1419話
今まで何度も領主の館には来ているので、セトは既に慣れた様子でレイ達と別れて庭に向かう。
そしてレイ達は、ダスカーに仕えているメイドによって執務室に案内されていた。
「ここも人が多いな」
廊下を歩く人の数が、以前レイが来た時と比べると大きく違う。
(多分、建物の中にあまり人数を入れないようにして、出てきたら入れ替わるようにして他の商人が入ってるんだろうな)
何となく周囲の様子を見ながら廊下を歩いていると、そんなレイにメイドが振り返って笑みと共に口を開く。
「現在は、毎日のように商人の方々がやってきています。それこそ、ギルムでは名前も聞いたことのないような商会の方や、それとは逆に誰でも名前くらいは聞いたことがあるような……そんな商人の方々が」
「だろうな」
これだけ人数が集まっているのだから、それこそ大きな商会から個人で仕事をしている商人まで、様々な者達がやってきているのは当然だった。
(それでも、この中にいるのは元々今回の増築作業をやる上で選ばれなかった者達なんだろうけど……な)
そんな風に考えているレイの視線の先で、何人かの商人がレイ達を見て驚きに目を見開いていた。
セトがいればそちらに視線が向けられるのだろうが、今に限っては視線を集めているのはマリーナとヴィヘラの二人だった。
ドラゴンローブのフードを被っているレイと子供のビューネは視線が向けられはするものの……やはり、そこまで注目を集めたりはしない。
(ま、この二人の姿を考えれば、当然だろうけど)
片や多くの者が集うギルムであっても、それ程の数はいないダークエルフに、片や娼婦や踊り子のように見える薄衣を身に纏っている人物。
ましてや、その両方が一生に一度見ることが出来るかどうかといった美人なのだから、注意を引かない訳がなかった。
もっとも、マリーナやヴィヘラにとってはそのような視線はいつものことなので、特に気にした様子はないのだが。
レイ達を案内しているメイドは、そんな二人の様子を見て少しだけ驚き、感心しながら執務室に向かって案内していく。
マリーナやヴィヘラに向かって声を掛けようとした商人も何人かいたのだが、その全員は二人から発せられる雰囲気から話し掛けることが出来なかった。
そうして結局誰にも声を掛けられることがないままに、レイ達はダスカーの執務室に到着したのだが……
「ふざけるな、馬鹿者がぁっ! 本当にそんな計画が認められると思っているのかぁっ!」
メイドが扉を……それこそ芸術品と評するに相応しい扉をノックしようと手を伸ばした瞬間、執務室の中からそんな怒鳴り声が聞こえてくる。
(何かあったな)
レイとマリーナ、ヴィヘラはそんな思いで視線を交わす。
……ビューネの方は、相変わらず表情を変えずにただ黙って扉の方を見ていたが。
そして怒鳴り声が聞こえてから十秒も経たないうちに、執務室から二十代半ば程の男の商人が出てきた。
いや、どちらかと言えば逃げ出してきたと表現するのが正しいだろう。
扉を乱暴に開けて、そのままレイ達の前から走り去っていく。
その様子はまさに必死と呼ぶべき光景で、このまま大人しく執務室の中にいれば、自分が殺されてしまうのではないか……そんな思いすら顔には浮かんでいた。
だが、メイドはそんな男の様子には全く気がついた様子もなく、執務室の中に向かって声を掛ける。
「失礼します、旦那様。レイ様達をお連れしました」
「……ああ、入れ」
聞こえてきたその声に、メイドはレイ達を執務室に通す。
そうして執務室の中に入ったレイ達が見たのは、不機嫌そうな表情を浮かべているダスカーの姿だった。
不機嫌そうな原因が、先程聞こえてきた怒鳴り声に関係があるのは間違いない。
(ここにいるのは目端の利く商人だと思ってたんだけど……どうやら目端が利いても相手を怒らせるようなことを口にしたりする奴もいるらしいな。……考えてみれば当然か)
ダスカーの様子を見ながら、レイは表情に出さないように気をつけながらそう考える。
「ダスカー様、ギルドで呼んでいると聞いたんですが?」
「ああ、そうだ。……とにかく座ってくれ。立ったままだと話も出来ない。おい、何か適当に摘まめる料理を」
「はい」
ダスカーの言葉にメイドは一礼し、部屋を出ていく。
そうしてダスカーも書類の山が幾つか出来ている執務机から、来客用のソファーに移ってくる。
「随分と怒ってたわね?」
全員がソファに座ったのを見計らい、マリーナがダスカーに尋ねる。
ダスカーの部下であれば、今のように怒っているダスカーに声を掛けようとは思わないだろう。
だが、マリーナにとってダスカーは、手の掛かる弟分のようなものだ。
もしくは小さい頃に遊んであげた幼馴染み……といったところか。
だからこそ、厳つい顔つきのダスカーが不機嫌そうにしていても、こうしてあっさりと声を掛けることが出来る。
ダスカーもそんなマリーナの様子に特に怒ることなく、それでも不機嫌そうに口を開く。
「ああ、増築に使う資材の品質を、一段階……もしくは二段階引き下げてはどうかと提案してきてな」
「……それは怒るわね」
もしここが辺境でなければ、その提案は検討の余地もあったのだろう。
勿論普通の村や街といった場所でも、増築する際に資材に手を抜くことはない。
何故なら、ギルム周辺程ではなくてもモンスターがいるし、何よりモンスターではなく人……盗賊の類に備える為にはその辺りに手を抜くことは許されないからだ。
そんな状況なので、ギルムでは当然のように増築の際に使用される資材の品質にはかなり気を使っていた。
だというのに、先程この執務室から飛び出していった商人はそれを全く気にした様子もなく資材の質を低下させてはどうかと言ってきた。
とてもではないが、ダスカーにとって許容出来る筈もないことであり……その結果が、レイ達の聞いた怒声だった。
「まぁ、分からないでもないけどね。今回の増築に際して使用されている資材は、それこそ一級品……それも一級品の中でも特に品質に優れている物なんだから。普通なら王都でも滅多に使われない程の品質よ? 商人がそこに目をつけたとしても、不思議じゃないわ」
「必要があるから、その資材を揃えてるんだけどな。……ここで下手に手を抜いたりすれば、それこそ後で泣きを見るのはこっちだ。それに……」
そこまで告げたダスカーだったが、それを遮るように部屋の中にノックの音が響く。
ダスカーが入るように命じると、先程のメイドと他数人が人数分の紅茶とサンドイッチを持ってくる。
サンドイッチは出来たてらしく、幾つかの具材からは焼きたての肉の匂いが周囲に漂う。
基本的にサンドイッチというのは冷まして食べるものであり、パンを具材に馴染ませる為に挟んだ状態で少しの間放っておいて落ち着かせる……熟成させるのが普通だ。
だが、今テーブルの上にあるサンドイッチは、出来たての料理を挟んだ温かなサンドイッチ。
それこそ、出来たてをすぐに食べる為に作られたサンドイッチと言ってもいいだろう。
美味いが、中の具が冷めると不味くなる……言わば、美味さの持続時間が短いサンドイッチと表現するべきか。
メイド達が出ていき、ダスカーが取りあえず食えと言い、レイとビューネはサンドイッチに手を伸ばす。
少し遅れて、マリーナ、ヴィヘラ、ダスカーもサンドイッチに手を伸ばした。
レイが手に取ったのは、何かの肉を焼いてから野菜と共にパンに挟んだ……ステーキサンドと呼ぶに相応しい料理。
もっとも手軽に摘まめるものをというダスカーの指示により、どのサンドイッチも一口サイズの大きさだ。
そんなサンドイッチを食べながら、改めてダスカーが口を開く。
「まぁ、その件はともかくとしてだ。お前達を……正確にはレイを呼んだのは、ちょっと仕事の依頼を頼みたかったからだ」
サンドイッチを食べて気分転換したことにより、ある程度は落ち着いたのだろう。
ダスカーは先程までの憤りは一旦横に置き、口を開く。
「俺に、ですか?」
「ああ。……本来なら呼んだのはレイだけだったんだが……まぁ、マリーナ達が一緒に来るのは予想していたけどな」
一瞬視線をマリーナの方に向けるが、視線を向けられたマリーナは艶然とした笑みを浮かべるだけだ。
自分がここに来るのは当然だと、そう言いたげな様子。
ヴィヘラもマリーナと同様の笑みを浮かべており、ビューネはサンドイッチを夢中になって食べていた。
そんな紅蓮の翼の面々を眺め、ダスカーは諦めたように溜息を吐くと口を開く。
「実はレイを呼んだのは、この前の資材強奪の件に関係がある」
「ああ、あの」
盗賊――に見せかけた何者かの私兵――によって奪われた資材の奪還と、犯人の確保。
それ以外にも、奪われた資材の量はレイに依頼をしてきた強烈な個性を持つ商人のビストルが運んできた物より多かった。
その資材は結局レイが持っていても特に意味がないからということで、ギルドを通してギルムに……正確にはダスカーに売り払っている。
先程ダスカーが口にしていたように、今回の増築作業で使われる資材はどれも一級品だ。
それだけに、まだ支払いはされていないがレイが増築作業についての報酬を貰う時、かなりの金額になるのは間違いない。
「そうだ。レイ達が殆ど全員を捕虜として連れてきてくれたからな。尋問も楽に出来た」
そこでどのような尋問が行われたのかは、レイにも分からない。
だが、その尋問を受けた者達の多くが悲惨な境遇になっているのは間違いないだろうという予想は出来る。
(あっさりと情報を吐けば、そこまで酷い待遇にはならないと思うけどな)
その辺りは捕らえたレイ達にも関わりがないことだし、何より興味もない。
いや、捕虜達から得られた情報には興味があるのだが。
「それで、結局どこの手の者だったの? あれだけの人数の私兵を抱えられるのは、かなり大きな商会か……それこそ貴族ぐらいしかいないと思うんだけど」
「貴族だ」
あっさりと告げたその言葉に、マリーナは嫌そうに表情を歪める。
大商会と口にはしたが、マリーナの中では大体予想出来ていたのだろう。
「そう。国王派も焦ってるのかしらね」
「違う」
マリーナの言葉に、ダスカーは即座に首を横に振った。
「え? 違うって……じゃあ、もしかして」
「ああ。今回の一件、裏で糸を引いているのは貴族派だ」
「……本当? もしかして捕虜にそんな風に情報を操作されているとかじゃなくて?」
もしかして中立派と貴族派をぶつけて、戦力や資金、物資といったものを消耗させる為の工作なのではないか。
そう告げるマリーナに、ダスカーは再度首を横に振る。
「いや、俺も当然その辺りは怪しんださ。けど、一人ずつ全員にそれぞれ違う角度から尋問したんだ。それで皆が矛盾のないように答えられるのだとしたら……それこそ私兵なんかやってないで、もっと条件のいい場所で働けたと思うぞ」
「そう。けど、何を考えてそんな真似をしたのかしら。正直なところ、全く理解出来ない……って訳じゃないけど、自爆にしかみえないのだけれど」
「俺もそう思いはするが、貴族派の中にも感情を理性で制御出来ない奴ってのは珍しくない。そういう跳ねっ返りの可能性があるな」
その言葉は、レイにも納得出来るものだった。
いや、寧ろ今までそのような貴族達を何度も見てきたレイだからこそ納得出来るのだろう。
「なるほど。話は分かりましたけど……それで俺を呼んでどうしろと?」
「報復を頼む」
「……は? いいんですか?」
明確な証拠は、捕虜という形で確保している。
だがそれでも、中立派のダスカーとは違う派閥……中立派よりも大きく、その上、現在は友好的な関係を築こうとしている派閥だ。
また、レイにとっても貴族派はエレーナが所属している派閥ということで他人事という訳ではない。
しかし、そんなレイの問い掛けにダスカーはあっさりと頷きを返す。
「構わん。報復するべき相手は依頼を受けてくれるのなら教える。やり方はレイの好きに任せるが、怪我人はともかく、出来るだけ殺さないようにして欲しい」
「襲撃された商人の方は、死人が出てるんですが、それでもですか?」
「それでもだ」
レイも人の命は皆平等などという綺麗事を信じている訳ではない。
そうであっても、こうまで堂々と言われてしまえば面白くはない。
そんなレイの様子は、ダスカーも想像出来ていたのだろう。男臭い笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「俺が言いたいのは、あくまでも死人を出さないことだ。逆に言えば、それ以外は何をやってもいい。……やりすぎは困るが」
そう告げるダスカーの言葉に、レイは納得の表情と共に人の悪い笑みを浮かべて頷きを返す。
この時点で、既にレイはダスカーからの依頼を受けることを半ば決めていた。