1360話
今日も昨日と同じように森の様子を見に行こう。
そう思っていたレイだったが、合流したマリーナが予想外のことを口にして驚きを露わにする。
「えっと、それは本気か?」
「ええ。私も連れて行ってちょうだい。ダークエルフとして、その森の様子が少し気になるのよ」
「……なるほど。だから今日はそんな格好をしているのか」
しみじみと視線を向けたレイは、いつもはパーティドレスを着ているマリーナが、珍しくズボンを履いている理由に納得する。
レイと一緒に移動するのは……より正確には、セトに乗って移動することは出来ない。
理由は分からないが、セトはレイの他に人を乗せて飛ぶことが出来なかった。
いや、正確には出来ない訳ではないのだが、そうすれば殆ど飛ぶことは出来なくなってしまうのだ。
その割りに、レイを乗せたまま熊の死体を前足で掴んで飛ぶといった真似は出来るのだが。
そんなセトの特性を活かしたヴィヘラは、以前アンブリスとの一件があった時にセトの前足に掴まってレイ達と共に高速で移動していた。
それを知ったマリーナも、同様の方法で移動しようと考えたのだろう。
ただし、いつものマリーナの服装……パーティドレスでそのような真似をすれば、当然のように地上からその中が見えてしまう。
マリーナとしては、自分の下着を見せてもいい相手は視線の先にいる人物だという考えである以上、パーティドレスでセトの足に掴まるといった真似は出来ない。
結果として選択したのが、服装をパーティドレスからズボンを含めて動きやすいものに変えるといったものだった。
勿論その服もパーティドレスと同じように魔力を込めた生地を使って作られた、マジックアイテムの一種なのだが。
いつもの艶やかなパーティドレス姿を見慣れているレイにとって、ズボンという動きやすい格好をしたマリーナは不思議な魅力があった。
上半身もドレスではないので男物に近い服装をしているのだが、その巨大な双丘を完全に隠すことは出来ずに大きく盛り上がっている。
男物だからこそと言うべきか、普段とは違ったマリーナの魅力を周囲に発していた。
マリーナも、レイの様子からそれに気が付いたのだろう。笑みを浮かべながら口を開く。
「どう? こういう服装も似合うと思わない?」
「ああ。似合うか似合わないかで言えば、間違いなく似合うな」
レイが素直に感想を口にすると、マリーナは嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんなマリーナの笑顔に、周囲を歩いていた通行人は目を奪われるのだが……本人は全く気にした様子もない。
「マリーナはともかく、ヴィヘラはいいのか?」
「ええ。昨日行った時も、モンスターはいなかったんでしょう? なら、大人しくギルムで待ってる方がいいわよ」
そう言って頷くヴィヘラの言葉に、レイも納得する。
これで森にモンスターが多くいるのであれば話は違っただろうが、昨日見た限りではモンスターの姿は存在しなかった。
トレントがいるという話もあったのだが、セトですらトレントの姿を見つけることが出来なかった以上、今日行っても戦える可能性はかなり少ない。
そんな場所に行くよりは、ビューネと一緒にすごしていた方がいいと思ってもおかしくはない。
「それに、私とマリーナの二人がセトの前足に掴まるような真似が出来るとは限らないし」
「いや、そのくらいなら問題ないと思うぞ」
そう言葉を返すレイだったが、それでも二人で熊以上に重いなら話は別だけどな……といったことは口に出さない。
レイもそのくらいの礼儀は弁えているし、何よりそんなことを考えた瞬間一瞬ではあっても背筋が冷たくなってしまったのだから。
そうして話を終えようとした、その時……
「レイさん、レイさん! ちょっと待って下さい!」
そんな声が聞こえてくる。
声の聞こえてきた方に視線を向けたレイが見たのは、ポニーテールを振り乱して走ってくるレノラの姿。
「レノラ?」
「はぁ、はぁ、はぁ……良かった、間に合いましたね。実は、ギルドマスターから追加の依頼です。今日森の様子を見に行ったら、木を……ある程度の太さがある木を一本伐採してきて下さい。勿論この件に関して、追加の報酬があるそうです」
「……木を? 何でまた?」
「いえ、私にもその辺は……」
そこまで答えると、息を整えてレノラは再び口を開く。
「昨日は休みだったので詳しい話は分かりませんが、恐らくその森の異常性が何か関係しているんだと思います。……どうでしょう? 出来れば……いえ、可能な限り受けて欲しいとギルドマスターから言われてますけど」
お願い出来ませんか? と尋ねてくるレノラに、レイは特に躊躇う様子もなく頷く。
「ああ、分かった。木を一本だよな? その程度でいいのなら問題はないから引き受けるよ」
「……そう言えるのは、レイさんだけなんですけどね」
ミスティリングがなければ、木を一本……それもある程度の太さがある木を伐採し、ギルムまで運んでくるというのはかなりの難事だろう。
レイだからこそ、こうも簡単に引き受けることが出来るのだ。
(それに、本当にあの森の木がトレントだったら……有り得ないとは思うけど、セトの感知能力も誤魔化せているのだとしても、自分が切り倒されるような状況になれば正体を現すだろうし)
レイは、セトの感覚を信じている。
少なくても、もっと高ランクのモンスターであればまだしも、トレント程度のモンスターがセトの感知能力をすり抜けるようなことは出来ないだろうと。
「取りあえず木の件は分かった。しっかり持ってくるから心配しないでくれ。……じゃあ、セト、マリーナ。行くか」
「え? マリーナ様も行くんですか!?」
マリーナにも呼び掛けたレイの言葉に、レノラは驚きの表情を浮かべる。
だが、マリーナはそんなレノラに問題はないと頷きを返す。
「ええ、今回の件は色々と疑問が残るわ。……まぁ、私はそっち方面に強いから」
そう言われれば、マリーナがダークエルフである以上、レノラも何も言えない。
また、ギルドとしても今回の件はまだ殆ど何も分かっていないのだ。
森に詳しいマリーナが、自分から進んで調査してくれるというのであれば、寧ろ願ってもない。
そんな思いがあるのも事実だろう。
同時に、レノラが尊敬しているマリーナの身を心配しているというのも事実なのだが。
「そうですか。……お気を付けて」
結局レノラがマリーナに対して出来るのは、そう言うだけだった。
そんなレノラの思いを理解したのだろう。マリーナは心配いらないと、そっとレノラの頭を撫でる。
そうして十秒程が経ち、マリーナはレノラから手を離すとレイに向かって口を開く。
「さて、じゃあ行きましょうか」
「ああ。木の伐採は……まぁ、デスサイズがあれば問題なく出来るだろうし、特に用意するものもないしな」
樵の類が聞けば、間違いなく顔を真っ赤にして怒るだろう。
樵の仕事の中で、何が一番大変かと言えば、やはり木を切ることではなく、切った木を運ぶことなのだから。
それを手で触れただけでミスティリングに収納し、重量も何も関係ないまま運ぶことが出来るというのだから、樵にとってはそれをどう思うのかは想像するのも難しくはない。
「あ、そうだ。ちょっと待って下さい」
正門に向かおうとしていたレイとマリーナ、セトの背に、慌てた様子でレノラが声を掛ける。
そうして二人と一匹の……そしてレノラの近くにいるヴィヘラとビューネの視線を受けたレノラは、話し忘れていた内容を口に出す。
「これから行って貰う森ですが、便宜的にトレントの森という呼称になりました」
「トレントの森?」
不思議そうに呟くのはレイ。
実際に森に入ってトレントを見つけることがなかったからこそ、こうして疑問を口にしているのだろうが、レノラはそんなレイに向かって頷きを返す。
「はい。取りあえず何らかの名称が必要だろうということで、分かりやすいようにという名前から、スレーシャさんが襲われた森をトレントの森ということに。勿論レイさん達が昨日森で襲われていないというのは知っていますが……取りあえずですから」
「分かった。別に俺もそこまで名前に拘ってる訳じゃないし、それでいいよ。トレントの森だな」
そう確認し、レイはマリーナとセトと共に正門に向かう。
そんな二人と一匹を見送ると、ヴィヘラはビューネと共に宿に戻っていき、レノラもギルドに戻っていく。
セトが翼を羽ばたかせ、レイはその背の上に乗り、前足には命綱を結んだマリーナが掴まっている。
セトの前足に掴まってぶら下がりながら移動するというのは、高い握力や体力を必要とされるのだが、マリーナは特に気にした様子もないまま空を飛びながら地上を見ていた。
「マリーナ、降りるぞ」
「ええ、分かったわ」
地上に広がる緑の絨毯を見ながら、マリーナはセトの背の上から聞こえてきたレイの言葉に短く返す。
そうしてセトは地上に降下していく。
「……こうして見る限り、多分森は広がっているな」
セトから降りて周囲の様子を見ながら呟くレイに、セトは喉を鳴らし、マリーナはじっと森の方を見る。
何か基準になる物がある訳でもないのだが、それでもレイの目から見た限りでは森が広がっているようには見えた。
その辺りは、スレーシャ達が野営をしていた場所に向かえば、はっきりするだろう。
「マリーナ、俺とセトは森の中に入るけど、マリーナはどうする?」
「……そうね、私も行くわ。こうして外から見てるだけではしっかりとは分からないし」
「分からないのか?」
「ええ。これが普通の森ではないというのは確実よ。けど、何がどうなってこんな森になったのかは、しっかりと森の中に入ってみないと分からないと思う」
ダークエルフのマリーナがそう言うのであればそうなのだろうとレイも納得する。
もっとも、レイの目から見ても目の前の森……トレントの森には違和感しかない。
動物や虫の鳴き声といったものが一切聞こえないのは、森として異常と呼ぶのに相応しかった。
「セト、お前は……あー……どうする?」
「グルルゥ? グルゥ!」
森の中に入ればセトの大きさを考えると動きにくいのではないか。
そんな思いで尋ねたレイだったが、セトは大丈夫! と、喉を鳴らす。
実際昨日も森の中に入ったのだから、普通に考えれば大丈夫なのは間違いないだろう。
「じゃあ、行くか」
こうしてレイはマリーナとセトと共に森の中に入っていく。
「……やっぱり動物の声とかは聞こえないな」
「そうね。あからさまに不自然だわ。……この木も……」
レイの言葉に頷き、マリーナはそっと近くに生えている木の幹を撫でる。
「こうしていると普通の木の幹にしか思えないけど、確実に違和感があるわ」
「そもそも、スレーシャはトレントに襲われたって話だったけど、この木はどこからどう見ても普通の木だよな。とてもじゃないけど、トレントじゃない。……だよな?」
「グルゥ」
レイの言葉に、セトはその通りと喉を鳴らす。
実際、こうしてレイが触っていても、全く攻撃してくる様子も……それどころか、微かに動くような様子すらない。
(どうなってるんだ? スレーシャ達が襲われたのは、間違いなくトレントなんだよな? なら、この増えている木々はトレントじゃないとか? けど……トレントじゃなくてもモンスターじゃないなら、こんなに増殖するか?)
マリーナが触っているのとは別の木の幹に触れながらレイが呟くが、そちらも当然のように普通の木でしかない。
「どう思う?」
森の専門家と言ってもいいマリーナに尋ねるレイだったが、そのマリーナも難しい表情を浮かべて顔を横に振る。
「分からないわ。けど、少なくても普通のトレントとかそういう問題じゃないのは事実ね」
マリーナの言葉に、レイは改めて自分の触っている木を……そして周囲の木を見る。
森が広がったばかりだというのに、そこに生えている木は細い……いわゆる若木の類ではなく、大人数人が手を繋いでようやく囲めるような木なのだ。
山育ちのレイの目から見ても、数年程度ではここまでは育たないと分かってしまう程に立派な木。
(まぁ、ここはエルジィンで魔法とかあるし……そもそもこの木もモンスターとかに関係あるんだろうから、日本の常識は通用しないんだろうが)
そんな風に思いながら、前日に見た野営の跡地に進む。
当然と言うべきか、レイが昨日歩いた距離の倍近い距離を歩き、ようやく野営地に到着する。
「こうして見ると、やっぱり森が広がってるよな」
呟きながら、レイはデスサイズを取り出す。
マリーナは何かあった時の為に少し離れた位置で矢を弓に番えていた。
セトも、何か起きたらすぐに反応出来るようにし……それを確認すると、レイはデスサイズに魔力を流し、大きく振るう。
「はぁっ!」
鋭い一閃が木の幹に走り……次の瞬間、レイ達がいるのとは反対の方向に幹を切られた……否、斬られた木は倒れていくのだった。