1354話
気付け薬のおかげで意識が戻ったスレーシャは、最初自分がどこにいるのか……そしてどんな状況なのかが全く分からなかった。
だがそれでも、最後の記憶で誰か冒険者に会ったというのを思い出し、それがルーノと名乗った男だと知り、そしてここがギルムのギルドだと知って、慌てて自分の身に起こったことを説明する。
「……森に喰われたって言ってたけど、文字通りの意味なのか」
てっきり何かの比喩だとばかり思っていたルーノだったが、そのことに意外そうに呟く。
「ルーノさん、そういう問題ではないですよ。トレントだらけなんて危険な森が存在するなんて話は、ここ最近の報告にはありません。そうなると、恐らく全く未知の存在かと」
普段は冷静な受付嬢が、珍しく緊張で強張った顔でルーノに注意する。
もしかしたら、スレーシャが何らかの理由でパニックになっただけで妄想を抱いている可能性というのも、ないではない。
だが、それでも今説明されたことが本当だったとしたら……それは色々な意味で不味いことになるだろう。
冒険者にとって、森というのは素材を採取したり、モンスターを倒したり、解体したりとする場所だ。
また、冒険者以外にも狩人が獲物を獲ったり、木の実、果実、山菜といったものを採取したりもする。
人を喰う森という厄介な場所だと知らなければ、当然そのような者達は森の中に入るだろう。……その結果、大勢の被害が出てしまうのは間違いない。
「これは……私だけでは判断出来ませんね。スレーシャさんの証言が正しいのかどうかを含め、ギルドマスターに報告する必要があります」
「あー、ギルドマスターか。新しくなったけど、どんな感じなんだ?」
ルーノも、ギルドマスターがマリーナからワーカーに代わったというのは知っている。
しかし、当然だがギルドマスターというのは、そうそう表に出てくる者ではない。
いや、人や場所によっては違うのかもしれないが、少なくてもギルムのギルドマスターは……マリーナも、そして新しくギルドマスターになったワーカーも、好んで表に出てくるようなことはなかった。
それだけに、ギルドマスターが変わってもあまり実感はないのだろう。
一応ワーカーがギルドマスターになった時の演説はルーノも聞いていたのだが、それ以来ワーカーの姿を見たことがない。
それだけに、ワーカーの顔は知っているが、その仕事ぶりがどのようなものなのかはルーノには分からなかった。
「マリーナ様が後を任されただけあって、優秀よ。まぁ、ダンジョンにあった出張所を纏めてきたんだから、有能じゃない筈はないんだけど」
そう告げ、受付嬢はルーノとスレーシャにここで待ってるように言うと部屋を出る。
そして上司に重要な用件があると告げ、二階にある執務室へ向かう。
「失礼します、ギルドマスター。至急報告したいことがあるのですが」
「入って下さい」
執務室の中から聞こえてきた声に、受付嬢は扉を開く。
部屋の中は、以前マリーナがいた時とそう変わっていない。
ワーカーが仕事をしやすいように細かいところは以前と違うが、それだけだ。
書類仕事をしているワーカーの方で一段落つくまで部屋の中を見回していた受付嬢だったが、ワーカーが読んでいた書類にサインをし終わると、再び口を開く。
「先程一人の冒険者がギルドに運び込まれたのですが、その冒険者が気になる報告をしてきました。もしそれが本当だとすれば色々と大変なことになりそうだったので、報告に来ました」
「冒険者からの情報ですか。では、聞かせて貰いましょうか。どのようなことですか?」
そう促され、受付嬢はスレーシャから聞かされた森についての話を説明していく。
森全体がまるで意思を持ったモンスターのように自分達を襲ってきたと。
そして、森が侵蝕してその大きさを増やしていると。
その話を聞いたワーカーは、普段は穏やかな表情を微かに顰める。
ことの重大さを理解したのだろう。
「森……トレントの集団ですかね?」
木のモンスターとして、最初に思いつくのは当然のようにトレントだった。
勿論他にも木のモンスターというのは多いのだが、今回の件でもし関わっているとすればトレントの可能性が高いだろうというのがワーカーの予想だ。
「分かりません。本人はそう言ってますから、その可能性も高いと思いますが……それでも、トレントが森と呼ばれる程に群れているというのは少し違和感があります」
「……そうですね」
「それに、今までそのような森があるというのは報告されていません。多少街道から逸れていても、そのような森があれば何人かの冒険者が見つけてもいいと思うのですが」
「ええ。その辺りも気になります。ましてや、ギルムに来ようとしている冒険者の中で、今回のように先に何かの手柄を立てようとしたのがスレーシャでしたか? そのパーティだけとは限りません。けど、それ以外に情報は入っていないとなると……」
最悪、その森に関わった冒険者は今回の例外を除いて全て喰われてしまったのかもしれませんね。
そう話を締め括るワーカーの言葉に、受付嬢は小さく息を呑む。
毎年春になれば多くの冒険者がギルムにやって来るのだが、その数は当然ながら毎年違う。
だからこそ、今年やってきた数が例年並みであっても……もしかしたら、それ以上の冒険者がスレーシャ達が襲われた森に喰われたのではないかと、そう思ってしまった為だ。
「どうします?」
「……具体的な規模と危険性が分からないというのは問題ですね。ダスカー様に報告するにも、もしかしたら規模が小さい可能性も高いですし」
広大な森がギルムに襲いかかってくるのであれば、当然ダスカーに報告する必要はある。
だが、もしダスカーに報告したものの、実際には森の規模がそこまで大きなものではなかった場合、それはギルドにとっては判断を誤ったということにもなりかねない。
勿論ダスカーはその辺を気にするようなことはないのだが、それを気にする者が皆無という訳ではないのは明らかだった。
「もう少し詳しい情報を……いえ、そう言えばこういう時に相応しい人材がいましたね。君、レイさんを呼んできてくれませんか?」
ワーカーの脳裏を過ぎったのは、レイ。
正確にはレイとセト。
この世界では非常に珍しい、空を飛ぶことが出来る存在だ。
(竜騎士よりも強く、それでいて人に危害を加えることも少ない。それどころか、ギルムの住人には非常に愛されている。……後者はともかく、空を飛べるというのは、今回の役には最適ですね)
その言葉に、受付嬢もワーカーが何を考えているのか分かったのだろう。
だが、同時に微かに気後れもする。
受付嬢も、セトを愛らしいとは思う。
だが、それ以上にギルドの受付嬢の中には、レイに夢中になっている存在がいるのだ。
その人物を放っておいて自分がレイを探しに行くのは、後日色々と問題が起きそうな予感がする。
(それに面倒臭いし)
明らかにそちらが本音だったが、件の受付嬢……ケニーについても、決して冗談という訳ではない。
実際、この受付嬢はレイとの関わりは殆どなく、今レイがどこにいるのかというのも分からなかった。
何だかんだと、ギルムは広い。
その中から、レイを探すのは間違いなく大変だろう。
「レイさんを呼ぶのであれば、ケニーを使った方がいいと思うのですが」
「なるほど。そう言えば……ですが、ケニーは今日は休日の筈ですが?」
「ええ。ですが、レイさんに会えると知れば、率先してやって来るかと」
それは、確信にも似た思い。
実際、ケニーの性格を考えれば、自分から進んでレイに会いにいくのは間違いないだろう。
だが、ワーカーは受付嬢の言葉に首を横に振る。
「今は少しでも早くレイさんを呼ぶことが必要です。ケニーを呼びに行って、それから……というのでは、時間が掛かるでしょう。ケニーが家にいるとも限りませんし」
「それは……そうでしょうね」
これが冬であれば、家にいる可能性も高いだろう。
だが、今はもう春で、外の気温も暖かい。
ましてや、ケニーの性格を考えると、休日には家でじっとしているよりは外に遊びに出掛けている可能性の方が高い。
そんなケニーを探して、それからレイを探しに行くとなれば、どれだけ時間が掛かるか分かったものではない。
(でも、レイさんを探すから出て来てって叫べば……ケニーなら、普通に姿を現しそうな気がするんだけど)
普段からケニーがどれだけレイに対して深い想いを抱いているのかというのを知っている以上、そう思ってしまうのは当然だった。
それでも確実ではない以上、やはり自分が行くしかないのかと、そう思ってしまうのだが。
「けど……レイさんがどこいるのかは、分かりませんよ? 定宿にしている夕暮れの小麦亭にいてくれればいいのですが」
「そうですね。もし夕暮れの小麦亭にいないのであれば、貴族街にあるマリーナ様の屋敷に行ってみるといいかもしれません。パーティを組んでからは、マリーナ様の屋敷が溜まり場になっていると噂で聞きますし」
ワーカーの口から出て来た言葉に、受付嬢は驚く。
執務室で仕事をしているものだとばかり思っていたのだが、きっちりと情報を集めていたとは思わなかったのだろう。
もっとも、ワーカーにとってレイ達とは色々と付き合いが深い。
ましてや異名持ちの高ランク冒険者である以上、その状況を詳しく知るのは当然だった。
「分かりました。では、まず夕暮れの小麦亭に行ってみます」
「お願いします」
それで話は終わり、受付嬢はそのまま執務室を出て、治療室に向かう。
「お、戻ってきたのか。で、どうだったんだ?」
「レイさんに森の件を依頼するみたいです。今から、レイさんを呼びに行ってきますね」
「ま、そうだろうな。森を探すんだから、レイの……いや、セトの空を飛ぶという能力はかなり使えるか」
「ええ。移動速度も非常に速いですしね」
短く言葉を交わし、受付嬢はそのまま治療室を……そしてギルドを出ていく。
そして真っ先に向かったのは、当然のように夕暮れの小麦亭。
幸い朝の忙しい時間はすぎているので、宿の方でもすぐに話を聞くことが出来た。
「すいません、ギルドの者ですがレイさんはいらっしゃいますか?」
カウンターで書類の整理をしていたラナは、声のした方に視線を向ける。
そこにいたのは、自分で説明した通りギルドの制服を着た女の姿。
顔も以前何度か食材を獲ってきて貰う依頼をする為にギルドへ行った時に見たことがあったので、本物のギルド職員だとラナにも理解出来た。
「おや、珍しい。レイさんを尋ねてくるなんて」
レイは異名持ちの高ランク冒険者として有名ではあるが、その性格から畏怖されることも多い。
結果として、わざわざレイを尋ねてくる者は皆無……とまではいかないが、かなり少ないのは間違いなかった。
ラナが驚いている理由を何となく理解しつつ、受付嬢は改めてレイについて尋ねる。
「ギルドの方でちょっと用事があって……それで、レイさんはいますか?」
「残念ですけど、レイさんは出掛けてますよ」
「あー……やっぱり。この陽気で宿の部屋にいるとは思ってなかったんですけどね。どこに行ったのかは分かりませんか?」
レイがいないと聞いた受付嬢にとって、残る心当たりはマリーナの屋敷しかない。
出来ればそれ以外の場所を聞きたかったのだが……
「うーん、屋台とか?」
「あ、なるほど」
レイの趣味の一つに、食べ歩きというのがあるのは知っている。
元々レイは料理についても詳しく、今までギルムでは食べたことがないような料理を広めてもきた。
うどん、肉まん、ピザ。
それ以外にも、噂では他の街で別の料理を広めているという話を聞いたこともある。
ともあれ、そんなレイだけに屋台を巡って食い歩きをしていると聞かされても納得出来るし、十分に有り得る選択肢だと思う。
だが……それでも、ギルムの広さを考えれば、やはりレイを見つけることが出来るとは思えなかった。
「分かりました。もう少し心当たりを探してみます」
結局受付嬢が選んだのは、もう一つの心当たり……マリーナの屋敷に向かい、そこに誰もいなければ改めて屋台を巡るというもの。
ギルムにどれだけの屋台があるのかを考えれば、当然の選択だろう。
そうして夕暮れの小麦亭を出て、貴族街に向かう途中の屋台を見ながら先を急ぐ。
(レイさんはセトちゃんと一緒にいる筈。だとすれば、セトちゃんを目当てに子供とかが集まっているから、見つけられないってことはないと思うんだけど)
そう思いながら進んだ受付嬢だったが、結局見つけることは出来ずに貴族街に入り、マリーナの屋敷の前に到着する。
一縷の希望と共に、受付嬢は屋敷の前で叫ぶ。
「すみません、マリーナ様はいらっしゃいますか!」