1737話
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「グルルルルルゥ!」
「ん? ああ、あの街か。セト、よく見つけてくれたな」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
特殊なポーションを作れる錬金術師のいる街は、セトでも数時間が必要だった。
セトの飛行速度を考えれば、それがゴルツからどれだけ離れた街なのか、レイにも嫌という程に理解出来た。
「それにしても、セトが俺の呼び掛けにすぐに答えてくれて助かったよ」
「グルゥ? グルルルゥ!」
そう? と首を傾げる様子を見せるセト。
実際、ゴルツから出てレイが大声でセトの名前を呼んでから、数分も経たずに姿を現したのだ。
そしてレイが軽く頼めば、セトも特に何か用事があった訳ではないので、そのまますぐに出発することになる。
……もっとも、セトと遊んでいたイエロは若干不満そうだったが、ヴィヘラに撫でられるとその気持ちよさに目を細め、すぐに怒りを忘れた。
「じゃあ……そうだな、人がいない場所に降りてくれるか?」
街道を歩いている何人かが、空を……正確には空を飛んでいるセトを指さしているのが、レイの目に入った。
このまま目的の街、ソーミスのすぐ側にセトが降りるようなことになれば、間違いなく騒動が起きるだろうというのは予想出来る。
そうならない為に、人のいない場所に降り、歩いてソーミスに向かおうと考えたのだ。
そんなレイの考えを理解したのか、セトは喉を鳴らすとソーミスから少し離れた場所に着地する。
グリフォンがソーミスの近くに降り立ったということで、当然のようにソーミスの警備兵達は緊張しつつ、慎重に……恐る恐るとだが近づく。
だが、警備兵の者達が、グリフォンと一緒に誰かがいるのに気が付き……それが誰なのかを思い出し、驚きの声を上げる。
「すまないが、もしかしてあんたは深紅のレイか!」
警備兵のその呼び掛けに、セトと共に歩いていたレイは頷く。
「そうだ。ゴルツのマジックアイテム屋から、頼まれてソーミスまで来た。ここの錬金術師のウォックって奴に用があるんだけど」
そう言い、レイはミスティリングからギルドカードを取り出し、警備兵に見せる。
もっとも、レイの側にいるセトが、何よりレイが誰なのかということを、如実に表していたのだが。
現在知られている限り、グリフォンを従魔にしているような者はレイ以外に存在していないのだから。
それでも念の為ということで確認すると、警備兵は安堵した表情を浮かべる。
「あんたがレイ本人だと確認したし、同時にソーミスに来た理由も理解した。ウォックの工房は少し分かりにくい場所にあるが、案内はいるか?」
「そうしてくれると助かるな。警備兵がいれば、妙な奴に絡まれたりもしないし」
実際には、セトがいれば普通なら絡もうと思う相手はまずいない。
だが、世の中には自分の思い通りにならないことはないと考えている者も多く、そのような者がこの街にいないとは限らない。
であれば、何かあった時の為に警備兵が一緒に行動してくれるというのは、後々面倒なことにならないという意味で非常に助かるのは間違いなかった。
街の中に入る手続きをし、従魔の首飾りを受け取り、レイとセトは警備兵と共にソーミスに入る。
(中は……まぁ、ゴルツとそう変わらないな。いや、若干ゴルツよりも栄えているし、活気があるか?)
ゴルツにいる錬金術師では作れない特殊なポーションを作れる錬金術師が集まっているという先入観もある為か、レイの目から見てソーミスはゴルツよりも若干ではあるが栄えているように思えた。
もっとも、どちらもギルムに比べればかなり劣ってしまうと感じてしまうのは……それが事実だからというのもあるのだろうが、レイにとってギルムが自分の帰るべき場所であると思っているのも関係している。
そんな風に考えている間にも、街の住人からの注目を向けられながら、レイ達は進む。
セトがいるのに街の住人が騒ぐ様子がないのは、従魔の首飾りのおかげと……何より、警備兵が一緒にいるというのが大きい。
何かあっても、警備兵が何とかしてくれる……かもしれない。
実際にはただの警備兵ではセトに対抗出来る筈もないのだが、街の住人はそう思い、安心している。
もっとも、何か余程のことがなければセトが暴れるようなことはないので、住人達の心配は特に気にする必要もないのだが。
ただ一つ、残念なことは……
(折角新しい街に来たのに、名物料理の類を何も食べられないことか)
そう、とてもではないが買い食いが出来るような状況ではないということだった。
今まで来たことのない街だけに、初めて食べる料理や食材の類があるかもしれない。
セトと共に空を飛んで移動している最中、そんな期待がなかったと言えば嘘になる。
だが……今の状況を考えれば、とてもではないがちょっと買い食いをしてもいいかという風には言えない。
何より、屋台や食堂の店主が怖がってまともに対応してくれないというのが明らかだった。
「ま、しょうがないか」
「どうした?」
レイの呟きが聞こえたのか、警備兵が尋ねる。
だが、レイはそんな警備兵に何でもないと首を横に振る。
「いや、何でもない。出来れば色々と寄り道をしてみたいと思っただけだ。ただ、この様子だとそんな真似は出来そうにないしな」
「あー……そうだな」
警備兵も、周囲の様子を見渡して納得の表情を浮かべる。
いきなりグリフォンという存在を見た住人達は、セトや……場合によってそのセトを従えているレイにまで脅威の視線を向けている者がいた。
警備兵は、少しの時間ではあってもレイやセトと一緒に行動しているので、セトがレイの指示に従っているというのは多少なりとも理解している。
だが、とてもではないがそんな一人と一匹に自由に寄り道をしていいとは言えなかった。
もっとも、正規の手続きをして入ってきている以上、レイ達の行動を邪魔するような権限は警備兵にはない。
それでもレイ達がそのような行動を取らなかったのは、いきなりセトと一緒に行動するような真似をすれば、何の罪もない住人達を驚かせてしまうという思いがあったからだ。
勿論、何らかの理由があれば……それこそ緊急事態のようなことでもあれば、レイも何か行動を躊躇うようなつもりはない。
逆に言えば、緊急時でもない限りはそのような真似をするつもりはなかった。
どこか申し訳なさそうな表情で視線を向けてくる警備兵に、レイは気にするなと首を横に振る。
「俺も無理にどうこうするつもりはないし、やるべきことをやったら、すぐに街から出て行くから気にするな」
「そうか? すまない。ただ、何かしたいことがあったら言ってくれ。俺で出来ることなら、可能な限りさせて貰う」
「そうか? じゃあ、後で金は払うからこの街の名物料理とかを買ってきてくれると助かる」
「……は?」
レイの口から出た言葉が完全に予想外だったのだろう。
警備兵は、一体こいつは何を言ってるんだ? といった視線を向ける。
だが、レイの表情を見れば、それが冗談でも何でもなく、それこそ心の底から言っていることだというのは、すぐに理解出来る。
てっきり何かの武器や情報といったものを必要とされるのではないかと、そう思っていたのだが……完全に警備兵の裏を掻いた形だった。
もっとも、別にレイは何かを狙ってそのような真似をした訳ではなく、ただ単純に自分の思ったことを言っただけなのだが。
じゃあ、頼んだ。
そうレイに重ねて言われ、警備兵は思わず空を見る。
まだ十分に明るいその空は、警備兵が聞いたことは夢でも何でもないと示してくれている。
歩きながらの行為である以上、下手をすれば通行人や物に当たったりするということもあるのだが、その辺りは警備兵として街を歩くのに慣れているのか、そのようなことはない。
……街の住人がレイとセトを遠巻きにしているというのも、大きいのだが。
「分かった。お前がウォックの工房にいる間に、適当に何か買ってくる。この街の名物でいいんだな?」
「ああ。そうしてくれ。幸い今は秋で、色んな美味い食材があるだろうし。この街にも当然何か名物とかはあるんだろう?」
半ば挑発的な言葉だったが、それはこの街の出身で、当然のように自分の故郷を愛している警備兵の心に火を点けた。
こうまで言われながら、それでもソーミスに美味い料理がないと思われるのは、警備兵にとっても面白くない。
「いいだろう。なら、絶対にお前を驚かせるような料理を用意してみせる。……ああ、あそこがウォックの工房だ」
話している最中も歩いていた為に、やがて目的地となるウォックの工房が見えてくる。
特に目立つような工房ではなく、特殊なポーションを作ることが出来る人物が住んでいる場所、のようには見えない。
(いや、ソーミスの街の規模を考えれば、そこまで大きくなくてもおかしくはないのか?)
レイが知っている錬金術師の工房というのは、そう多くはない。
それらを考えても、そこまで大規模な工房というのはなかったな、と。
そう思いながら進み……やがて、到着する。
「そっちのグリフォンは、悪いが入ることが出来ない。外で待っていてくれ。……大丈夫なんだよな?」
「ああ、問題ない。なぁ、セト」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは大丈夫! と鳴き声を上げると、そのまま少し離れた場所に寝転がる。
工房の前の道を歩くのに邪魔にならない場所であり、それを見ればセトが通行人の邪魔をしようとするようには思えなかった。
警備兵はそのことに安堵し、レイと共に工房の中に入っていく。
「ウォック、いるか?」
「ん? ああ、ウェルザスさんか。どうしたんだ?」
幸い、ウォックは工房の中にいて、何らかの書類を整理していた。
一応これも仕事ではあるのだろうが、それでも忙しそうな様子ではなかったのは、警備兵……ウェルザスにとっても幸いだった。
「この人がお前に用があるらしい。……深紅のレイだ。名前くらいは聞いたことがあるだろう?」
「へ? 深紅って……あの? ベスティア帝国軍を纏めて燃やしつくしたっていう?」
「どこまで話が大袈裟になってるんだ……俺が燃やしたのは先陣部隊で、それも全員を燃やした訳じゃない」
噂というのは、広がるにつれてその内容が大きくなっていくものだが、レイとしては当然そのようなことはありがたくない。
目の前のウォック……三十代前半の男に、一応といった風に訂正するのだが……
「うわ……噂が大袈裟になるのは知ってるけど、それでも燃やしたってのは事実なのか。そういえば、深紅はグリフォンを従魔にしてるって聞いてるけど……そのグリフォンはいないのかい?」
興味津々といった視線をレイに向けるウォック。
だが、それも当然だろう。錬金術師にとって、ランクAモンスターのグリフォンなど、まさに夢にまで見た素材の塊なのだから。
最近、ギルムの増築もあって人が多く集まってきているが、その中に少なからず錬金術師が入っているのは、間違いなくギルムにいればグリフォンの……それも、希少種ということで、ランクS相当のモンスターの素材を入手出来るかもしれないと期待しているからだろう。
実際、ギルムの錬金術師達の中には、セトの素材……抜けた毛や羽根といった物を手に入れることが出来た者もいる。
そうである以上、自分も! と、そう思う者が出て来てもおかしくはなかった。
「セトなら外で寝てるぞ。中に入るのは不可能……って訳じゃないけど、そっちの方がよかっただろうしな」
この工房で作られたマジックアイテムの類を運び出すには、当然マジックアイテムよりも扉が大きくなければいけない。
最悪の場合は壁を壊して……といった真似も出来るが、そのような手段を頻繁に使う訳にもいかない。
その対策として、工房の扉は相応に広く作られていた。
それこそ、セトが入ろうと思えば入れるくらいには。
だが、街の住人の反応を見る限り、そのような真似が出来る筈もない。
また、中には入れても、そこが狭いというのは間違いのない事実なのだ。
そうである以上、やはりセトには外で待っていて貰うというのが最善なのは間違いないだろう。
……馬鹿な考えを抱いて、レイに絡んでくるような相手がいないとも限らないのだから。
「言っておくけど、セトの素材がどうこうって話で来た訳じゃないぞ」
「そう言えば、何だって君みたいな有名人が僕のところに?」
その言葉に、レイはミスティリングから取り出した手紙を渡す。
……錬金術師として、当然のようにアイテムボックスに興味を持っているのか、ウォックの視線がレイのミスティリングに向けられる。
それでも手紙を渡されれば、それを読み……
「え? あのポーションならもうとっくに持っていってる筈だけど……」
そう、告げるのだった。