1464話
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レイがメランと言い争いをしてから数日……あの日以降は特に大きな騒動もないまま、平穏な時間がすぎていく。
勿論、平穏といってもそれは大きな騒動が起きないという意味である、新しい壁を作っている現場に向かえばレイの魔法やマジックアイテムに興味を持つマルツが近づいてきたり、ギルムに来たばかりの者がマリーナやヴィヘラに一目惚れしたりといったことは起きていたが。
そのような平穏な日々が流れたが、同時に連日真夏の暑さが続く日々は着実にギルムの住人の体力を奪っていた。
もっとも、簡易エアコンの能力を持つドラゴンローブを着ているレイや、精霊魔法で周囲を涼しくすることが出来るマリーナといった者達がいる紅蓮の翼の面々は、夜は涼しくすごせていたのだが。
今も、マリーナの家の庭ではいつものようにエレーナやアーラと共に紅蓮の翼の面々は食事をしている。
最初はレイがミスティリングから取り出したマジックアイテムの窯に驚いていたエレーナやアーラも、すぐにその調理器具をどう使えばいいのかを理解し、今では窯を使って簡単な料理をするまでになっていた。
日中、レイ達が仕事に出ている時、エレーナやアーラは大抵が暇となる。
何か本当に理由があって尋ねてきた者がいるのであれば話は別だが、知己を得たいと面会する者はいても、大事な用件があるという者はいなかった。
……もっとも、エレーナとの知己を得るというのは、その者にとっては大事な用件だったのだろうが。
そんな訳で、最近は暇潰しにと幾らか料理に手を出すことになっていた。
普通であれば、貴族の子女が料理をするということは基本的にない。
趣味でお菓子作りをするといったものや、貧乏で料理人やメイドを雇えないという理由であれば話は別だが。
だが……幸いにも、エレーナとアーラは騎士であり、軍人でもある。
部下を率いて戦場に赴くことも珍しくはなく、その際に料理についても基本は知っていた。
おかげでとんでもなく塩辛い料理や、レイが日本にいる時に漫画で見たような塩と砂糖を間違えるといった惨劇は行われなかった。
塩や砂糖、胡椒といった調味料は、それなりの値段がする。
それを漫画のように間違えて無駄に使ったりすれば、エレーナとアーラにはマリーナの雷が落ちていただろう。
「その……どうだ? この窯で料理するのにもそれなりに慣れてきたと思うのだが」
テーブルの上にある、鳥肉の丸焼きを食べる紅蓮の翼の面々――中でも特にレイ――を見ながら、エレーナは恐る恐るといった様子で尋ねる。
山鳥を使った丸焼きだったが、ある程度料理の基本は出来ているエレーナであっても、結局のところ基本は基本でしかない。
山鳥の皮が破れ、肉が裂け、中に詰め込まれている木の実や野菜、キノコといった具材が微かにではあるが見えていた。
それでもエレーナが作った料理ということで、レイを始めとして他の者達は美味そうに食べる。
実際、火加減の類もそれ程失敗しておらず、肉には軽い焦げ目が付いていて、中は生といったこともない。
見かけは初心者相応のものだったが、味という意味では十分に美味い料理だった。
特にソースは酸味のある果実を使っているのか、鳥肉料理だというのにさっぱりとした後味を楽しめる。
勿論、本当に美食になれた者であれば幾らでも指摘する場所はあるだろう。
だが、レイは美味い料理は好きだが、そこまで繊細な味覚を持っている訳ではない。
マリーナやヴィヘラは立場上美食と呼ばれる料理には慣れているが、この場でそれを口にする程に野暮という訳ではない。
「うん、十分に美味いと思うぞ。特にこのソースの酸味が肉に合う」
「そうね。ただ、次に作る時は中に詰めるのはキノコをもっと多くしてくれると嬉しいわね」
「あら、そう? 私はこのくらいで十分だけど……まぁ、この辺はそれぞれ個人差かしら」
「ん」
レイ、ヴィヘラ、マリーナ、ビューネがそれぞれ料理の感想を述べる。
大まかには褒められたことに、エレーナは安堵の溜息を吐く。
そんなエレーナを、アーラは笑みを浮かべながら見守っていた。
勿論アーラが元々料理を出来て、それをエレーナに教えた……という訳ではない。
それでもどこか慈しむような笑みを浮かべていたのは、エレーナの作った料理を皆が喜んで食べていた為だ。
敬愛するエレーナが喜んでいるというのは、アーラにとって非常に嬉しいことだった。
「キュウ! キュキュ!」
エレーナが作った料理を喜んで食べているのは、その使い魔のイエロも同様だった。
……そんなイエロの横では、セトが残念そうに喉を鳴らす。
勿論セトの前にもエレーナが作った料理はあったのだが、この場合問題となったのはセトの大きさだろう。
体長三mのセトにとって、鳥の丸焼きというのはあまりに量が少なかった。
いや、全てをセトが食べてもいいというのであれば、ちょっとした腹の足しにはなっただろう。
だが、エレーナが作った料理は、その場にいた全員に分けられている。
そうなればセトの割り当てが少なくなるのは当然だった。
それでもセトはそんな少ない料理を、味わう。
「すまないな、セト。出来ればもう少し多く料理を作りたかったのだが……どうしても、私の腕ではこのくらい作るだけで精一杯だったのだ」
「グルゥ? グルルルルゥ」
エレーナの申し訳なさそうな言葉に、セトは大丈夫と喉を鳴らす。
実際、鳥の丸焼きというエレーナの手料理はあまり食べることは出来なかったが、それ以外の料理も多くテーブルの上には置かれており、セトの前にも用意されているのだから。
そう考えれば、やはりエレーナの料理だけを食べることが出来ないのは、若干残念ではあったが、そこまで表立ってどうこうといったものではない。
こうして、レイ達は食事を楽しむ。
真夏の夜に、ピザ窯が近くにあるという状況にも関わらず、マリーナの家の庭は非常に涼しい。
ギルムの多くの場所では、太陽が沈んだにも関わらず、まだ真夏の暑さが残っている。
もしレイがその温度を直接感じれば、三十度近い熱帯夜だと表現するだろう。
だが、現在のマリーナの家の庭は、かなりすごしやすい気温となっている。
体感的には、それこそ二十度を少し超えたくらいだろう。
また、ピザ窯からの熱も周囲には完全に遮断されている辺り、マリーナが使う精霊魔法がどれだけの便利さを持っているのかを証明していた。
だからこそ、こんな熱帯夜であってもレイ達は快適にすごすことが出来ている。
……尚、当然ながらエレーナとアーラが乗ってきた馬車を牽いていた馬もその恩恵に預かっている。
幾ら軍馬として厳しい訓練をしてきた馬であっても、夏の暑さには敵わない。
そういう意味では、夏バテをしなくてもいいこの庭という環境は馬達にとっても最善だったと言えるだろう。
そんな風に冷房用のマジックアイテムを使える少数の者以外にとっては、非常に羨ましいと言える環境にレイ達はいた。
「それで、結局イルゼが言っていた男のことは分かったのか?」
食事が終わり、冷たい果実水や紅茶を飲みながらレイが尋ねると、マリーナはマンゴーに似た果実を飲み込むと頷きを返す。
果汁が喉を伝い、果実を飲み込むのその姿は、非常に艶っぽい。
だが、本人はそんなことを気にせず、口を開く。
「まだ完全じゃなくて、ある程度だけどね。左手に蛇の刺青という風にかなり目立つ人だったから、調べるのは結構楽だったらしいわよ」
「……まぁ、そうだろうな」
刺青という存在そのものは、そこまで珍しいという訳ではない。
だが、それでも左腕に絡まっているような蛇の刺青となれば、当然のように目立つ。
それだけに、エッグに調査を命じられた男が対象を特定し、調べるのに大して時間は掛からなかった。
それでも、対象を特定してから調べるのにある程度時間が掛かり、結果が出たのは今日だったのだが。
「ランクD冒険者、アジャス。長剣の使い手で、そのランクを見れば分かるとおり、それなりに腕は立つみたいね。ただ、ギルムに来てから何か問題を起こしたといったことはないわ」
「それだけを聞くと、普通の冒険者のようにしか聞こえないな」
アジャスという男の説明を聞いていたエレーナが、紅茶を飲みながら呟く。
「そうね。実際、周囲の評判もそれなりにいいみたいだし」
「そこだけを聞くと、とてもではないがイルゼの家族の仇とは思えないが?」
「自分の犯した罪を反省して、更正したとか? ……イルゼの話を聞く限りでは、有り得ないわね」
ヴィヘラの言葉に、その場にいた全員が同意するように頷く。
そんな周囲の様子を理解していたのか、それともただ周囲が頷いていたから何となくなのか……セトとイエロの二匹も、頷いていた。
「だろうな。更正する可能性が皆無とは言わないけど、一度楽を覚えた奴がそう簡単に……とは思わないか。実際、もし本当に自分が今までやってきたことを後悔してるのなら、警備隊に出頭しているだろうし」
勿論今までその人物……アジャスが事件を起こしてきた場所ではない以上、出頭しても下手をすればその場で処刑されてしまう可能性もあるだろう。
だが、本当に……それこそ心の底から自分のしてきたことを後悔しているのであれば、そのくらいはやってもおかしくない。
そう告げるレイだったが、聞いていた者達は首を傾げる。
「そうかしら? もし後悔していたとしても、自分が死ぬかもしれないとなれば、怖じ気づいてもおかしくないと思うけど」
不思議そうに呟くヴィヘラの言葉に、エレーナとマリーナの二人も頷く。
唯一それに同意していないのはビューネだったが、そのビューネは話を聞くでもなく、テーブルの上にある果実を味わうのに夢中になっているだけだ。
「そういうものか? ……ともあれ、だ。そのアジャスってのが何も反省をしていないのなら、品行方正な今の行為は何を意味していると思う?」
レイも特にアジャスという人物が本当に更正しているとは思ってなかったのだろう。
それ以上は特に拘ることもなく、話を先に進める。
「品行方正ね。左手に蛇の刺青をしている人には、ちょっと似合わない言葉だけど」
「まぁ、品行方正と言っても、実際には他の冒険者の面倒を見ているとか、そういう意味じゃないもの。今のギルムで余計な問題を起こさず、仕事に集中しているだけで、十分品行方正でしょ」
多くの冒険者が集まってきている現在のギルムの状況を考えると、マリーナの言葉には納得出来るところが多い。
ヴィヘラとマリーナの会話を聞いていたレイは、なら、何故トラブルを起こさないようにしているのかと考える。
そしてすぐにその答えに行き着く。
「つまり、今は問題を起こして目立つような真似はしたくない?」
「でしょうね」
そんなレイの予想と同じ結論に辿り着いていたのだろう。マリーナは再度果実に手を伸ばしながら頷く。
「だとすれば、やっぱり更正したのではなく、何かを企んでいて、それが発覚しないように……という可能性が高いかしら?」
「けど……今のギルムで何を企む? ヴィヘラの言いたいことも分かるけど、今のギルムには大勢の冒険者が……戦力が集まってるんだぞ? そこで何かことを起こすとしても、それこそレルダクトの二の舞だろ」
実際にレルダクトを討った――殺してはいないが――レイの言葉だけに、そこには本気を見て取れる。
もし何かを企んでも、今の状況でギルムに手を出してくればあっけなく鎮圧されることは間違いない。
「うーん、疑問だな。レイが言うように、今のギルムは色々な意味で戦力が集まっている。そうである以上、向こうが何をしようとしてもどうしようもないと思うのだがな。……いっそ、向こうを動揺させる為にも、一度レイがアジャスに直接接触してみたらどうだ?」
「……俺がか?」
エレーナからのまさかの言葉に、レイは驚く。
もしアジャスが何かを企んでいるのであれば、そこに自分が接触すれば警戒するのではないかと思った為だ。
「レイが何を心配しているのかは分かるが、それは接触の仕方次第ではないか? 偶然接触したといった感じであれば、向こうもそれ程警戒しないと思うが」
「それでいて、俺が接触したことにより何らかの動きを見せる可能性はある、か」
呟くレイの言葉に、エレーナが頷く。
「けど、もしかしたらアジャスが逃げ出す可能性もあるんじゃない?」
ヴィヘラが、レイが接触するのに異を唱える。
だが、エレーナの話を聞いていて何かを考えていたマリーナが、それに反論するように口を開く。
「いえ、レイが接触するのはいいかもしれないわ。ダスカーから回ってきた情報だけを鵜呑みにするんじゃなく、レイが直接接してみるというのは意味があると思うんだけど。……どう?」
その言葉に、レイは少し考え……やがて頷くのだった。