1436話
「う、うーむ……うむ、うむ……うーむ……」
レイからレルダクト伯爵領で行ってきたことの全てを聞いたダスカーは、ソファに座ったままそう唸り声を漏らす。
唸っているダスカーを見ながら、レイは説明の途中でメイドが持ってきた紅茶に手を伸ばす。
ダスカーとの面会前に待っていた応接室でも紅茶を飲みはしたが、それでも美味い紅茶を飲むだけの余裕はレイにはまだあった。
そうして紅茶を飲んでいるレイの視線の先で、ようやく唸り声を止めたダスカーが口を開く。
「うむ、お前はよくやったと思うぞ。レルダクト伯爵の両腕を切断することや鉱山を破壊するなど、多少やりすぎのようにも思えるが、総合的に見れば十分に満足な結果だ」
普段は即断即決することが多いダスカーだったが、今回のレイの説明はどう判断するのか難しいところもあった。
だが、ダスカーが要求したとおりレルダクトの命を奪ってはいないし、反乱軍にも命を奪わないようにと念押しもしている。
その辺りの事情を考えると、ダスカーが要求した内容は全てクリアしているのだ。
それどころか、ダスカー以外の中立派のメンバーからの要求すら叶えている。
そうである以上、ダスカーが文句を言う必要は一切なかった。
もっとも、出来ればもう少し穏便に済ませて欲しいと思っていたのは間違いないのだが……それは、あくまでも出来ればの話だ。
レイは非常に高い戦闘力を持っているが、それだけに戦闘は派手になりがちだ。
デスサイズや黄昏の槍のように、長柄の武器の扱いを得意としているのも、その辺に関係しているのだろう。
また、今回の依頼はあくまでも報復だ。
レルダクト伯爵領で起きた一連の出来事が、レイの手によるものだと……正確にはその依頼主のダスカーの意思によるものだと、そうギルムに手を出そうとしている相手に示す必要があった。
今回の報復は、報復としてはかなり大掛かりでやりすぎな一面もあるが、それだけにこれから迂闊にギルムに手を出せなくなるのは確実だろう。
もっとも、そんな状況であっても手を出してくる者が皆無だと断言出来ないのが、人間の欲深さを表しているのかもしれないが。
それだけギルムという街は魅力的なのだ。
ミレアーナ王国にある唯一の辺境として、大量の金や希少な素材、腕の立つ冒険者といった面々が集まってくる場所。
書類上の規模では街となっているが、その実態は準都市といった規模。
その規模に関しても、今回の増築工事で間違いなく都市の規模になる。
だが、そのような規模であっても……いや、だからこそと言うべきか、ダスカーに手を出すのが危険なのだと、そう明確に示す必要がある。
「そう言って貰えると、こっちも助かります。……それで、レルダクトから奪ったマジックアイテムはそのまま貰ってもいいんですよね?」
「勿論だ。……うん? 何故残念そうな表情をしてるんだ? お前はマジックアイテムを集めるのが趣味なんだろう?」
レイがマジックアイテムを集めるのを趣味としているのは、当然ダスカーも知っている。
だからこそ、レルダクトから奪ってきたマジックアイテムは全てレイの所有物にしてもいいと、そう提案したのだが……にも関わらず、レイの表情はあまり嬉しそうには見えない。
「どうした? 何かあったのなら言ってくれ。レイには色々と世話になってるからな。多少なら融通を利かせられるぞ」
ダスカーも、レイがどれだけ有能な人物なのか……いや、有能すぎる人物なのかを知っている。
アイテムボックスやセトによる高い機動力、レイとセトが持つ高い戦力……それ以外にも、細かいところを上げれば切りがない程に。
だからこそ、もしレイに何か心配事があるのであれば、出来るだけ協力して何とかしたいと、そう思ってもおかしくはない。
そんなダスカーの視線を向けられ、レイは困ったような表情のまま口を開く。
「実は、レルダクトから奪ったマジックアイテムなんですが……」
そう言いながら、レイはミスティリングから取り出した幾つかのマジックアイテムをテーブルの上に置く。
オルゴール機能のついた宝石箱や、魔力を込めるにつれて背後の景色が変わっていく絵画、等々。
「ほう、奴にしてはなかなか趣味のいい代物だな。で、これがどうした? 買い取ってくれというのであれば、こちらも喜んで買い取るが」
「いえ、そうではなく」
ダスカーの言葉を否定し、レイは言葉を続ける。
「俺が集めているのは、あくまでも実際に使えるマジックアイテムです。それこそ、以前ダスカー様から報酬として貰ったマジックテントとか、そういう感じで。けど、この手の芸術品のようなマジックアイテムは、正直……」
あまり欲しいとは思えない、と。
そう告げるレイの言葉に、ダスカーは納得する。
冒険者のレイにとって、この手の芸術品は、それこそ換金する為の物という風にしか見えないのだろう。
だが、レイは既に普通の人なら家族や恋人、友人も含めて一生遊んで暮らせるだけの金銭を所持している。
勿論ないよりはあった方がいいのだろうが、レイにそのつもりがあれば金貨や白金貨は容易に稼ぐことは出来た。
いや、それどころか白金貨よりも上の光金貨でさえ、稼ぐことは不可能ではない。
それに比べると、レイが欲しているような実際に使えるマジックアイテムは、金があれば入手出来るという代物ではない。
大抵のマジックアイテムであれば金で入手出来るのだろうが、本当に貴重な代物は金を出したからといってそう簡単に手に入れることは出来ない。
「あー……悪いな。今回の件の報酬で、何かレイが欲しがるようなマジックアイテムを付けるよ。それと、もしお前がこのマジックアイテムをいらないのなら、俺の方で買い取ってもいいが、どうする?」
レイにとっては特に使い道がなく、興味を惹かれないマジックアイテムであっても、ダスカーにとっては別だ。
ダスカーもそこまで芸術に詳しい訳ではないが、ラルクス辺境伯としてこの手の芸術品は飾っておく必要がある。
領主の館にやってくるのは、レイのように見栄といったものを全く気にしない者だけではない。
それこそ、最近毎日のようにやってくる商人や、自分の派閥の貴族といった者達には見栄を張る必要があるし、ましてや他の派閥の貴族やその使いともなれば、更に見栄というのは重要になってくる。
だからこそ、ダスカーの執務室には幾つかの著名な画家の絵画が飾られているし、扉そのものが芸術品とでも呼ぶべき物になっている。
そういう意味で、実はそれなりに趣味の良かったレルダクトの芸術品は買い取りたいと思ったダスカーだったが、レイは首を横に振る。
「いえ、これはマリーナの家にでも飾っておこうかと」
「……そ、そうか。なるほどな」
ダスカーはレイの返答を聞き、そう誤魔化す。
ダスカーにとって、マリーナというのは小さい頃の……そして若い頃に起こした様々な出来事を知られており、とてもではないが逆らえる相手ではない。
いや、もしマリーナがギルムを、そしてラルクス辺境伯領に対して害意を持ち行動するのであれば、ダスカーもそれに従うようなことはないだろう。
だが、マリーナがそのような真似をする筈はないと、ダスカーは信じていた。
(もっとも、それはレイの態度次第でもあるんだろうが)
と、ダスカーは改めてレイを見る。
マリーナがレイに対して好意を……いや、深い愛情を抱いているというのは、当然ダスカーも知っている。
よくも『あの』マリーナをあそこまで惚れさせるとは、と。その点に関してだけには、自分の息子のような年齢のレイに対して深い尊敬すら抱いていた。
女の艶という言葉がそのまま人の――正確にはダークエルフの――形になったマリーナは、当然のように言い寄ってくる男は幾らでもいた。
だが、ダスカーが知ってる限りでは、それに応えたということは一度もなかった筈だ。
その外見に関わらず貞操観念の固い女というのが、ダスカーを含めてマリーナの性格を知っている多くの者が抱いている感想だった。
それだけに、マリーナがレイを愛しているというのを知った時、ダスカーは信じられないという思いを抱いた。
同時に、初恋の女が自分の息子程の男を愛したと聞き、何とも言えないような衝撃を受けたのも事実だ。
もっとも、既にダスカーの中ではマリーナに対する想いは完全に決着がついている。それでレイに対して何か思うところはない。
寧ろ、尊敬していると言ってもいいだろう。
「ダスカー様?」
「ん? ああ、何でもない」
自然と自分がレイを尊敬の目で見ていることに気が付き、すぐに首を横に振ってその思いを打ち消す。
実際にレイに対して尊敬の念を抱くというのと、それを表情に出すというのでは大きく意味が違う。
ギルムの頂点に立つ者として、そのような真似が出来る筈もない。
小さく深呼吸し、気分を切り替えてからダスカーは口を開く。
「そうか、これをマリーナの家に飾るのであれば、俺からは何も言わない。ただ、もし処分するつもりになったら、俺のことを思い出してくれ」
「はぁ、それは別にいいですけど」
レイには、何故ダスカーがそこまでこのマジックアイテムに拘るのかが分からなかった。
芸術に疎いレイにとっては、それこそ金に換えるか誰かの贈り物に使う程度しか使い道がない代物なのだから。
そうして暫くの間雑談が行われていると、やがて扉がノックされる。
ダスカーが入室の許可を出すと、部屋に入ってきたのはこの館で働いている執事の一人だった。
「ダスカー様、そろそろ次の面会のお時間ですが」
「うん? ああ、もうそんな時間か。……悪いな、レイ。本当ならもっとお前と話していたかったところなんだが、こっちも仕事だ。下らない相手であっても、話をする必要がある」
以前レイが執務室にやって来た時、ダスカーに怒鳴られて執務室から追い出されていた商人がいたことを思い出す。
(ギルムの増築に使う資材の品質を落として、その差額を懐に入れるとかなんとか、そういう話だったような)
無責任な代官であれば、そんな提案に乗ったかもしれない。
だが、ここはダスカーの本拠地であって、直接治めているギルムだ。
当然のように街に対する愛着は強いし、中立派が何とか三大勢力の一つとして活動出来ているのは、ギルムという街を有しているからというのが大きい。
そうである以上、ギルムの防衛力をより強めるのであればまだしも、ギルムの防衛力を弱めるかもしれない提案に乗る筈がなかった。
(不正を持ちかけるにしても、相手を選んだ方がいいと思うんだがな)
そんな風に考えつつ、そのような提案をしてくる人物の相手もしなければいけないというダスカーに、若干の哀れみを抱く。
貴族であれば……いや、貴族であるからこそ、自分の思い通りにならないことも多い。
(そう考えれば、俺は貴族になったりするのはごめんだな。ま、俺を貴族にするような物好きなんて、いるとも思えないけど)
ダスカーを見ながら気楽に考えるレイだったが、実際にはレイを貴族にしようと狙っている者は決して少なくない。
それこそ、レイが貴族になりたいと言えば、即座に貴族になることは可能だろう。
……それで待っているのは、非常に面倒臭い仕事の数々だが。
「じゃあ、俺はこの辺で失礼しますね。ギルドの方にも報告をしないといけないので」
「ああ。……これ、依頼完了のサインだ」
渡された書類を受け取り、レイはそのまま部屋を出る。
すると扉の前で待っていた商人が、レイの姿を見て厳しい視線を向けてきた。
自分を差し置いてダスカーと会ったというのが、気にくわなかったのだろう。
もっとも、ダスカーの空いてる時間にレイが割り込んだという形なのだから、別に商人がダスカーと面会する時間を減らしたという訳ではないのだが。
結局商人は何も言わないまま、メイドに中に入るように言われて執務室に入っていく。
(まぁ、今の俺はセトも連れていないし、デスサイズを持っていないから、異名持ちの冒険者だとは思わなかったんだろうな。それでも商機を見抜くのが、いい商人だろうけど)
レイはすぐに執務室の中に入っていった商人のことを忘れ、別のメイドにセトのいる場所まで案内して貰う。
そうしてやってきた場所では、これまたいつものように、館で働いているメイドや執事、料理人といった者やそれ以外にも様々な者達がセトを愛でながら、様々な食べ物を与えている。
「グルゥ!」
そんなセトも、レイの姿を見ると嬉しそうに鳴き声を上げ、立ち上がって走り出す。
今までセトを愛でていた者達は、そんなセトの様子を残念に思いながらもレイを見て嬉しそうにはしゃぐセトを見て癒やされるのだった。