1734話
魔獣術による魔石の吸収を終えた翌日……その日は前日とは違って雲が空を覆っていたが、それでもまだ雨が降ってくる訳ではなく、当然のようにゴルツの近くでは昨日に引き続きモンスターの解体が行われていた。
もっとも、二匹のケルピーとアルゴスベアの解体は昨日終わっているので、残っているのはガランギガだけだったが。
……ただ、そのガランギガの解体が非常に面倒で、鱗は昨日の時点で八割程剥ぎ終わっていたが、鱗の中にある棘を引き抜く作業はまだ三割程度しか終わっていない。
「これ、頭部がなくて助かったよな。もし頭部があったら、解体するのはもっと大変だったぜ?」
ガランギガの解体をしている冒険者の一人がうんざりとした表情で呟くが、それに反対する者はいない。
そもそもの話、冒険者達が解体しているこのガランギガは、普通のガランギガとは比較にならない程の大きさを持つ。
そして、頭部というのは複雑な構造をしている以上、当然のようにそれをどうにかするとなれば、他の部位よりも圧倒的に難しいのだ。
そのような解体をするのに厄介な頭部が、現在冒険者達が解体している程の大きさのモンスターの頭部であればどうなるか……それこそ、手間という点ではかなり変わってくるのは間違いない。
「そうだな。下手をすりゃ、今日だけで終わらなくて明日もこれをやる羽目になっていたかもな」
ぼやいた男の側で作業をしていた別の男が、こちらは特に面倒臭そうな様子もなく、そう告げる。
実際、モンスターの解体をするだけでそれなりの稼ぎになるという今回の依頼は、男にとっては……そして他の者達にとっても十分美味しい依頼だった。
特にダンジョンが攻略された以上、暫くあの崖には近づかない方がいいと、ギルドからも連絡がされているし、楽に――この場合は命の危険という意味で――稼げるという、モンスターの解体は、多くの者にとって歓迎すべき依頼だった。
ギルドからの連絡を受けた上で、それでもダンジョンのある……いや、あった崖に向かっている者もいるが、少なくてもこの場で解体をしている者達はそのような馬鹿な真似をしようとは思っていなかった。
もっとも、この依頼も決して楽なことばかりではない。
「ほら、そこ。話すのはいいけど、仕事を疎かにはしないように」
仕事を監視していたギルド職員から、注意の言葉が飛んでくる。
そう、大勢の冒険者が協力して仕事をしている以上、それを纏める者は必要となる。
ましてや、このガランギガはランクA相当のモンスターと判断されている以上、中には素材を持ち逃げするという誘惑に負ける者が出て来てもおかしくはない。
幸い今のところはそのような者はいないが、もし本当にそのような人物が出て来た場合、ギルドにとってはゴルツの近くにあったダンジョン……それも出来たばかりという認識だったにもかかわらず、これ程強力なボスモンスターのいるダンジョンを攻略してくれたレイ達に対して、面目が立たない。
だからこそ、ギルド職員の多くをこうして派遣し、監視しているのだ。
「今日で終われば、レイさんがオーク肉をご馳走してくれるそうです。だから、頑張って下さいね」
ギルド職員の言葉に、少しだけやる気のなくなっていた冒険者達が嬉しそうに再び作業に入る。
オークの肉はそこまで高価な代物という訳ではないが、それでも値段の割に味は非常に美味なのだ。
それを自分の金を使わずに食べられるとなれば、冒険者達が燃えない筈もない。
……もしこれがギルムであれば、稼ぎに余裕のある冒険者も多いので、ここまで盛り上がることもなかっただろうが。
そんな現金な冒険者達に若干呆れ……それでいて微笑ましいものを感じつつも、ギルド職員は冒険者達を監督するという自分の仕事に集中する。
「ほら、そこ。棘を引き抜く時は繊細にお願いします。周囲の肉と一緒に引き抜くと、素材の質に影響してきますから」
他のギルド職員も、近くにいる冒険者達の様子を確認しつつ、解体作業に励むのだった。
「ん!」
ビューネにしては気合いの入った声で呟き、銀獅子の素材で作った白雲を振るう。
だが、その辺の冒険者であれば防ぐのも難しいような一撃は、呆気なくレリューに回避される。
それを見たビューネは、表情には出さないが雰囲気が若干苛立つ。
既にレリューとの戦闘訓練が始まってから十分程も経つが、未だにレリューは鞘から長剣を引き抜かず、体捌きだけでビューネの攻撃を回避し続けていた。
「やるわね」
「まぁ、異名持ちだからな。その力は……こう言ってはなんだが、ビューネ程度では対抗するのは無理だろう」
感心したように呟くヴィヘラに、エレーナがそう返す。
ゴルツから少し離れた場所にある、荒れ地。
現在そこでは模擬戦を行っているビューネ、レリュー。
それを見ているエレーナ、ヴィヘラの四人がいた。
マリーナがここにいないのは、レイと一緒にゴルツでデートをしているからで、セトとイエロの二匹は気ままに出掛けていった。
今日もそうして二手――セトとイエロも入れれば三手――に分かれて行動しているのは、昨日はエレーナとレイがデートをしたから、今日はマリーナとレイがデートをするということになった為だ。
そして明日は、ヴィヘラとレイがデートをし、明後日にゴルツを出発するということになっている。
レリューはそんなレイ達の――正確にはレイとのデートを希望するマリーナとヴィヘラの――判断に不満を抱いていたのだが、ギルムに戻るにはセト籠を使って移動するのが一番早いというのは、レリューも理解している。
また、妻のシュミネに対するお土産を一日で選んでいいのか。もっと時間を掛けて選ぶのが愛情なのではないかとマリーナに言われてしまい、妻のことになると妥協ということを知らないレリューはそれに納得してしまった。
……お土産の件以外にも、セトと一緒にいられる時間がまだ残ってるという考え方をすることも出来るという言葉も、レリューにとって大きかったのは間違いない。
そんな訳で、レリューは出発を明後日にすることに納得したのだ。
お土産をじっくりと選ぶという名目でここに残っているのに、実際にはこうしてビューネと模擬戦をしているのだが。
もっとも、レリューは何だかんだと面倒見の良い性格をしているのも間違いはない。
ビューネのような子供がレイ達と行動を共にするということで、自分との模擬戦が少しでもその役に立つのなら……という気持ちがあるのも事実だった。
「ほら、攻撃だけに意識が向きすぎだ。防御を疎かにするな。特にビューネの場合は身体が小さいんだから、下手に攻撃を食らうと吹っ飛ばされるぞ!」
その言葉と共に、ビューネの一撃を回避……ビューネの手首を掴んだレリューは、強引に放り投げる。
大きく飛ばされたビューネだったが、盗賊だけあってその身の軽さは通常の冒険者よりも上だ。
空中で身体を捻りつつ、両足で地面に着地する。
もっとも、それはレリューが意図的にビューネにそれだけの余裕を与える投げ方をしたからこその行為だ。
もしレリューが本当にビューネを投げようとするのであれば、これだけ大きく投げるような真似はせず、直接地面に叩き付けていただろう。
そうなれば、間違いなくビューネは戦闘不能に陥っていた筈だ。
ビューネもそれが分かっているのか、微かに目を吊り上げ、悔しげな様子を見せてレリューに向き直る。
そんなビューネに、レリューは掛かってこいと手招きをする。
明らかな挑発だったが、ビューネはそんなレリューの挑発に意図的に乗り、地面を蹴って走り出す。
レリューはそんなビューネを、緊張もしない様子で待ち受けるのだった。
ビューネとレリューが戦闘訓練をしている頃……レイとマリーナの姿は、ゴルツの大通りにあった。
もっとも、その大通りはギルムと比べると決して活気がある訳ではない。
ゴルツはこの辺りでは比較的大きな街だが、それでも結局田舎なのだ。
辺境として大勢の商人や冒険者が集まってくるギルムと比べれば、どうしても活気がないように見えるのは当然だろう。
そのような場所でも、デートをするのであればそれなりに楽しめるのは、まだ若い――外見や精神は――からか。
「レイ、どう? これ、似合う?」
そう言ってマリーナが見せたのは、髪飾り。
そこまで精緻な彫り物がされた髪飾りという訳ではないが、それでも緑の髪飾りはマリーナの銀髪によく映えた。
「ああ、似合ってる」
「そう? ふふっ、ならこれを買おうかしら」
そう言いながら、マリーナは店員に金を支払おうとするも……レイはマリーナの肩を掴み、その動きを止める。
「折角だし、このくらいは俺が出すよ。記念……って程じゃないけど」
「あら、そう? ふふっ、レイからのプレゼントね」
「おやまぁ……随分と仲の良い恋人だね。付き合い始めかい?」
レイの渡した代金を受け取った店員の女は、嬉しそうに髪飾りを付けているマリーナを見ながら笑みを浮かべて言う。
ドラゴンローブを着ているレイはともかく、女の艶が強烈に漂っているダークエルフのマリーナは、一目見れば忘れられない美貌を持っている。
そんなマリーナがゴルツにいることは、当然のように噂が広がる。
ダンジョンを攻略したメンバーの中にそのような人物がいるというのも、当然のように噂として広がる訳で……店員という商売をやっている女が、それを知らない筈がなかった。
それでも口に出さなかったのは、マリーナがこのデートを楽しんでいるのが分かり、それを邪魔したくないと思ったからか。
さりげない気遣いをされているというのはマリーナも理解出来たので、店員に感謝の視線を向ける。
店員も、分かっているといった視線をマリーナに向け……レイが気が付かない間に、女同士の意思疎通は終わり、二人は店を出る。
「さて、じゃあ次にどこにいくの? ちょっと甘いものでも食べたいけど」
「甘いものか。……一応ダンジョンの森の中で採った果実はかなり在庫があるけど、そういうのじゃないんだよな?」
「うーん……じゃあ、それでいいわ。ただ、どこか人の多くない場所に行きましょ」
少し考えてそう言ったのは、パーティドレス姿のマリーナに多くの通行人の視線が集まっているからだろう。
胸元が大きく開いて双丘の深い谷間を見せつけ、背中も露出している。
とてもではないが、このような場所で見ることがないパーティドレス姿のダークエルフのマリーナだけに、周囲から向けられる様々な視線が気になるのだろう。
普段であれば、望んでこのような格好をしている以上、他人の視線……特に男の視線は全く気にならないマリーナだったが、今は違う。
レイとのデート中である以上、有象無象の視線を向けられたくはなかった。
「そう言ってもな。俺も別にゴルツに詳しい訳じゃないし……取りあえず歩くか? もしかしたら途中でどこか良い場所が見つかるかもしれないし」
そんなレイの言葉に、マリーナはすぐに頷く。
マリーナも、別にゴルツに詳しい訳ではないからだろう。
……もっとも、マリーナの場合は風の精霊魔法を使えば人のいない場所くらいはすぐに探し出すことが出来るのだが。
そうしなかったのは、純粋にレイと一緒に街中を歩いてみたいと、そう思ったからだろう。
二人で街中を歩き、やがて空き地に到着する。
とても秋晴れとは呼べない、雲が空を覆っている天気ではあったが、それでも子供達は空き地の中を走り回って遊んでいた。
大人ならともかく、子供であればマリーナを不躾な視線で見ることもない。
そのような感情を抱くには、それこそまだ十年近くもの時間が必要となるだろう。
ただし、男の方はそういう感情を抱くようなことはなかったが、少女達にしてみればパーティドレスという綺麗な服を着ているマリーナは非常に魅力的に映ったのだろう。
空き地で遊んでいた何人もの少女達が、マリーナに近づいてくる。
「ねえ、お姉さん。その綺麗な服は何!? 何でそんなに綺麗な服を着ているの? あたしも着たい!」
集まった五人の少女達を代表するように、一人の少女がそう告げる。
他の少女達も、口には出さないがマリーナの着ているパーティドレスに強い興味を持っているのは明らかだ。
そんな少女達に、マリーナは笑みを……いつもの女の艶を感じさせる笑みではなく、微笑ましい相手を見るような笑みを浮かべながら口を開く。
「ふふっ、そうね。貴方達も将来はこういう服を着られるようになるかもしれないわよ? ただ、その為には素敵な恋人を見つける必要があるけどね」
そう言い、見せつけるようにレイの腕を抱くマリーナ。
そんな光景を見て、少女達の口からは歓声が上がる。
小さくても、女は女ということなのだろう。
レイとマリーナは、そんな子供達と一緒に束の間の休日を楽しむのだった。