1719話
川の上流に向かってレイ達が歩き続け、二時間程。
道なき道……というのは多少大袈裟ではあったが、獣道よりは若干歩きやすい場所を歩き続けていたレイ達は、不意にその場所に出る。
ぽっかりとした空間。
勿論周囲に木が生えていたりはするのだが、その周辺だけは歩くのに邪魔なものは何も存在しなかった。
そして、空間の真ん中にあるのは……
「階段、か」
レイが呟くが、その呟きの中に訝しげな色が混ざっていたのは、その階段が理由だったからだろう。
一階から二階には、当然のように上に向かう階段があった。
だから、てっきりこのダンジョンでは下に向かうのではなく上に向かって進む形なのだろうと、そう思っていたのだが……現在レイ達の目の前にあるのは、降りの階段だった。
「階段、だな」
エレーナもまた、レイと同じような言葉を呟く。
何故下への階段があるのか、理解出来ないといった様子だ。
「まぁ、こういう展開があってもおかしくないわよ。ここはダンジョンなんだから、何があってもおかしくないし」
元ギルドマスターとして……そしてギルドマスターになる前は歴戦の冒険者として活動していたマリーナが、そう呟く。
「そうね。ダンジョンなんだし、特に珍しいことではないわ」
「ん」
迷宮都市で活動していたヴィヘラとビューネの二人も、マリーナの言葉に同意していた。
「エグジルのダンジョンには、これと同じように一度下の階に向かってから、そこから上の階に向かって、そこから更に下の階に向かう……そうね、立体的なと表現すればいいのかしら? そんな感じの構成になっているところも、珍しくないわよ?」
ヴィヘラのその言葉に、レイとエレーナの二人はそうなのか……と言うしかない。
レイもエレーナも、別にダンジョンに潜ったのはこれが初めてという訳ではない。
それでもこのような、ヴィヘラ曰く立体的なダンジョンというのは、これまで経験したことがなかった。
「ただ……こういう風に立体的なダンジョンになってる場合、次に続く階段が一つであるということは少ないわ。この森の広さを考えても、恐らく他に幾つも階段があると思うけど……どうする?」
もう少し階段を探すのか、それとも目の前にある階段で一階に降りるのか。
どちらを選ぶ? と聞いてくるヴィヘラに、レイはどうするべきか迷い……やがて決断する。
「降りてみよう。この森は広すぎて、この階段を見逃したら次にまた同じような階段を見つけることが出来るとは限らないし」
結局下の階に向かうという選択をしたレイは、皆と一緒に一階に向かう。
一階に降りた瞬間に何が起きるのか分からない以上、当然のように周囲を警戒しながらの移動だ。
そうして、やがて階段を降りると……
「ここで来たか」
レイの呟きが周囲に漏れる。
一階に降りた場所にあるのは、通路がある訳ではなく一つの大きな空間だった。
その空間を見てレイが呟いた理由は、そこに何本もの岩の植物が存在していた為だ。
同じ一階でも、ダンジョンの出入り口がある場所からY字路になっていた、行き止まりの場所に生えていた岩の植物。
そんな岩の植物が、この空間には密集して存在していた。
「岩の花が欲しかったんだけど、この光景を見ると、あまり物珍しさがないな」
妻のシュミネにお土産として岩の花を持って帰りたいと希望していたレリューだったが、目の前に広がる何本、何十本、何百本……場合によっては、それ以上の岩の植物を見て、しみじみと呟く。
実際、これだけ生えているのを見れば、物珍しさもありがたさも、そこにはない。
物珍しさやありがたさというのは、それが稀少だからこそ、そう感じるのだ。
これだけ大量に生えているのを見れば、そこに稀少さはどこにも存在しない。
「なんにせよ、ギルドでこの岩の植物を調べて貰うなら、現物は多ければ多い程いいだろ」
「そうね。……ただ、あの岩の植物、別にモンスターって訳でもないのに、攻撃を仕掛けてくるのよね。そこまで強力な攻撃じゃないけど、あれだけの数がいればちょっと面倒よ?」
マリーナの視線が、大量に生えている岩の植物に向けられる。
この岩の植物は、モンスターではないにも関わらず近寄ってきた相手に攻撃をするのだ。
(もっとも、地球の植物でもハエトリグサとかの食虫植物とかはいるんだし、エルジィンの植物なら、もっと積極的に相手を攻撃するような植物があっても不思議はないか。……岩の植物って時点で、かなり疑問だけど)
岩で出来ている植物という時点で、矛盾してはいるのだが……エルジィンであれば、そのくらいのことはあっても特におかしくないと感じるのは、レイもこの世界に慣れてきた証なのだろう。
「とにかく、あの岩の植物を可能な限り採取して持って帰るぞ。幸い、荷物に関しては心配する必要もないし」
そう宣言するレイの言葉に、誰も反対の声は上げない。
岩の植物という存在がどのような存在なのか、皆が興味を持っているのだろう。
特にその興味が強いのは、マリーナだ。
ダークエルフだけに、岩の植物であっても興味津々の様子だった。
「出来れば根から持って帰りたいんだけど……無理よね」
「無理だな」
マリーナに対し、レイは即座にそう答える。
生きてる状態であれば、岩の植物は延々と自分達を攻撃してくるのは、以前接触した時の様子から明らかだったし、何より……今、視線の先にいる岩の植物は、見るからにレイ達を獲物と判断して攻撃態勢に入っていた。
「マリーナ!」
レイの言葉に、マリーナは素早く精霊魔法を使用する。
風による障壁とでも呼ぶべきものが生み出され、岩の植物の群れから飛ばされてきた岩の葉は、その風の障壁によって次々にあらぬ方向に逸らされていった。
ここが二階にある森の、川の近くであれば、防御力という意味ではより強固な水の障壁を作ることも出来たのだろうが……残念ながら、川が流れていない今、そのような真似は出来ない。
いや、時間を掛ければ出来るのだが、今の状況で必要なのは、その時間だった。
「攻撃そのものはそこまで厄介ではないが……これだけ数がいると、ちょっと面倒だな。レイ、俺が一旦前に出たいんだが、構わないか?」
長剣を手に、レリューがレイに尋ねる。
まさに横殴りの雨とでも呼ぶべき密度で、岩の植物から次々に放たれてくる岩の葉を風の障壁に任せ、レイはレリューに視線を向ける。
「なら、任せてもいいか?」
行けるな? とも、大丈夫か? とも聞かず、あっさりとそれだけを告げるレイ。
ランクとして考えれば、レリューはレイよりも格上の存在なのだ。
そんな相手を、この程度の敵を前にして心配するのは寧ろ侮辱に当たる。
そう思ったが故の、レイの言葉だった。
事実、レイのその言葉にレリューは何の問題もないと強気の笑みを返す。
「分かった。マリーナ、頼む」
「ええ。レリューはそのまま岩の植物に向かって走って。それに合わせて、風の障壁を解くから」
マリーナの言葉に、レリューは頷き……長剣を手に、躊躇も何もなく一気に駆け出す。
そこには、マリーナの精霊魔法の腕に対する疑問は一切なく、自分が走り抜ける時には絶対に風の障壁は解除されると、そう確信しているような走り方だった。
そして……レリューの信頼は一切裏切られることなく、レリューが風の障壁にぶつかろうとした瞬間、今まで岩の葉を防いでいた風の障壁は一瞬にして消える。
それこそ、実はそこには何もなかったと言われても信じられるかのように、唐突に。
結果として、レリューは一切速度を緩めるようなことはなく、風の障壁から飛び出ることに成功する。
風の障壁から飛び出せば、当然のように今まで防いでいた岩の葉が無数に飛んで来る。
だが、レリューは一切速度を緩めるようなことはなく、無数に飛んでくる岩の葉を、回避し、もしくは長剣で斬り落としながら進み続けた。
無数に飛んで来る岩の葉ではあったが、レリューにしてみれば、今まで自分が経験してきた戦いの方が余程厳しかったというのが、正直なところだろう。
異名持ちのランクA冒険者という、ギルムの中でもトップクラスの冒険者だけに、レリューがこれまで普通の冒険者では到底生き残れないような敵との戦いを、幾つも潜り抜けてきた。
そんなレリューにとって、この程度の障害は面倒ではあっても、対処出来ない障害ではない。
「へぇ……やるわね」
風の障壁の中からでも、レリューの鋭い剣さばきは当然見ることが出来た。
それを見たヴィヘラは、感心したように呟く。
何度かレリューと模擬戦はしていたが、その時はあくまでも模擬戦ということで、お互いにそこまで本気での戦いとはならなかったのだろう。
だからこそ、ヴィヘラはレリューの今の戦い方に目を奪われていたのだ。
口紅を塗っている訳でもなのに、赤く艶めかしい唇を舐めるその様子は、淫靡と表現するのが相応しい。
……もっとも、ヴィヘラの中にあるのは強敵との戦いを求める闘争心なのだが。
ともあれ風の障壁の中から見ている限り、レリューの心配は全くいらないだろうと思えるくらいに、安定した戦い方をしている。
「さて、レリューは放っておいても安心だとして……俺達は前に出ないで援護に回るか」
レイの言葉に不満を見せるのは、やはりヴィヘラだ。
遠距離攻撃の手段がない以上、背後からの援護となると出来ることは多くはない。
それでもレイの指示だからと文句は言わず、せめてもの行動として地面に落ちている石を拾う。
岩の植物を相手に石を投げて効果があるのかどうかは微妙なところだったが、それでも何もやらないよりはいいと考えた末の結果だった。
「グルルルルルルゥ!」
セトが鳴き声を上げ、その周辺に生み出される二十本の風の矢。
放たれる速度はともかく、威力そのものは決して高くはない攻撃だが……それは、あくまでも敵にダメージを与える場合だ。
今回のように突っ込んでいるレリューを援護するという目的では、相手の注意をレリューから逸らせばいい為、威力自体は気にする必要はない。
もっとも、岩の植物が風の矢をぶつけられたことで目的から意識を逸らすかどうかは、分からないのだが。
そもそもの話、岩の植物が何なのかというのも、まだ分かっていない。
それこそ、自我の類があるのかどうかというのも分かっていないのだ。
場合によっては、レリューからあっさりと意識を逸らすかもしれないが、逆に自分に行われた攻撃は一切気にせずレリューに集中し続けるという可能性もある。
他の面々も攻撃の準備を整え……
「マリーナ、いいぞ!」
その言葉と共に、一旦風の障壁が消える。
同時に、投擲された黄昏の槍や風の魔法、風の矢、長針……様々な攻撃が、放たれる。
その多くは、当然のように無数に飛んで来る岩の葉にぶつかり、威力を減衰し……中には消滅していくものも多い。
だが、逆に岩の葉程度では全く威力が衰えないものもあった。
そうした攻撃の一つが、投擲された黄昏の槍だ。
レイの魔力を込められた黄昏の槍は、ぶつかる端から岩の葉を破壊……いや、粉砕していく。
次々に岩の葉を粉砕しながら突き進むその様子は、まさに凶悪と一言で言い表してもいいだろう。
黄昏の槍は一切速度や威力を衰えさせることもないままに突き進み、やがてレリューの横すら通りすぎていく。
レリューにしてみれば、その攻撃は完全に予想外だっただろう。
だが、レリューは一切動じることなく進み続け……やがて、岩の植物のすぐ近くまで到着する。
……本来なら、ここで岩の植物は自分の近くまでやってきたレリューに反撃をしようとしたのだろう。
それこそ、レイが最初に岩の植物を見つけた時と同じく、葉ではなく実……もしくは枝や身体に巻き付いている岩のツタでか。
だが、レイの投擲した黄昏の槍は、岩の植物をかなりの割合で貫き、砕いていた。
岩の植物を確保するという目的から考えれば、明らかに失敗なのだが……この空間には岩の植物がかなりの数存在している以上、今の一撃で砕いた程度では、全く問題がない。
結果として、黄昏の槍が通りすぎた後は岩の植物もレリューを攻撃出来るような余裕は、ほとんどなかった
それでも、ある程度の反撃はしていたのだが、そこにはレイ以外の面々が行った援護攻撃が次々に命中し、岩の植物の行動を阻害する。
「しゃあっ!」
岩の植物の前に到着したレリューは、鋭い声を発しながら長剣を一閃し……岩の植物を切断する。
その一撃でレリューの動きが止まるようなことはなく、次から次に周囲に生えている岩の植物を切断していくのだった。