1523話
馬車がロッシに到着した頃、馬車の中は一応の平穏を取り戻していた。
女の身体のどの部分が好きなのかという話については、最終的には人それぞれ……という、半ば当たり前の結論に達した。
勿論それぞれに言いたいことや、自分の好きな部位こそが至上! と主張したかった者もいたのだが、それでは結局収まりがつかないということを意味していたし、何よりそろそろロッシに到着する頃合いだということを皆が理解していたのが大きい。
そうして馬車が到着し、それぞれが降りる時……御者の男とその護衛の男達が、それぞれ微妙な表情を浮かべながら降りてくる者達を見ているのに気が付いたレイは、小さく笑う。
(なるほど。やっぱり馬車の中の声を外から聞き取ることが出来るようになっていたのか)
馬車の中で行われた話は、正直レイにとっては頭を抱えたくなるようなことも多かった。
何故自分が他人の……それも男の性癖を聞かなければならないのか、と。
だが、その苦行の時間も決して全てが無駄ではなかったのだと知ると、少しだけ気分がよくなったのだ。
勿論、中で受けた精神的な疲れを完全に解消するという訳にはいかなかったが。
ともあれ、馬車から降りた者達はそれぞれ軽く挨拶をしながら、散らばっていく。
中に余程気が合ったのか、お互いに泊まっている宿や自宅がどこにあるのかという情報を交換している者達もいる。
巨乳派の中にはレイに対してその辺の情報を聞こうとした者もいたのだが、レイはそう遠くないうちにロッシを離れるということにして、自分が泊まっている銀の果実亭の名前は出さないでおいた。
(エレーナ達と一緒にいる時に、こいつらと遭遇したら……うん、間違いなく色々と不味い事態になるだろうし)
エレーナ達と一緒にいる時に、馬車の中のメンバーと出会い……そしてエレーナ達の姿を見れば、レイが何を思って巨乳好きと口にしたのか、完全に納得してしまうだろう。
そうなれば、どのような騒ぎになるのか。想像するのは難しくない。
(……まぁ、イエロがいるから、それについては考えるまでもないんだろうけどな)
小さく溜息を吐き、レイはその場から気配を殺して離れていく。
改めて巨乳派の男達がレイの姿を探そうとするも、既にその場にレイの姿がないことに気が付くのは……もう数分の時が必要だった。
「あら、お帰りなさい。……随分とお楽しみだったようですね。あれだけの美人を何人も連れているのに、お盛んですね」
銀の果実亭に帰ってきたレイを、宿の従業員が笑みを浮かべて迎える。
ロッシの……それも高級宿の従業員だけに、当然メジョウゴについても知っているのだろう。
勿論ロッシにも歓楽街はあるのだが、それよりはメジョウゴの方が規模も大きいこともあって、楽しめるだろうと。
実際レイはメジョウゴに行ってきたのだから、宿の従業員の言葉は決して間違っている訳ではない。
……ただ、レイが娼婦を買って楽しんだ訳ではないのだが。
しかしメジョウゴに行った以上、レイが娼婦を買っていないと主張してもそれを信じるとは思えない。
また、別にレイも無理に宿の従業員に説明をする必要はないだろうと判断し、その言葉に軽く手を挙げて答えると、そのまま階段を上っていく。
そうして最初にやって来たのは、レイの部屋。
エレーナにイエロを返した方がいいかと思ったのだが、取りあえず色々と疲れたこともあり、十分程休憩したいと、そう思ったからだったのだが……
「はぁ」
レイが借りている部屋の扉を開こうとすると、部屋の中に何人もの気配があることに気が付く。
それが誰の気配なのかというのは、レイにはすぐに分かった。
一瞬緊張し、そして次の瞬間には緊張を解き、更に次の瞬間には自分がどこから帰ってきたのかを思い出して再度緊張しながら、扉を開く。
「お帰り、レイ。それでどうだったの? 十分に楽しめた?」
真っ先にレイに声を掛けてきたのは、笑みを浮かべているマリーナ。
そんなマリーナの側では、エレーナが無言でレイに視線を向けて、ヴィヘラがビューネの相手をしながら、こちらもレイに視線を向けていた。
「あー……一応聞くけど、ここは俺の部屋だよな?」
「そうね。レイが帰ってきたらすぐ分かるように、こっちで待ってたんだけど……何か悪かった?」
「……いや」
ここで何か言えば、色々と不味いことになるだろうと判断し、レイは文句を口に出そうとして止める。
「キュ!」
そんなレイの懐から、イエロが飛び出す。
そして真っ直ぐ自分の主人のエレーナの下に向かう。
「イエロ、元気だったようだな」
「キュ!」
エレーナのねぎらいの言葉に、イエロは嬉しそうに鳴き声を上げる。
「では、早速イエロの記憶を見てみたいと思うのだが……構わんか?」
確認を求めるように尋ねてくるエレーナだったが、レイが出来るのはそれに頷くことだけだ。
元々何か後ろ暗いことがある訳でもないので、抵抗感がなかったというのも大きいだろう。
「ああ、構わない。じゃあ俺がメジョウゴでどんな経験をしてきたのかは、それが終わってからにするか」
そう告げ、レイは空いているソファに座りながら、ミスティリングから果実水を出す。
銀の果実亭は、ロッシの中では高級な宿なのだろうが、それでもやはりレーブルリナ国という小国の宿だ。
宿の設備という面では、レイがギルムで定宿にしている夕暮れの小麦亭に一段も二段も劣る。
(ジャーヤがマジックアイテムを上手く使うらしいけど、それはこの宿には関係のない話だしな)
エレーナ達が集まっているというのも、部屋の気温が快適とは言えない原因なのだろうが……そもそも、銀の果実亭で使われているマジックアイテムそのものが、そこまで性能が高くないというのが大きな理由なのだろう。
「あ、レイ。私にも貰える?」
「私も欲しいわね」
「ん」
レイの飲んでいる果実水を見て、イエロの記憶を見ているエレーナ以外の全員が、自分も果実水を飲みたいと言ってくる。
別にそれを断る理由もないので、レイはエレーナとイエロの分も含め、全員分の果実水を取り出す。
イエロの分は、コップではなく浅い皿にだが。
そうして果実水を飲んで、一段落していると……やがてイエロの記憶を見終わったエレーナが、レイを見る。
ただし、その頬は薄らと赤く染まっていた。
何故エレーナがそのような状況になっているのか、レイには分からず、娼婦の着ていた扇情的な衣装を見たからか? と思うも、パーティメンバーのヴィヘラはその辺の娼婦よりも余程扇情的な衣装を着ている。
だとすれば、それ以外の要素がある筈と思うも、思いつく様子はない。
……実際にはイエロが聞いていた、レイは巨乳好きという言葉に頬を赤くしていたのだが。
「……」
エレーナは、自分を不思議そうに見ているレイから視線を逸らし、服の上からそっと自分の胸に触れる。
鎧を着ていれば分からない、柔らかな感触と、エレーナ本人ですら触れれば分かる程に心拍が高くなっている自分の胸に、小さく笑みが浮かぶ。
戦場に出る者として、大きな胸というのは決して好ましいだけのものではなかった。
今のように姫将軍の二つ名を得られる前には、他の貴族から胸の大きさに嫉妬され、嫌味を言われたこともある。
……貴族派を率いているケレベル公爵令嬢にそのような真似をするというのは、貴族という一面で見れば自殺行為に等しいのだが、貴族家の当主であればまだしも、妻や娘といった者達は貴族同士の力関係を気にしない者も多い。
エレーナが女同士の付き合いを重要視していれば話は別だったのかもしれないが、エレーナは昔から女同士で集まるお茶会のような催し物より、自分を鍛えることを優先していた。
もっとも、そのような戯れ言もエレーナの名前が広がっていくに従って小さくなっていったのだが。
ともあれ、決して自分の大きな胸が好きだった訳ではないエレーナだったが、今は初めて自分の胸が大きくて良かった……と、そう思っていた。
そんなエレーナの様子に、もういいだろうとレイは口を開く。
「どうやらエレーナもイエロの記憶を見終わったみたいだから、メジョウゴで体験してきたことを話すぞ」
そうして、レイがメジョウゴで経験してきたことを話す。
もっとも、必要な情報そのものは決して多くはない。
メジョウゴにいる娼婦は、アジャスのような者達が強引に連れてきた女達で、その女達の首には綺麗に飾られた奴隷の首輪が嵌められていること。
ただし、その奴隷の首輪は一般的に知られている奴隷の首輪と違い、強引に連れてこられたにも関わらず、自分から望んで娼婦をさせる能力を持っているということ。
シャリアと呼ばれる狼の獣人の女と出会い、その辺りの事情を教えて貰ったこと。
そして……こちらはただの戯れ言かもしれないが、レーブルリナ国がミレアーナ王国と戦っても勝てると、そう思っている者がいるということ。
「で、これがシャリアから借りてきた奴隷の首輪なんだが……何か分かるか?」
そう言い、レイがミスティリングから取り出したチョーカー風の奴隷の首輪をマリーナに渡す。
それを渡したレイは、改めてエレーナに視線を向け、口を開く。
「イエロにはジャーヤの詰め所に入って貰ったけど、何か手掛かりになるような奴はあったか?」
「……いや。特に何もなかったらしい。色々と見て回ったようだが、普通の警備兵の詰め所と変わらなかったようだ」
そう告げるエレーナの顔には、少し前の照れた様子は既にない。
女のエレーナではなく、姫将軍のエレーナとして黄金の髪を掻き上げながら、そう告げる。
「そうか。……で? どうだ?」
エレーナと話をし、奴隷の首輪を手にとって調べていたマリーナにレイが尋ねる。
ヴィヘラやビューネもレイが渡した奴隷の首輪に興味があったのか、手に持った奴隷の首輪を調べていたマリーナに視線を向けていた。
だが、他の者達の視線を向けられたマリーナは、奴隷の首輪を手にしたまま首を横に振る。
「駄目ね。そもそも私は別に錬金術師じゃないもの。簡単なマジックアイテムくらいなら、多少理解することが出来るかもしれないけど、これはかなり複雑で高度なマジックアイテムよ?」
「だろうな」
レイも、その意見には賛成だった。
そもそもの話、相手に強引に命令を聞かせるのではなく、自然に……自分の意思で使用者の命令を聞かせるのだ。
使用者の命令に従わせるという結果は一緒でも、そこにいたる過程が違いすぎる。
「レイの話を聞く限り、普通の奴隷の首輪を錬金術師が改良してこんな性能になったのかもと思ったけど……これはちょっとそういうのじゃないわね。今も言ったけど、私は錬金術師じゃないから正確なことは言えないけど……」
そう言いながら、マリーナは持っていた奴隷の首輪をその場にいる全員に見えるように差し出す。……もっとも、疲れたのかイエロはレイのベッドの上で眠っていたが。
「見ただけじゃ分からないかもしれないけど、これは奴隷の首輪じゃないわ」
その言葉に、レイを始めとした他の者達……ビューネですら、驚きの表情を露わにする。
「それが奴隷の首輪じゃないなら、何なんだ?」
「……いえ、効果は似たようなものだから、正確に言えば私達が知っている奴隷の首輪じゃないと表現するのが正確かしら」
レイの表情に疑問が浮かぶ。
奴隷の首輪であって、奴隷の首輪ではない。
そう言われても、よく理解出来なかった為だ、
「そうね、何度も言うようだけど、あくまでもこれは錬金術の専門家じゃない、私の意見だという前提での話として聞いてね?」
マリーナの言葉に全員が頷く。
それを確認し、改めてマリーナは奴隷の首輪を手に、口を開く。
「これを普通の奴隷の首輪として考えると、ちょっと作りが簡単すぎるような気がするのよ。ただでさえ、普通の奴隷の首輪ではなく、その人の意思で命令に従うようにするなんて効果を持ってるんでしょう? だとすれば、この程度の作りだとすれば、色々と違和感があるわ」
「違和感?」
レイの呟きに、マリーナは即座に頷いた。
「ええ。これは……少なくても私の目から見た場合、そこまでの性能があるようには思えないのよ。勿論、私が知らない特殊な技法を使っていて、私がそれに気が付いてないだけという可能性も高いけど。正直なところ、これを本当の意味で解析したいなら、本職の錬金術師に見せた方がいいと思うわ」
「そう言われても、まさかロッシにいる錬金術師に頼む訳にもいかないでしょう? ジャーヤだっけ? その組織の手がどこまで伸びているのか、分からないのだから」
ヴィヘラのその言葉に、誰も異論を口にすることは出来なかった。