1490話
時は少し戻る。
レベジェフとジェスタルの二人が会話を交わしているのを、レイは暗闇の中から見ていた。
そこにいるのは、レイ以外にビューネとイルゼがいる。
それ以外の面々は、取引現場を包囲するようにそれぞれ散っていた。
イルゼがレイの側にいるのは、それが一番安全だからという理由からだ。
一行の中で最強のレイであれば、イルゼが一緒にいても構わないだろうという判断からのものだ。
……イルゼだけでレイの側にいるのは色々と危険なので、イルゼよりは強いが、戦闘能力では紅蓮の翼の中で最も低いビューネがその護衛として一緒にいるのだが。
もっとも、紅蓮の翼の中では最弱のビューネではあっても、盗賊としては平均以上の戦闘力を持っている。
そう考えれば、イルゼの護衛として考えれば十分な実力を持っていた。
「ぐぬ……」
そのイルゼは、自分の家族の仇がすぐ側に……視線の先にいるということに、自らの声を押さえるのに苦労していた。
いよいよ……本当にいよいよ、優しかった家族の仇を取れるのだと。そう思うと、どうしても我慢が出来ないのだ。
今すぐにでも、飛び出していきたい。
自分の中にある、そんな思いを押し殺すのに苦労していた。
「落ち着け」
そんなイルゼに言葉を掛けるレイだったが、本当にその言葉でイルゼが落ち着くとは思っていない。
だが、少しでもイルゼが現在の状況を思い出すのであれば……と。そんな風に思っての言葉だ。
(けど、このままだと我慢の限界を迎える可能性は高いな。その前に、こっちも動きを見せるべきか)
レイはアジャス達の周囲に存在している、幾つもの廃墟に視線を向ける。
その殆どが木と石を組み合わされて作られた物で、中には木だけ、石だけで作られた建物もあるが、その全てが廃墟と呼ぶに相応しいだけの古さを持っている。
壁や屋根のいたる場所には穴が開き、そこで暮らすのは不可能ではないかと思う程度の廃墟。
実際、その廃墟には誰も住んではいない。いないのだが……今に限っては、ジェスタルの護衛と思しき者達が何人もそこに潜んでいる。
勿論、潜んでいる者全てがジェスタルの護衛ではなく、他の組織の者、情報屋、何らかの漁夫の利を狙っている者……といったように色々な勢力の者がいるのは、レイもダールに聞かされて理解していた。
本来なら全員の準備が完全に整うまで待つ必要がある。
だが、それを待っていれば、イルゼが何らかのミスをしかねない。
そう判断し……すると、まるでそのタイミングを待っていたかのように、イエロが姿を現す。
準備が全て整え終わったら、自分の所にやってくる筈だったイエロが。
「イエロが来たってことは、もう準備は整ったと考えていいのか?」
「キュ!」
レイの言葉に、イエロは短く鳴き声を漏らす。
もっとも、レイはイエロの言葉を理解出来ない。……種族の違うセトが理解出来ているのだから、自分も理解出来てもおかしくないのだが、と。レイはそう思うが、とにかく今はイエロの言葉は理解出来ない。
それでも、イエロの言葉は理解出来ずとも、今に限ってはイエロが何を言いたいのかを理解するのは難しくなかった。
「よし、じゃあ始めるか」
呟き、レイはビューネを一瞥する。
その視線を受けたビューネは、小さく頷きを返した。
レイが何を要求しているのかを理解している為だ。
イルゼが興奮のあまり妙な行動をしないように、そして乱戦になった場合にはイルゼを他の者達の手から守る為に。
ビューネがそれを理解しているのを確認すると、レイはその場から離れていく。
まずは周囲にいる、アジャスの取引相手――ジェスタル――の護衛を片付けるのが最優先の行動だからだ。
ここで迂闊に護衛に手を出さず、直接取引現場に乗り込んだ場合、護衛が駆けつけてアジャス達を逃がしてしまう可能性があった。
そうならない為には、まず駆けつける戦力そのものを減らしておくことが最優先の事態だった。
そのまま少し離れた位置にある廃墟に近づき、そっと中の様子を窺う。
そこでは二人の男が既に武器を抜いており、取引で何か問題が起きればすぐにでも突入出来るように準備を整えている。
(丁度いいな。まずはこいつらから片付けるか)
そう判断すると、レイはミスティリングから黄昏の槍だけを取り出すと、一気に廃墟の中に踏み込む。
二人の男も物音で誰かが突入してきたのは理解したのだが、男達が気が付いた時には既にレイは黄昏の槍を突き出す寸前だった。
男達にとって幸運だったのは、ダールから出来るだけ生かして捕らえて欲しいとレイが言われていたことだろう。
その為、レイは黄昏の槍の穂先ではなく、石突きの部分を突きだしたのだ。
……もっとも、死なないという点では幸運だったが、痛みに苦しむという点では幸運だったとは言えないだろうが。
出来るだけ素早く行動することを求められてる護衛達は、防具の類を装備していない。
金属鎧は勿論のこと、モンスターの革で作ったレザーアーマーですら、それなりの重量となる。
いざ自分達のボスがアジャス達に襲われた時、可能な限り素早く駆けつけるには、やはり防具はない方が動きやすいのだ。
その重量で違いが出るのは、数秒……もしくは十数秒といったところだろう。
だが、その数秒から十数秒がこの場合はジェスタルの命に関わってくる。
しかし、今回に限ってはそれが完全に裏目に出た形となった。
最初に意識を失った男に続け、もう一人の男も同じように意識を奪う。
護衛という役割を与えられ、更には組織のボスのジェスタルの護衛に回されているのだから、当然組織の中でも腕は立つ方だったのだろう。
それは間違いないのだろうが、残念ながらレイの相手をするには力不足だった。
「……よし、次だな」
意識を失った二人をそのままに、レイはその場を後にする。
廃墟の中に残ったのは、意識を失った二人の男のみ。
後は諜報部隊の者達がやってきて、男達を捕らえるだろうという判断だった。
勿論ダールから今回の一件に関わっている諜報部隊の人数は多くないと聞いている。
そうである以上、諜報部隊の者達が意識を失った二人を捕らえるよりも前に他の組織の者、もしくは何らかの理由で取引の様子を監視している者がやってきてこの二人を確保する可能性もある。
しかし、レイはそれはそれ、これはこれと判断してその場を離れる。
運が良ければ諜報部隊がどうにかするだろう。
それだけを考え、レイは次の場所に向かう。
その途中で少し微かに誰かの悲鳴が聞こえてきたりもしたのだが、その声が誰のものなのかというのは考えるまでもなく明らかだ。
(エレーナやマリーナ、ヴィヘラ、それとアーラも頑張ってるな。特にヴィヘラは強い相手がいるかもしれないと言ってたしな)
そんなことを考えながら、レイもまた何人かを倒していく。
もっとも、レイが倒した全てがジェスタルの護衛という訳ではない。
中には他の組織の者もいたのだが、その辺りはレイにも見分けがつかない以上、わざわざ向こうに聞く訳にもいかないだろう。
結果として、ジェスタルの部下以外もそれなりの数がレイによって意識を奪われていったのだが……レイはそれを気にせず、次々に倒していく。
そうして十人を超える者達を倒したレイが次に見つけたのは、少し大きめの廃墟だった。
当然のように壁に穴が開いているので、そこから中の様子を窺う。
すると、大きめの廃墟だけあって中には五人の姿がある。
ただし、その中の二人は短剣は腰にあるものの、鞘に収まっている。
他の者達が既に武器を抜いており、何かあったらすぐに行動出来るようにしているのとは全く違っていた。
(まぁ、こいつらに他の奴の悲鳴が聞こえるようになれば、もう少し本格的に周囲を警戒するんだろうが)
夏の夜だけあって、周囲には虫の音も響いている。
それ以外にも十分に離れている場所でそれぞれが戦っている影響もあり、男達に仲間の悲鳴は聞こえていなかった。
レイのように常人よりも鋭い五感があれば、もしかしたら聞こえたのかもしれないが……
(ここは多分指揮所? とかそういう場所なのか? だとすれば、あの五人……いや、二人は連絡要員らしいから、残り三人のうちの誰かが護衛の指揮をしてるんだろうけど……そう考えれば、誰も襲われたって連絡をしてこないのはさすがだよな)
普通なら、襲撃を受ければそれを指揮所に報告させるだろう。
だが、今の状況であってもそのようなことになっていないのは、他の面々も襲撃をしては逃げ出されないようにと護衛達を無力化させているのは明らかだった。
もっとも、エレーナ達の能力を考えれば、それくらいは不思議ではないのかもしれないが。
(アーラは……パワー・アクスじゃなくて、素手で戦ってるんだろうな。あれだと、下手をすれば意識を失わせるんじゃなくて、命を失わせるだろうし)
もっとも、自分の武器を使えないからといってレイはアーラのことを心配はしていない。
元々剛力と呼ぶに相応しいだけの力を持っており、素手での戦闘訓練もきちんと受けているのだ。
そうである以上、裏の組織の護衛を相手にどうにかされる可能性は非常に少なかった。
(ま、ともあれ今はこの中の奴を何とかした方がいいか)
廃墟がそれなりに広い建物だということで、黄昏の槍以外にデスサイズも使えるだろうとミスティリングからデスサイズを取り出す。
こうしていつもの二槍流になったレイは、そのまま一気に建物の中に突入する。
ここまでは上手く隠れて物音や気配をなるべく殺し、中にいる者達に気が付かれないようにしていたのだが、中に突入するような真似をすれば、当然のように気が付かれる。
また、護衛をしている者の中でも司令部的な存在である以上、そこにいるのも腕の立つ者なのは間違いない。
「敵襲!」
だからこそ、護衛のうちの一人はレイが入って来たのに気が付いてそう叫んだが……叫んだ瞬間、既にレイがデスサイズと黄昏の槍、両方の石突きで二人の鳩尾を突いて意識を失わせていた。
残るは三人。
その中の一人はレイをレイとして認識したのかどうかは分からないが、それでも自分が勝てる相手ではないと判断したのだろう。
何も言わず、即座にその場から逃げ出そうとする。
「させると思うか? ペネトレイト!」
デスサイズの石突きが風を纏って放たれ、男の意識を一瞬にして奪う。
これで三人。
残り二人のうち、一人は半ば絶望的な表情を浮かべながら、それでもレイに襲い掛かってくる。
そしてもう一人はレイが襲い掛かってきた男に攻撃した隙を突いてレイを仕留めようと、レイの視界に入らないように男の後ろを追う。
ペネトレイトを放った状態のまま、黄昏の槍を一閃して最初に襲い掛かってきた男を横殴りにして吹き飛ばすと、そのまま一瞬の遅滞もなく、それどころか黄昏の槍を振るった勢いすら利用し、そのまま一回転しつつデスサイズを振るう。
先に進む男を目眩ましにして進んでいただけに、その男はレイの振るったデスサイズの横薙ぎの一撃を回避することは出来なかった。
いや、一回転しながら放たれたその一撃は、男に回避するしない以前に、全く見えていなかったと表現するのが正しいだろう。
唐突に真横から襲ってきた一撃は、男に回避する隙すら与えず、吹き飛ばす。
この時、レイにミスがあったとすれば、それは吹き飛ばした方向だろう。
元々この建物は廃墟となり、それこそいつ崩れてもおかしくはない。
それだけ、レイが振るったデスサイズの一撃で吹き飛んだ男は、その壁を破壊しながら、それで更に勢いを弱めることなく吹き飛んでいき……最終的には、何度か地面をバウンドし、転がりながらもジェスタルとアジャス達の取引現場まで到着したのだ。
「ちょっとやりすぎたか? いや、けど、タイミング的にはそんなに問題はないだろ」
呟き、男が破壊した壁から、レイもその後を追うように外に飛び出す。
そうして取引現場に到着すれば、その場にいた者達も当然のようにその存在に気が付く。
多くの冒険者が集まっているギルムであっても、大鎌と槍の二つを同時に使うような酔狂な存在は、レイしかいない。
「レイ、だと……」
聞こえてきたその声にレイが視線を向けると、そこにいるのは驚愕の表情を浮かべたジェスタルの姿。
「ああ、お前達の敵が俺だ。もっとも、他にも何人かいるけどな」
そう呟くレイの言葉がまるで聞こえていたかのように、少し離れた建物が破壊され、一人の男が吹き飛んでくる。
そんな男を追うように姿を現したのは、踊り子や娼婦の如き薄衣を身につけている女。
手甲と足甲を身につけている点が、踊り子や娼婦とは違う。
そして、ヴィヘラを追うようにマリーナ、エレーナ、アーラが姿を現す。
更には、夜の空を飛んで周囲の様子を警戒していたセトも降りてくる。
「紅蓮の翼……」
エレーナとアーラは違うのだが、それでもジェスタルはそう呟くのだった。