1496話
諜報部隊からの知らせは、当然のようにすぐにエッグに伝わり、そしてエッグからダスカーに伝わる。
外はまだ暗く、太陽が出るまではまだ時間が掛かるだろう。
そんな中、領主の館の執務室には明かりが点いていた。
「……レーブルリナ国が? それは本当か?」
「はい。ただ、レーブルリナ国そのものじゃなくて、そこを本拠地にしている組織がってことらしいですが」
「それにしても、このギルムまで来るんだ。ただの組織の筈がないだろう」
面白くなさそうに呟くダスカーは、その身体を寝間着……いわゆる、ナイトガウンで包んでいる。
そんな状態のまま、執務机に肘を突いていた。
不機嫌そうなのは、やはり眠っているところを起こされたからだろう。
ただでさえ最近は増築工事の一件で仕事が多くなっており、夜遅くまで仕事をしていることも珍しくはない。
実際、今日もダスカーがエッグの持ってきた報告で起こされたのはようやく眠りについた頃だった。
それだけに不機嫌になってもおかしくないだろう。
ましてや、持ってきた報告がミレアーナ王国の従属国、レーブルリナ国の組織がギルムにちょっかいを出してきたというものなのだから。
「そうですね。現在捕らえた者達から色々と事情を聞いていますが、三人のうち一人はレイが……正確にはレイの知り合いが仇として殺しており、残り二人のうち一人は仲間を目の前で殺されたことから頑なになっており、もう一人は血を出しすぎてまだ意識を失ったままです」
ダスカーは仇という言葉に少し眉をひそめる。
元々強面のダスカーの顔だったが、寝入りばなを起こされたことで、更にその凶悪さとも呼ぶべきものが上がっていた。
もっとも、眉をひそめたのは復讐という行為が気にくわなかったから……ではない。
単純に、情報源の一つを失ってしまったのは痛いという判断からだ。
だが、レイ達の協力がなければ今回の一件を無事に解決するのも難しかったのは事実な訳で、責められる訳もない。
そもそもアジャスやジェスタルといった面々は今回の一件が見つからないよう隠蔽工作にはかなり力を入れていた。
実際、アジャスやジェスタル達の一件が明るみに出たのも、マリーナから……正確にはレイからマリーナを経由してアジャスを調べて欲しいという要望があった為だ。
もしその頼みがなければ、アジャス達は今頃ギルムを出て自由の身だっただろう。
そこまで考え、ダスカーはテーブルの上にあった水を飲む。
夜中でも、気温は決して涼しい訳ではない。
コップの中に入っている水は、かなり温い。
ダスカーであれば、冷却するマジックアイテムを使うことは難しくなかったのだが、今日は何となくそんな気分ではなかった為に、そちらも使われてはいなかった。
その温い水を飲み、まだ頭に残る眠気を追い払いながらダスカーは口を開く。
「それで、そのアジャスだったか? そいつらはどうやってギルムを出ようとしていたのか、それは分かったのか?」
ダスカーにとって、アジャスやその仲間達の素性や何を企んでいたかというのも重要なのは間違いなかったが、それ以上にアジャス達がどうやってギルムから脱出しようとしていたのかは非常に気になる。
現在の状況でそう簡単な真似が出来るとは思えず、であれば、どうやってそのような真似をしようとしていたのかが気になる。
「どうやらその件を知ってる者は少ないらしく、現在ジェスタルを含めた上の連中からその辺りを聞き出してます。詳細についてはもう暫く待って下さい」
「分かった。だが、その件はなるべく早めに頼む。アジャス達がどうやってギルムから出る気だったのかは分からんが、もしそれが他の組織でも使えるような手段であれば、色々と不味いからな」
「そうですね。可能な限り早めに情報を聞き出します」
「そうしてくれ。……ああ、ただし取り調べを厳しくしすぎて、嘘の情報を聞き出す……なんて真似は困るぞ」
「分かっています。取り調べの方は最初はそこまで強引なものにするつもりはありませんから。ただ、その辺りも向こう次第ですが」
エッグの言葉に、ダスカーは頷く。
取り調べという言葉を使ってはいるが、実際は尋問……そして拷問だ。
もしここが日本であれば、人道的に云々と言われるだろう。
だが、エルジィンにそのようなことを言う者はそう多くはない。
「さて、ギルムから脱出するという件については、諜報部隊に任せるとして……そうなると、やっぱり問題になってくるのはレーブルリナ国だな。これがミレアーナ王国内であれば、特に問題はなかったのだが」
呟くダスカーだったが、そのいい例がレルダクトの一件だろう。
貴族派の貴族で、増築工事をしているギルムにちょっかいを出してきた相手。
ダスカーの中立派とは違う貴族派の人間だったが、それでも同じミレアーナ王国の貴族ということもあり、報復行動を行うのは容易だった。
……もっとも、報復を容易に出来たのはあくまでもレイとセトという存在がいたからであって、普通の貴族であればそのような真似は容易に出来ないのだが。
「従属国であっても、国は国だ。こっちの好き勝手には出来ない。……ただ、このままってのも面白くない」
今回の一件は、ミレアーナ王国として対処することになるのは間違いなく、そのような真似をした場合、旨み……賠償金やら何やらは、その殆どが国王派と貴族派の手に渡ってしまうだろう。
最近貴族派と友好的な関係になっている中立派だが、だからといって貴族派の得る利益を渡して貰えるかと言われれば、答えは否だ。
ダスカーも、それを理解しているだけに不満を口にしても理不尽だとは思わない。
事実、ダスカーが国王派や貴族派であれば、似たようなことをするのは間違いないのだから。
それが出来ないのは、中立派の小ささ故か。
だが、それでも今回の一件が仕掛けられたのはギルム……ダスカーの治める街なのだ。
そうである以上、このまま黙っているという訳にもいかない。
もしここで黙っていれば、それはダスカーが弱腰だという風に受け取られ、より多くの組織や別の国といった様々な勢力から攻撃を仕掛けられることになるだろう。
ましてや、ギルムはミレアーナ王国の中でも辺境にある唯一の街で、その立地上から非常に豊かな場所なのだから。
国としてはミレアーナ王国が対処する必要があるが、同時に中立派としても別に対処する必要があるというのが、ダスカーの考えだった。
「ですが、ダスカー様。レーブルリナ国まではかなり遠いですぜ?」
「ああ、分かっている」
ギルムがミレアーナ王国の中でも辺境にあるというのも関係しているのだが、レーブルリナ国のある場所までは馬車で一ヶ月以上は掛かるだろう。
そうなれば誰か一人だけを送るという訳にもいかない。
今回の一件を企んだ組織を潰すなりなんなりするにしても、ある程度の戦力は必要となるだろう。
(せめてもの救いは、国として行く訳じゃないことか。あくまでも今回の一件の罰を与える為に向かうんだから、外交員のような存在を送る必要はない。……もっとも、誰を送るかとなると、迷うんだが。第一候補は……)
ダスカーが思い浮かんだのは、当然のようにレイの姿だ。
今回の一件に深く関わっているというのもあるが、何よりレイの場合はグリフォンのセトという移動力がある。
セトの移動速度であれば、レーブルリナ国までの旅路もそう時間が掛からないだろう。
もっとも、長距離をレイが移動する時には大抵道に迷ったり、盗賊に襲撃されたり、盗賊を襲撃したり、途中に存在する村や街に立ち寄ったりといった真似をするのだが。
ただ、セトの移動速度はレイがそのような真似をしても全く問題にならない程に圧倒的なものだ。
それこそ、ワイバーンに乗っている竜騎士ですら敵わぬ程に。
(だが、レイにはここのところ色々と頼みすぎている。増築工事の一件もそうだが、支払う報酬はどれほどのものになるか分からない程だ。そんなレイに、更に頼むのか?)
ダスカーも、最近はレイにどれだけの負担を掛けているかというのは、分かっている。
幸いにもレイは特に疲労を気にしている様子はなかったが、それはあくまでもレイだからだ。
もし普通の魔法使いがレイと同じような働きをしろと言われれば、間違いなく無理だと告げるだろう。
レイが行っているのは、それだけの代物なのだ。
また、増築工事においてレイが果たしている役割というのは非常に大きい。
ここでレイをレーブルリナ国に向かわせてしまえば、増築工事の方に大きな負担となるだろう。
それが分かっているだけに、ダスカーは迷う。
「セトに他の奴を乗せる……のはどうだ?」
「駄目でしょうね。以前聞いた話だと、セトが乗せることが出来るのはレイだけだって話でしたし。実際、レイとパーティを組んでいる女達は、セトに乗れないから足に掴まって移動してるんですし」
「そう言えばそんなことを以前聞いたことがあったな」
セトに乗るという手段が出来ない以上、セトだけを借りて誰か他の者をレーブルリナ国に向かわせるということは出来ない。
ダスカーの狙いは最初の段階で頓挫してしまう。
「それに、もしセトに誰かが乗ることが出来ても、レイがセトを貸し出すとは思えませんし、何よりセトがレイから離れるとも思えませんが」
「……だろうな」
エッグは、レイとセトの間にある強い絆を理解している。同時に、セトが極度の甘えたがりだというのも理解していた。
そんなセトに、レイと離れて他国に行って欲しいと頼んでも……それが承諾されるようなことは、余程のことがない限りはないだろう。
「そうなると……またレイに頼むことになるか」
「ですが、レイに頼むとなると増築工事の方に影響が出るのでは?」
「だろうな、俺もそう思う。だが……ここで手をこまねいていれば、調子に乗った奴が更にギルムに手を出してくることになる」
ダスカーの言葉に、エッグはうんざりしたといった表情を浮かべる。
現状でも諜報部隊は一杯一杯なのに、この上、更に妙な真似をしでかす相手が出てくれば、諜報部隊の限界を超えるのは確実だった。
「レルダクト伯爵の一件がいい見せしめになると思ったんですがね」
「見せしめにはなってる筈だ。実際、貴族派の者達で暗躍している奴はいないからな。……もっとも、それが見せしめの効果か、それとも姫将軍がいるからかは分からないがな」
そう言っているものの、ダスカーの本音を言えば姫将軍……エレーナがいるからだというのは、分かっていた。
もしエレーナがいる場所で貴族派の貴族が妙な行動に出れば、それは貴族派を率いているケレベル公爵の顔に泥を塗ることになる。
そのようなことになれば、貴族派からの追放も考えられる。
貴族派として活動していることで大きな利益を得ている以上、そのような真似が出来る筈もない。
……もっとも、中には感情で動く者もいる。
そのような者が暴発しないとは限らない以上、エレーナがいるから絶対に安心だという訳でもないのだが。
「とにかく、近いうちにレイと話す……時間を作れるか?」
近頃の仕事量を考えれば、そう簡単に時間を作れるかと言われれば、すぐに頷ける訳ではない。
だが、ダスカーとしては面倒を頼む以上、レイには自分で説明をしたかった。
「あー、色々と、本当に色々と忙しそうですもんね」
エッグも、ダスカーと連絡を取ることも多いので、普段からどれだけの仕事をしているのかは理解していた。
「けど、難しいのであれば、ギルドマスターを通して依頼してみてはどうです?」
「……まぁ、それが手っ取り早いんだけどな。それでもここのところは色々とレイに無理をさせてるし、出来れば俺が直接説明したいところだ」
仕事が忙しいのは分かっているのだが、レイに依頼をするのであればしっかりと義理を果たす必要があった。
便利な道具のようにレイを使っていれば、そのうちレイはギルムを……ダスカーを見限り、他の場所に拠点を移す可能性もある。
いや、最悪の結果として、ダスカーの暗殺という手段もあった。
一軍ですら個人で相手に出来る実力を持つレイだ。
もし本当にダスカーの暗殺に動けば、それを防ぐのは非常に難しい。
ましてや、レイがダスカーと敵対するのであれば、レイの仲間達もダスカーと敵対するだろう。
ダスカーと付き合いの長いマリーナであれば、攻撃に参加しない代わりに止めもしない中立的な立場となるかもしれないが……
(いや、迂闊なことを考えるのはやめておこう。それが現実になったらどうしようもないし)
そう内心で呟き、ダスカーはなるべく早くレイと話す時間を作るようにと、考えるのだった。