1397話
森の外縁部に降りてきたレイ達の姿は、当然冒険者達に見つかる。
最初は新たな敵ではないかと、そう考えて武器を構えてしまったのは当然だろう。
地震や急にモンスターの動きが止まるといったことが続けて起きたのだから、冒険者としては警戒するなという方が無理だった。
だが、それがセトに乗ったレイであり、セトの前足に掴まったヴィヘラであるというのを理解すると、安堵して再びモンスターに対しての攻撃に戻っていく。
中にはそんなモンスターの様子がおかしいと感じ、モンスターから距離を取っている者もいたが。
ともあれ、地上に降りてきたレイは真っ直ぐにマリーナの方に向かう。
「レイ、無事だったのね。セトとヴィヘラも」
モンスターの動きが止まっているということもあり、マリーナが指示を出す必要は既になくなっていた。
それでも何かがあるというのは予想出来ていたのか、マリーナはレイとヴィヘラに向かって喜びの表情を浮かべつつ、次の瞬間には微かに怪しむような視線を向けて、口を開く。
「ねぇ、レイ、ヴィヘラ。一応聞くけど……このモンスターの件は貴方達の仕業と考えてもいいのよね?」
「そうだな。恐らく俺達が原因なのは間違いない」
「ちょっと、何で私まで入ってるの? この場合、レイだけが原因でしょう?」
レイとマリーナの話を聞いていたヴィヘラは、不満そうに告げる。
だが、その不満も当然だろう。
実際この件を起こしたと思しき木の根の人形とは、レイだけが戦っていたのだから。
そのことに不満を持っていたヴィヘラは、マリーナの方を見て口を開く。
「この件を起こしたのは、このトレントの森の化身みたいな奴よ。けど、それと接したのはレイだけで、私とセトは化身の近くにいたトレントと戦ってただけだから、関係ないわ」
「……まぁ、その件は後でしっかり聞くとして。トレントの森の化身? それが今回の件の裏にいた相手なの?」
ヴィヘラの言葉を受け流しながら尋ねるマリーナに、レイはどう答えたものかと迷う。
尚、当然のことながら、少し離れた場所にいる研究者達もレイの一言一句を聞き逃さないように耳を澄ませている。
このトレントの森というのは、色々な意味で特別な場所だ。
それだけに、トレントの森の化身と遭遇したというレイの証言は聞き逃せるものではない。
レイに向かって詰め寄らないのは、レイの機嫌を損ねると色々な意味で不味いと理解しているからだろう。
特に研究者の中の錬金術師は、以前商人が執拗にレイに対して迫った結果、それを嫌ったレイが一時的にギルムを出て行き、グリフォンの素材の入手が非常に困難になったという経験を持つ。
それ以外の者達にしても、ギルムに住んでいる者……もしくはギルムに住んではいなくても関わりの深い者だ。
当然のようにレイがどのような性格をしているのかというのは知っているので、自分から詰め寄らず、今はとにかくその話を聞こうという構えだった。
「化身……という言い方は合ってるかもな。ああ、そうだ。トレントの森の化身と意思疎通出来た。……出来た? どうなんだろうな。意思疎通というか、向こうの意志を強引にイメージで流し込まれたというのが正しいと思うけど」
「……うん? 具体的にどういう意味なの?」
「そうだな、まずこのトレントの森には森の意志そのものとでも呼ぶべき存在がいる。そしてこのトレントの森の中心部分に、森の意志の端末……ヴィヘラ風に言うのなら化身の木の根で出来た人形がいた」
木の根で出来た人形という言葉に、マリーナは納得したような表情を浮かべる。
トレントの森という存在の意志ともなれば、やはり植物で出来た人形というのはおかしなものではなかったということだろう。
話の続きを促すマリーナに、レイは当時のことを思い出しながら口を開く。
「同じく木の根で出来た玉座に座っていたのを思えば、何とかこっちと接触したいとは思ってたんだろうな」
その言葉に、研究者達が好奇心に目を輝かせてレイに強烈な……それこそ物質的な圧力でもあるのではないかと思える程に強力な視線を向けてくる。
「それでイメージを流し込まれたの?」
「ああ、取りあえず便宜的にイメージ言語とでも呼ぶことにするが、そのイメージ言語で伝わってきたのは、とにかく自分を……このトレントの森を広げることを最優先に……いや、それだけしか考えていなかった」
「……なるほど」
トレントの森が毎日のように十mも広がっていたのは、それが理由かと。
マリーナはレイの口から出た言葉に納得の表情を浮かべる。
研究者達は他にも色々と聞きたそうにしていたが、今はレイの説明を聞き、それから全員で質問をすればいいと判断して黙り込んでいた。
「で、広がるのならギルムやアブエロのような人のいない方に進めばいいって言ったんだよ。いや、正確には言ったんじゃなくて、強く念じてイメージ言語で伝えたというのが正しいのか? そもそも、俺達がこうしてトレントの森にやって来てるのは、ギルムのいる方に広がっているからというのもあるし」
「待って下さい!」
レイの説明を聞いていた中には、当然のようにスレーシャの姿もあった。
そしてスレーシャの隣にはルーノの姿もある。
(ああ、無事だったのか)
顔見知りの二人が無事な様子を見て、レイは微かに安堵する。
特にルーノはともかく、スレーシャは本来ならこの依頼を受けるには、ランクも実力も足りない。
それをルーノとパーティを組むことで、何とかこの依頼に参加していたのだ。
だからこそ、下手をすれば真っ先にスレーシャが死んでもおかしくなかったのだが……と。
(ルーノのフォローがあったからこそだろうな)
スレーシャからルーノに視線を移すと、その視線を受けたルーノは小さく頷く。
「レイさん! 聞いてますか! 何故トレントの森をそのままにしておくなどと言うのですか!」
レイとルーノが視線でやり取りをしていると、そんな様子に我慢が出来なかったのかスレーシャが叫ぶ。
だが、そんなスレーシャに対してレイが返したのは溜息だった。
「あのな、いいか? お前のパーティメンバーがこの森で死んだのは残念だと思うし、悲しいとも思う。けど、お前達はそれを……死を覚悟の上で冒険者になったんだろ? それこそ、依頼を受けてモンスターや盗賊に殺されるのと、このトレントの森で死ぬのは同じようなものだと思わないか?」
「それは……」
数秒前までレイの言葉に怒っていたスレーシャは、それ以上何も言えなくなる。
冒険者が危険を伴う職業だというのは、常識だったからだ。
自分達だけが危険な目に遭わないというのは、有り得ないこと。
それはスレーシャも理解してはいたのだろうが、実感は出来なかったのだろう。
「レイ、スレーシャについてはその辺でいいでしょう。今はトレントの森の化身についてよ。……何でギルムの方に広がっていたの?」
スレーシャと話していたレイは、マリーナの言葉に頷いて再び説明を開始する。
「トレントの森がギルムの方に向かっていたのは、ギルムに魔力の強い存在が多数いる……つまり、自分の糧となるべき相手が多くいると理解していたからだ」
「……なるほど、ね。森を広げることを最優先にしているトレントの森にとって、自分の糧となるような魔力を持った相手は多ければ多い程いいんでしょうね」
マリーナの顔には多少の驚きはあったが、それ以外のものは存在しなかった。
元々がこのトレントの森という色々な意味で常識外れの存在と相対していたのだ。
それを思えば、魔力の高い存在を餌として求めていると言われても、マリーナにとっては取り乱すようなことではない。
そもそも、餌としてギルムの住人を求めても、それを自分達が許容するのかどうかというのは、全く別の話なのだ。
「それで、レイはギルムの住人を餌として求めているって奴を相手にして、どうしたんだ? まさか許容した訳じゃないだろ?」
「ああ。止めるようにイメージ言語で言ったんだが……どうやら、それが向こうの逆鱗に触れたらしく、戦闘になったよ」
レイの言葉を聞いても、怒るような者はいなかった。
当然だろう。レイから聞いた状況でもし戦いにならなかったとしたら、それはギルムの住人を……それも高い魔力を持っている冒険者をトレントの森に対して生贄に差し出すということなのだから。
それを思えば、レイの話を聞いていた者達はよくやったと、そう言いたくなるのも当然だった。
研究者達も若干レイの説明に思うところはあったが、それでもギルムの住人を生贄に出してみようとは思わない。
中には犯罪者なら出してみてもいいのでは? と思っている者はいたのだが。
そのことに安堵しつつ、レイは戦闘の様子を語っていく。
「トレントの森の化身は、当然のように一匹だけじゃなかった。俺が接触した奴よりは弱かったけど、何匹も化身が……木の根で出来た人形が現れた。それと、広場になっている場所にいた、ここにいたよりもかなり強いトレントも襲い掛かって来たな。……そっちはヴィヘラとセトに任せたけど」
「ここにいるトレントよりも、強いトレント?」
「ああ。……そうだな、普通の兵士と近衛の兵士とか、そんな言い方で説明すれば分かりやすいか?」
レイの言葉に、マリーナを含めて説明を聞いていた者達は納得したように頷く。
……もっとも、何人かの研究者が微妙な表情を浮かべてはいたが。
ミレアーナ王国やベスティ帝国といった大国はともかく、その周辺にある小国の中には大国の庇護を受けているので王族が攻撃を受けるようなことはないと、貴族の三男、四男といった者達を近衛として取り上げている国もあるのだ。
当然そのような者達が真面目に自分を鍛える筈もなく、完全に名前だけの近衛兵と化している……というのを聞いたことがあるのだろう。
ともあれ、今はそんなことは関係ないので、研究者達もその辺りは口に出しはしなかったが。
「随分と強そうなトレントね」
「ええ、実際普通のトレントよりは大分強かったわよ? それこそ、上位種か希少種じゃないのかと思うくらいには」
マリーナの言葉にヴィヘラがそう答えるが、アンブリスとの融合により強化された浸魔掌で、トレントの内部を爆発させていた光景を見たレイは素直に頷くことは出来ない。
寧ろ、ヴィヘラはあっさりとトレントを倒しているように見えたのだ。
「とにかく、そういうモンスターと戦いになって、デスサイズとかを使っても木の根だから向こうは切断してもすぐにくっつくんだよ。……で、結果として周囲は広場になっていたから延焼の心配もいらないだろうと魔法を使って燃やしたんだが……」
そこまで告げると、レイは少しだけ言いにくそうに視線を逸らす。
自分の使った魔法が原因で、あのようなことになったというのは間違いのないことなのだから。
「……それで? 何があったの?」
話を促すマリーナに、レイは観念したように視線を戻す。
「トレントの森の化身、木の根の人形は俺の魔法で燃やしつくした。けど、それが向こうにとってかなりの衝撃だったのか、それとも恐怖だったのか……その理由は分からないが……とにかく、地震が起こった」
「それはこっちでも感知したわ。その地震が起きる前後から、モンスター達が急に動かなくなったし」
マリーナは、動かないモンスターを倒しては素材や討伐証明部位を集めている冒険者達を見ながら、そう告げる。
「だろうな。俺もここに来て初めてそれを知ったけど。……多分、トレントの森にいるモンスター全てが、今は動かないだろ。とにかくだ、そんな訳で地震があって、俺達がいた広場はそのまま地割れに呑み込まれてしまった。で、俺達はセトに乗ってこうして避難してきた訳だ」
「また、随分と……いえ、それはもういいわ」
そもそも、モンスターという存在ではなくトレントの森という存在そのものの化身と戦うようなことになってしまったのだ。
寧ろ、レイだからこそ生きて帰ってくることが出来たと言うべきだろう。
もしこれが普通の冒険者であれば、それこそレイが言っていた地割れに巻き込まれて死んでいたのは確実なのだから。
「なら……」
マリーナが再び何かを告げようとした、その瞬間……再び周囲を巨大な揺れが包み込んだ。
それは、レイがトレントの森の中心部分で感じた揺れと比較しても、比べものにならない程の揺れ。
震度にしてどれくらいだろうな? と、レイはまだ考える余裕はあったが、それ以外の面々にとってこのような揺れは初めて経験するものだ。
動かないモンスターに攻撃していた者達も、今はそんなことが出来るような余裕はなく、ただひたすら転ばないように地面にしゃがんだり座ったりして、揺れに耐えるのだった。