1417話
夜の夕暮れの小麦亭……マリーナやヴィヘラ、ビューネとも別れて自分の部屋に戻ってきたレイは、部屋の中でテーブルの上に置かれた対のオーブに映し出された相手と話をしていた。
「ふーん、そっちもそっちで忙しいんだな」
『勿論だ。いや、寧ろギルムの動きが色々と関わってきて、余計に忙しくなっていると言ってもいい』
その相手……エレーナは、手に持っていた紅茶の入ったカップをテーブルの上に置きながら、物憂げに呟く。
『キュ?』
『いや、何でもない。ほら、イエロはそっちで遊んでいるといい』
どうしたの? と、対のオーブの向こう側で小さな黒い竜が小首を傾げるも、エレーナはそっと撫でながらそう告げる。
イエロの方も、対のオーブの向こう側にいるレイの姿を一瞥すると、そのまま小さな羽根を使ってテーブルの上から飛び立っていく。
最初に向こうに連絡を取った時は、イエロもレイの姿を見て嬉しそうにしていたのだが……レイがいるのが建物の中だと知ると、残念そうな鳴き声を発したのだ。
それは、建物の中ということはセトがいないということが分かっていたからだろう。
まだ小さなイエロだったが、頭の方はそれなりにいい。
少なくても、建物の中だからセトはいないと理解出来るくらいには。
そしてイエロとセトは親友同士と言ってもいい間柄だ。
お互いが生み出された存在だというのも影響しているのかもしれないが、とにかく最初に会った時から二匹は非常に気が合っていたのだ。
それだけに、ここにセトがいないというのを知ったイエロは、最初少し元気がなかった。
もっとも、レイが今度そちらに連絡をする時はセトと一緒に連絡をすると告げたことで、何とか機嫌も復活したのだが。
キュウキュウと鳴きながら、イエロはテーブルから離れていく。
「遊んでいるって、イエロは何をして遊んでるんだ?」
レイが知ってる限りだと、セトは皆に撫でられたりするのが好きだ。
少し広い場所では、子供達と一緒に走り回って遊ぶことも多い。
勿論ギルムの中であれば、セトが子供を背に乗せて飛ぶようなことはしないが。
基本的に飛ぶ時はレイしか背に乗せられないセトだったが、それでも相手が子供であれば背に乗せて飛ぶことは出来る。
だが、当然ギルムの中でそのような真似をする訳にもいかない。
『ふむ、少し見てみるか?』
レイの言葉に、エレーナは対のオーブを少し動かす。
そして動かした先では、布を丸めて作ったボールを追いかけているイエロの姿があった。
勿論そのボールは、レイが知っているような……日本で売っているしっかりとした物ではない。
(まぁ、魔法とかあるんだし、この世界でもそういうのを作ろうと思えば作れそうだけど)
日本にいた時とは違い、魔法という存在があるのだから、それこそボール程度は普通に作れてもレイにとってはおかしいとは思えなかった。
そんな風に思うレイの視線の先で、イエロは床に転がっているボールを追いかけ、短い尻尾で転がしてはそれを追いかけていく。
多少歪なボールだけに、転がされた時にどこにいくのかはかなり不規則だ。
だが、それだけにイエロがそのボールを追うのに夢中になっていた。
その不規則な動きが、イエロの野生の本能を刺激するのだろう。
「随分嬉しそうにして遊んでるな。俺もセトの為にそういうのを作ってみるかな」
『セトは……正直、どうだろうな。イエロのように小さければ、これでもいいかもしれないが……』
「セトは大きすぎて駄目、と?」
『恐らく。こう言っては何だが、セトはイエロよりも年上だろう? その分成長も早いから、このくらいのことで喜んでくれるかどうかは、正直微妙だろう』
「そうか? 寧ろ、喜んで遊ぶと思うんだけどな」
レイにとって、セトは体長が三mを超えても、やはりまだまだ子供のような存在だった。
勿論、実際にはセトは子供という訳ではない。
人懐っこい性格をしているものの、敵対した相手には容赦なく攻撃するし、ギルムの外で自由にさせれば好きなように獲物を狩っては食事とする。
獣やモンスターとして見れば、間違いなく一人前の存在と言ってもいいのだ。
だが、それでもレイはセトを子供扱いする。
それは、やはりその人懐っこい性格だろう。
食べるのが好きで、日向で……今の時季であれば木陰で昼寝をすることが好きで、ギルムの子供達とも一緒になって遊ぶのに夢中になるセト。
そんなセトを見て、子供扱いするなという方が無理だろう。
レイの言葉に、エレーナもセトの性格を思い出したのだろう。
『……意外とそうかもしれないな』
どこか納得したように、そう呟くのだった。
レイとセトというのは、不思議な程に息が合っている。
いや、レイの秘密を聞かされているエレーナにとっては、寧ろそれは当然と言ってもよかった。
魔獣術によって生み出されたセトは、言ってみればレイの子供に近い存在だ。
そんなセトが親のレイを慕うのはおかしくはない。
いや、そんなレイの前だからこそ、本当に子供のように振る舞うことが出来るのだろうと。
もっとも、エレーナがそれを口にすることはない。
もしそれを口にしてしまったら、間違いなくレイが不満になるというのが分かっていた為だ。
セトはレイの子供のような存在ではあっても、レイはまだ十代半ばでしかない。
勿論この世界に来る前は今よりもう少し年上だったという話は聞いているが、それだって結局のところ『もう少し』でしかない。
そのような年齢で子持ちだと言われれば、それは当然不機嫌になるだろう。
(少なくても私はそうだしな)
年齢的にはレイより年上で、既に二十代になったエレーナだったが、それでも自分が子持ちだと言われて喜ぶ筈がない。
……ただ、エレーナの場合は継承の儀式でエンシェントドラゴンの魔石を継承した影響で、限りなく不老に近い存在となっているのだが。
そうして暫くの間、世間話を行う。
話される内容は決して大袈裟なものではない。
それこそ普段あったことを話している程度なのだが、それでも数日ぶりにレイと話すエレーナにとっては、この上なく幸福な時間だった。
『なるほど。それで、肉まんはそれ程にギルムで人気なのか?』
「そうだな。本来なら冬に食べる料理なんだけど……それは、あくまでも俺の印象だしな。実際、中華街とかでは一年中普通に売ってるらしいし」
レイが中華街に行ったことは、当然ない。
レイの住んでいる近くにはそのような店はなかったのだから当然だろう。
だからこそ、レイのイメージの肉まんは冬の食べ物という印象が強かったのだろうが。
『中華街?』
「ああ、そう言われても分からないか。そうだな、俺が元いた世界にあった中華料理の店が並んでいる場所。肉まんもその中華料理の一つなんだよ」
『ふむ、美味しそうだな。他にも何かその中華料理というのは知ってるのか?』
エレーナの視線に期待が混じっているが……レイが返したのは、首を横に振るという行為だった。
「料理名とかどういう料理なのかってのは多少は知ってるけど、どうやって作るのかってのはな」
中華料理と言われて、すぐにレイが思いついたのはエビチリ。
だが、そのエビチリをどうやって作るのかは分からない。
そもそもエビチリというのは、ベースとなった料理こそ中華料理だが、正式には日本で考えられた料理だ。
少し事情に詳しい者であれば知ってる知識だが、レイはそれも知らない。
そのエビチリをどうやって作るのかと言われても、答えられる訳がなかった。
(ん? ああ、けどラーメンなら……ラーメンとうどんって、具体的にどう違うんだ?)
ふと思いつくが、その違いも理解出来ない。
だが、幸いと言うべきか、レイはキリタンポ鍋の作り方は知っている。
日本にいた時は、父親が闘鶏用の鶏を飼っており、それで負けた鶏や年をとった鶏を処分し、キリタンポ鍋にしていたのだ。
レイもそれを手伝ったことが何度かあり、地方の名物料理だということもあって中学生や小学生の時に『なべっこ遠足』という行事で外でキリタンポ鍋を作ったこともあったのが大きい。
(キリタンポ鍋、食いたいけど……この世界には米がないんだよな。いや、あるのかもしれないけど、俺が知ってる限りではこの辺りで売ってないし)
何故かラーメンからキリタンポ鍋について考えていたレイは、不意に対のオーブの向こう側で、エレーナがどこか呆れの混ざった視線を自分に向けているのに気がつく。
「悪い、何だったか」
『レイは、食べ物のことになると夢中になるな。いや、それは別に意外でもなんでもないが』
レイが食べるという行為を好きなのは、当然のようにエレーナも知っている。
それでも、対のオーブ越しではあっても自分と一緒にいる時は、出来れば自分のことを見てほしい。
そう思ってしまうのは、愛する男を前にした女としては当然のことだろう。
エレーナがそれを表に出すようなことは、基本的にないのだが。
「そうか? まぁ、元々食べるのは嫌いじゃないしな。そもそも、そうでもなければ幾つも料理を教えたりとか、そんな真似はしないよ」
元々レイが教えた料理……うどん、お好み焼き、肉まん、ピザ。
これらは、教えてほしいと頼まれたから教えたというのが殆どだが、そこに自分が食べたいからという一面があるのは間違いない。
他にも色々と食べたい料理はあるのだが、残念ながらレシピの分からないものが殆どだ。
(揚げ物とか作りたいけど……油は高いんだよな。それに、卵の問題もあるし)
年齢が若いレイは、当然のように肉が好きだ。そして、揚げ物も好きだ。
だが、このエルジィンという世界において、基本的に油は高いし、それは卵も油程高価でなくてもそれなりに高級品に分類された。
勿論貴族であれば資金に余裕があるということもあり、どうにでもなる問題なのだろうが。
レイの場合も金に困っている訳ではないので、やろうと思えば何とかなりそうではあるのだが……金があっても、物がないということにもなりかねない。
(機会があったら、トンカツ……いや、オーク肉のカツとか、ガメリオンの唐揚げとか作ってみても……いや、唐揚げを作るのには片栗粉が必要……だったような?)
竜田揚げと唐揚げの知識が色々と混ざってはいるのだが、レイにとっては唐揚げも竜田揚げもそう大差ない。
どちらも美味く、自分にとっては大好物なのは変わらないのだから。
『それで、レイ。ギルムの増築作業の方はどのような具合なのだ?』
その言葉で我に返ったレイは、少し迷いながら口を開く。
「そうだな、まだ今は準備段階ってところだから、どうとは言えないけど……それなりに進んではいるみたいだ。俺もいいように使われてるしな」
『ふっ、そう言いながらも、レイの顔は少しも嫌そうではないぞ?』
小さく笑い、お前のことはお見通しだと言いたげなエレーナの言葉に、照れくさい思いを抱いたレイはそっと視線を逸らす。
実際、レイはギルムが大きくなることに喜びすら感じていたのだから。
何だかんだと、レイは数年をギルムですごしてきた。
ギルムに住んでいる住人とも多く関わり、ここが自分のホームグラウンドだと思えるくらいには。
だからこそ、今のようにギルムが大きくなるというのは、嬉しいのだ。
その行動に対して出来るだけ協力をしようと思うのは当然だったし、だからこそレイにしては単純な仕事……トレントの森で伐採された木の運搬といった仕事を文句も言わずにやっている。
「そう言われれば、そうかもしれないな」
素直に認めるのではなく、どこか誤魔化したように呟く。
そんなレイを、エレーナは笑みを浮かべて見つめていた。
エレーナにとって、レイというのはいつも周囲にいる他の者達とは大きく違う人物だ。
それは前からそうであったのだが、こうして離れて暮らしていれば余計にそう思う。
……もっとも、離れているといっても、数日おきにこうして対のオーブを使って連絡を取っているのだが。
やがて話が現在のギルムの状況になり、多くの冒険者や職人、商人、それ以外にも仕事を求めてやってきた者達がいるという話になる。
何故かその辺りの状況を、エレーナが聞きたがった為だ。
『ふむ、では目立った騒動は起きていないのだな?』
「それだけ多くの奴が集まってきてるんだから、小競り合いの類いは多いけど……そうだな。もっとも、警備兵や騎士は毎日のようにギルムを走り回ってるけど。寧ろ飛び回っているか?」
『飛び回るのは、レイとセトの役目だろうに』
美しい弧を描き、エレーナは笑みを浮かべる。
そんなエレーナの様子を興味深そうに眺めながらも、レイはギルムでの出来事を話していく。
ふと気になり、何故そんなにギルムのことを聞きたがるんだ? と尋ねたレイだったが……
『ふふっ、そのうち……それこそ近いうちに分かるよ』
そう言葉を返されるだけだった。