1748話
「おーい、レイ! こっちだこっち! ほら、ここにある木を持っていってくれ! 頼む! 次から次に木が切られて、もう置く場所がないんだよ」
セトに乗ってトレントの森までやって来たレイに、冒険者の男がそう叫ぶ。
セトの背から降りたレイは、だがそんな冒険者の男の言葉に首を傾げる。
「そうか? 見たところ、置く場所は他にも結構あると思うけどな」
実際、トレントの森に生えている木を伐採していくのだから、伐採した分だけ空き地は広がっていてもおかしくはない。
だが……木を伐採はしても、切り株や木の根の部分はそのままとなっている場所も多かった。
本来なら、そのようなものも引き抜く必要があるのだが……今は冬も近くなってきたということもあり、出来るだけ多くの木を伐採する必要があるということで、木の根を掘り起こす作業は最低限に抑えられていた。
結果として、木の根を掘り起こすよりも伐採した木を運んだ方が早いということになり、木の置き場所に困ることになっていたのだ。
「この木の根だって、使い道はあるだろ?」
「あるかないかって言ったら、それはあるさ。けど、冬の薪にするにも、乾かすのは間に合わないし……それ以外にも、色々と面倒だから、どうしても後回しになるんだよな」
「……なるほど」
勿論それは自然に乾燥させるという意味ではの話だ。
魔法使いや錬金術師といった面々であれば、それこそ木の根を生木の状態から薪まで使えるようにするのは、難しい話ではない。
だが……魔法使いも錬金術師も、今は増築工事で非常に忙しい者が多い。
最初は魔法使いや錬金術師の報酬の多さに羨ましがっていた他の冒険者もいたのだが、報酬を貰う為にギルドにやってくる、魔法使いや錬金術師の疲れ具合を見れば、幾ら報酬がよくても自分は魔法使いでなくてよかった……と、そう思ってしまうのだ。
特に今は冬も近くなり、本当の意味で限界近くまで働かされている以上、魔法使いや錬金術師に生木を乾かして薪にするといったような余裕は全くない。
つまり、今の状況で下手に切り株を掘り起こしても、全く使い道がないのだ。
そんな無駄なことに労力を使うこともないだろうと、現在は最小限の……それこそ移動したり木を運ぶのにどうしても邪魔な切り株だけを引き抜いていた。
「……邪魔だな」
当然そのようにしている以上、歩いて移動することは出来ても、足下に広がっている切り株が邪魔なのは間違いない。
歩いているレイがそのように呟くのも当然だった。
「あー、悪いな。けど、慣れてくれば……」
歩きやすくなる。
そう言おうとした冒険者だったが、レイはその言葉を遮るようにして、口を開く。
「この切り株、別にこのままにしておく必要はないんだろ? さっきの話を聞く限り、出来ればどうにかしたいけど、今は木の伐採を優先してるからそのままにしてるって話だったし」
「いやまぁ、それはそうだけど」
そう言いながらも、冒険者の男はレイに期待の視線を向ける。
いや、レイに期待の視線を向けているのはその冒険者の男だけではなく、周囲で樵の護衛の為に周囲を警戒している他の冒険者達も同様だった。
切り株をどうにかするのは、かなり大変な作業だ。
もしかしたら、レイはそれをあっさりとどうにか出来るのではないかと……そんな期待の視線に、レイはあっさりと頷いて口を開く。
「なら、俺が何とかしよう。ただし、俺がやるのは土をどうにかして、切り株をすぐに引っ張れるようにするだけだ。それでもいいか?」
「えーっと、ちょっと待ってくれ。取りあえずどういう風にやるのか、一度見せて貰っていいか? それを見て問題ないようなら、俺が樵達に言ってくる」
そう言いながらも、もし本当にあっさりと切り株を掘り返すことが出来るのであれば、樵達もそれに反対するような真似はしないだろうと、容易に予想出来た。
実際、無数に存在する切り株は非常に邪魔なのだ。
掘り起こすには非常に労力を必要とするので、そのままにしておいたが……もしその労力をどうにか出来るのであれば、当然のように切り株をどうにかしたいと思うのは当然だった。
周囲の冒険者からの期待の視線を向けられながら、レイはミスティリングからデスサイズを取り出す。
レイを見ている者のうちの何人かは、そんなレイに訝しげな視線を向けていた。
当然レイの持つデスサイズがどれだけ強力な武器で、容易く人の命を狩りとる代物であるかというのは、理解している。
理解しているが……それでも、何故この場でデスサイズを取り出すのかが分からなかったのだ。
もしかして、デスサイズを使って切り株を掘り起こすのかと、そんな風に思うも、一つ二つならともかく、ここに広がっている一面の切り株全てをどうにか出来るかと言われれば、不可能だろうと思える。
だが、冒険者の中には、レイの持つデスサイズが魔法の発動体……いわば、魔法使いにとっての杖と同じ役割だということを知っている者もおり、そのような者達は寧ろ納得の表情を浮かべていた。
そんな大勢の視線を浴びつつも、レイは特に気にした様子もなくデスサイズの石突きを地面に軽く突き刺し……
「地形操作」
短く、それだけを言う。
だが、その短い一言がもたらした結果は非常に大きいものだ。
レイの目の前にあった切り株が、浮かび上がったのだ。
いや、正確には違う。切り株のあった地面が一m程盛り上がったというのが正しい。
もしレイが本気であれば、もっと大きく地面を盛り上げることも出来たのだが、切り株をどうにかするだけであれば、そこまでする必要はない。
地面の地下深くまで伸びていた木の根は、レイの地形操作によって強引に土を動かされ、切り株を持ち上げられたことにより、その殆どが土の中で千切れる。
……根という土に食い込んで切り株が動かせなくなっていた最大の原因がなくなり、更に地面も地形操作によって持ち上げられ……そう、まるで耕された畑のような柔らかさを持っている。
「っと」
短い一言を口にしながら、レイはデスサイズを振るう。
軽く……本当に軽く振るったようにしか見えない一撃だったが、デスサイズは百kg近い重量を持つ。
それだけの重量が、レイの膂力で振るわれたのだ。
根が千切れ、土も軟らかくなった今の状況で、切り株がそんな一撃に耐えられる筈もない。
結果として、レイが振るうデスサイズの一撃によってあっさりと切り株は吹き飛ばされた。
(まぁ、この方法だと木の根を完全に除去した訳じゃなく、まだ土の中に残ってるから……最悪、またそこから生えてくる可能性があるけど、それだってすぐにって訳じゃなく、ある程度時間が掛かるのは間違いない。少なくても、増築工事をしている間は問題ないだろ)
再び地形操作を使い、盛り上がっていた地面を平らな状態に戻す。
「こんなやり方だ。今は俺が一撃で切り株を吹き飛ばしたが、木の根が千切れているし、土も柔らかくなってるから、簡単に手で掘り返せる筈だ。……どうだ?」
どうだ? と視線を向けられた冒険者の男は、その言葉でようやく我に返る。
予想以上の結果に、男は完全に目を奪われていたのだ。
「どうだって、いや、凄いとしか言いようがないな。……分かった、これならそう時間が掛からずに切り株を全部掘り返すことが出来る筈だ。すぐに樵達に話を通してくるから、待っててくれ」
そう言うや否や、男はレイをその場に置いて森の奥……樵達が木を伐採している場所に向かって走り出す。
それを見送ったレイは、取りあえず先程吹き飛ばした切り株をそのままにしておけば邪魔だろうと判断し、伐採した木の横に運んでおく。
根がある程度まで伸びている、しっかりとした切り株を片手で持ったレイに、何人かが驚きの視線を向ける。
切り株は、まだある程度の根が伸びているということもあり、相応の重量がある筈だった。
デスサイズであっさりと吹き飛ばしたのを見ていた者達であっても、まさかレイがそれだけの力を発揮するとは思っていなかったのだろう。
「な、なぁ。あの……切り株を地面ごと持ち上げたのって、やっぱり魔法なのか?」
「ん? ああ、そうだ。土系の魔法だな」
まさか魔獣術で得たデスサイズのスキル……などと本当のことを言える筈もなく、いつものようにそう誤魔化しておく。
「深紅なんて異名を持ってるから……あ、いやごめん」
そこで言葉を濁した男だったが、レイは何を言おうとしたのかを理解する。
火災旋風を使ってベスティア帝国軍を焼き払ったことが異名の理由だ。
そこから、てっきりレイはそれ以外の魔法を使えないと、そう思っていたのだろう。
(まぁ、それが正解なんだけどな)
実際、レイは炎の魔法に特化しており、それ以外の属性の魔法を使うことは出来ない。
だが、デスサイズにあるスキルによって、土や風といった類の魔法を使えるように見せかけるのは十分に可能だった。
そう、まさしく今のように。
「おーい! 話を聞いてきた! やっていいってよ! いや、寧ろ出来るんなら是非頼むって言ってるぞ!」
先程の冒険者が走りながら戻ってくる。
その言葉に頷いたレイは、周囲にいる冒険者達に自分の近くに集まるように告げ、周囲の見張りをセトに頼んで空を飛んで貰い、デスサイズの石突きを地面に突く。
「地形操作」
レイの口から出たのは、先程と同様の言葉。
だが……その言葉が放たれたのと同時に起こった出来事は、先程とは比べものにならないだけの規模だった。
周囲一帯、切り株のある全ての場所の地面が盛り上がったのだ。
それこそ、木の根が引き千切れる音が、土越しであってもレイや冒険者達の耳に聞こえてくる。
『うわぁ……』
その、あまりと言えばあまりの光景に、レイの側に集まってきていた者達全員が驚きの声を上げる。
正直なところ、異様な光景に引いてしまったというのが、正しいところだろう。
レイも、まさかここまで露骨に木の根が引き千切れる音が聞こえてくるとは思っておらず、自分でやっておきながら、若干驚いてしまったが。
「あー……取りあえず、これで切り株は普通に手で引っこ抜けるようになったから……そうだな、取りあえず伐採した木のある場所に纏めてくれ」
そんなレイの言葉に、冒険者達はようやく我に返って行動に移る。
若干恐る恐るではあったが、盛り上がった土の中にある切り株に手を伸ばし、そっと引っ張る。
最初は動かなかったが、少し力を入れただけで次の瞬間には殆ど抵抗なく切り株が土から引き抜かれた。
勿論、今まで支えていた土から取り出したのだから、切り株の重さはそのまま冒険者の手に掛かる。
もっとも、この場にいる者達も冒険者だ。切り株を支えるくらいは難しい話ではない。
深い場所まで潜っている木の根が千切れ、土も踏み固められたような土ではなく、柔らかな耕したばかりの畑の土と殆ど変わらない。
「うわ、本当にあっさり抜けたぞ」
冒険者の一人がそう呟くと、他の者達も次から次にと切り株を引き抜いていく。
あれだけ頑丈に根を張っていた切り株がこうも簡単に引き抜けるのが面白いのだろう。
皆が、次から次に切り株を引き抜き……
「何じゃ、こりゃああぁっ!」
不意に、そんな大声が周囲に響く。
レイが声のした方に視線を向けると、そこには何人もの樵の姿がある。
木々の合間から、当然この光景は見えていたのだろう。
だが、それでも大半が木々に隠れて見ることが出来なかった筈だ。
しかし、実際に出て来てみれば、目の前には大量の土の山が出来ていたのだから、それで驚くなという方が無理だろう。
そして樵の中の一人がレイの姿を見ると、血相を変えて近寄ってくる。
「おい、レイ! これはお前の仕業か!? そうだな!?」
半ば決めつけているが、実際にそうである以上、レイもそれに否とは言わない。
「そうだな。俺の仕業だ。切り株が色々と邪魔だったからな。それとも、切り株はそのままにした方がよかったか?」
「いや、それは……切り株はない方が助かるが……」
レイの言葉でようやく落ち着いたのか、樵は困ったようにしながらも改めて周囲を見る。
そこでは、多くの冒険者が切り株を土から引き抜いては伐採された木の近くに運んでいた。
「あー……うん。切り株を取ってくれるのは助かるけど、その切り株をどうするかが問題だよな。何をするにも邪魔だし。……レイ、悪いけどどこかに持って行って燃やしてくれないか?」
「いいのか? 薪とかに使えると思うんだが」
そう言うレイに、樵は周囲に……特に自分達が出て来た、まだ木々が生えている森の方を見る。
「ああ。これだけの木があるんだ。正直なところ、切り株は邪魔でしかないんだよ。レイがこうして処理してくれるのなら、作業効率も間違いなく上がるしな」
「そう言って貰えると、俺も嬉しいよ。……けど、そうだな。なら、あの切り株は俺が全部貰ってもいいんだな?」
「は? いや、そりゃあ構わねえが……何の役に立つんだよ?」
「さて、俺の場合は色々と使い道があるからな。……そう、色々と」
そう言いながら、レイは意味深な笑みを浮かべるのだった。