1485話
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レイとイルゼがダールに連れてこられた酒場に、現在はそれ以外にもマリーナとヴィヘラ、ビューネの姿があった。
ただし、マリーナの家に居候しているエレーナとアーラの姿はない。
そもそも、今の状況でエレーナが外に出ようものなら、色々な者達が近づいてくるのは間違いない。
特に一番可能性が高いのは、貴族派の貴族だろう。
そのような者達の相手をしない為に、エレーナはマリーナの家に引っ込んでいた。
「レイさん。動きがありました」
軽く摘まめる料理と果実水で、話をしながら食事していたレイ達は部屋の中に入ってきたダールに視線を向ける。
「動き? アジャスが宿から出てきたのか?」
そう呟くレイの言葉に、最初に反応したのは……当然のようにイルゼだった。
マリーナやヴィヘラといった面々よりも先に反応したのは、やはり家族の仇に関してだからだろう。
……マリーナやヴィヘラは、アジャスにそこまで執着していなかったというのもあるが。
特にヴィヘラは、アジャス本人はそこまで強くないというのを知っている以上、相手にする価値はあまりないと判断している。
冒険者としての身分を使って悪事を働いていたという点で、マリーナの方がアジャスに対しては思うところが多いだろう。
ビューネは我関せずと、机の上にある料理を味わっている。
「いえ、アジャス本人の動きはまだありません。ですが、アジャスの仲間……こちらの調べでは、レベジェフとハストンという二人ですが、この二人のうちのレベジェフという男が宿から外に出たようです」
「……アジャスの仲間ってことは、当然アジャスが現在置かれている状況は理解しているんだよな?」
「ええ。それは恐らく間違いないかと。……宿の中にこちらの手の者を忍び込ませているので、アジャスが自分の状況を知らせて何か動き出せば、すぐにこちらにも伝わってくると思います」
「素早いな」
ダールの言葉に、レイだけではなく他の面々も驚く。……ただ、ビューネのみはそんな話を全く聞いた様子もなく、食事を続けていたが。
一瞬ダールはそんなビューネに、どこにそんなに食べた物が入るのかといった視線を向けるも、すぐに言葉を続ける。
「どうやらレベジェフはスラム街に向かった模様です。……残念ながら、途中で尾行をまかれてしまいましたので、確実ではありませんが。ただ、向かった方向から考えると、ほぼ間違いないかと」
「へぇ。お前達をまくなんて、レベジェフってのもそれなりに腕が立つんだな」
「ええ。残念ながらそうらしいですね。もっとも、アジャスと同じように冒険者として活動してきたのであれば、恐らく自分の腕は隠していたのでしょうが」
「腕は立つ、か。……嬉しそうだな」
「あら、そう?」
レイに視線を向けられたヴィヘラは、小首を傾げる。
本人はそれで隠しているつもりなのだろうが、何だかんだとヴィヘラとの付き合いも長くなってきたレイ達には、そんなヴィヘラの行為は効果がなかった。
本人もそれを理解しているのだろう。小さく溜息を吐いてから口を開く。
「実力を隠していたってことは、そこそこ期待出来るんでしょう? そのアジャスという相手はイルゼに譲っても、他の二人との戦いは楽しめそうだもの」
「……どうだろうな。期待外れに終わらないといいけど」
期待を込めて呟くヴィヘラだったが、レイは予防線的な意味でそう言っておく。
実際、ヴィヘラの技量を考えれば、多少腕が立つといった程度の実力では、間違いなく肩すかしを食らうだろうと理解していた為だ。
いや、それはそれでいいのだが、その結果として不機嫌になったヴィヘラの模擬戦の相手をレイがすることになる可能性が高かった。
戦闘狂のヴィヘラだけに、当然のように模擬戦は激しくなる。
それに付き合わされれば、肉体的にも、精神的にも疲れるのは間違いない。
(ああ、エレーナに任せるか。アーラ辺りを戦わせてみても、面白いかもしれないな)
暇をしているんだから、ヴィヘラを押しつけてもいいだろうと、そうレイは考える。
実際にはヴィヘラと模擬戦をやれると言えば、やりたいと言う者は多いだろう。
特に男は、ヴィヘラの魅力的な肢体を間近で見られるのであれば、多少のダメージは覚悟の上で立候補する筈だった。
もっとも、その力の殆どを見せることが出来ないままで終われば、ヴィヘラに冷たい視線を向けられることになるが。
……中には、その冷たい視線を向けられるのがいい、などという特殊な趣味を持った者もいるのだが、生憎とレイにはその辺りの趣味は理解出来ない。
「とにかく、だ。事態が動いたのは俺にとっても嬉しいことだけど……これから、どうすればいいんだ? もう、こっちで動いてもいいのか?」
尋ねるレイに、ダールは首を横に振る。
「いえ、動いたことは動きましたが、まだ何か決定的な証拠がある訳ではありません。向こうがそのような動きをした時に、初めて動いて貰えると助かります」
「でも、それだとアジャスが何もしないでギルムを出ていこうとしたらどうするんですか? 向こうも自分が怪しまれているのは知っている筈。そうである以上、最低限の物だけを持って逃げ出す可能性も……」
イルゼの心配は、アジャスが何を企んでいるのかではなく、そのアジャスを逃がしてしまうこと。
ようやく……ようやく見つけた仇なのだ。
そして向こうも自分のことを認識した以上、ここで逃がしてしまえば次に見つけられるかどうかは、非常に微妙なところだった。
少なくても、そう簡単に見つけられるとは思えない。
何より、今であればレイを始めとして腕の立つ面々が自分に力を貸してくれているが、それはこの地がギルムだからだ。
もしアジャスがギルムから逃げ出してしまえば、レイ達がそれを追うかと言われれば……色々と難しいところがあるだろう。
どこにいるのか、その居場所が判明しているのであればまだしも、アジャスを探し回ってミレアーナ王国を……もしくは、周囲の国々を探し回らなければならない。
ましてや、アジャスが一ヶ所にじっとしている保証はないのだから、レイ達が移動した後でそこにやってくる可能性すらあった。
情報をやり取りするにも伝言や手紙を使わなければならない。
一応召喚士やテイマーによる素早い手紙のやり取りも可能だが、それには相応の料金が必要となる。
少なくても、低ランク冒険者のイルゼが気軽に出せる金額ではない。
その辺を考えると、ここでアジャスを逃がしてしまえば再び見つけるというのは非常に難易度が高く、イルゼの能力を考えると現実的ではないだろう。
つまり、イルゼは絶対にここでアジャスを逃がすという訳にはいかなかったのだ。
現状よりも良い条件でアジャスと対するのは、まず不可能だと言ってもいいのだから。
「安心して下さい。アジャスは誘拐した人々を連れ出す必要があります。そうなれば、どうしたって目立ちますし、向こうに取ってはそれを捨てるのは少し難しいでしょう」
アジャス達にとって、誘拐した女達をギルムに残していくというのは、絶対に避けたい筈だ。
ダール達も、具体的にどのくらいの金をその一件に使ったのかは分からないが、規模から考えれば相当な額になるだろう。
そうである以上、可能な限りその女達を連れ出すのは間違いない。
「でも、自分に危険が迫っている状況で……」
「勿論、その可能性もあります。なので、一応手は回してありますよ。今ギルムから出ていこうとしても、少なくても正門から出ていくのは難しいでしょう。警備兵の方にも、しっかりと情報を回してますから」
その言葉を聞き、イルゼはようやく安堵する。
もっとも、あくまでもそれは正門から出る時だけのことであり、元々人を強引に連れ去るという行為をしているアジャスが、正面から堂々とギルムを出ていくような真似をするのかと言われれば、答えは否なのだが。
しかし、イルゼがその言葉を聞いて安堵したのは間違いない。
少なくても正門から出ていくことが出来ないというのは、安心する要素の一つだったのだろう。
「とにかく、安心して下さい。絶対……とはいきませんが、アジャス達をギルムから逃がすような真似はしませんから。もし向こうでまた何か動きがあれば、すぐにでも知らせます」
「……お願いします」
結局自分で出来ることがないイルゼとしては、ダールにそう頭を下げることしか出来なかった。
それはダールも理解しているのだろう。イルゼを落ち着かせるように、しっかりと頷く。
今のダールを見ていれば、アジャスを逃がすことはないだろうと、そう思えるような態度。
そんなダールの様子を、レイは微妙に胡散臭そうに眺める。
もっとも、それは別にダールが諜報部隊を裏切ってアジャスと繋がっている……といったことを疑っているのではなく、単純にその態度が胡散臭いように感じたからというのが正しいのだが。
「ええ、任せて下さい。何をするにしても、結局のところはアジャス達が動きを見せないと、どうにもなりませんからね。そちらの監視は十分です」
イルゼを落ち着かせる為の笑みを浮かべながらそう告げる様子に、取りあえずレイ達もそれ以上はこの件について何も言わない。
「エレーナ、寂しがってるでしょうね」
「あー……そうだな。けど、エレーナを堂々と連れ歩くのは、色々と難しいしな」
話題を変えようと考えたのか、そう言ったマリーナの言葉に、レイも同意して言葉を返す。
言葉通り、レイの表情にはエレーナに多少ではあるが悪いと思っている様子はある。
今のエレーナにとって、紅蓮の翼の面々と一緒の夕食というのは、一日の中で一番楽しい時間帯だ。
正確には紅蓮の翼ではなく、レイとの食事と表現するのがこの場合は正しいのだろうが。
「すいません、私の為に……」
申し訳なさそうな表情を浮かべるのは、当然のように今回の一件を持ち込んできたイルゼだ。
だが、そんなイルゼに、話を始めたマリーナが首を横に振る。
「そこまで気にする必要はないわ。イルゼも、エレーナとは話したでしょ? 自分の状況を残念に思っても、それを人のせいにしたりはしないわよ。……もっとも、それがあからさまだったら、話は別でしょうけど」
一瞬マリーナの視線がヴィヘラの方を見たのは、以前ヴィヘラがレイの時間を独り占めしたことがあったからだろう。……ただ、独り占めは独り占めでも、色っぽい話ではなく模擬戦という行為による独り占めだったのだが。
「何よ」
それを分かっているのか、いないのか。
ともあれ、ヴィヘラはマリーナの言葉に魚の干物を口にしながら尋ねる。
この魚の干物は、ギルム周辺ではよく食べられている川魚の干物……ではなく、海の魚の干物だ。
当然海から遠いギルムでは、海の魚というのはかなりの値段となるのだが、ダール……いや、諜報部隊にしてみれば、今回の一件にはレイの協力を得られる絶好の機会だ。
ただでさえ、今はギルム増築工事で様々な勢力が暗躍していたり、情報収集をする為にギルムにやってきていたりと、諜報部隊はそれらの対処に忙しい。
そんな状況で、荒事が起こるのが確実な騒動に、レイのような極大の戦力……だけではなく、マリーナやヴィヘラといった、こちらもまた一流を越す超一流と呼ぶべき戦力が協力してくれるというのだから、海の魚の干物を出すくらいの出費は問題ない。
元々諜報部隊は、その性質上かなり優遇されている。
それは、ダスカーが情報の有用性を理解しているからこそで、そのおかげで諜報部隊には多額の予算が割り当てられていた。
……もっとも、それが可能なのはギルムという辺境にある街だからだろう。
普通の街では、資金的な余裕はそこまでないのだから。
「あら、これ美味しいわね」
「エモシオンから運ばれてきたものです。向こうは魚の類が美味しいらしいですね」
ヴィヘラの言葉にダールがそう言葉を返す。
「そうね。けど、エモシオンでは海産物が多い代わりに、肉の類はそれなりに品薄みたいよ? 勿論エモシオンの付近にも山とかはあるけど、それだけでエモシオンにいる人達全員を満足させるのは難しいでしょうし」
「あー……そう言えば肉は若干高めだったかも?」
以前エモシオンに行った時のことを思い出しながらレイが呟くが、それでも若干割高という認識の方が強い。
少なくても、ギルムで海の魚を食べる際に掛かる値段を考えれば、向こうの方が金銭的には有利だと言えるだろう。だが……
「その肉は殆どが動物の肉で、ギルムで食べられているような極上の肉って訳じゃなかったけど」
基本的に、モンスターの肉というのは高ランクモンスターになり、強い魔力を身に宿すモンスターの肉は美味くなる。
そして辺境のギルムでは、そのようなモンスターに困ることはない。
これは、どちらが優れているとかそういう話ではなく、単純にその土地の問題なのだろう。
そんな風に考えながら、レイはアジャス達の動きが始まるまで食事を楽しむのだった。




