1400話
セトと共に空に舞い上がったレイとヴィヘラだったが、ギガント・タートルも容易に自分にダメージを与えられる相手を自由に活動させる筈がない。
セトが空に飛び立ったのを見計らい、三つの顔の一つ……もっともセトに近い場所にある顔が口を開く。
「グラアアアァアアァァァアッ!」
そんな雄叫びと共に、ギガント・タートルの右の首から放たれたのは強烈な風。
風の刃といった直接的な攻撃力があるようなものではなく、本当にただの風……ウィンドブレスと呼ぶのに相応しいブレスだった。
風の刃といった訳ではなく、まるで風の棍棒……そんな表現が似合うような、強烈なブレスだ。
「グルルルルゥッ!」
だが、当然ながらセトも向こうのそんな攻撃を大人しく食らったりはしない。
小柄――あくまでギガント・タートルと比較してだが――な自分の特徴を活かすべく、翼を羽ばたかせて素早くその場から飛び去る。
レイがこれまでの戦いの中で見てきた様々なブレスは広範囲に放たれることが多かったのに対し、ウィンドブレスはギガント・タートルの顔が向いている方向に向けて一直線に放たれた。
だからこそ、回避するのは難しくなかったのだが……
「厄介だな!」
「そうね!」
空を素早く移動するセトの背の上でレイが呟けば、セトの前足に掴まっているヴィヘラが風の流れに負けじと叫ぶ。
実際、特に現在の状況でもっともウィンドブレスを厄介に感じているのは、空を飛んでいるセトや、その背に乗っているレイよりもセトの前足に掴まっているヴィヘラだろう。
いつもはつけている命綱の類も、現在はつけていない。
そのような状況で、ウィンドブレスのような強烈な風の攻撃を食らってしまえば、セトの前足から手を離してしまうということにもなりかねない。
そして手を離してしまえば、空を飛ぶ手段のないヴィヘラは当然のように地面に落ちるだろう。
「グルルルルゥッ!」
「落ちるなよ、ヴィヘラ!」
先程ウィンドブレスを放ったのとは、別の頭が口を開き、次の瞬間そこからは大量の水が放たれる。
それも、ただの水ではなく魔力によって圧縮された水だ。
そしてレイは知らなかったが、その水には魔力によってコーティングされた無数の砂が混ざっている。
一直線に飛んでくるウォーターブレスを何とか回避したセトだったが、セトが回避した先……戦場からも離れた場所に命中したウォーターブレスは、次の瞬間そこにあった大地を盛大に撒き散らかす。
それこそ、まるで爆発でもしたのかと思える程の攻撃。
「セト、最後の首が来るぞ! 甲羅の方に回り込め!」
「グルルルルルゥッ!」
レイの言葉に、セトは再び翼を大きく羽ばたかせる。
三つ目の首が口を開き……そこから吐き出されたのは岩。
それもただの岩ではなく、槍のように細長く、先端が尖っている岩だ。
寧ろ、岩の槍と表現する方がいいだろう。
そんな岩の槍が、空を飛んでいるセトに向かって無数に吐き出される。
そんな攻撃を、セトはレイの指示に従いギガント・タートルの甲羅の方に移動しながら回避する。
自分の背に向かっては、幾ら何でも攻撃出来ないだろうという狙いからだったが……その狙い通り、三つの口から放たれる風、水、岩のブレスはそれぞれ動きを止める。
だが、その代わりに甲羅に生えている木々がそれぞれ自分達の攻撃範囲にやってきたセトを目掛けて蔦や茨、木の実といったものを投擲してきた。
「トレントかよっ!」
予想外の展開に、叫ぶレイ。
だが、トレントの森の化身とでも呼ぶべきギガント・タートルなのだから、その甲羅にトレントが生えていたとしても不思議でも何でもないだろう。
レイがそう判断するのと、セトの足に掴まっていたヴィヘラが手を離すのは、殆ど同時だった。
一瞬セトの挙動が乱れたレイは、下を見るとギガント・タートルの甲羅目掛けて落下していくヴィヘラの姿を目にする。
トレント達が攻撃出来る距離までセトが降りてきていたのだから、その程度の高さであればヴィヘラも着地に何の心配もないだろう。
「そこにいると邪魔になるだろうし、私はこっちから攻撃するわ!」
地上――正確にはギガント・タートルの甲羅の上だが――に向かって落下しながら、ヴィヘラが叫ぶ。
その判断は、決して間違ってはいなかった。
実際、三種類のブレスを使ってくるギガント・タートルに対し、命綱もなく、ただ握力だけでセトの前足に掴まっているというのは命懸けと呼ぶ他はない。
少し何かを間違えば、上空から地上に向かって吹き飛ばされることになってしまう。
また、そんな自分を庇う為にレイとセトが十分に力を発揮で出来ないというのも、ヴィヘラには耐えられることではない。
そうして自分の直感に従い、ヴィヘラはセトの足から手を離してギガント・タートルの甲羅に向かって落ちていったのだ。
そんなヴィヘラの思いを理解したのだろう。
レイは自分とセトの隙を窺っているギガント・タートルを改めて睨み付けながら、口を開く。
「分かった、頼む!」
「ええ!」
トレントから放たれる攻撃を、身体を捻りながら回避し、あるいは手甲や足甲で迎撃しと、空中にいるとは思えないような動きを見せながら、ヴィヘラは叫ぶ。
そんなヴィヘラの様子を見ることは出来なかったが、レイはギガント・タートルの顔を睨み付けながらセトに声をかける。
「まずは、首を一つずつでも減らしていくぞ」
「グルルルゥ!」
真っ先にレイが狙うのは、風、水、岩の槍のうち、一番最後の岩の槍を吐く口だ。
風は行動を制限されるという効果があるが、実際の威力はそう高くはない。
だが、水と岩の槍の二つはどちらも凶悪と表現してもいい威力を持っている。
その中で水ではなく岩の槍を吐き出す口を狙ったのは、ウォーターブレスよりも岩の槍の方が広範囲に攻撃が可能な為だ。
(まぁ、ウォーターブレスを出しながら薙ぎ払うような真似が出来れば、ちょっと洒落にならないけど)
急激に近付いてくるギガント・タートルの三つの首を眺めながら、そんなことを考える自分に少しだけおかしくなる。
口元を小さく笑みで歪めながら、左手に握っている黄昏の槍に魔力を込める。
「セト」
その一言だけで、セトはレイが何を言いたいのか分かったのだろう。
更に翼を羽ばたかせ、飛ぶ速度を上げる。
そんなセトの背の上で、レイは左手に握っていた黄昏の槍を投擲する。
上半身だけを使った投擲だったが、それでも槍の速度は決して遅くはない。
魔力障壁によって影響を受けるか? とも思ったが、今回は障壁も何もなく、真っ直ぐに岩の槍を吐く首に向かって飛ぶ。
当然ギガント・タートルも自分に向かって槍が放たれたので、それを回避しようとはする。
だが、当然ながら投擲された槍の速度と、小山の如き巨体のギガント・タートルでは速度に……特に俊敏さという意味では圧倒的に槍の方が上だった。
ギガント・タートルも、レイの放つ黄昏の槍の威力と速度は知っていたのだろうが、まさかセトに乗ったまま放つとは思わなかったのか。
(トレントの森で起きた、全ての出来事を完全に把握している訳じゃないのか?)
巨大な花を倒す時、レイはセトに乗ったまま黄昏の槍を投擲して倒した。
そのことを頭の片隅で一瞬だけ考えるも、今は目の前の出来事に集中するのが先決だった。
黄昏の槍により、岩の槍を吐く首の右目の眼球が貫かれる。
勿論炎帝の紅鎧を発動している状態のレイが放った黄昏の槍の一撃だけに、その程度では終わらない。
眼球を破壊し、そのまま頭部の中を貫いていき、頭蓋骨すらも破壊して頭部の半ばを砕きながら後頭部から黄昏の槍が姿を現す。
今までのような敵であれば……それこそトレントの森で戦ってきたようなモンスターであれば、身体を砕かれ、貫かれた後でも黄昏の槍の速度はまだ十分にあった。
それが今回に限っては、ギガント・タートルの頭部の半ばを砕きながら貫いた後、黄昏の槍の速度は既に殆どが殺されている。
だが……黄昏の槍の能力の一つ、使い手の下に自由に戻ることが出来るというものがある以上、それは特に問題にはならない。
次の瞬間には、ギガント・タートルの頭部を砕いた黄昏の槍の姿は消え、レイの手元に姿を現す。
「グルルロロロオオオオオオオオ!」
周囲に響く、ギガント・タートルの雄叫び。
そこには強い怒りが込められている。
……自分の頭の一つが破壊されたのだから、当然だろう。
「それでも特に動くのに支障がないってのは……何でなんだ? 身体の……っと、セト!」
「グルルルゥッ!」
レイの言葉にセトが鋭く鳴き、翼を羽ばたかせる。
次の瞬間には、一瞬前までセトの身体があった場所をギガント・タートルの尾が通りすぎていく。
まさにモーニングスターと呼ぶに相応しいような、そんな一撃だ。
もしレイがそれに気が付くのに遅れれば……もしくはセトがレイの指示に従うのが一瞬でも遅ければ、その一撃で殺されるというようなことはなかったものの、吹き飛ばされていたのは間違いないだろう。
だが、それも半ば不意打ちの一撃だからこそだ。
まさか自分と向かい合っている状態にも関わらず、今の自分達のいる場所にまで尻尾が伸びるというのは、レイにとっても完全に予想外だったが……それでも一度見てしまえば奇襲というのは効果が半減する。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァアアァ!」
再び放たれる、ギガント・タートルの雄叫び。
ただし、先程とは鳴き声が違った。
その声と共に、風と水、両方のブレスが一度に放たれる。
だが、岩の槍のブレスと違い、攻撃範囲がそこまで広くないブレスはセトにとって回避するのは難しい話ではない。
ましてや、ヴィヘラも今は足に掴まっておらず、レイを背に乗せているだけなのだから。
翼を羽ばたかせ、空中を器用に動き回るセトの動きを、ギガント・タートルが放つ二種類のブレスは追いかけきれない。
空中サーカスとでも呼ぶような動きをしながら、それでもレイは特に目を回したり酔ったりといったことはなかった。
それどころか、地上で行われている戦いに視線を向けるだけの余裕すらある。
「こいつの足に踏まれるなよ! とにかく、レイが攻撃に集中出来るように意識を逸らすんだ! 時間稼ぎに徹しろ! 悔しいが、今の俺達だとどうしてもこいつには勝てない!」
冒険者の一人が叫びながら、その場を跳び退る。
レイに攻撃を放った際にバランスを取る為に足を動かしたのだが、それだけでも普通の人間であれば回避出来ない場合は即死間違いなしといった威力を持っていた。
それが、全く意図せず……それこそギガント・タートルにとっては普通に身動きをするだけで行われる攻撃なのだから、下で戦っている冒険者達にとっては気が気ではないだろう。
ここにいる冒険者は、ほぼ全員が一定以上の実力を持つ。
つまり、相対しているモンスターの挙動で多少なりとも次の攻撃を先読みするといった真似は可能だった。
だが、それはあくまでもモンスターと向き合っている場合であり、それこそギガント・タートルのような存在と戦うことは想定していない。
おまけに、ギガント・タートルは意図して攻撃している訳ではなく、単純に身じろぎをしたり、身体の動きを支えたりといったことで足を動かしているので、冒険者達は半ば場当たり的に対処するしかなかった。
そのような状況であっても、冒険者達に被害が出ていないのはマリーナのおかげだろう。
風の精霊、水の精霊、土の精霊……その三つの精霊の力を借りて、ギガント・タートルに踏み潰されそうになっている者を助けているのだ。
「っと!」
セトが空中で翼を羽ばたかせ、一瞬だけ地上に視線を向けていたレイの視線の先に再びギガント・タートルの姿が見えてきた。
頭部を一つ失い、残る二つの頭部で目が敵意と憎悪に染まっているギガント・タートル。
ブレスと尾の攻撃だけではレイとセトにはどうにも出来ないと考えたらしく、次にその二つの頭が選んだ攻撃はもっと直接的なものだった。
「グルルゥッ!」
「うおっ!」
圧縮した水のブレス……ウォーターカッターを吐いてた方の頭が、巨大な口が開いたかと思った次の瞬間……そのままレイとセトを噛み砕こうとしてきたのだ。
口に生えている牙は、それこそ一本が長剣か、もしくはそれ以上の長さを持つ。
刃物も同然のその攻撃を行おうと、首を伸ばしたのだ。
本来ならとてもではないが届かないのだが、その首は……伸びた。
(スッポンかっ!?)
勿論レイもスッポンを食べたことはないのだが、それでも料理番組とかで見たことはある。
その時に見たスッポンの首を伸ばす光景に、今の攻撃はよく似ていた。
内心でレイがそう突っ込んでも仕方のないことなのだろう。
当然そのような突っ込みだけでは終わらず、ギガント・タートルの顔が横を通りすぎた時にデスサイズを振るって大きな斬り傷を付けてはいたのだが。