1363話
時は戻り、レイが伐採したトレントの森の木をミスティリングに収納してからマリーナ達と共にこの場を立ち去ってから数時間後……既に夕方に近い時間帯。
トレントの森の近くには、四人の冒険者の姿があった。
「ちょっと、本当に大丈夫なんでしょうね? この森、ギルドの方であまり近寄らないようにって知らせがあったでしょ?」
「大丈夫だよ。それに、このままギルドの話を真に受けていれば、俺達はこれ以上のランクにはなれない。なら、少し危険でも何か手柄を立てる必要があるんだ」
長剣を持った女の言葉に、槍を持った男が答える。
他の二人も、それぞれバトルアックスと棍棒を手に持ち槍を持った男の言葉に同意するように頷く。
このパーティは、去年の春……丁度今くらいの時季にギルムにやってきたランクDパーティ、第三の瞳だ。
だが、ギルムで活動を始めてから約一年が経っても、自分達が当初思っていたような活躍はとてもではないが出来ていない。
勿論一年で成果を出すようなパーティというのは、それ程多くはない。
それでも、自分達ならそれが出来ると……そう考えていた男にとって、この一年の結果はとても満足できるようなものではなかった。
そして更に男の焦りを誘ったのは、この春になってギルムにやって来る冒険者の数が急速に増えたことだろう。
もっとも、それはあくまでも男の感覚であって、実際には毎年同じように増えているのだが。
事実、第三の瞳も去年の春に他のパーティと一緒にギルムにやって来たのだから。
しかし、男達にとってギルムの春というのはこれが初めてだった。
正確には去年もギルムで春をすごしているのだが、その時は春も半ばをすぎてからギルムに到着していたので、本格的な春というのは今回が初めてというのは間違いない。
そしてやってきた新人の中には、明らかに自分達よりも凄腕の者達がいた。
そうなってしまえば第三の瞳の面々が焦るのも当然で……そんな時、ギルドの酒場で一つの噂を聞く。
曰く、ギルムに向かっていた冒険者のパーティが、そこに存在しない筈の森に襲われて壊滅したと。
そして噂を裏付けるかのように、依頼ボードにはこの森には何もないので出来るだけ近付かないようにという張り紙も貼られていた。
こうなれば、もしかしたら何かがあるかもしれない。
そう思っても当然だろう。
もしかしたら他人に見せたくない……それ程の何かがあるのではないか。
それを手に入れれば、自分達のランクも上がり、名前も広まるかもしれない。
そんな思いから、第三の瞳はこうしてトレントの森にやってきたのだ。
もし本当に誰にも知られたくないのであれば、それこそギルドがトレントの森の件を公表する筈もないのだが、第三の瞳の面々はそこまで考えが及ばなかった。
情報の裏付けを取るにも、第三の瞳は四人全員が戦士というパーティだ。
どうしても情報の取り扱いについては、盗賊に劣ってしまう。
……もっとも、元々盗賊というのは魔法使い程ではないにしろなる者が少ない。
戦士だけというパーティは、そう珍しいことでもなかった。
だが、この場合はそれが最悪の結果を招いたといえるだろう。
今までは盗賊がいなくても自分達である程度の情報を集めることが出来ていたのだが、肝心な時にその情報に疎いという致命的な欠点が出てしまった形だ。
「……それにしても、本当に森の中にはモンスターとか動物の気配がないわね。トレントの森って割りには、ここに生えている木もただの木だし」
長剣を持った女が、夕日に照らされて赤く染まっている木に触れながら、そう呟く。
もし名前の通りに触っている木がトレントならば、それこそいつ攻撃されてもおかしくはない。
だが、こうして女が触っている木は、あくまでも普通の木でしかなく、動く様子は全くなかった。
実際には、女が触っている木こそがギルム増築の際に使われる建築素材として注目されているのだが、今のところ第三の瞳にそれを知る者はいない。
いや、それ以前にギルム全体で見てもほんの少数でしかないだろう。
だからこそ、第三の瞳は非常に高額で売れる木を前にしても何もしようとはしなかった。
ただ、もしこの木が高額で売れると知っても、第三の瞳にはそれをどうにかすることは出来なかっただろう。
バトルアックスを持っている者がいるので、それを使って木を切り倒しても、持ち帰る手段がないのだから。
樵ならまだしも、ただの冒険者……それもランクD冒険者程度では、斬り倒した木はどうしようもない。
歩いてここまで来たのだから当然のように馬車の類もなく、もし持ち帰るのであれば手で持てる程度にまで切ってから持ち帰るしかない。
だが、建築資材として使うのに、人が抱えられる程度の大きさにまで切った木を持っていっても、役に立つかは微妙だろう。
勿論何の役にも立たないということはないだろうが。
「そうだな。……だが、今はとにかく時間が惜しい。夜になるまでに多少はこの森の秘密を掴んでおきたい。まさか、名前の通り本当にトレントがいるだけなんてことはないだろうしな」
第三の瞳のパーティリーダー、槍を持った男の冒険者の言葉に、他の者も同意するように頷く。
唯一、長剣を持った女冒険者が不安そうな様子を見せていたが、ここで今更自分が何を言っても仲間が考えを変えることはないというのは理解していたのだろう。
大人しく仲間達と共に森の中に入っていく。
「こうして見る限りだと、やっぱりこの森には何かあるようには思えないわね」
夕方になり……動物もモンスターも、それなりに活発な時間になっているにも関わらず、何の騒ぎも聞こえてこない。
そのことを疑問に思う女だったが、それは仲間の緊張を緩めるという結果に繋がる。
「そうだな、なら、何かに襲われる心配もないってことだろ」
斧を持った男がそう告げるが、女はその言葉を聞いても警戒を下げることは出来ない。
「あのねぇ。こうして夕方になったにも関わらず森の中で何もないのよ? それで安心出来るようなことがある筈がないでしょ? 多分、この先は何かあるわよ? もっとしっかりと警戒しなさいよ」
「けど、こうして見てる限りだと心配いらないだろ?」
「……こんな森の中で、異常がないのが異常だと。そう思いなさいよ」
呆れたように女が呟くが、実際に今の状況では特に何かこれといった危険がないこともあり、全員が話しながら森の中を進む。
夕日に照らされて真っ赤になっているその森の光景は、ここが普通の森であれば純粋に見惚れてもおかしくはない。
あるいは、小さい頃に外で遊んでいて、夕方になったから帰った時のことか。
どこか郷愁を抱かせる光景ではあるのだが、それでも……いや、それだけにと言うべきか、色々と思うべきところがあった。
「……木の実や果実の類はあるから、食料に関しては心配しなくてもよさそうだな」
パーティリーダーの槍を持っている男が、少しだけ安堵したように呟く。
ランクDパーティだけあって、第三の瞳の財政状況は決して余裕のあるものではない。
勿論普通に生活していくには問題がない程度のものなのだが、それでも節約出来るところで節約するのは当然だった。
そういう意味では、木の実や果実の類があるこの森はうってつけといえる。
「肉がないのはともかく、山菜の類がないのも気になるけど」
棍棒を持った男が周囲の様子を眺めながら呟く。
肉……動物やモンスターの類がいないのは、前もっての情報で知っていた。
実際に見るまでは本当にいないというのを信じられなかったが、それでも自分の目で確認した以上、間違いはないだろう。
だが……春という時季で、山菜の季節だというのに、何も食べられる山菜がないというのは棍棒を持った男にとっても予想外だった。
灰汁抜きをしたりといった手間を掛けなければならない山菜も多いのだが、そのまま食べられる山菜も多い。
辺境だからと山菜が生えていない訳ではないのは、こことは違う別の森で山菜を採取したので知っている。
「旬の食べ物は食べたかったんだが、しょうがないか」
「ま、いざとなったらギルムに戻って喰えばいいだろ。……そろそろ大体見て回ったし、今日は野営して明日の朝一でしっかりと調べるとしようか」
パーティリーダーの言葉に従い、第三の瞳の面々は森を出る。
パーティの中で唯一、長剣を持っている女だけが動物もモンスターも存在しない……それどころか春なのに虫すら存在しない森に違和感を覚えていた。
だが、ここでそれを言っても誰にも聞いて貰えないだろうし、何より森を出る気になっているのだからと、それ以上は何も言わずに森の外に出る。
そうして早速野営の準備を行うのだが、春で大分暖かくなってきたとはいえ、夜はまだそれなりに冷える。
持ってきた布を何枚も重ねた布を準備し、採ってきた木の実や果実、干し肉、焼き固めたパンといったもので食事を済ませてしまう。
つい先程までは夜空に浮かんでいた夕日も完全に沈み、周囲は闇に包まれた。
「ねえ、一応聞いてみるけど、このままギルムに戻るつもりはない?」
駄目だろうと思いながらも、女はそう尋ねる。
幸い森が近くにあるだけあって、薪には困らない。
今も第三の瞳の面々は、焚き火にあたりながらそれぞれが色々と話をしていた。
そんな中で女の口から出た言葉だったが、当然のように全員に却下されてしまう。
「俺達が何をしにここまで来たと思ってるんだよ。この森には確実に何かがあるのは間違いない。俺達が成り上がるのに、それは必須なんだ」
「……そうね、ごめんなさい。少し弱気になっていたみたい」
女が謝ると、パーティリーダーの男は厳しい顔立ちから一転して鷹揚に頷く。
「ま、この森が不気味なのは間違いないからな。その辺りの事情を考えれば、不安に思うのは仕方がない」
「そうね。……一応、今夜の野営では見張りを厳重にした方がいいでしょうね」
その言葉にパーティリーダーの男も頷く。
この森が不気味な場所であるというのは変わらないのだ。
警戒しすぎるということはないだろうという判断からだ。
そうして暫く話をしながら、やがて夜も遅くなってきたこともあってそれぞれが眠りにつく。
いつもであれば四人の中の一人が起きているというのが第三の瞳の野営のルールだったのだが、今回は念の為に見張りを厳重にするということで、二人ずつの見張りとなる。
そうしてまずはバトルアックスと棍棒を持っている二人が見張りをし、パーティリーダーの男と長剣を持った女はそれぞれ眠りにつく。
「……ん……」
何時間眠ったのだろう。
野営ということで、いつもなら眠りが浅い筈だったのだが、今日に限ってはぐっすりと眠ってしまったらしい。
何気なく視線を焚き火の方に向け……そこで焚き火が消えているのを見て、まだ若干寝ぼけていた女の頭が急速に覚醒していく。
「っ!?」
殆ど反射的に近くにある武器に手を伸ばし……
「あえ?」
自分の手が思ったように動かないことに驚き、疑問の声を出そうとするも……その声ですら呂律の回らないものになっていた。
そもそも、武器に手を伸ばしながら地面に手を突こうとしていたのに、そちらも動かない。
まるで麻痺したかのように動かないその様子は、傍目から見れば地面で蠢いている芋虫の如くといったところだろう。
女も自分に何か異変が起きているというのは理解したのだが、それが何なのかは分からない。
とにかく周囲の状況をしっかりと確認しようと、何とかまだ動く目だけを使って周囲を見回し……次の瞬間自分の視界に飛び込んできた光景に、頭が真っ白になる。
何故なら、パーティの仲間の二人が……自分よりも先に見張りをしていたその二人がいたからだ。
……それだけであれば、特に驚くようなことはない。
だが……女にとって、その二人が仲間だと、いや人間だったと理解出来たのが寧ろ驚きだった。
何故なら、本来なら女よりも大きな身体を持っている二人は、今では痩せ細り、骨と皮だけといった様子になっていたのだから。
本来なら女の二倍、三倍……いや、五倍近くはあってもおかしくなかった体重も、今では女の三分の一もないだろう。
驚愕すべきは、それでも尚二人はまだ生きていたということか。……もっとも、強制的に生かされたまま体内の体液という体液を吸われ、肉と内臓を溶かされてそれも養分として地面から生えている蔦に吸われているのを生きていると表現してもよければだが。
激痛と恐怖、混乱、絶望……それらの感情によって、既に仲間二人は完全に目が死んでしまっていた。
そんな二人を見て、もう一人の仲間……パーティリーダーの男の姿を探すと、そこでは巨大な食虫植物により上半身を失っている男の姿があった。
そして……麻痺しているにも関わらず、ツプリ、と何かが女の身体に突き刺さった感触を最後に、女の意識も消えてしまうのだった。