1380話
面倒な騒動が終わった翌日、午前の一番忙しい時間帯を避けたレイ達がギルドに顔を出すと、待っていたとレノラが口を開く。
「レイさん、今日は伐採された木を運ぶのではなく、他の冒険者の方々と共にトレントの森の調査をお願い出来ないでしょうか?」
その言葉はレイも半ば予想していた。
いや、正確には今日の朝食の時にマリーナから言われたのだ。
……何故貴族街に家を持っている筈のマリーナが夕暮れの小麦亭で朝食を食べていたのかという疑問はないでもないのだが。
その原因は、やはり昨日の件が影響しているのは間違いない。
そうである以上、レイも気にならないと言えば嘘だった。
何しろ、モンスターであれば絶対になければならない筈の魔石が存在しなかったのだから。
何をどうすればそのような存在が生み出されるのかは疑問だったが、それだけに今回の件は酷く気になった。
だからこそ、レイはレノラの言葉を聞き、特に躊躇するようなこともないまま、頷きを返す。
「分かった。……昨日の件は聞いてるか?」
「はい。その、私はレイさん……より正確には、紅蓮の翼の担当ですから」
「嫌なら、私がいつでも代わってあげるって言ってるんだけどね。……全く」
レノラだけがレイと話しているのを見ていたケニーが、自分も話に混ぜろと口出しをしてくる。
もっとも、昨夜緊急の指名依頼をレイに持ってきたのは、レノラではなくケニーだ。
そうであれば、こうして口を挟んできてもおかしなことではないのだろう。……もっとも、昨夜レイがギルドに戻ってきた時には既に定時を過ぎていた為か、ケニーの姿はなかったが。
「あのね、別に嫌な訳じゃないわよ。それより、書類の方は?」
「終わったわよ? はい、これ」
レノラの言葉に、ケニーは先程まで処理をしていた書類を渡す。
見た目から軽く遊んでいるように見えるケニーだが、仕事に関してはやろうと思えばきちんと出来るのだ。
でなければ、採用基準が厳しいギルドの受付嬢として働くことは出来ないだろう。
もっとも、やろうと思うまでが長いというのも事実なのだが。
そんなケニーから書類を受け取ったレノラは、ざっと抜けやミスがないかを見ていく。
そして書類が完璧なのを確認すると、残念そうに口を開く。
「完璧ね」
「……何で残念そうなのよ。ここはもっと私を褒めるところじゃない?」
このままでは放っておくと言い争いが始まってしまう。
そう考えたのは、レノラとケニーの性格を知っている者であれば当然だろう。
「はい、そこまで」
だからこそ、マリーナはそうやって口を挟む。
「言い争いをしていないで、早く話に戻りなさい?」
「マリーナ様……」
「うっ!」
レノラとケニーは、マリーナの名前を呼ぶとその動きを止める。
当然だろう。レノラはマリーナを深く尊敬しているし、ケニーはマリーナに対して尊敬はしているが、それ以上に苦手意識を持っているのだから。
そんなマリーナに注意され、レノラは再び口を開く。
「とにかく、現在調査団がトレントの森に向かう準備をしています。レイさん達もそちらに協力して欲しいのですが」
「……まだ出発してないのか?」
レノラの言葉に、レイは少しだけ驚く。
当然だろう。今はまだ朝だが、ギルドの中で最も忙しい時間帯は既にすぎている。
つまり、もうトレントの森の調査の依頼を受けた冒険者達が出発していてもおかしくはないのだから。
いや、トレントの森までの距離を考えると、既に調査を開始していてもおかしくはない。
「ええ。この調査自体急に決まったものですから、そちらの準備の方で少し手間取っていまして。現在は馬車に荷物を積み込んでいるところです」
「俺がギルドに来るのが遅かったら、置いていかれてたんじゃないか?」
レイ達がギルドに来るのは、大体この時間帯だ。
だが、別に約束をしている訳ではない以上、三十分や一時間遅れてくることも珍しくはない。
それどころか、何らかの理由でギルドにやってこない可能性だってあったのだ。
もしそうだったらどうしたのか、と。
疑問の視線を向けるレイに、レノラは笑みを浮かべて口を開く。
「レイさんなら大体この時間帯にやってくるというのは予想出来ていましたし……それに、もし来るのが遅かったり、来なかったりしてもギルドにはケニーがいますから」
猫の獣人だけあって、ケニーの身体能力は高い。
勿論冒険者として訓練している者達と互角に戦えるといったことはないが、それでも走るのは間違いなくレノラよりも圧倒的に上だろう。
視線を向けられたケニーは、自分が褒められているのか、いいように使われているのかで迷うも……結局はレイの前だということもあって、笑みを浮かべて口を開く。
「そうね、レイ君を探すのなら任せてちょうだい」
「……出来れば、レイさん以外の件でもそこまで働いて欲しいんだけど」
溜息を吐くレノラ。
ケニーとはそれなりに長い付き合いではあるのだが、未だにこういうところは慣れなかった。
もっとも、それがケニーの個性となっているのも事実であり、男好きのするその身体と共に冒険者達に好意を持たれる理由の一つなのだが。
ケニーに好意を持つ冒険者は殆どが男なのは、仕方がないのだろう。
逆に仕事をしっかりとこなすレノラは、女の冒険者に人気が高い。
「とにかく、貴方達の話はその辺にしてちょうだい。ビューネも退屈そうだし」
マリーナの視線が向けられたビューネは、酒場の方を見ていたのだが、その言葉でマリーナの方を見る。
退屈していたというよりは、酒場の方から漂ってくる料理の匂いに意識を奪われていたというのが正しいだろう。
酒場では今日は休日と決めたのか、少し遅めの朝食を食べている冒険者が何人かいる。
……それどころか、昨日から未だに宴会を続けている剛の者すら存在していた。
漂ってくる料理の匂いには、アルコールの臭いも混ざっているのだが……幸いながらと言うべきか、ビューネはそんな状況であっても食欲を刺激されているらしい。
「ん」
マリーナに向けて一言呟くビューネだったが、それが何を意味しているのかは、再度酒場の方に視線を向けたのを見れば明らかだろう。
「はいはい、さっき食べたばかりでしょ。昼食はまた後でね」
ビューネの様子に、話を黙って聞いていたヴィヘラがそう告げる。
そんなヴィヘラの言葉に、ビューネは少しだけ俯く。
表情は変わっていないが、それでも残念だと思っているのは間違いなかった。
そうして話の方が一段落すると、レイが口を開く。
「じゃあ、今日はトレントの森の調査だな。全員、準備の方はいいか?」
「ええ、私は問題ないわ」
「同じく」
「ん」
マリーナ達がそれぞれ返事をする。
昨日は置いていかれたビューネも、今はしっかりと頷いていた。
(あー……まぁ、そうだな。今日は調査だし、ビューネが一緒に行動しても問題はないか。結局のところ、出て来たモンスターはトレントとかその程度だったし)
魔石がないという、モンスターとは思えない特徴を持ったトレントだったが、強さ自体は特筆すべきものではなかった。
それこそ、今のビューネであれば特に問題なく倒せるだろうと、そう思う程度には。
そう考えたレイは、ビューネが自分の方を見ているのに気が付く。
今日は置いていかないよね? と、そんな意志の込められた視線を向けられたレイは、小さく笑いながら口を開く。
「ああ、連れていくから安心しろ。もっとも、今まで何度もトレントの森に行った経験から考えると、今日の調査ですぐに何かが分かるとは思えないけどな」
「ん!」
レイの言葉に、ビューネは表情は変えず……それでも言葉にいつもより若干力を入れて返事をするのだった。
「お、レイ。お前達も来てくれるのか。なら、安心だな」
調査隊の準備をしているという場所にレイ達が向かうと、そこには数台の馬車が準備され、それぞれ荷物を運び込まれている最中だった。
そんな仕事をしていた中の一人……ルーノが、やってきたレイ達を見て嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんなルーノの隣では、スレーシャがレイ達に向かって頭を下げていた。
他にも護衛の冒険者の数はそれなりに多く、レイ達がやって来たのを見て歓迎の表情を浮かべている。
昨日樵の護衛としてトレントの森に行った者達が殆どだったので、レイを見て侮ったり絡んでくるような者がいなかったのはレイにとっても面倒が少なくて助かったという思いがある。
もっとも、中には昨日レイを見たものの、マリーナやヴィヘラといった見るだけで目を奪われる程の美人を連れているレイに対して嫉妬の視線を向ける者はいたのだが。
……中にはビューネに目を奪われている者もおり、そのような人物はおかしな行動をしないようにとレイに目を付けられていた。
「昨日の件があるからな。……聞いてるか?」
「当然だ。そもそも、そうでもなければ調査を行うなんてことは考えないだろうし。……そういう意味では、ご苦労さんだったな」
ルーノの視線には、どこか哀れみの色さえ浮かんでいる。
だが、それも当然だろう。
ルーノであれば、今日の仕事が終わってゆっくりしていたり、酒を飲んでいたりしてる時に急に呼び出され、トレントの森に行けと言われても納得出来ることではない。
酒を飲んでいる時点で、依頼はされなかったと思うが。
「そうだな。本当に色々と大変だったよ。ましてや、魔石のないモンスターなんて代物とも遭遇することになったし」
「その話は聞いたけど、本当なのか? とてもじゃないが、魔石を持っていないモンスターがいるなんて信じられないぞ」
そう思っているのは、ルーノだけではない。
周囲で馬車に荷物を積んでいたり、自分の武器の装備を確認している者達も、ルーノとレイの言葉に意識を向けている。
モンスターというのは、必ず魔石を持っているもの。
そういう認識があるからこそ、魔石を持っていないモンスターという存在を完全に信じ切ることが出来ないのだろう。
もしレイが証拠としてトレントの死体を持ってきていなければ、ワーカーにも信じられていたのかどうか分からない。
だからこそ、ルーノがこうしてレイに確認してきたのは当然のことだった。
自分が視線を集めているというのを理解しながら、レイは頷きを返す。
「ああ、間違いない。俺が直接トレントの体内を調べたし、まだ解体していないトレントもギルドに持ち込んだ。……まぁ、ギルドで調べたトレントに魔石が入ってれば、俺の勘違いって可能性も考えられたんだけど……」
そう言うレイだったが、自分の勘違いではないということは既に確信していた。
そして、だからこそこうしてトレントの森の調査が行われることになったのだろう。
「そうだな、こういう場合は残念ながらと言うべきなのか、それとも幸いにも言うべきなのかは分からないけど」
魔石を持っていないモンスターが公表されれば、それは大きな騒ぎになる。
そうなれば、当然そのモンスターの第一発見者として、レイの名前は大々的に知られることになるだろう。
今までも深紅の異名を持つレイのことを知る者は多かったが、魔石のないモンスターの発見者ともなれば、普段は冒険者や……それどころか世間一般のことに興味を持たない研究者達までもがレイという存在を知るだろう。
だが、名前を売るというのは面倒も引き寄せる。
それこそ、自分の研究にしか興味のないような研究者がレイのことを知れば、確実に揉めごとが起きるだろう。
そう理解しているからこそ、ルーノは曖昧に告げたのだ。
「ま、そうなったらそうなったで、色々と対処のしようはあるしな。それこそ、どこかに暫く雲隠れするとか」
それは、空を飛ぶセトという存在がいるからこその言葉。
事実、レイは今までにも何度かセトに乗ってギルムから避難したことがあった。
だが……それはあくまでも、レイとセトだけでの話であり……
「あら、レイ。それなら私達はどうするつもりなのかしら? セトの足に掴まって移動は出来るけど、長時間は無理よ? か弱い女なんだから」
「……か弱い?」
マリーナの口から出た言葉に、レイは反射的に呟く。
少なくてもレイの中では、精霊魔法を縦横無尽に使いこなし、無数の敵を相手にすることが可能なダークエルフや、強敵との戦いに欲情する存在をか弱い乙女とは言わない。
もっとも、それを直接口にすれば色々と不味いことになるというのは理解出来たのか、じっと自分を見てくるマリーナとヴィヘラの視線から逃れるように視線を逸らし……
「準備が整った、トレントの森に行くぞ!」
調査に参加する冒険者の声が響き、これ幸いとそちらに向かって歩き出すのだった。
背後に艶然とした笑みを浮かべている二人の美女と、相変わらず無表情な少女一人をその場に残し。