1460話
「レイさん、ちょっといいでしょうか?」
復讐について語り合い、何故か途中で恋愛に話題が移っていくという、レイにしてみれば全身がムズムズするかのような、そんな夕食があった帰り……まるで、レイを待ち受けていたかのように、夕暮れの小麦亭の近くにはイルゼの姿があった。
いや、待ち受けていたかのようにではなく、実際に待ち受けていたのだろう。
レイが夕暮れの小麦亭を定宿にしているというのは、少しでもギルムについて詳しい者であれば知っている。
そもそも、セトを泊めることが出来るだけの厩舎を持っている宿が、ギルムにはそれ程多くはないのだから。
それこそ、ギルムの住人にレイが泊まっている宿はどこかと聞けば、すぐに教えてくれるだろう。
だからこそ、イルゼがこうして自分を待っていたというのは、レイにとって若干驚きはしても、驚愕と呼べる程のものではなかった。
「レイ、その子は? どこかで見たような顔だけど……」
レイと共に夕暮れの小麦亭に部屋を取っているヴィヘラが、イルゼを見ながらそう告げる。
「ほら、夕食の時に言っただろ。それだ」
「ああ、イルゼとかいう……ふーん」
レイの言葉で目の前にいるのが誰なのか理解したのか、イルゼを見て頷くヴィヘラ。
だが、すぐに興味を失ったかのように視線を逸らす。
復讐云々という話があったのだから、てっきり相応の強さを持つ相手……と、そう勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、実際に会ってみれば強さを殆ど感じないのだから、戦闘欲を持つヴィヘラにとっては期待外れだったのだろう。
そんなヴィヘラとは違い、イルゼの方はいきなり自分を見てきた相手に何と言っていいのか分からない。
いや、寧ろヴィヘラの姿に目を奪われてすらいた。
自分もそれなりに男にとって好まれる顔をしているという自覚はある。
そんなイルゼから見ても、目の前にいるヴィヘラは幻想的……という言葉が相応しい容姿をしていたのだ。
特にヴィヘラの着ている薄衣と、夜の暗さ、月明かり、明かりのマジックアイテム……それらが様々に混ざっているのが目を奪う大きな理由だろう。
また、以前助けられた人物だというのにも気が付いたが、相手が覚えていないようだということで、今はそれを口に出すようなことはしなかった。
「えっと、その……?」
「あー、気にするな。ヴィヘラは色々と特殊だからな」
「ちょっと、特殊って何よ、特殊って」
特殊という言葉が不満だったのか、ヴィヘラはレイにそう告げる。
だが、レイはそんなヴィヘラの話を聞き流しながら、イルゼに向かって口を開く。
「それで? ここで俺を待ってたみたいだけど、何だってそんな真似を?」
「いえ、その……出来れば、もう少し人のいない場所で話を聞いて欲しいんですけど」
夕暮れの小麦亭の前……それもセトがいる状況で話をしているのだから、当然のように周囲を通る者達の視線がレイ達に向けられる。
注目を浴びるのは慣れていたレイ達だったから、特にその視線を気にはしていなかったのだが、目立つのは出来るだけ避けたいイルゼにとってはそうもいかない。
もし今の季節が夏でなければ、それこそ顔を隠せるようなフード付きのローブを着てきたいくらいだった。
だが、今は真夏だ。
もしそのような真似をすれば、当然のように目立つ。
今の時季にそのようなまねをしているのは、それこそ魔法使いくらいなのだから。
……魔法使いであると偽装する手段も考えたのだが、発覚すると色々と不味いことになってしまうと、それは断念したのだ。
復讐するべき仇に注目され、自分が見つかる……それは絶対に避けるべきことだった。
「あー……そうだな。人のいない場所となると、食堂って訳にもいかないだろうし」
食堂と聞きビューネが若干反応したものの、結局残念そうな表情を浮かべる。
ここ最近はマリーナの家で食事をしているのだが、そこで用意される料理はどうしても夕暮れの小麦亭で出される料理と比べれば味は落ちる。
一応レイのミスティリングに収納してある料理を出すことも多いし、マジックアイテムの窯を使ってピザやその他の料理を焼いたりといったこともしている。
だが、それでもやはり夕暮れの小麦亭の料理には及ばないのだ。
……焼きたてのピザは溶けたチーズの食感や香りも相まって、かなり食欲を刺激するのは間違いないのだが。
「じゃあ、レイの部屋……だと色々と問題あるだろうし、私達の部屋にでもくる?」
「そうして貰えれば、助かります」
ヴィヘラの美貌に目を奪われながらも、イルゼは助かったといった様子で告げる。
幾らレイが異名持ちで有名な冒険者であったとしても、男であるのは変わらない。
勿論二十歳すぎのイルゼよりも年下ではあるのだが、だからといって男の部屋に堂々と行けるかと言えば、その答えは否だろう。
(それに、この子くらいの年齢は女に興味を持つ年頃らしいし)
思春期という言葉は知らなくても、同じような経験的にその辺りの事情は当然知っている。
ましてや、イルゼから見ればレイは圧倒的に格上の冒険者でもあるのだから、そう考えればよく知りもしないレイの部屋に行くというのは、有り得ない選択肢だった。
そういう意味で、ヴィヘラの部屋に誘われたのは非常に幸運だったといえるだろう。
今回頼みに来た件のことを思えば、そのくらいどうだという思いがない訳でもなかったのだが。
「グルルゥ?」
どうするの? と喉を鳴らすセトを撫でながら、レイは口を開く。
「何でもない。ちょっとこれから秘密の話をするだけだよ。セトは厩舎に戻っててくれ」
「グルゥ」
レイと一緒にいられなくなるのが残念だと喉を鳴らすセトだったが、まさかセトを部屋の中に入れる訳にいかない以上、厩舎に向かわせるのは当然だった。
……ちなみに、以前離れた場所からセトを見たイルゼだったが、こうして間近でセトを見たことで少し驚いてもいた。
いや、グリフォンを間近で見るというだけで驚くのは当然なのだろうが。
ともあれ、セトがレイの言葉に大人しく従って宿の奥……厩舎がある方に向かって進んでいくのを、イルゼは呆然と見送る。
「どうしたんだ? ヴィヘラの部屋に行くんだろ?」
そんな風に驚いているイルゼに、レイが何でもないかのように声を掛ける。
普通に考えて、グリフォンをテイムしているというのがどれだけ凄いことなのか、まるで分かっていないかのような態度。
そんなレイの姿に、イルゼは改めて目の前にいるのが本当に凄腕の冒険者なのだという実感を持つ。
「あ、はい。すぐに行きます」
そんなレイなだけに、自分の復讐に協力して貰えるのなら強大な味方となる。
そう思い、俄に襲ってきた興奮に身体を震えさせながら宿の中に入っていく。
宿の中に入った時、丁度食堂から出てきた冒険者と思しきパーティとすれ違うが、レイのことは知っているのだろう。特に何かちょっかいを出してくるようなこともない。
……もっとも、レイやヴィヘラ、ビューネと一緒にいたのが見覚えのない美人だということで、多少興味深そうな視線を向けていたが。
そもそも、レイが所属している紅蓮の翼というパーティは、レイ以外は女だという、男なら誰もが憧れるようなパーティだ。
ましてや、そのパーティに所属している女はマリーナにしろ、ヴィヘラにしろ、普通なら一生に一度見ることが出来るかどうかといった美人なのだから。
中にはビューネこそが至高の存在と言ってる者もいるのだが、それはあくまでも少数派でしかない。
そんな紅蓮の翼のメンバーと一緒に見たことのない美人がいるのだから、注意を引かない訳がない。
だが、レイのことは知っていても話したことがない冒険者達は、そのまま大人しく宿から出ていく。
そんな視線を向けられても特に気にした様子はなく、レイ達はそのまま夕暮れの小麦亭に上がっていく。
やがて部屋の中に入ると、ようやくイルゼは安堵の息を吐く。
レイ達がどれだけの強さを持っているのかというのは、それこそ流れている噂が半分でも真実であればとんでもないだろう。
それだけに、どうしても協力は欲しい。だが、それだけの力を持つだけに、どうしても注意を浴びてしまうのだ。
「それで、レイに何の用件なの?」
疲れからか、ベッドに座って頭を揺らしているビューネの様子を眺めながら、ヴィヘラがイルゼにそう尋ねる。
部屋の中にあった椅子に座るように促されたイルゼは、床に座って壁に背を預けているレイの方を見て口を開く。
「その、出来ればこの話はレイさんだけにしたいんですが……」
「あのね、私の部屋で話をするのに無茶を言わないでよね。そもそも、この部屋の中で話せば、当然私にも聞こえるわよ?」
「……そう、ですね」
ヴィヘラの言葉に、イルゼもこれ以上無茶を言うのはどうかと思ったのだろう。
やがて不承不承ながらもレイに向かって口を開く。
「その、今日の昼の話でも分かったと思いますが、私には復讐する相手がいます」
復讐をしたいではなく、復讐すると表現しているところにイルゼの強い思いが浮かんでいた。
そんな真剣な様子を見せられれば、レイもイルゼを適当に相手にしたりは出来ない。
正直なところ、面倒だとは思っているのだが……それでも、ここでそれを表に出さないような気遣いは出来る。
「だろうな。そこまで真剣なんだし、昼間の様子から何となくは理解していたよ。……で? その様子だと、やっぱりお前の復讐相手はギルムにいるのか?」
「はい。正直なところ、どこにいるのかまでは分かりませんでした。私の両親や兄がその男に殺されたのは、もう六……いえ、五年くらい前になりますから」
両親や兄が殺された時のことを思い出しているのか、自分の中から沸き上がってきた怒りを落ち着かせるように溜息を吐く。
そうして数秒、再びイルゼは説明を続ける。
「その男を捜して、それこそ色々な場所に行きました。もしかしたら、既にミレアーナ王国を出て他の国に行ってしまったのでは? と思いもしました。それでも……それでも、諦めることが出来ずにいたところで、ギルムの増築の件を聞いたんです」
ギルムに仕事を求めて多くの者達が集まっている。
それでもしかしたら……一縷の望みと共にギルムにやって来たら、ギルドで長年探し求めていた仇を見つけた、と。
そう聞かされ、レイはイルゼと初めて会った時のことを思い出し、納得したように頷く。
「なるほどな。そして仇を見つけた時に思わず短剣に手が伸びて、そこに俺が接触した……と」
「はい。その、今更ですがありがとうございました」
「へぇ。そこで感謝の言葉が出るのか。てっきり、何で邪魔をしたとか言われるかと思ったんだが」
レイの言葉に、イルゼは首を横に振る。
「いえ、もし私があの場であの男に攻撃を仕掛けていれば、それこそあっさりと反撃されていたでしょう。残念ながら、戦闘力には自信がないので」
「でしょうね」
レイとイルゼの話を聞いていたヴィヘラが、非情と言ってもいい程、イルゼに戦闘力がないという言葉に同意する。
だが、イルゼは自分がどれだけ戦闘の才能に恵まれていないのかというのを理解している。
だからこそ、ヴィヘラの言葉を聞いても特に不満を表さず、素直に頷く。
いや、寧ろ下手に誤魔化されるよりは、素直に戦う力がないと言われた方が納得出来る。
「そんな訳で、レイさんに助けて貰ったのは、こちらとしてもありがたかったんです」
「そうか。……そう言って貰えると、こっちとしても助かるよ。だが……」
イルゼに対し、少し言葉を濁すレイ。
今の説明を聞き、疑問に思ったことがあったのだ。
聞いた話によれば、イルゼが家族を殺されたのはそれなりに前の話だというのが分かる。
少なくても、イルゼ本人が五年と言っているのだから。
であれば……
「お前が見つけた相手が、本当に仇だという確証はあるのか? 聞いた話だと、家族が殺されたのは五年前なんだろ? なら、もしかして今回見つけた相手が仇じゃない可能性もあるんじゃないか?」
そう、レイが感じた疑問というのはそれだった。
家族を殺されたとはいえ、随分と昔に一度だけ遭遇したことのある人物。
その顔をしっかりと覚えていられるかと言えば……正直なところ、微妙だろう。
カメラの類があるのであればまだしも、レイはこのエルジィンでそのような品を見たことはない。
そうであれば、相手の顔はイルゼの想像の中で時が経つに従って変わっていった可能性は十分にある。
暗に相手を間違っているのではないかとそう告げたレイの言葉に、イルゼは即座に首を横に振る。
「顔だけしか判別基準がなければ、勘違いしたかもしれません。体格も、この五年で変わっている可能性はあります」
「だろうな」
五年もあれば、それこそ痩せている者が太り、太っている者が痩せても不思議ではない。
それであっても、見つけた相手が仇だという理由は何なのか……
視線で尋ねてくるレイに、イルゼは自信に満ちた様子で口を開く。
「左腕の刺青です。左腕そのものを木に見立てているのか、その左手を蛇が上っていくような感じで巻き付いている刺青。そんな刺青を見間違う訳はありません」
自信に満ちた様子で、そう告げるのだった。