1648話
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「やあああああああっ!」
早朝、周辺にそんな気合いの入った女の声が響く。
手に持つのは、槍。
ギメカラが用意した武器だったが、槍の穂先にはカバーが付けられており、もし刺さっても致命傷にはならない。
女が勢いよく体重を掛けてぶつかっていく以上、当然ながら穂先にカバーが付けられていても、致命傷にはならずとも多少なりとも怪我をするのは間違いない。
……もっとも、それはあくまでも命中すれば、の話だが。
「甘い」
短く呟いたエレーナがミラージュを軽く振るうと、それだけで槍の穂先は絡め取られ、次の瞬間には女がしっかりと握っていた筈の槍は巻き上げられ、空中にとばされていた。
そして女が気が付けば、ミラージュの切っ先が女の眼前に突きつけられている。
「え?」
何が起こったのか全く分からず、女の口からは小さな呟きが漏れる。
そんな女の眼前から突きつけた切っ先を外すと、エレーナは一連の流れで気が付いたことを指摘する。
「槍で突くのはいいが、速度が遅ければこうしてあっさりと武器を奪われることになる。そうならないようにする為には、もっと素早く動くようにするんだな」
「……はい」
女は、娼婦をさせられていた者の中でもそれなりに戦闘に才能があった。
勿論、それはあくまでも女達の中での話であって、本当の意味で冒険者を相手にどうにか出来るかと言われれば、答えは否なのだが。
しかし、この集団の護衛をしている冒険者は、腕よりも問題を起こさないという性格を重視して雇われているということもあり、冒険者と模擬戦をやれば多少なりともやり合えてしまう。
そのことで妙な自信を持っている者もおり……そういう意味では、エレーナと戦っていた女もその一人だった。
落ち込んでいる女から視線を逸らしたエレーナは、周囲で戦っている他のメンバーの様子を見る。
エレーナ、ヴィヘラ……そしてビューネにまで一方的にやられている女達は、その全員が最近の訓練で増長していた者達だ。
その増長を叩き折ってほしい。
そうレイがロックスから依頼されたのは、ロックス達に合流した二日後のことだ。
レイ達が合流したことにより、セト成分欠乏症とでも呼ぶべき症状に陥っていた女達も復活し、馬車で移動し始めてからは、特に問題なくスムーズに旅は進んでいた。
特に女達が喜んだのは、やはりレイの持つ砂上船だろう。
野宿や狭い馬車の中で眠らなくてもよくなったというのは、女達にとってまさに朗報だった。
ましてや、レイがいればミスティリングにより保存食以外の食事も出来るし、今回はギルムから物資として生の果実や干して甘みが凝縮された果実のような、女が喜ぶものもかなり持ってきている。
まさに天の恵み……と呼んでも不思議はないだろう。
「ふむ、この調子でいけば、ギルムに到着するまでに素人とは呼べなくなるだろうな。勿論、自信過剰になるのはどうかと思うが」
「あ……ありがとうございます」
ミラージュを手に呟かれたエレーナの言葉に、槍を持っていた女が頭を下げる。
昨日……いや、訓練を始める前までは、戦いなんてそこまで難しいものではないと、そう思っていた女だったが、自分の実力は結局その程度でしかないということを、こうまでまざまざと見せつけられれば、逆らうような気持ちは全くないのだろう。
エレーナの言葉に大人しく頭を下げる。
(ビューネにやられるよりは……私にやられた方が運が良かった、というべきか?)
視線の先では、いつもの白雲ではなく普通の短剣――それも鞘に収まったまま――を手にしたビューネに好き放題に攻撃されている女の姿が目に入る。
長剣を使って何とかビューネの攻撃を防ごうとしている女だが、純粋に身体能力ではビューネに一切敵わず、武器も間合いは短いがその分取り回しに優れる短剣に比べ、女が手にしているのは長剣だ。
これで女が力に優れているのであれば、長剣でも短剣の如く自由に扱うことが出来たかもしれないが、残念ながら女の力は一般的なものでしかない。
一応戦闘訓練を続けたことにより、以前に比べれば多少なりとも上がっているが……結局はその程度でしかなく、長剣を自由に扱える程ではなかった。
結果として、ビューネの攻撃を何とか防ぎ……
「きゃっ!」
攻撃を防ぐのが限界となり、やがて小さな悲鳴を上げて地面に尻餅をつく。
「ん」
そんな女に対してビューネがいつものように一言告げるが、残念ながらここにヴィヘラがいない以上、ビューネと付き合いの短い女には何を言われているのかが分からない。
もっとも、褒められている訳ではないというのは分かるらしく、いい気になっていたことを反省するのだが。
ビューネの言葉を完全に理解出来るヴィヘラは、エレーナやビューネと違い、一人で何人もの女達を相手にしている。
「駄目ね。全然駄目。もう少し身体を鍛えた方がいいわよ?」
次々に繰り出される女達の攻撃だが、その全てがヴィヘラにはかすりもしない。
女達がメジョウゴにいる時に着ていたような……いや、より過激で露出度が高い衣装を身につけ、その衣装が風に靡いているのだが、その衣装にすら攻撃が当たらないのだ。
おまけに攻撃を回避しているヴィヘラは、全く焦った様子もなく涼しい顔をしたままだ。
それこそ敵の攻撃を回避しているのではなく、舞っていると表現した方が相応しいだろう動き。
夏の太陽の下でそのように舞うヴィヘラは、一種幻想的な美しさですらあった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「何で、何で当たらないのよ!」
「もう少し、もう少しなのに……」
ヴィヘラに攻撃をしていた女達は、最終的には体力の限界を迎えて地面に座り込み、荒い息を吐く。
「私に触れたかったら、もう少し強くなってからの方がいいわよ?」
一切息を切らしもしていないヴィヘラの姿に、それを見た女達は自分がどれだけ増長していたのかに気が付くことになる。
そんなヴィヘラから少し離れた場所では……他とは多少違う光景が広がっている。
「そうよ。弓を引く時は一気に引くの。少しずつ引くような真似をすれば、それこそ余計に力が必要になるわ」
そう告げるマリーナの側では二十人近い女達が弓を手に、視線の先にある標的の木を狙い、番えていた矢を放す。
だが、弓というのは使うだけならともかく、しっかりと矢を命中させるというのはかなり難しい。
それこそ、ろくに鍛えていない女達にとっては、かなりの難易度だろう。
それでも他の場所とは違い、ここでは対戦形式ではなく、しっかりとマリーナが弓の使い方を教えている。
この違いは、純粋にここで弓を習っている女達は、エレーナ達に叩きのめされた女達のように戦闘の才能がある訳ではなかったからだ。
……正確には、長剣や槍のような武器を使った近接戦闘の才能がない、というのが正しいのだが。
しかし、この集団は千人近い人数がいる。
どうせならそれだけの人数がいるという数の利を活かさないことはないだろうということで、ギメカラが用意したのが弓だった。
勿論高品質な弓であれば数を揃えるのも大変だろう。
だが、ここにいるのは全員が弓を初めて使う者達である以上、それこそ初心者用の安い弓で十分だった。
そんな訳で、現在は大量に集められた弓を使い、訓練の真っ最中だった。
(弓であれば、慣れこそ必要だけど、近接戦闘のように才能は必要としないものね。狙撃とかならともかく、大量に矢を射って弾幕を張るという意味では、取りあえず弓を引ければいいし。そして訓練に必要な矢も、レイがいれば問題ないし)
弓の指導をしながら、マリーナはロックスに訓練をつけているレイを一瞥する。
本来であれば護衛をされる側の女達が、本職程ではないにしろ、弓を使って一斉に攻撃する。
それも、全員が馬車に乗りながらその窓や御者台といった場所から。
飛んで来る矢が一本や二本であれば、ある程度の技量があれば、回避するなり斬り捨てるなりといった真似が出来るだろう。
だが、その矢の数が数百本ともなれば、話は変わってくる。
レイのような少数の強者であればともかく、その辺りにいる盗賊達にはそれをどうにかするような手段はない。
(矢の消費量に不安がなければ、それこそ傭兵団としてやっていけるかもしれないわね。……やっぱり無理かしら)
自分の考えを即座に否定するマリーナ。
傭兵団としてやっていくには、矢の本数以外にも様々な物資が必要となる。
今それらを用意出来ているのは、あくまでもギメカラとレイの二人が……ゾルゲー商会とギルムの領主たるダスカーが背後にいるからだ。
まさに、採算度外視だからこそ出来ていることだった。
(もっとも、ギルムに到着するまでは襲ってくる盗賊が酷い目に遭うだけだと思うけどね。それまでは矢の心配とかしなくてもいいでしょうし)
そう思いながら、マリーナは再び弓の練習をしている女達に指導をしていくのだった。
そんなマリーナ達から離れた場所では……
「ぬおおおおっ!」
気合いを込めて叫びながら、ロックスが長剣をレイに向かって振るう。
長剣を振るうという作業そのものは同じでも、その速度、鋭さ、込められた力……その全てが、離れた場所で訓練をしている女達とは違う。
ロックスの長剣の冴えを見れば、女達のやっているのはまだ素人と大差がないと誰にでも分かるだろう。
だが、同時に……そんなロックスの振るう長剣は、レイの持つ黄昏の槍の防御を突破出来ない。
エレーナが槍を持った女との戦いで長剣状のミラージュを使って完封していたのと、正反対のような光景がそこには広がっている。
もっとも、エレーナは槍の穂先に刀身を絡めてあっさりと相手の槍を奪ってしまったのに対し、レイはロックスが振るう長剣を黄昏の槍で弾いているだけだが。
エレーナと同じような真似をやれと言われれば、ロックスが相手でも同じような真似が出来るだろう。
しかし、それではロックスが望む訓練にならないのも事実。
よって、現在のような打ち合いになっていた。
「もっとだ、もっと速度を上げろ! お前ならもっと速度を上げた一撃を出せる筈だろ!」
「くそっ、好き勝手言いやがって……ぬおおおおおお!」
レイの言葉に、そして行動に導かれるようにロックスの振るう長剣の速度は上がっていく。
少しずつではあるが、実際の戦闘ではその少しが命に関わってくる。
数cmの差により、外す筈だった攻撃が敵に命中したりといった具合に。
だからこそ、少しでも動きが速くなり、少しでも敵に攻撃を命中させることが出来るのは、大きな力となるのだ。
……もっとも、だからといって、そうすぐに攻撃の速度を上げられる筈はないのだが。
その辺りは、レイがタイミングよくロックスの攻撃を弾き、声を掛け、気が付かれないよう少しずつ、少しずつ速度を上げている。
ロックスもレイの考えは理解しているのだろうが、それでもレイの行動に引っ張られるようにして速度は上がっていた。
それでもロックスの攻撃はレイには届かない。
幾らロックスが腕利きの冒険者であっても、全力攻撃をいつまでも続けることが出来る訳ではない。
レイに向かって振るい続けていた攻撃だったが……やがて体力と、何よりも息の限界がやってくる。
振るっていた長剣の速度が一気に落ち、そして止まり……
「ぜはぁっ、はぁ、はぁ、はぁ……」
息苦しさに顔を真っ赤にしたロックスは、立っていることも出来ず地面に倒れ込んで荒い息を吐く。
その荒い息は、ロックスが限界まで自分の身体を酷使した証だった。
「それなりに剣筋も鋭いと思うぞ? ただ、もう少し踏み込みを深くすれば……」
「はぁ、はぁ、はぁ……お前みたいな化け物と一緒にするなってんだ。今の俺にはさっきので精一杯だよ。……はぁ、はぁ」
まだ息が完全に整っていない状況で無理に喋った為だろう。ロックスはまたすぐに息を整えるべく、荒い呼吸を繰り返す。
「お前もギルムの冒険者なら、それくらい出来るようになった方がいいぞ」
「い、いつから……はぁ、はぁ……ギルムの冒険者と、はぁ、人外ってのが同じ意味になったんだよ……ふぅ」
喋っている間にようやく息を整え終わったのか、ロックスは倒れていた状態から上半身だけを起こす。
そんなロックスに、黄色い歓声が広がる。
その声を発したのは、少し離れた場所で今の模擬戦を見ていた女達。
メジョウゴでのことで男に嫌悪感を抱いている者も多いが、全員がそうだという訳ではない。
ましてや、ロックスは言動こそ普通の男と変わらないが、女達に対して欲情の視線を向けることは殆どない。
……殆どであって、一切ないという訳ではないのは、やはりロックスも男だということだろう。
「ほら、応援してくれてる奴がいるんだし、もう少し頑張れ」
「……この、体力お化けが……」
そう言いながらも、ロックスは立ち上がる。
何だかんだといっても、異名持ちの冒険者と模擬戦をやるという機会はそうあるものではない。
であれば、そんな絶好の機会を逃してたまるかというのが、ロックスの正直な気持ちだった。
こうして、戦闘訓練はロックスが本気で動けなくなるまで続くことになる。