
「ガメリオンの突撃で吹き飛ばされたからな。……骨が折れてなければいいけど。俺達が持ってるポーションだと、そこまで効果が高くないし」
「そうだな。それより……あれって、深紅だよな? 俺の見間違えじゃないと……」
いいけど。
そう言おうとした男だったが、それを最後まで言うよりも前に、周囲に激しく、そして鈍い音が響き渡る。
『っ!?』
背後から聞こえてきたそんな音に、マルキスやその仲間達は反射的に音のした方に視線を向ける。
……もし先程まで戦っていたガメリオンがまだ生きていれば、そんな余裕はなかっただろう。
だが、幸い……本当に幸いなことに、マルキス達が戦っていたガメリオンはレイによってあっさりと殺されていた。
だからこそ、音の聞こえてきた背後を見ることが出来たのだろう。
そうして背後を見たマルキス達は、十数mも空中を吹き飛んで、そのまま何度も地面にバウンドし……そして地面を削りながら転げ回るガメリオンを見ることになる。
自分達では、総力を掛けて戦っても勝つことが出来なかったガメリオン。
そんな相手が、二匹連続であっさりと倒される光景を目にした衝撃は、強い。
明らかに自分達とは格の違う存在を前に、恐れからか、それとも憧れからか、マルキスは口の中に溜まっていた唾を飲み込む。
そんな様子のマルキス達だったが、最初にガメリオンを倒したレイの方は、特に気にした様子はない。
レイにとって、このような態度をとられるのは決して珍しいことではなかったからだ。
「セト、そっちも無事に片付けたようだな」
「グルルルルゥ!」
レイの声に気が付いたセトが、嬉しそうに鳴き声を上げる。
その声が若干得意げなのは、手加減が上手く出来たからか。
ガメリオンとの戦闘になる前に、いつものように爆散させるような一撃を放てば食べる場所が少なくなると、そうレイが告げたのだが……そうせずにガメリオンを仕留めたことが、セトにとってはそれだけ嬉しかったのだろう。
早速自分で仕留めたガメリオン……遠くに吹き飛んでしまったガメリオンを確保しにいくセトを一瞥すると、レイは改めてマルキス達に向かって声を掛ける。
「さて、それで……念の為にもう一回尋ねるけど、あのガメリオンの所有権は俺にあるんだよな?」
獲物の横取りをされたと、そんなことを言わないよな? と繰り返して尋ねるレイに、一行を代表してマルキスが頷きを返す。
「あ、ああ。勿論だ。俺達はレイさんに助けられた。なのに、獲物を寄越せなんて我が儘を言うつもりはない」
マルキスが自分の名前を知っていることには、レイも特に驚かない。
そもそもの話、デスサイズと黄昏の槍の二槍流をしているという時点で自分がレイだというのは分かってもおかしくはないし、そこにグリフォンのセトまでいるのだ。
それでレイのことを分からないのであれば……それは、モグリ云々以前の問題だろう。
もっとも、今のギルムには有象無象問わず大勢の冒険者が集まってきている。
そうである以上、中には冒険者の常識を全く知らないような存在がいてもおかしくはないのだが。
少なくても、レイの前にいるマルキス達はきちんとその辺りの常識は分かっているようで、レイにとっても余計な騒動にならないで済んだだけ助かったと言ってもいい。
「そうか、それなら……」
「グルゥ? グルルルルルルゥ!」
レイの言葉を遮るように、セトの鳴き声が聞こえてくる。
だが、それは敵を威嚇したり周囲を警戒するといったような鳴き声ではなく、嬉しさの感情が籠もった鳴き声だ。
何だ? とレイがセトのいる方に視線を向けると、遠くから自分達の方に近づいてくる数人の冒険者……その中の一人を目にし、何故セトが嬉しそうな鳴き声を上げたのかを納得する。
その冒険者の中の一人は、レイにとっても見覚えのある人物だったからだ。
(フロンがガメリオン狩りをしてるって、ブラッソが言ってたな)
ギルドで会った、顔見知りのドワーフの言葉を思い出す。
その冒険者の中の一人……他の冒険者達を率いているかのような形になっているフロンは、自分を見て嬉しそうに鳴き声を上げているセトを撫でる。
そうして数秒が経つと、フロンは他の冒険者達を率いてレイの方にやって来た。
尚、そんなフロンのすぐ横をセトがガメリオンを咥えて歩いており、フロンに率いられている冒険者達はそんなセトを羨ましそうに眺めている。
ただでさえガメリオン狩りも終わりに近づいているということもあり、まだこの辺に残っているガメリオンの数は少なくなっているのだ。
そんな中で、レイは自分が倒した分とセトが倒した分で、一度に二匹ものガメリオンを仕留めている。
ガメリオン狩りにやって来ている冒険者としては、それを羨ましく思わない筈がない。
もっとも、だからといってレイにそれを寄越せなどと言える筈もないが。
「よう、レイ。ガメリオン二匹か。羨ましいな。俺もその運を見習いてえよ」
そう言ってくるフロンに、マルキスを含めた冒険者達は動きを止める。
フロンは、マルキス達に比べれば年上だが、それでも美人と表現してもいい顔立ちをしている。
それこそ本人がその気になれば、男に困ることはないだろうと思えるくらいの美人ではあった。
そんな美人が、いきなり自分のことを俺と言うのだから、それで驚くなという方が無理だろう。
もっとも、レイはフロンが外見に見合わず男らしい性格をしているのは知っていたので、特に驚くようなことはなかったが。
「ブラッソから聞いたけど、本当にガメリオン狩りをしてたんだな」
「ブラッソに会ったのか?」
ブラッソという名前に若干嫌そうな表情を浮かべたフロンだったが、その表情もすぐに消される。
「ああ、ギルドでな。そこでお前の話を聞いた」
「……あの野郎」
恨めしそうに一言だけ呟くフロンだったが、すぐにその表情は消える。
今は自分の相棒について考えを巡らせている時ではないと、そう理解したからだろう。
「それで……そっちは?」
マルキス達の方を見ながら尋ねるフロンに、レイは未だに強い鉄錆臭を周囲に振りまいている、首のないガメリオンの死体に視線を向ける。
「あのガメリオンと戦っていたところを助けた」
「そうか。……どうせなら、俺達の方に出てくれればいいものを」
気の毒そうな、そして羨ましそうな視線をマルキス達に向け……そこで、気絶している女がそれなりの重傷だと理解する。
「ハルキス、その気絶している女にポーションを」
「……え? 本気か?」
ハルキスと呼ばれた弓を持った男は、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのか、そう尋ね返す。
だが、そんなハルキスの態度はフロンにとって面白くなかったのか、鋭い視線が返される。
「何だ、俺の言うことが聞けないのか?」
「っ!? わ、分かった。分かったから。すぐにポーションを使うって!」
フロンに睨まれた男は、慌てて倒れている女の冒険者に近づくと、ポーションを取り出して、強引に飲ませる。
本来なら傷口に付けて使うのが一般的なのだが……意識がない女の冒険者は、ガメリオンの体当たりを受けたのだ。
明確な外傷がない以上、骨折の類をしているとしても、それを治療する為には直接飲ませる必要があった。
……勿論飲ませた方が効果は高いし、暫くの間は継続的な回復効果も発揮する。
だが……代わりに、ポーションを飲んだ女の味覚は、暫くの間破壊されることになってしまう。
もっとも、それで命が助かるのだから、死ぬよりはマシなのだろうが。
「あ、ありがとうございます!」
マルキスが、フロンに向かって頭を下げる。
そんなマルキスの様子に、フロンは少しだけ笑みを浮かべた。
仲間を助けてくれた相手に、素直に礼を言う。
傍から見れば当然のことだが、それを本当に出来る者は……特に冒険者のように荒っぽい者達が多い中では、出来ない者もいる。
だが、マルキスは本当に、心の底から感謝しているのだ。
それが分かっただけに、フロンは笑みを浮かべ……フロンに従っている他の冒険者達も、納得していた。
「で、フロン達はこれからどうするんだ? まだガメリオンを探すのか?」
「当然だろ。まだ今日は一匹も倒してないんだからな。……レイは二匹、か。羨ましいな」
心の底から、レイに羨ましそうな視線を向けるフロン。
フロンの仲間達も、そんなフロンと同様にレイに羨ましそうな視線を向けている。
「まぁ、俺にはセトがいるからな」
「グルゥ!」
レイがセトの頭を撫でながら告げると、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
「羨ましいよな、本当に。……まぁ、それでもここでこうしていても意味はないし、俺達もそろそろガメリオンを探しにいくか。ただでさえ数が減ってきてるんだから、急がないと他の連中に奪われかねないからな」
そう言うと、フロンはその場から立ち去ろうとするも……
「ちょっと待った」
そんなフロンの背中に、レイが声を掛ける。
「何の用件だ? 今も言った通り、早くガメリオンを見つける必要があるんだから、出来れば用件は手短に頼む」
「そうだな。なら、手短に。……この連中、一緒に連れていってやってくれないか?」
「……何?」
「え?」
疑問を口にしたのは、その場にいた全員が同様だった。
ただし、フロン達とマルキス達では、その疑問の意味が違ったが。
フロン達にしてみれば、何故自分がこのような足手纏いの連中を連れて行かなければならないのかという不満がある。
勿論先程のやり取りで、マルキス達が良い奴だというのは、フロンにも分かる。
だが、だからといって、何故自分たちがマルキス達の面倒を見なければならないのかと、そのような不満。
冒険者というのは、自己責任だ。
マルキス達も、自分達ならガメリオンを倒せると思ってガメリオン狩りに来たのだから、フロンがわざわざ足手纏いを引き受ける理由にはならない。
そもそも、先程のポーションを使っただけで十分好意的な行動を取っているのだ。
その上で、更に譲歩しろというのは、フロンにとっても……そして、他の者もレイの言葉に不満そうな表情を浮かべる。
「えっと……え?」
マルキス達にいたっては、話の流れを全く理解出来ていない。
何故レイが自分達にそこまでしてくれるのかが分からないのだ。
もっとも、レイの提案は決して悪いものではなく、それどころかマルキスにとってはこれ以上ないだけの条件だ。
「一応聞かせてくれ。何で俺がわざわざそんなことをする必要がある?」
フロンがレイを見ながら、そう尋ねる。
レイとフロンはお互い顔見知りだ。
だが、それでも自分が一方的な損になるだろう頼みを受けるつもりは、フロンにはない。
ましてや、今はガメリオン狩りの臨時パーティとはいえ、パーティリーダーという立場にある。
仲間を率いている以上、パーティの利益にならない、度のすぎるお節介は絶対にするつもりはなかった。
「単純に言えば、俺がこいつらを気に入ったからってところだが……」
「それなら、別にわざわざ俺に頼まなくても、レイが一緒に行動すればいいだけだじゃねえか」
「そうかもしれないな。けど、俺の場合は普通の冒険者と色々と違うからな」
「……なるほど」
その言葉には、フロンも納得するしかない。
冒険者に登録してから数年でランクB冒険者まで駆け上がり、異名持ちになる冒険者が普通だとは、到底言えない。
それが理解出来るだけに、フロンやそれ以外の者達もそのことに異論を唱えることは出来ない。もっとも……
「だからって、何度も言うようだが、俺がお前の頼みを聞く必要はないんだけどな。何のメリットもないし」
「……メリットか。メリットね。なら、そうだな。ガメリオンを倒すところまでは協力しないが、ガメリオンがいる場所は一度だけ教えてやる。それでどうだ?」
その言葉に、フロンは鋭い視線でレイを見返すのだった。