1388話
時は戻り、ヴィヘラがセトと共にトレントの森に入り、夜の森の中を真っ直ぐに進んでいた。
セトの背に乗ったヴィヘラは、手甲から伸ばした爪を使って自分に向かってくる蔦を斬り裂く。
ヴィヘラをセトの背から落とそうとして伸びてくる蔦だったが、魔力で出来た爪を防ぐようなことは出来ず、次々に斬り裂かれていった。
「それにしても、私はいいけどセトは……ああ、大丈夫そうね」
「グルルゥ!」
レイのようにセトの意志を完全に理解出来る訳ではないヴィヘラだったが、それでも今のセトの様子を見れば何を言いたいのかはすぐに分かった。
自慢気なその鳴き声を聞けば、ヴィヘラでなくてもそれは分かるだろう。
……何しろ、元々セトの走る速度は素早く、その上強い。
蔦がセトの手足に巻き付くようなことは難しく、偶然その手足に巻き付いてもセトはそこに蔦が巻き付いているとは思えないように走り続け、あっさりと蔦が引きちぎられるのだ。
「蔦だけだったら、大丈夫そうだけど……ね!」
振るわれる魔力の爪が、先程の蔦と同じように自分に向かってきた存在を斬り裂く。
それも蔦と言えるのだろうが、より正確には鋭い棘が無数についている茨だった。
蔦であれば特に問題なく引き千切ることは出来るだろう。
だが、鋭い棘がついている茨となれば、話は別だった。
セトの身体に巻き付き、棘が身体に突き刺ささろうとする。
それは嫌だったのか、セトも茨の一撃は小刻みに身体を動かしながら回避していく。
体長三m近くになったセトだったが、それでもグリフォンであるが故に瞬発力や反射速度は非常に高い。
次々に放たれる茨の一撃を素早く回避しながら、そのまま森の奥に向かって突き進む。
セトが目指すのは、森の奥に生えている巨大な花。
トレントの森に生えている木々よりも尚高くそびえ立っているその植物だ。
その花からは、時折戦場になっているトレントの森の前に向かって種が放たれている様子が、森の中を走りながらも枝の隙間から見えていた。
放たれた種がどのような効果を持っているのか、それはヴィヘラにも心配だったが……それでも、いやだからこそなるべく早くあの花をどうにかする必要があると判断していた。
「セト、悪いけどもう少し急いでくれる? あの種がレイ達にどんな影響を与えるか分からないし」
「グルルルゥ!」
ヴィヘラの言葉に、任せて! と鳴き声を上げるセト。
その意志に従い、地面を蹴るセトの足は更に力強さを増す。
……するとまるでセトが速度を増すタイミングを待っていたかのように、地面から先端の尖った植物が生えてくる。
もしセトの移動する速度が遅ければ、その植物によって足の裏や胴体を貫かれていたのではないかと、そう思えるタイミングで。
(偶然? それともこれは必然?)
まるでセトが速度を上げるのを待っていたかのように姿を現した新しい植物に、セトの背の上でヴィヘラは疑問を抱く。
今回の件の裏にいる相手が何を企んでいるのかは分からないが……と一瞬悩んだヴィヘラだったが、今はあの巨大な花の下に行くのが最優先だと判断する。
何より、未知のモンスターとの戦いを楽しみたいという純粋な思いもあった。
蔦や茨がセトとヴィヘラの動きを止めようと伸びてくるのだが、それを斬り裂きながら森の中を進んでいく。
そうして森の中に入ってどれだけの時間が経ったのか……まだ十分も経っていないように感じられるかと思えば、既に一時間は森の中を走っているような気もする。
そんな思いを抱いた頃……不意にセトが足を止めた。
かなりの速度で走ってきた状況で一気に足を止めただけに、当然のようにセトの背に乗っているヴィヘラにも大きな負担が掛かるのだが、そのくらいの勢いは容易に殺せる程度の身体能力はヴィヘラも持っている。
急に足を止めたので、地面はセトの足によって深い削り跡が四本生み出された。
振り落とされるようなことはなかったヴィヘラだったが、何故セトが急に足を止めたのかが分からず、若干困惑を滲ませた様子で口を開く。
「どうしたのよ、セト」
「グルルルルルゥ!」
だが、セトはそんなヴィヘラの言葉に答えるでもなく、高く鳴く。
そして発動したのは、クリスタルブレス。
セトの口から放たれたブレスが、触れた物全てを水晶へと変えていく。
……正確には水晶に変えるのではなく、ブレスに触れた物全てが薄い水晶によって覆われるというのが正しい。
何故急にそんなことをしたのかと疑問を抱くヴィヘラだったが、それでもセトが何の意味もなくこのような真似をするとは思っていなかったのだろう。
何が起きてもすぐに反応出来るよう、鋭く周囲を眺め回す。
だが……そんな状態であっても、特に何かモンスターがいる訳でもなく、ましてや攻撃されている訳でもない。
何故セトがクリスタルブレスを使っているのかが分からないまま、口を開く。
「ねぇ、ちょっと。セト。……何があったの?」
「グルルルルゥ!」
だが、そんなヴィヘラの言葉に答える様子もなく、セトは自分達が進もうとしていた方に向け、クリスタルブレスを吐き続ける。
困惑した状態のヴィヘラだったが、ともあれ今の状況でセトの邪魔をするのはよくないと判断してセトの好きにさせる。
そこから、更に数分。
ようやくセトがクリスタルブレスを吐き出すのを止める。
「えっと、セト?」
「グルゥ」
何? と小首を傾げるセトだったが、ヴィヘラにはどう質問していいのか分からない。
結局それ以上質問して無駄に時間を使うようなことはせず、後でレイにでも聞こうとだけ判断し、再びヴィヘラはセトに乗りながら森の中を進む。
クリスタルブレスを使った場所を走る時、セトの足が水晶を踏み砕く音が周囲に響き、少しだけ心地いいと感じたのだが……それは余談だろう。
だが、もしヴィヘラが地面に落ちた水晶を手に取りよく見ていれば、その水晶の中に黄色い粉が閉じ込められているのに気が付いただろう。
そしてヴィヘラは知らなかったが、それはモンスターの思考能力を奪って森に誘引する際に使われている花粉だった。
セトもその詳しい効果までは知らなかったが、それでも花粉を見た瞬間に嫌な予感がして、クリスタルブレスで対処したのだ。
……ただでさえ月は雲に隠れ気味で、その上セトやヴィヘラがいるのは森の中だ。
枝によって月光はかなり遮られているのだが……例え暗視が利くとしても、その中で花粉のようなものを見分ける辺り、セトの……いや、グリフォンの高い五感を示しているのだろう。
また、これはセトも知らなかったが、誘引物質と化している花粉は一定以上魔法に対する防御力がある者には効果がない。
つまり、本来ならセトにもヴィヘラにも効果はなかったのだ。
いや、寧ろこの依頼に参加している冒険者達であれば、ほぼ全員が無効化出来るだろう。
それでもこうしてセトが花粉を無力化したのは、セトやヴィヘラにとってはまだしも、調査隊全体で考えれば間違いなく幸運だったのだろう。
もっとも、そもそもこの花粉自体がセトとヴィヘラに向けられた代物だったのだが。
ともあれ、クリスタルブレスの一件が終わった後でセトとヴィヘラは森の中を走り続け……やがて、不意に明るい場所に出る。
そう。明るい場所、だ。
出た場所は唯一の例外を除いて木々が生えていない場所だった。
地面には草原のように幾つもの草が生えているのだが、あくまでも草。
木々の生えていない中心部分には、巨大な……それこそ一見すると木の幹と言われても納得してしまうだろう太い茎。
その茎には見るからに鋭そうな棘が何本も存在している。
傍目には、短剣の刃がそのまま生えていると言っても決して言いすぎではないだろう光景。
「……どう思う?」
あからさまに怪しい棘を見ながら、ヴィヘラはセトに尋ねる。
だが、セトもこの巨大な花……いや、花のモンスターを見たのは今日が初めてだ。
そうである以上、どう対応すればいいのかというのは迷ってしまうのは当然だろう。
「グルゥ……グルルルゥッ!」
それでも現在出来ることは、あの花がどのような存在なのかを確認することだ。
取りあえずといったように鳴き声を上げるセトの周囲に、氷で出来た矢が十本生み出される。
セトの持つスキル、アイスアローだ。
姿を現した氷の矢は、巨大な花の茎に向かって真っ直ぐに飛んでいく。
レベルが低いせいか、アイスアローの攻撃力は決して高い訳ではない。
だが、先端が鋭利に尖ったアイスアローは、突き刺されば何らかのダメージを与えられるのは間違いなかった。
ヴィヘラも、アイスアローについて詳しいことは知らないが、それでも何らかの反応を示すだろうというのは予想出来る。
そして……氷の矢が茎に突き刺さると思った瞬間、茎に生えていた棘が何本も一斉に発射され、アイスアローを迎撃した。
空中でぶつかり合う棘と氷の矢。
最終的に勝者は氷の矢だったのだが、棘を弾いたり貫いたりしても、茎から放たれた棘はアイスアローよりも圧倒的に多かった。
そうして質には数と言わんばかりに何本もの棘が氷の矢に命中し続け、最終的に氷の矢は方向を逸らされてしまう。
巨大な花の茎には当たらず、あらぬ方に飛んでいった氷の矢を見たヴィヘラは、向こうの攻撃方法を知って笑みを浮かべ……だが、次の瞬間には少しだけ驚きの表情を浮かべる。
棘を射出した茎の部分から、新たに棘が生えてきたのだ。
(随分と便利な身体をしてるわね。けど……あの程度の速度なら何とかなるかしら)
自分の身体能力を考えれば、あの程度の速度の攻撃であれば十分にいなせる自信がある。
「セト、私が前に出るから、援護をお願いね?」
「グルル……グルゥ?」
大丈夫? と喉を鳴らすセトに、ヴィヘラは口を開こうとし……
「っ!? 少しくらい話させてくれてもいいでしょうに!」
茎から触手が……否、蔦が自分の方に向かって伸びてきたのを見て、ヴィヘラはそう吐き捨てながら前に出る。
……もっとも、その言葉とは裏腹にヴィヘラの顔に浮かんでいるのは強敵との戦いを楽しむ笑みだ。
蔦が自分に向かって伸びてくるのを見ながら、手甲から魔力で出来た爪を伸ばす。
蔦の先端には、茎から生えているのと似ている棘が生えている。
ただし、その棘は茎から生えている棘よりも大きく、鋭い。
棘と呼ぶよりは、針と呼ぶのが相応しい代物だった。
その針の付いた蔦に向かい、ヴィヘラは真っ直ぐに突っ込んでいく。
そうして先端の針が身体に触れるかどうかといった瞬間、移動しながら身体の向きを強引に変える。
ヴィヘラからほんの数cmの位置にある空間を貫く蔦。
触れれば間違いなく皮膚を破り、肉を裂く一撃だと見て分かるというのに、ヴィヘラは全く恐れた様子を見せずに前に出る。
それどころか、蔦の一撃を回避して前に進みながら魔力の爪を一閃し、蔦を半ばで切断さえしてみせた。
そんなヴィヘラを迎撃しようと茎から棘が射出されるが、無数の棘の攻撃も、驚異的な動体視力により最小限の動きで回避し、どうしても自分に当たる棘だけを魔力で出来た爪によって弾いていく。
それは、戦いというよりは踊りと表現するべき動き。
もしこの場に男がいたら……いや、例えいるのが女であっても、今のヴィヘラの動きに目を奪われてしまうだろう。
「グルルルルゥッ!」
勿論、セトも何もしていない訳ではない。
アイスアローやウインドアローを使い、ヴィヘラに向かう棘を迎撃する。
真っ正面からぶつかれば、棘とセトのスキルで生み出されたアイスアローやウインドアローのどちらが強いのかは、最初の時にはっきりとしている。
連続して棘が射出されれば話は別なのだが、今回はヴィヘラを狙う棘を弾くのが目的なので、何も問題はない。
そうして手甲と足甲はともかく、薄衣一枚で鎧すら装備していないにも関わらず、ヴィヘラは天性の才能により全ての攻撃を回避しながら前に進み続け……やがて、植物の茎の前に到着した。
そんなヴィヘラの頭上から蔦が振るわれるが、死角からの一撃にも関わらずヴィヘラは手甲の爪であっさりとその蔦を切断する。
巨大な花も自分が危険だというのは理解したのだろう。蔦や棘だけでは攻撃を防げないと判断し、自分の真下に向かって種を落とす。
本来であれば、この種はトレントの森を広げる手段の一つであり、自分のいる場所に向かって落とすというのは有り得ない選択肢なのだが……それだけ、ヴィヘラが危険な相手だと判断したのだろう。
だが、ヴィヘラは自分に向かって降ってくる種をあっさりと回避し……それどころか、その回避した動きすら次の攻撃に向けた一撃の予備動作として、そっと掌で茎に触れる。
「はっ!」
気合いの声と共に魔力が衝撃として茎の内部に叩き込まれ……アンブリスとの一件で、より威力を増した浸魔掌は次の瞬間巨大な花を支えている茎を内部から爆砕して、破壊する。
「……ふぅ、中々楽しめたわね」
茎が折れた花が自分とセトがいない方向に落ちていくのを見ながら、ヴィヘラは笑みを浮かべてそう告げ……だが次の瞬間、今自分が倒したのと全く同じ巨大な花が何本も森の中から生えてきたのを見て、さすがに動きを止めるのだった。