1466話
ギルドに入ってきたレイを見つけ、受付嬢のケニーは笑みを浮かべる。
ギルドマスターのワーカーに用事があってレノラがいない時にレイが来るのは、運がいいと。
……だが、レイと一緒に緑の髪の美人がいるのを見ると、少しだけ不満そうな表情を浮かべた。
だが、レイはそんなケニーの不満そうな様子には全く気が付いた様子もなくギルドのカウンターに……レノラがいない以上、当然ながらケニーのいる場所に向かう。
「ケニー、レノラは?」
「レノラなら、ギルドマスターのところに行ってるわ。ちょっと用事があるらしくて。……それで、レイ君。そっちの美人は一体誰? 依頼人?」
依頼人ならいい。
そんな思いと共にレイに尋ねるケニーだったが、それに対してレイは首を横に振る。
「いや、違う。……ちょっとレノラかケニーに頼みたいことがあって来たんだけど」
「……頼みたいこと? もしかして、紅蓮の翼の新メンバーだったりする?」
イルゼの方を見ながら、ケニーがそう尋ねる。
そんなケニーの顔からは既に不満は消え去っており、疑問が浮かんでいた。
ケニーもギルドの受付嬢として、多くの冒険者を見ている。
そうして、ある程度ではあってもその強さを計れる程度の眼は持っていた。
そんなケニーから見て、レイと一緒にいるイルゼは、とてもではないが紅蓮の翼に……ランクBパーティに所属出来るだけの能力を持っているようには見えなかった。
もっとも、ランクに相応しくないというのであればビューネもそうなのだが、ビューネの場合は戦闘力という一点ではそれなりに高いものを持っている。
ケニーから見ても、イルゼよりビューネの方が高い戦闘力を持っているのは間違いなかった。
だからこそ、その人物が紅蓮の翼に入るというのであれば、あまり賛成出来ない。
そう思っていた。
だが、そんなケニーの思いとは裏腹に、レイは首を横に振る。
「いや、紅蓮の翼の新メンバーって訳じゃない。ただ、イルゼに関してちょっと頼みたいことがあるのは間違いなくてな」
「……人に聞かれない方がいい話?」
「出来れば」
レイの様子に、ケニーも何かの冗談ではないと判断したのだろう。
周囲の様子を見ながら、近くにいる受付嬢に声を掛ける。
「悪いけど、私はレイ君と話があるからここを離れるわね」
「……ふーん。ま、今は忙しくないからいいけど。でも、出来るだけ早く戻ってきてね」
冒険者の多くがそれぞれ仕事をしているだけあって、日中の今はギルドにいる冒険者の数は少ない。
もっとも、それは朝や夕方に比べての比較であり、いつもの……増築工事前の日中と比べれば、冒険者の数は明らかに多かったのだが。
「ええ。出来るだけ早く戻ってくるわ。……それと、レノラが戻ってきたら、私達が二階に行ったって言っておいてくれる?」
そう伝言を頼むと、ケニーはレイとイルゼを連れてギルドの二階に向かう。
「さ、入って」
ケニーに案内されたのは、以前に何度か使った大きな会議室ではなく、一つのパーティが使うような小さな……レイの認識では六畳程度の部屋だった。
そこには会議用のテーブルと椅子が幾つか置かれている。
「ごめんね、出来れば大きい部屋の方を使いたかったんだけど……今、向こうの部屋はちょっと使えなくなってるのよ」
「使えない?」
「ええ。ほら、今やってる増築工事の件で色々と……」
そう言われれば、レイも納得出来た。
具体的にどんな者達が使っているのかは分からないが、それでも増築工事に関わる者達が占有しているのだろうと。
「それは別にいいよ。俺は別に広い部屋じゃないと嫌だなんて言わないし。……寧ろ、三人なのにそんな広い部屋を使うのはどうかと思う」
レイの口から出た言葉が嬉しかったのだろう。ケニーは笑みを浮かべて頷く。
「そう言って貰えると私としても嬉しいわ。……それで、用事というのは何なの?」
椅子に座って話を促すケニーに、レイとイルゼも椅子に座りながら口を開く。
「実は、ちょっと協力して欲しいことがあるんだ」
「協力? まぁ、レイ君のお願いなら大抵のことは聞いてもいいけど。……もしかして危険なこと?」
レイが冒険者としてどれだけ凄腕なのかというのは、受付嬢のケニーは当然知っている。
だが、そのレイが自分に協力を求めてくるのだから、当然のように生半可なことではないというのは想像出来た。
もしかして、また何か大きな陰謀が渦巻いているのでは?
そんな不安を胸に尋ねるケニーだったが、レイは特に緊張した様子も見せずに口を開く。
「アジャス……って冒険者を知ってるか? ランクD冒険者の」
「……アジャス? えっと、ちょっと待ってね」
いきなり出てきた名前に、ケニーはその名前を思い出そうと目を閉じる。
そうして少し考え……やがて思い出したのか、笑みを浮かべた。
「それって、左手に蛇の刺青をしている人?」
「そう、それだ」
蛇の刺青という言葉が出た時、レイの隣で話を聞いていたイルゼが一瞬緊張した様子を見せるが、この場はレイに任せると判断しているのか……それともアジャスについて何かを言おうものなら、激高してしまうと思っているのか、ともあれ今は黙っていた。
「その、アジャスさんがどうしたの? 特に目立つような訳でもないし、腕利きという訳でもないわよ?」
田舎にある村であれば、それこそランクD冒険者ともなれば村で一番の腕利きであってもおかしくはない。
だが、ここは辺境にあるギルムなのだ。
腕利きの冒険者が大勢集まってくるこの地では、ランクD冒険者というのは、それこそ平均程度……場合によっては平均以下の能力という扱いになることも珍しくはない。
そのような、いっそ有象無象と呼んでもいい相手をケニーが覚えていたのは、やはり左手の蛇の刺青が大きいだろう。
「そのアジャスなんだけど。出来れば一度依頼で一緒に行動してみたい。何とかならないか?」
「え? それは無理じゃない?」
あっさりと……それこそ、半ば反射的にと呼ぶに相応しい速度でケニーはレイの意見を却下する。
「駄目か?」
「そうね。……うん、やっぱりちょっと難しいと思うわ。そもそも、レイ君はギルムでも指折りの有名人なのよ? そんな人が、どんな名目でランクD冒険者と一緒に行動するのよ」
そう言われれば、レイも反論は出来ない。
普通に考えて、異名持ちの高ランク冒険者がランクD冒険者と行動を共にするというのは、かなり特殊な状況なのだから、当然だろう。
勿論相手が元々レイと知り合いの冒険者であれば、コネで一緒に行動するというのも珍しくないが、今回は違う。
レイはイルゼから聞いて、もしくはエッグ達が集めた情報からアジャスのことを知っているが、アジャスの方はレイのことを知らない。
いや、正確には知っているのだろうが、直接の面識はないと表現すべきか。
そのような理由から、レイとアジャスを組ませるのは難しいと……ケニーもそう言わざるを得ない。
「その辺を何とか出来ないのか?」
「う、うーん……そうね……アジャス一人だと無理だと思うけど、他にも何人もの冒険者を纏めてレイ君と一緒に行動させるというのなら出来るかもしれないわね。ただ、その場合は色々と煩わしいことになると思うわよ?」
「煩わしい?」
奥歯に何かが挟まったように告げてくるケニーに、レイは首を傾げる。
だが、そんなレイの態度に内心で嬉しい悲鳴を上げつつ、それを表に出さないようにしながら、ケニーは説明を続ける。
「ええ。昔からギルムにいる冒険者なら、レイ君がどういう性格なのかは分かってるから、もう馬鹿な真似をする人は少ないと思うわ」
それでもいないと言わないのは、やはりレイの外見が色々と影響しているのだろう。
本人もそれは自覚しているのか、半ば諦めの籠もった溜息を吐くだけでそれ以上は何も言わない。
そんなレイの様子に笑みを浮かべつつ、ケニーは再び口を開く。
「けど、今回の増築工事で来た人の中には、レイ君の噂……深紅の噂でしか知らない人も多いわ。だからこそ、自分の思い込みで妙な行動をする人もいるかもしれないのよ」
「だろうな」
実際、レイは何人かの冒険者、もしくは冒険者ではなく樵にすらも絡まれたことがある。
深紅の噂というのは、一人でベスティア帝国軍全軍を焼き払ったといったものや、貴族が相手であっても一切容赦しないというものだ。
その噂を聞けば、普通ならレイにちょっかいを出そうと考える者はいない。
だが……結局は噂という考えを抱く者も、ギルムに来た者の中には皆無ではないのだ。
中には、噂はレイが自分で意図的に広めている……もしくは、レイの功績は全てグリフォンのセトがいるからこそのものだと、そう考えている者も未だに少数ながらいる。
そのような者達が、もしレイと遭遇する機会があればどうするか……それは、ちょっとケニーにとっては考えたくはないことだった。
もっとも、それはレイを心配してというのもあるが、より実際にはレイに絡んだ馬鹿であっても今のギルムにとっては必要な労働力だからというのが大きい。
ギルムの増築工事をするに際し、労働力は幾らでも……それこそあればあっただけいい。
人手が多ければ、それだけギルムの増築の完了が早まるのだから。
もっとも、人が多すぎてやってきた者が泊まる場所に困るという事態も発生している。
労働力を多く集めることを目的としている以上、当然ダスカーもその辺を放っておく筈もない。
現在、ギルムの何ヶ所かでは早急に宿として使えるように建物を整備していた。
誰も使っていない空き家を、臨時の宿として使うのだ。
ダスカーがギルムの領主だからこそ出来る、かなり強引な手法だった。
……ともあれ、それだけの人数がギルムに集まってきている以上、レイについても元からギルムにいた者達と同じように接するという訳にはいかなかった。
見かけによらないレイの怖さというものを、実際に感じたことがある者とない者と表現してもいいだろう。
「けど、心配はいらないだろ。余程無茶なことをしてこない限り、こっちだって穏便に済ませるし」
「……レイ君の場合、その穏便にというのが信じられないんだけど」
レイに強い好意を抱いているケニーだったが、そんなケニーであってもレイの言葉を完全に信じるという訳にはいかない。
これもまた、レイがこれまで行ってきたことが影響している為であり……いわば、レイの自業自得だったのだが。
「とにかく、大勢の中にアジャスを入れるということなら問題ないんだな?」
「ええ。幸い……って言い方はどうかと思うけど、最近トレントの森の方で人手が足りないって話が来てるから。それの引率って感じなら何とかなると思う」
「トレントの森の方が? 向こうは樵とかもかなりの人数がいるし、冒険者も暇があれば木の伐採はしてるんだろ?」
樵の護衛として依頼料が貰え、その上で更に木を伐採すればより多くの金を貰える。
冒険者にしてみれば、それこそ多くの報酬を貰えるのだ。
トレントの森というのは人気スポットの一つだと、そうレイは認識していたのだが。
そのことを尋ねると、ケニーは首を横に振ってそれを否定する。
「以前まではそうだったんだけど、それはトレントの森にモンスターが現れないというのが前提の話でしょ?」
「そう言うってことは、今は違うのか?」
「そうね。正確には違ってきている……というのが正しいかしら。少しずつだけどモンスターが出てき始めたのよ。そうなると、当然冒険者は依頼通りに護衛をしないといけないでしょ?」
「だろうな」
「……まぁ、中には自分が護衛しなくてもいいと考えて、木の伐採に夢中になってた冒険者もいたけど……」
「うわ」
ケニーの言葉に、レイは驚きの声を上げる。
樵の護衛としての仕事が冒険者としての本分であり、木の伐採はあくまでもついでなのだ。
だというのに、追加報酬に目が眩んで本来の仕事をしないというのは、普通に考えれば有り得ないことだった。
「当然その冒険者は、もうトレントの森での依頼を受けることは出来なくなったけどね」
それでも、トレントの森以外にも多くの仕事があり、そのような冒険者であっても使わなければならない……使いこなさなければならないというのが、現在のギルムの状況なのだが。
勿論、本当の意味で酷い相手……それこそ今回話題になっているイルゼの仇だと思われるアジャスのような人物であれば、ギルムの方でも色々と手を打たなければならないのだが。
「どうする? 取りあえず俺はこれでいいと思うけど」
「……お願いします」
レイの言葉に、イルゼは深々と一礼をするのだった。