1378話
「てめえら、何を考えてやがるっ!」
ギルドの中で、そんな怒声が響き渡る。
既に完全に日が沈んで夜になっている以上、ギルドの中に人の姿は殆どない。
……もっとも、併設されている酒場では多くの冒険者が今日の仕事の成功を祝って騒いでいたり、ミスを嘆いて自棄酒を飲んでいたりと非常にうるさいのだが。
そんな風に騒がしい酒場の方まで響いたのだから、今の怒声がどれだけ大きかったのかが分かるだろう。
事実、酒場で飲んでいる者の内の何人かがギルドの方へ……より正確にはそこに集まっている樵達に視線を向けたのだから。
「その、まだ業務中なので、出来ればもう少し小さな声で話して貰うか、他の場所に移動して貰えると助かるのですが……」
レイも何度か見たことのある受付嬢が、怒声を発した男……ギルムの樵を仕切っている人物に向けてそう声を掛ける。
その言葉で怒声を放った男も我に返ったのだろう。慌てたように受付嬢に、そしてレイに向かって頭を下げた。
「すまねえ。場所を移させて貰うよ。……レイ、この馬鹿共の為に色々と迷惑を掛けた。申し訳ない」
樵らしい、厳つい顔をした中年の男が深々と頭を下げているという光景は、珍しい……訳でもなかった。
そもそも、ここはギルムのギルドだ。
当然のようにここにいるのは冒険者で、冒険者の中で一番多いのは戦士だ。
戦士の中でもスピードや技術を活かした戦い方をする者もいるが、それには当然のように才能というものが必要となる。
勿論力業で戦う者に才能が必要ないのかと言えば、答えは否だが……筋肉はつきやすい、つきにくいという多少の差はあれど、身体を鍛えれば確実につく。
そういう意味で、より才能が少なくても済む強引に力で戦う戦士というのは多い。
……もっとも、そのタイプの者が高ランク冒険者になるのは難しいのだが。
ランクA冒険者のエルクもそのタイプだが、こちらは戦闘に対する高いセンスと、雷神の斧というマジックアイテムがある。
ともあれ、そのように筋肉の発達している男というのは、ギルドでは珍しくもなかった。
これが街中であれば、話は別だが。
尚、レイが朝早くにギルドに来ない理由の一つがこれだった。
自分達が行う依頼を探して依頼ボードの前に集まっている冒険者……そこには、暑苦しい程の筋肉を身につけている者も決して少なくないのだから。
「いや、気にするな。ただ、同じようなことを繰り返されると、こっちとしても困る。それだけは理解しておいてくれ。それと、そいつらが切った木は持ってきてあるから、後でギルドに渡しておくぞ」
「ああ、すまねえ。その木については、今回の迷惑料ってことで、レイが貰ってくれねえか?」
「……いや、止めておこう。そもそもの話、あんな木を貰っても俺は特に使い道がないしな」
実際にはレイも何本か木を伐採してギルドに売っているのだから、全く使い道がないという訳ではない。
それこそいざとなったら細かく斬って薪にするという手段もあるのだから。
それでも断ったのは、一応フェクツ達のことを考えたからだ。
死人こそ出なかったものの、小さな怪我をした者は多い。
また、夜の辺境という、一般的に考えて極めて危険な場所で伐採した木だ。
それを横から掻っ攫うような真似をするのは、レイにとってもあまり気が進まなかった。
「いいのか? フェクツ達に遠慮することはねえんだぜ?」
改めて尋ねてくる樵の男に、レイは頷きを返す。
「ああ、その辺りは気にしないでくれ」
「……まぁ、レイがそう言うんなら、こっちは構わないんだけどよ」
「それに、今回の指名依頼も別にただ働きって訳じゃない。しっかりと報酬は貰うことになってるから、気にしなくてもいいよ」
重ねてレイがそう言うと、向こうもようやく納得したのだろう。
フェクツの顔を見て、深々と溜息を吐く。
「とにかく、お前達は今日は休め。明日も仕事があるんだからな。……ただ、暫くの間お前達の報酬は少なくなるから、覚悟しておけよ」
「親方?」
まさか、この程度で許されるとは思わなかったのだろう。
フェクツは目の前の樵に……自分達を仕切る親方に向け、不思議そうに言葉に出す。
今更ながら、自分達がやったのは非常に危険な行為だった。
それが分かるだけに、まさか殆どお咎めなし――給料は減るが――になるとは思ってもいなかったのだろう。
「うるせえ! とにかく、お前達はとっとと帰って寝ろ! 明日も早えんだぞ!」
叫ぶ親方に、フェクツ達は頭を下げてから去っていく。
それを見送る親方だったが、ふとレイとヴィヘラが自分に視線を向けているのを見て、口を開く。
「甘いと思うか?」
「そうね。しでかしたことに比べれば、随分と甘いんじゃないかしら」
レイではなく、ヴィヘラがそう呟く。
そんなヴィヘラから少し離れた場所では、受付嬢と話を……今回の依頼の報酬について話していたマリーナが、一瞬だけそちらに視線を向けた後で再び交渉に戻っていく。
そんなマリーナの行為が何を意味しているのか分かるのは、それこそこの場には受付嬢と親方だけだった。
「今回の依頼は元々多くの樵が必要なんだよ。そんな時にフェクツ達に抜けられたら、手が足りなくなる。……元々このギルムに樵はそう多くないしな」
親方の言葉は事実だった。
木の伐採をする為には森に行かなければならず、そしてここが辺境である以上は森に強力なモンスターがいてもおかしくはない。
ましてや、トレントの森の木と違って、普通の森では木を伐採した後である程度時間を置く必要がある。
そして木を放置している間に、ゴブリンを含めた他のモンスターにその木を勝手に使われるということも珍しくはない。
勿論人数が少ない分、給料はいいのだが。
これは樵が少なくなり、ギルムに樵がいなくなってしまうのを防ごうと領主のダスカーが優遇しているというのもそこには影響しているだろう。
「けど、二度とこんなことはさせねえ。……それだけは約束する」
力強く告げる親方の声に、レイとヴィヘラはそれぞれ顔を見合わせてから頷きを返す。
「ま、俺は別にそこまで大変だった訳じゃないし」
「もう少し強いモンスターが出て来たら、こっちも楽しめたんだけど……トレントだけだったしね」
レイとは違い、ヴィヘラの言葉は親方の想像を超えていた。
それに驚いた様子の親方だったが、ヴィヘラの性格を知っているレイは特に気にした様子もない。
「じゃあ、俺達はこの辺で。明日もトレントの森に行くんだろ?」
「……当然だ。だが、トレントが出たんだろう?」
ヴィヘラの言葉からそう尋ねる親方だったが、レイは当然と頷く。
「ああ。けど、今日の昼は出なかったし、護衛に雇われている冒険者ならトレントはどうとでも出来ると思う」
「なるほど」
レイの言葉を完全に信じたという訳ではないのだが、それでも異名持ちの高ランク冒険者がそう言うのであれば……と、親方も自分を強引に納得させる。
それにもし護衛の冒険者達では手に負えない相手であっても、レイがくればどうとでもなるだろうという思いもあった。
「じゃあ、この辺で解散ってことで。……言っておくけど、繰り返して言うようだけど、何度もこんな馬鹿な真似をされるのはごめんだぞ」
「分かってる。フェクツの奴も、普段は真面目な樵なんだよ。ただ……ちょっとな」
その言葉で、レイにもフェクツに何らかの事情があるというのは理解した。
だが、それ以上深く聞くようなことはしない。
元々レイとフェクツはそこまで友好的な関係という訳ではない。
あくまでも、今回の依頼で関わったにすぎないのだから。
樵の親方との話が終わり、ギルドにはレイ達だけが残る。
何故なら、レイ達にはまだギルドでやるべきことがあった為だ。
周囲を見回すレイだったが、やはりと言うべきかケニーの姿はない。
ギルドに入って来た時に気が付いてはいたのだが、もしかしたらという思いもあったのだ。
元々レイは人付き合いが決して得意な訳ではない。
それでも冒険者としてやってこれたのは、レイに対して親身になってくれるレノラとケニーという二人の受付嬢がいたからだ。
だからこそ、今回の件も出来ればそのどちらかに話したかったのだが、残念ながら既に就業時間は終わっていたらしい。
ケニーがレイに依頼を持ってきたのが、恐らくケニーの最後の仕事だったのだろう。
「レイ、話ならこっちのルーシュが聞いてくれるわよ」
そんなレイの態度が何を意味しているのか理解したのだろう。
マリーナが、報酬について話をしていた受付嬢の名前を呼ぶ。
「その、ケニーから引き継ぎは受けてますので、私が話を聞かせて貰います」
「……分かった。今回トレントの森でフェクツ達を助けに行った時、その名前通りトレントと戦闘になった」
「そう、ですか。やはり夜になればモンスターが姿を現すんですね」
「あー……それがちょっと違うみたいだな」
レイは、移動している時に樵の一人から聞いた情報を思い出す。
「樵の一人が、トレントの中に自分が目印代わりに付けた傷を持っている奴がいたのを確認している」
「それは、その方がトレントだと気が付かなかっただけでは?」
「……仮にも、本業の人間が木を触って普通の木とトレントとで見間違うと思うか? いや、勿論トレントの上位種だったり希少種だったりすれば話は別だが、俺達が戦ったトレントは普通のトレントだった」
「それは……では、どういうことでしょう」
「恐らく俺達が戦ったトレントは、トレントであってトレントじゃない。その証拠って訳じゃないけど、トレントの死体を何匹か持ってきた」
「いえ、それで何の証拠になると?」
ただ死体を持ってこられただけで、どうするのか。
そう視線で尋ねる受付嬢に対し、レイは小さく笑みを浮かべて口を開く。
「そのモンスターの体内に、魔石がないとしてもか?」
「……え?」
間の抜けた声を発する受付嬢。
それも当然だろう。モンスターというのだから、その体内には魔石がなければならない筈なのだ。
だが、その魔石がないとはどういうことか。
そんな疑問の宿った視線が、レイに向けられる。
受付嬢の視線に、レイは黙って首を横に振る。
レイにも、何故魔石がないのかといったことに対する明確な理由を理解している訳ではない。
それでも魔石が存在していないのは確実である以上、それをなかったことにするといった真似は出来ない。
「一応その魔石がない死体は持ってきている。それを渡したい。……まぁ、素材の件もあるし、実際には買い取って貰うといったことになるんだろうけど」
トレントの身体は、様々な物に使える。
一番有名なのは、やはり杖だろうか。
魔石がない……つまりモンスターではないという可能性もある以上、実際に杖として使えるかどうかというのは分からないのだが。
それを調べる為に、ギルドはレイの持ってきたトレントの死体を買うのだ。
「分かりました。もし本当に魔石がないモンスターが存在するとなると、非常に重大な出来事です。この件はギルドマスターに報告させて貰いますね」
レイの態度から、冗談でもなんでもなくこれが危険なことだと理解したのだろう。
受付嬢は真面目な表情でレイの言葉に頷いて、そう告げる。
「ああ、そうして欲しい。……正直なところ、あのトレントの森というのを甘く見ていたかもしれない。勿論出てくるモンスターはそんなに強い訳じゃないんだが……それとは違う恐ろしさがある」
純粋にモンスターとしてというだけであれば、全く敵とはならない。
少なくても、レイや護衛として雇われている冒険者であればそれは確実だった。
だが、そんな当たり前のこととは違う未知故の恐怖が、レイを襲う。
いや、この場合は未知だからこそ恐怖するというのが正確なのか。
トレントの森でどのようなモンスターが、具体的にどういう風に姿を現すのか。
それが分かれば、それこそそこまで脅威を感じるといったことはないのだから。
(トレントの森、か。スレーシャが最初に遭遇したということでその名前が付けられたみたいだが……今日戦った敵も、トレントが多かった。勿論魔石がない以上、正確にはトレントじゃなくて、トレント風なモンスターもどきとでも表現するのが正しいんだろうが)
そんなことを考えながら、レイはトレントの死体を倉庫に置いた後で、マリーナやヴィヘラと共にギルドを出る。
宿ではまだビューネが待っているのだから、出来るだけ早く帰って安心させてやろうという思いからだ。
……もっとも、基本的に表情の変わらないビューネは、ヴィヘラ以外の者ではその感情をしっかりと察することは出来ないのだが。