1366話
倉庫の中に溢れた、大量の木材。
……いや、まだ枝や皮がついたままなのを考えれば、木材と呼ぶのは早いだろう。
ともあれ、倉庫の中には三十本程の伐採された木が並べられていた。
その全てがたった一人の手で斬られ、運ばれて来たと……ましてや、その行為に掛かった時間は移動時間を合わせても二時間程度――それも買い食いの時間込みでだ――となれば、普通なら信じられないだろう。
だが、それを行うのがレイなのだ。
「これは……ちょっと持ってきすぎじゃないですか?」
レノラが倉庫の中に積まれた木々を見て、呆然としながら呟く。
朝はレイの相手をケニーに任せたのだが、昼近くなった今は手が空いているのでいつも通りレノラがレイの相手をしていた。
「そうか? 出来るだけ多くって注文だったから取りあえずこれだけ持ってきたんだけど……足りないなら、もっと持ってきてもいいけど?」
「だから、多すぎですって……」
レイの言葉に、溜息を吐きながらレノラが呟く。
そんなレノラの様子を見ながら、レイはそうかと頷く。
実際、朝に依頼を受けてこれだけの木々を伐採して戻ってきたにも関わらず、まだ昼前なのだ。
そう考えれば、それこそ午後からまた同じか……これ以上の量を伐採するのは可能だった。
だが、ギルドの倉庫も無限にある訳ではない。
いや、寧ろ春ということでギルムの冒険者は冬に使った金を補填すべく積極的に依頼を受けており、ギルムに来たばかりの新人も自分達の存在を誇示する為に……そして何より、ギルムでやっていくだけの実力を得る為に依頼を受けている。
そうなれば当然得られる素材の数も増え、倉庫には売り払われる前の素材がこれでもかと大量に溢れていた。
つまり、これ以上の木を増やしても、置く場所がないのだ。
今はまだこの倉庫にもそれなりに余裕はあるのだが、これから連日これと同じだけの木々を持ってこられれば、そう遠くないうちに倉庫は埋まってしまうだろう。
(まぁ、ギルドマスターの話だとこの木は毎日運び出されるという話だから、そこまで気にする必要はないのかもしれないけど)
視線の先にある木々を見ながら考えていたレノラだったが、不意にレイが話題を変える。
「そう言えば、誰か昨日から戻ってきていないパーティとかいないか?」
「え? うーん……そう言われても、冒険者は多いし、依頼を受けて戻ってきてないパーティもいるし……」
「いや、多分依頼は受けてない筈だ」
何があるのか分からない森に向かったのだから、何か依頼を受けてとは考えにくい。
ましてや、春になって急激にギルムの冒険者が増えている以上、現在ギルムにどれだけの冒険者がいるのかは、例え受付嬢であっても完全に把握出来ている筈がない。
「残念ですが、その辺はちょっと分かりませんね。レイさんも知っての通り、元々ギルムには冒険者が多いですが、今は更に多くなっていますから。……ですが、何故です?」
何故急にそんなことを聞いて来たのか。
レイの今日の依頼のことを思えば、その理由は半ば確信状態であったが、それでも出来れば違って欲しいという思いと共に尋ねる。
だが……次の瞬間、レイの口から出たのはレノラが予想した通りの言葉だった。
「今日トレントの森に行ったら、野営の跡らしきものがあったんだ。それこそ、スレーシャがいた時と同じような感じで」
「……そう、ですか」
レノラも、自分の中にあった悪い予感が当たっていたことに残念そうに溜息を吐く。
冒険者というのは最低限の規律はあるが、それでも基本的には自由な存在だ。
それこそ、トレントの森に向かったところで、誰にも責められることはない。
だが……それでもやはりギルドの受付嬢として、冒険者が命を落とすというのは出来るだけ見たくないものだった。
もっとも、今回消息を絶った第三の瞳の者達にしてみれば、それだけ自分達に焦りがあったのだろうが。
その焦りをどうにかしたくて、結局は命を落とすことになってしまったのだが……その辺りの事情までは、レイにも、そしてレノラにも理解は出来なかった。
そもそも、現時点では消息を絶ったのが第三の瞳だとはまだ判明していないのだから。
「その、野営の跡ということは……」
レノラが何を言いたいのか理解したのだろう。レイはミスティリングから、野営の跡地で収納した荷物と槍を取り出す。
「これが置いてあった」
「……あの、レイさん。この荷物をギルドの方に預けて貰ってもいいですか? 本来なら所有権はレイさんのものなのですが……」
「ああ、構わない」
元より、レイはこの荷物を自分の物にするつもりはなかったので、あっさりとレノラに渡す。
槍は少し欲しいかとも思ったのだが、元よりレイのミスティリングの中には大量の――殆ど壊れかけだが――槍が収納されている。
投擲に使う槍は幾らでもあるのだから、別にここで無理にこの槍を貰う必要もない。
(まぁ、マジックアイテムの槍なら興味を惹かれたかもしれないけど……残念ながら普通の槍だしな)
レイが持っている、マジックアイテムの槍。
突き刺さった相手を茨で搦め取る茨の槍と、様々な特殊能力を持ち、デスサイズと並んでレイの主武器となっている黄昏の槍。
この二つのような効果をもつマジックアイテムの槍であれば、レイはその所有権を主張していただろう。
だが、そうでないのであれば、面倒な真似をすることもなかった。
「ありがとうございます。……すぐにこの荷物が誰のものだったのか、調べられる限り調べてみます」
そう告げ、レノラは深々と一礼する。
まだ誰の荷物なのかは分からないが、それでもギルドの受付嬢として冒険者に対しては誠実にありたいと、そう思っての行動だ。
(苦労性だよな。若い内の苦労は買ってでもしろっていうけど、レノラは他人の分まで買ってるように見える。……まぁ、それがレノラなんだろうけど)
レノラの様子を見ながら、レイは改めて口を開く。
「じゃあ、その荷物の件は任せた。それと、この伐採してきた木の件も、後で依頼料を精算する時に一緒に……でいいんだよな?」
「はい、そう聞いています」
「そうか。なら、この木の件は任せる。……ただ、これはあくまでも忠告だが、このまま放っておくとトレントの森の件は色々と不味いことになると思うぞ? 今のところはまだそこまで大きな騒ぎになってないけど」
「……そうですね。私もそう思います。ただ、トレントの森の件に関しては、上の方で色々と動いているみたいですから。恐らくそちらで色々とあると思うのですが」
ギルムの増築に関しては、まだ広まってはいない。
いや、それどころかまだはっきりとやるとも決まっていないのだ。
今行われているのは、本当に出来るかどうかを試算しているというのが正しい。
勿論現状でギルムがかなり限界に近いのは事実であり、このままでは遠からずギルムという辺境に唯一ある街が飽和状態になるのは間違いなかった。
だからこそ、近い内になんとかしてギルムを増築する必要はあったのだが、それでも今回の一件は急すぎた。
元々していた準備を大幅に繰り上げる必要が出て来たのだから、上の方でも色々と混乱するのは当然だろう。
そして下の方ではそれが分からず、今のような状況になっていた。
「トレントの森には明確に近づけないようにした方がいいんじゃないか?」
「……ですが、そうすると何かあると考えた冒険者の人達が、今までよりもっとトレントの森に向かうことになるかと」
それは、以前にも聞かされた内容だ。
だがそれでも、今の状況よりはいいのではないかと、そうレイは思ってしまう。
もっとも、それはあくまでもレイの感傷に近い。
実際にトレントの森に行くのを禁止すれば、それこそレノラが言ってるように今よりもっと行方不明者が出るのは間違いないだろう。
そしてこの場合の行方不明者というのは、森に喰われたこと……つまり死と同義語だった。
「そうか。……まぁ、検討だけでもしてくれると嬉しい」
結局レイもそれ以上強引に出ることは出来ず、それで終わる。
レノラもレイの気持ちは十分に分かっているのだろう。
だからこそ、上に今の話をしてみようと、そう考えるのだった。
「んー……こうして見ると、やっぱり春だな」
「グルルゥ」
伐採した木の引き渡しを終えたレイは、セトと共に街中を歩いていた。
倉庫の中では多少思うところはあったが、それでも今はその憂鬱な気分を振り切っている。
結局のところ、冒険者が危険な場所に行くのは自己責任だと、そう思い直した為だ。
「春と言えば花見なんだけど……な」
レイが日本にいた時は、それこそ花見という名目で親戚や友人が集まり宴会を行うことが多かった。
元々レイの家は山にあるので、桜はその辺りに幾らでもある。
……もっとも、その桜がレイの住んでいた場所の人達が植えたものなのか、それとも自然の桜なのかは分からないが。
(トレントの森ってくらいなんだから、桜の花とかあってもいいと思うんだけど)
レイが見た限りでは、トレントの森には何種類もの木々が生えている。
だが、そこに桜は存在しない。
桜のように目立つ木であれば、それこそセトに乗って空を飛んでいる時にはすぐに見つけることが出来るだろう。
それでも見つけることが出来ないのだから、トレントの森に桜はないというのがレイの判断だった。
(まぁ、ああやって一日ずつ森が侵蝕していってるんだから、そのうち桜の木とかも生えてくる可能性はあるかもしれないけど)
桜が自動的に生えてくるのであれば、それを何とかコントロールして桜の並木道でも作りたい。
ふとそう考えてしまうが、そんなことは出来ないだろうというのも分かっていた。
(桜の木だと、燻製を作るのにもいいんだけどな。……まぁ、実際に俺が作ったことはないから、漫画とかの知識だけど)
桜のチップで燻製をするというのは非常にありふれた内容だけに、TV番組でもよく放映されていたし、漫画とかでも取り上げられることは多い。
ふと、桜チップでゴブリンの肉の燻製を……とも思ったが、ゴブリンの肉の不味さを考えると、桜チップ程度でどうにかなるようなものではないと、すぐに思い直す。
「そのオーク肉の煮込みが入っているサンドイッチを……そうだな、五人前くれ」
「あいよ、いつもありがとよ」
以前買ったパンが美味かった店でサンドイッチを買ったレイは、セトと一緒にそれを食べながら大通りを歩く。
何人かがセトと遊びたそうにしていたのだが、自分の仕事の方を優先しなければいけない為だろう。残念そうな顔をしながら去っていく。
ただし……
「あ、セトだセト! ねえ、遊ぼうよ!」
「あたしもセトちゃんと遊ぶー!」
仕事のない……正確にはまだ小さく、家の手伝いくらいしか仕事のない子供達にとっては、セトを見つければ遊びたいと思うのは当然で、同時にすぐに行動に起こすのも当然だった。
これで相手が怖い相手……それこそ誰彼構わずに暴力的な対応をするような冒険者であれば、子供達もそのような相手に声を掛けようとはしないだろう。
だが、レイの場合はこれまで数年の付き合いがある子供もおり、そんなレイの性格をよく知っている者も多い。
「あー……そうだな。どうする、セト? このままこいつらと遊ぶか? それとも、マリーナ達と合流するか?」
「グルルゥ」
レイの言葉に、セトはサンドイッチを食べながら喉を鳴らし……やがてサンドイッチを飲み込むと、子供達に顔を擦りつける。
「あははははは! もう、くすぐったいってば、セト!」
顔を擦りつけるセトに、子供はくすぐったがって笑い声を上げる。
そんなセトの様子を見ながら、レイは小さく笑みを浮かべた。
トレントの森の件で色々と考えることは多かったのだが、今この時だけは、こうして穏やかな時間をすごせることに嬉しさを感じる。
「ねぇ、レイ。どうしたの?」
「ん? ああ、いや。何でもない。ほら、お前もセトと一緒に遊んでこい」
レイの様子を疑問に思ったのか、セトに集まっていた子供の一人がそう尋ねるも、レイは何でもないと首を横に振る。
(トレントの森、か。……そろそろ本気で動いた方がいいと思うんだけどな。放っておけば、その内ギルムにも森が侵蝕してくるんだろうし)
毎日のように広がっているトレントの森。
その広がり具合は、一日十mから十五mといったところだ。
だが、それはあくまでも今までの状況であり、いつまでも同じとは限らない。
そうなる前に一気にどうにか対処した方がいいのではないかと、レイはそう思う。
幸いと言うべきか、レイが得意としているのは炎の魔法であり、それこそ火災旋風を使えば森は一掃出来る……筈なのだから。
セトと遊ぶ子供達を見ながら、レイはどこか嫌な予感を覚えるのだった。