1746話
レイが伐採した木を置いてギルドに向かうと……ギルドの床には、五人の男が意識を失って倒れていた。
それだけであれば、レイもギルムにおいてはいつものことと、特に気にすることはなかっただろう。
だが……その倒れている男の側にいるのが、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネの三人となると、レイにも関係ないとは言い切れない。
明らかにレイの仲間が起こした騒動である以上、事情を聞かないという選択肢はなかった。
もっとも、レイにとって幸運だったのは、ギルドにいる冒険者の多くが気絶した冒険者達に自業自得だといった視線を向けていたことか。
そんな様子を見れば、レイにも何となくこうなった原因は理解出来る。
以前からギルムにいた冒険者であれば、元ギルドマスターのマリーナは言うに及ばず、レイと一緒に行動しており戦闘を好むヴィヘラのことを知らない者はそう多くはない。
だが、ギルムの増築工事に伴い、本来ならギルムで活動するだけの能力のない冒険者も、多くが現在のギルムで働いている。
ましてや、レイ達は最近はレーブルリナ国に行ったり、海に行ったり、ダンジョンに行ったりと、ギルムを留守がちにしていることも多い。
そうしてレイ達がいない時にギルムへ到着した冒険者達にしてみれば、マリーナとヴィヘラという極上の美人を前にして、声を掛ける……といった行動に出る者がいてもおかしくはなかった。
……もっとも、マリーナ達もただ声を掛けられただけであれば、普通に断ってそれで終わりだ。
それがこのような光景になっているということは、つまり現在床で気絶している冒険者達が、強引に言い寄ろうとしたのだろう。
レイの予想だったが、それ程間違ってはいないという自信があった。
そして事実……
「全く、馬鹿な真似をしたな、あの連中も」
そうレイに話し掛けてきた男の態度から、やはりレイの予想は間違っていないのだろう。
その男に視線を向けたレイは、その相手に見覚えがあった。
「ブラッソ?」
「ああ、久しぶりだな」
そう言って笑みを浮かべたのは、平均よりも背が低いレイより更に背の低い人物。
もっとも、その筋肉量は見て分かる程にレイよりも大量についており、口元からは長い髭が生えている。
手に持っているのは、巨大な鎚で、地揺れの鎚と呼ばれている鎚だ。
ランクCパーティ、砕きし戦士のメンバー、ドワーフのブラッソだ。
レイとは以前依頼を共にしたり、セトやレイの持つマジックアイテムに目が眩んだ商人とのトラブルを一緒に解決したりと、それなりに付き合いのある相手。
ドワーフではあるが、鍛冶士としての才能はなく……それでも鍛冶に並々ならぬ興味を持っているというのが、レイの印象に強く残っている。
「フロンはどうした?」
ブラッソと共にパーティを組んでいる仲間の名を挙げるレイに、ブラッソは小さく肩をすくめてから口を開く。
「ガメリオン狩りに行っておる」
「……ブラッソは行かなかったのか?」
意外、という表情を隠すような真似をせず、レイが呟く。
この季節、ギルムにおいてガメリオン狩りというのは、自分が食べるという意味でも、素材を売るという意味でも美味しいモンスターだ。
それだけに、相方がガメリオン狩りに行ったのなら、ブラッソもガメリオン狩りに行ってもおかしくはないだろうと、そう思って告げたのだが……
「儂はもう十分にガメリオンを狩って、冬越えの資金も余裕で貯めたから、無理をする必要はない。それよりも、今は鍛冶士に色々と教えて貰っておるところじゃ」
「ふーん。……やっぱりもう、ガメリオン狩りは終わりに近づいてるのか?」
「うむ、そうじゃな。もう最盛期はすぎたのは間違いない」
「……そうか」
最盛期はすぎたという言葉に、レイは残念そうに呟く。
勿論、最盛期をすぎたからといって、もうガメリオンが全くいなくなったという訳ではない。
だが、ガメリオン狩り特有の熱気……一種の祭と呼んでもいい雰囲気を持つ期間は既に終わってしまったということを意味してもいた。
どうせなら、その雰囲気を一緒に味わいたかったというのが、レイの正直な気持ちだ。
「で、その最盛期がすぎたってのに、何でフロンはまだガメリオン狩りを?」
「あの馬鹿は、ちょっと無駄使いをしすぎてな。今この時季に少しでもガメリオンで稼いでおかなければ、冬にも働くことになりかねん」
ブラッソの口調に呆れが混じったのを見て、レイも事情を理解する。
もっとも、レイが知っている金に困った冒険者と言われて最初に思いつくのはセトに貢ぎすぎたミレイヌだったが、フロンがどのような理由でそのようなことになっているのかは分からない。
多少興味がないと言えば嘘になるが、ここで詳しい話を聞いて、妙な面倒に巻き込まれるのは、出来れば遠慮したかった。
もっとも……ガメリオン狩りの最盛期はすぎたが、まだ完全に終わった訳ではない以上、レイはガメリオン狩りに行くつもりだ。
そうなると、向こうでフロンと出会う可能性はそれなりにあるのだが。
(あー……でも、俺達がいない間に結構増築工事のペースも遅れが出始めているらしいし。今はまだそこまで切迫した状況じゃないのかもしれないけど、出来ればその辺も何とかしたいところだよな)
ギルムをこの世界における自分の故郷と認識しているレイにとって、増築工事によってギルムが広くなるのは大歓迎だった。
もっとも、その工事のおかげで妙な連中が入り込んできているのも、また事実だったが。
それだけに、レイにとって増築工事の手伝いをするというのは、そこまで苦になることではない。
その分の報酬もしっかりと貰えるし、何より増築工事の方が一段落すれば、砂上船を地上船として使えるようにする研究も開始されるのだから、レイにとっても利益は大きい。
そう考え……砂上船のことから、レーブルリナ国の一件を思い出す。
正確には、レーブルリナ国からギルムに向かっている、元奴隷の面々。
(そう言えば、そろそろ秋も深まってきているし、移動時間を考えればギルムに到着してもおかしくない頃合いだよな。向こうに物資を補給する意味でも、一度顔を出してみる必要もあるか)
何だかんだと、レイにはやるべきことは色々とあり……遊んでいるような暇は殆どない。
いや、無理に作ろうと思えば作れるのは間違いないのだろうが……そうなれば、どこかにレイが楽をした分の負担が掛かるのは間違いなかった。
そんな風に考えていると、やがてマリーナとヴィヘラ、ビューネの三人がレイの方に近づいてくる。
「あのね、普通こういう時は男が女を心配するんじゃない?」
少しだけ呆れの込められた表情で告げるマリーナだったが、レイにしてみればそんな行為をする必要があるようには到底感じられない。
これで、絡んできたのがレリューのような強さを持つ相手であれば、多少話は違ったのだろうが……レイの目から見ても、とても強そうに見える相手ではなかった。
それこそ、ビューネだけでも勝てたのではないかと思える程度の相手だ。
そうである以上、心配するのなら寧ろやられた男達の方だろうというのが、レイの正直な感想だった。
もっとも、それを言えば間違いなく色々と言われることになるだろうから、口に出すことはないが。
「そうだな。ちょっとは心配した方がよかったみたいだな」
「ちょっとじゃなくて、もっとしっかり心配するべきじゃない? ……まぁ、いいわ。それよりワーカーに報告は終わったから、そろそろ行くわよ。レイはまだ何か用があるの?」
ブラッソの方を見て尋ねるマリーナに、レイは少し考えてから首を横に振る。
「いや、ワーカーに話が終わったんなら、こっちはもう用事はない。ブラッソ、またな」
「うむ。お主もガメリオン狩りに行くのか?」
「どうだろうな。ただ、行きたいとは思ってるよ」
「そうか。なら、あの馬鹿のようにならぬようにな」
ブラッソの言っている『あの馬鹿』というのが誰なのかは、レイにも容易に想像出来た。
もっとも、それをこの場で口にすれば、後で色々と面倒なことになるのは間違いないだろうと判断したので、ブラッソに向けて頷くだけに留める。
「じゃあ、取りあえず……私の家に行く? それとも、夕暮れの小麦亭に顔を出しておく?」
「あー……夕暮れの小麦亭だな。部屋は取ってあるけど、戻ってきたってのを知らせておいた方がいいだろうし。その後でマリーナの家に行く」
短い会話でこれからのことが決まり、レイ達はギルドから出ようとして……
「レイ君、折角ギルドに来たんだから、私に会わないで帰るなんて、言わないでよー」
背後からそんな声が聞こえてくる。
それが誰の声なのかは、それなりに声の主と付き合いの長いレイには理解出来る。
「悪い、ケニー。今は色々とやるべきことがあるから、詳しい話はまた今度な」
カウンターの方から聞こえてきた声にそう告げ、レイはギルドを出る。
「ああああああ、本当なら今日は休みだった筈なのに。そしたら、レイ君と一緒に食事にでも行けたのかもしれないのにぃっ! レノラの馬鹿ぁっ!」
「落ち着きなさいよ。レノラだって別に好んでギルドマスターに仕事を頼まれた訳じゃないんだから。それに、今はギルムの増築工事とガメリオンの件で忙しいんだし、その辺はしょうがないわよ」
残念そうにしながら……それでいて書類の処理の手を止めないケニーに声を掛けたのは、いつもの相方のレノラ……ではなく、別の受付嬢だった。
レノラは今日、ワーカーからの仕事を受けて、ギルドにいない。
その代わりにということで、ケニーがレノラの代わりに仕事に入っているのだ。
もしレノラが普通に仕事をしていれば……
そう思うと、しょうがないと理解していてもレノラを恨めしく思ってしまうのは当然だった。
もっとも受付嬢が口にした通り、今のギルムは非常に忙しい。
増築工事やガメリオンといった風に受付嬢が言ったこと以外にも、もう少しで冬になるということで、多くの商人が駆け込んできているからだ。
ただでさえ現在もギルムは人が多いのに、更に追加で人がやって来るのだ。
それで色々と問題が起きない訳がない。
冒険者もその問題に駆り出されることもあり、場合によってはギルドに依頼という形でその問題の解決を要望されることもある。
現在ケニーが処理している書類も、商人同士の間で問題が起き、それの解決方法としてお互いがギルムの冒険者を雇って決闘――ただし相手を殺さないような――をするというものだった。
「うーあー……それでも、私はレイ君と食事に行きたかったのにぃ……それに、ダンジョンの件とかも聞きたかったし……」
愚痴りながらも、ケニーの書類を整理する手は止まらない。
この辺り、ケニーが有能だということの証なのだろう。
その有能さは、当然他の受付嬢も知っている。知ってはいるのだが……それでも、愚痴りながら書類を処理している光景は、どことなく異様なものがある。
そんなケニーの様子を見ているのは、受付嬢だけではない。
ギルドにいる冒険者達も、当然そんなケニーの姿を見ることが出来……
「ケニーちゃん、いい女だよなぁ……畜生、レイの奴、あんなに美人ばっかり侍らせてるくせに……」
「全くだよな。羨ましい。妬ましい。恨めしい」
「あのね、こんなところで愚痴ってないでよ。レイみたいに腕利きになれば、ケニーみたいな美人も寄ってくるんじゃない?」
「……お前な。レイの強さを知ってて言ってるのか? ああ、そうだよ。レイのような強さがあれば、それは色々と女も寄ってくるだろうよ。けど、異名持ちになれるだけの強さが、そう簡単にどうにか出来ると思ってるのか?」
「呆れた。やりもしないで諦めるの? それで結局強いレイを遠くから眺めて、愚痴ってるだけ? どうせならレイに勝つ、くらいは言ってみなさいよ」
「ぐぬ……」
レイに勝つというのは、正直言った女も出来るとは思っていない。
だが、それでもそのくらいの気概は示して欲しいというのが、共にパーティを組んでいる仲間として思う、正直な気持ちだった。
「はぁ……強ければ女に好かれるって訳じゃないけど、それでもいざって時に弱いなんて相手は論外よ? まぁ、中には弱い相手を守ってあげたいって女もいるけど……少なくても私は違うわね」
「べ、別にお前のことなんか言ってねえだろ。俺が言ってるのは……」
「はいはい、そうね。ケニーのことよね。……けど、ケニーの性格からして、あんたみたいなのは好みじゃないと思うわよ?」
そう告げる仲間の言葉に、男達は揃って何も言えなくなるのだった。