1470話
その部屋の中には、薄らとした明かりだけがあった。
外から聞こえてくる賑やかな声。
ギルムの夜は、夏ということや増築作業をしている者達が騒いでいることもあって、かなり騒がしい。
日付が変わる頃になれば、明日の仕事もあってある程度静かにはなってくるのだが……今の時間はまだ宵の真っ盛りと呼ぶべき時間で、静まる気配はない。
どこからともなく聞こえてくる笑い声や歓声、怒鳴り声、悲鳴。
部屋の中を飛んでいる虫や夜になったのに一向に涼しくならない空気もあって、部屋の中にいる者達は自然と苛立ちが募っていく。
「おい、集める人数はどうなっている? 今のギルムなら大勢人がやってきてるんだから、女を集めるのも苦労はしないだろ」
薄暗い部屋の中にいる複数の者のうち、一人の男が尋ねる。
「ある程度の人数は集まってる。ただ、閉じ込めておく場所が問題だな。今のところはいいが、そのうち見つかりかねない。……臭いもあるしな」
溜息と共に問われた男が呟くが、そんな男に部屋の中にいた三人目の男が口を開く。
「ばっか、お前。女の臭いがいいんだろ? 女の体臭だぜ?」
「……俺には、お前の性癖は理解出来ないよ。考えてもみろ、これが冬ならともかく、今は夏なんだぞ? この暑さの中で一つの牢に何人もの女を閉じ込めておくんだ。下の始末も壺を使わせてるし、身体も拭いてないから汗の臭いも……いい。分かったから目を輝かせてこっちを見るな」
三人目の男が目を輝かせ、何かを期待した視線で自分を見ているのに気が付いた二人目の男は、それ以上何かを言うよりも前に会話を打ち切る。
普通の性癖しか持っていない男にとって、女の臭いは大歓迎という男の性癖にはちょっとついていけなかった為だ。
ましてや、臭いがどうのこうのと嬉しそうに語られても、それに同意することは出来ない。
そんな二人のやり取りを黙って聞いていた一人目の男が、下らない話題を打ち切るように口を開く。
「とにかく、女の数はまだ足りないんだな?」
「ああ。……本来ならもっと簡単に数を集められる筈だったんだがな。まさか、ここまで警備が厳しいとは思わなかった」
苛立たしげに呟く男の言葉に、他の二人も同意するように頷く。
増築作業をするということで、多くの者が集まってくるギルムだ。
当然、それだけ人数が多くなれば見知らぬ相手が多くなる。
だからこそ、人を集めるのにギルムにやってきたこの三人だったのだが、ギルムの治安は驚く程によかった。
住人同士の多くが知り合いの村ならともかく、街や都市といった規模になれば警備兵の中には金で犯罪を見逃す者も多い。
だが、ギルムの警備兵にはそのような者はいなかった。
(いや、人は欲望の生き物だ。そんな奴が全くいないなんてことはない。だとすれば、単純に俺達がそこまで見つけることが出来ないってだけか)
辺境にあるギルムだからこそ、金を貰うにしても巧妙化しているのだろう。
そう考えた男は、忌々しげに舌打ちをする。
結局多くの女が集まっている場所から女を確保することは出来ず、結果としてスラム街を拠点としている犯罪組織に繋がりを取り、そちらから女を回して貰っているのだ。
当然犯罪組織も何の見返りもなく女を融通する訳ではない。
男達から相応の金を受け取って、女を渡していたのだ。
そうなれば当然のように金が掛かり、男達が当初予定していたような人数をギルムで集めることは難しい。
実際、既に活動資金として上から渡された資金は、既に半分程にまで減っている。
まだ目的とされていた女を集めきっていないにも関わらず、だ。
「にしても、せめて集めるのは女なら誰でもいいとかだったらいいのにな」
「あー……まぁ、その気持ちは分からないでもない。不細工は駄目で、最低限平均以上の女って、どんなのだよ。まぁ、いい女の方が体臭とかそういうのは嗅ぐのはいいけど」
最後の言葉だけは聞かないようにしながら、男達は会話を続けていく。
「まぁ、しょうがねえだろ。女達にはしっかりと向こうで子供を産んで貰う必要があるんだからな。それも、出来るだけ多くの女を」
「……客を取った結果子供を産ませるんじゃなくて、子供を産ませる為に客を取らせる。……あまりいい気分はしないな」
「臭いって面では結構俺は好きなんだけどな」
「黙れ変態」
三人の男達の間に、最後の男の言葉で少しだけ穏やかな空気が流れる。
そんな中……やがて一人の男が口を開く。
「そう言えば、お前は今日街の警備に回るって昨日言ってなかったか?」
「……俺もそのつもりだったよ。表通りにいる女でも、多少何とか出来る奴がいるかもしれないと思ってな。けど、ギルドの方から誘われたんだし、しょうがねえだろ」
「断ればいいのに」
「馬鹿なことを言うんじゃねえよ。俺はギルドではそれなりに真面目だって評判になってるんだぞ? その俺が、ギルドから提案された依頼を断れる訳がねえだろ」
「ぷっ、アジャスが真面目? ……どんな冗談だよ、それは」
男……アジャスの言葉に、部屋の中にいた男二人がそれぞれ面白い冗談でも聞いたと言いたげに笑い声を部屋の中に響かせる。
実際、アジャスが真面目だとすれば、世界に不真面目な奴はいなくなるのではないか。
そんな考えすら浮かべながら、二人の男は笑う。
「レベジェフ、ハストン。お前達に笑われるのは正直不満だぞ。特にハストンは女の体臭を好む変態だろ」
「変態って言い方はないだろ。他人には理解出来ない、高尚な趣味なのは間違いないけどよ」
「……高尚な趣味、か。物は言いようだな。とにかくだ。話を戻すぞ。俺は今日トレントの森の警備に回された訳だが……」
そこまで言ったアジャスの言葉に、どこか不審なものが混ざる。
他の二人もそれは理解したのだろう。アジャスが口を開くのを待つ。
「トレントの森の護衛に、レイが来た」
「は? レイ? あの深紅が? 嘘だろ?」
レベジェフの、間の抜けたような声。
だが、そうなってしまってもおかしくないだけの衝撃が、今のアジャスの言葉にはあった。
そもそも、レイは今回のギルム増築に関して、多くの仕事を割り振られている。
そんなレイが、何故わざわざ忙しい時間を割いてまでトレントの森にやって来るのか。
その理由が、レベジェフにもハストンにも理解出来ない。
「そりゃあ……トレントの森の木材は、今回の増築でも重要な資材って扱いになってるけど……それでも、樵がいる以上、深紅が行くとは思えないけどな」
「だな。普通ならもっとやるべき仕事は多い筈だ」
ハストンがレベジェフの言葉に同意するように、そう呟く。
それは別に特別な意見という訳ではなく、レイがどれだけの能力を持っているのか知っている者であれば、誰でも同意出来るだろう。
明らかに、レイを回すにしてはトレントの森の護衛というのは割に合わないのだ。
「そうだな。……それに、多分、本当に多分だが……レイの目的は俺だったと思う」
「……おい」
数秒前までの軽い様子とは違い、レベジェフの口から低い声が漏れる。
視線も、先程までの馴れ合うようなものではなく、鋭い視線となっていた。
「もしかして、何か妙な真似をして尻尾を掴まれることになっていたんじゃないだろうな?」
「いや、そんなことはない筈だ。ギルムにやって来てから、俺は特にこれといった動きを見せていないからな」
それは、アジャスも自信を持って言えた。
実際、ギルムに来てからは可能な限り真面目な冒険者として働いてきたのだ。
そこから自分が目を付けられたということはないと断言出来た。
それでも、レイが口にしていた言葉がアジャスの警戒心を刺激する。
(行商人を殺した? ……どの行商人だ? そもそも、目撃者は誰も残っていない筈だ。生き残りがいた……とかじゃねえだろな?)
自分の左手に……より正確には左手に彫られた蛇の刺青を見ながら、アジャスは嫌な予感を抱く。
左手の刺青は、非常に目立つ。
もし誰か生き残りがいたのなら、この蛇の刺青は容易に自分を特定することが出来る要因となるだろう。
何より厄介だったのは、レイの言っていた行商人が誰のことなのかが分からなかったことだ。
今まで何人、……いや、何十人といった人間を殺してきたアジャスだ。
その中には当然のように行商人は何人もいたし、そのどの件のことを言っているのかが、アジャスには全く分からなかった。
「で、どうするんだ? 深紅……いや、レイに睨まれてんなら、今は迂闊な動きは出来ねえだろ?」
「ああ。俺は暫く大人しくしていた方がいいな。お前達にはその分働いて貰う必要があるが……」
「貸しだぞ」
「ああ、貸しだ。俺には、強い体臭を持つ女を紹介してくれれば、それで許すけどよ」
ハストンの言葉に、部屋の中の空気が多少ではあるが和らぐ。
「そうだな、貸しにしておいてくれ。体臭云々はともかく、後でハストンの為に女を一人用意するよ」
勿論この女を一人用意するというのは、紹介するという意味ではなく強引に浚ってくるということを意味している。
喋っていることは完全に犯罪以外のなにものでもないのだが、その言葉を聞いたハストンは先程まで漂っていた空気を吹き飛ばすような、満面の笑みを浮かべて口を開く。
「本当にいいのか?」
「ああ。迷惑を掛けた礼だ」
「いやー……持つべきは親友だな」
「ハストンには女か。なら、俺も色々と期待していいんだよな?」
「ああ。期待しててくれ。……で、話を戻すが、レイにどう対処するか……だ。正直なところ、いっそ俺がこのままレイを引きつけているから、女についてはお前達に任せるってのはどうかと思うんだが、どうだ?」
「……なるほど。何だかんだと、レイは鼻が利くらしいしな。奴に関わったせいで駄目になった悪党は多いらしい」
「そう考えれば、アジャスがレイを引きつけてくれている間は、俺達も多少は安心出来るって訳だ。……もっとも、最近アジャスの周辺を嗅ぎ回ってる奴もいるから、こっちもあまり派手に動けないけどよ」
ハストンが忌々しそうに呟く。
表向き、アジャス、レベジェフ、ハストンの三人は面識がないことになっている。
それぞれがソロの冒険者として、ギルムにやって来ているのだ。
だからこそ、レベジェフとハストンの二人は気が付いたのだろう。ここ最近、アジャスを調べている者がいるということを。
相手が腕利きであれば、当然調べられている方――この場合はアジャス――はそれに気が付くのは難しい。
だが、第三者的な立ち位置の人物であれば、アジャスを調べている者を見つけるのは難しくはなかった。
勿論その辺の素人がどうこう出来ることではないのだが、レベジェフとハストンの二人はギルムから大量の女を連れ去る為にやって来るだけあって、一般的な意味では一流と呼んでもいいだけの技量を持っている。
それだけに、街中やギルド、酒場、店の中……そのような場所で偶然アジャスと遭遇した時、それを探っている者の存在に気が付いた。
そして、レベジェフとハストンの二人がそれを知った以上、当然のようにアジャスにもその情報は流れる。
「恐らくレイの手の者だと思うんだが……俺の知ってる情報だと、レイにその手の組織はない筈だ」
レイ、マリーナ、ダスカー、エッグという繋がりがあるのだが、アジャスもそこまでは知らないのだろう。
もっとも、自分達が後ろ暗いことをしているという自覚がある以上、誰に何か探られても不思議ではないと思っていたのだが。
「普通に考えれば、一番怪しいのはスラムにいる奴等か?」
「けど、俺達は取引相手だろ? 幾ら何でも、それで俺達に疑問を抱かせるような真似をするか? 向こうには損しかないだろ」
レベジェフの言葉に、ハストンが反対の言葉を告げる。
だが、アジャスはそんなハストンの言葉に首を横に振った。
「向こうも、こっちを怪しんでいる可能性はある。……そもそも、普通ならこれだけ女を集めるような真似はしないしな。何故それだけ必要なのか、というのは向こうにとっても興味があるんだろうな」
「……あわよくば、自分達も甘い汁を吸いたいといったところか」
「腹が立つな」
アジャスの口から出た、腹が立つといった言葉はレベジェフとハストンの二人も同意する。
自分達と取引をし、かなり儲かっているのに、まだ手を出してくるのか……と。
「いっそ、奴等を潰して別の組織に話を持ち掛けるか? 今のギルムには大量に人が集まってきてるんだから、女を集めるのにも苦労することはないだろ」
そう告げるレベジェフだったが、アジャスはそれを否定するように首を横に振る。
「止めておこう。奴等だという確実な証拠がある訳でもない。もしそんな真似をして、実は向こうに何の関係もなかったりしたら厄介なことになる。……もしやるなら、証拠を固めてからだな」
その言葉に、他の二人も頷く。
こうして、後ろ暗いことをしているという思いからか、アジャス達は軽い疑心暗鬼になる。
……レイはともかくとして、まだその正体を知られていないイルゼにとっては幸運だったのだろう。