1352話
虹の軍勢も更新しました。
「ぎゃああああああああああっ!」
そんな声が夜の森に響き渡り、眠っていたダグザ達は素早く起きる。
もう冬も終わって春という時季になったこともあり、テントを使っていなかったことも幸いした。
目を覚ますと同時に、咄嗟に皆が武器を手に取る。
その動きは、考えてのものではなく身体に染みこんだものだった。
この辺り、自信過剰ではあっても冒険者としてある程度の実力があることの証なのだろう。
ともあれ、それぞれが武器を手にして行動を開始する。
「さっきのはロークラの悲鳴だったな!? あいつが見張りだったのか!」
「そうだ。けど、モンスターも出ないこんな森で一体何が……」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ! ここは辺境なのよ!? 何があっても不思議じゃないわ!」
仲間の間の抜けた台詞に、スレーシャは叫ぶ。
そう、自分達が今まで活動していた場所の流儀で活動しても、この辺境では意味がないのだ。
いや、それどころか危険ですらある。
「揉めるのは後にしろ! 今はロークラを助けるのが先だ!」
ダグザが叫び、その言葉で頭に血が上りかけたスレーシャも少し落ち着き、仲間の救助をするべく動き始める。
元々五人パーティで、ロークラがいない以上、四人での行動となる。
その四人が悲鳴の聞こえて来た方に向かうと……
「いない?」
ソクナンが周囲を見回すが、どこにもロークラの姿はない。
「そもそも、何だってこんな森の中に入ったんだ? 森には入らない方がいいって前もって言ってあったよな」
ダグザの言葉に、他の三人も頷く。
そう、ここが辺境である以上森に何があるか分からない。
だからこそ、森の中には入らないようにと野営をする前にきちんと全員に言っておいたのだが……自分達が眠っていた場所、森の外ではなく、中から悲鳴が聞こえてきたのだ。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ。とにかくロークラを探さないと」
スレーシャの言葉に、それもそうだと判断したのだろう。
ダグザは頷くと、森の中に向かって叫ぶ。
「ロークラ! どこにいるんだ! 返事をしろ!」
本来は夜の森でこのように叫び声を上げるのは、非常に危険だった。
だが、仲間を探す為にやむを得ずという判断なのだろう。
他の面々もダグザと同じく周囲に向かって叫ぶのだが、ロークラからの返事は全くない。
三十分程探し……やがて皆がダグザの下に集まる。
皆の顔が深刻な様子なのは、こうして叫んでも一切返事がないということは、生きている可能性が非常に低いということを意味しているからだろう。
「どうする?」
それが何を意味しているのかというのは、明らかだ。
ここまで大声で探しても、一向に姿を見せる様子がない以上、恐らくもうロークラは生きていないだろう。
ロークラは、ダグザ達のパーティの中でも腕の立つ戦士なのは間違いない。
そんなロークラが、殆ど何も出来ず短時間であっさりと殺されたのだ。
もし敵が出て来たら、自分達に勝ち目はあるのか、と。そう考えてしまうのは当然だろう。
「どうするだって? 決まってる。絶対にロークラを見つけるか、その仇を取る!」
ダグザの声が森の中に響く。
自信過剰で強引な性格をしているダグザだったが、パーティリーダーを任されているだけあって、非常に仲間思いの一面もある。
そもそも、乱暴で仲間のことを考えないような男がパーティリーダーをしても、誰もついてくることはないだろう。
それだけに、ロークラを見つけるか、もし殺されていたらその仇を取ろうと考えるのは当然だった。
だが、そんなダグザにソクナンは待ったを掛ける。
「待ってよ、ダグザ。ロークラがこんなにあっさりとやられたのを考えると、敵は相当に強力な相手だと考えるべきだ。モンスターか盗賊かは分からないけど、そんな相手に……」
「うわぁあああああああああああああっ!」
『っ!?』
話している途中で、いきなり悲鳴が上がる。
それも、すぐ間近からだ。
ダグザ、スレーシャ、ソクナンが反射的に声のした方に……自分達の仲間が数秒前までいた筈の場所に視線を向け、それぞれ武器を構える。
だが、そこには誰の姿もない。
……そう、数秒前までは確かに仲間がそこにいたというのに、今は綺麗さっぱりその姿が消えているのだ。
まるで、そこにいたことこそが見間違いであったかのように。
「上よ!」
そんな中、真っ先に叫んだのはスレーシャ。
スレーシャの言葉に、ダグザとソクナンの二人は反射的に上を見る。
するとそこには、蔦によって首を……四肢や胴体の全てを縛られ、身動きが出来なくなっている仲間の姿が木々の茂みから降り注ぐ月明かりに浮かび上がっていた。
いや、首の曲がっている角度から考えると、既に命そのものが消えてしまっているだろう。
「蔦!? 何で蔦が……」
「っ!?」
ダグザの言葉に、スレーシャが森を調べた時のことを思い出す。
静かな……それこそ小鳥くらいしか存在しない森。
強力なモンスターがいるか、もしくはいた可能性の高い場所として考えていたが……それが完全に勘違いだった?
そう、自分達は遭遇したことがないが、それでもそのような存在を知っているではないか。
木に擬態するモンスター……トレント。
トレント自体は、ランクDモンスターであってそこまで強力という訳ではない。
だが、それはあくまでも敵が一匹であればの話だ。
もし自分達がいるこの場所が……いや、この森全てがトレントだったら?
それは、自分達が敵の真っ只中にいるということになるのではないか。
スレーシャ自身、この森が具体的にどれだけの広さがあるのかは分からない。
それでも、生えている木は十本や百本程度ではないのは明らかだ。
「危ない、スレーシャ!」
自分達の現状が危機的なものであることを考えていると、ダグザがそう叫びながらスレーシャの身体を押す。
いや、それは押すという優しい行為ではなく、力の限り突き飛ばすといった表現の方が正しい。
強い衝撃でその場を突き飛ばされたスレーシャは、転ばないよう咄嗟にバランスを取りながら後ろを見る。
「ぐがあぁっ!」
そうして振り向いたスレーシャが見たのは、地を這うように伸びていた木の根がダグザの身体を下から貫いている光景だった。
それも根の数は一本や二本ではない。軽く十本は超えてるだろう。
それだけの根がダグザの身体を貫き……そして身体中に根を伸ばしていく。
まるで血管が脈動しているかのように、ダグザの皮膚を通して根が身体中に広がっていくのが分かる。
それを見たスレーシャとソクナンは、衝撃から動きを止めてしまう。
トレントがどのような存在なのかは、当然知っている。
完璧にトレントの全てを知っている訳ではないが、それでも大体のところは理解しているつもりだった。
そんなスレーシャとソクナンが知っている情報の中に、このようなものは存在しない。
「ニ……ゲ……ロ……」
トレントの根に侵蝕されている影響だろう。既に言葉も片言で非常に聞き取りにくいものになっている。
だが、それでも自分達のリーダーがどんな思いでその言葉を口にしたのかが分かったスレーシャとソクナンの二人は、殆ど反射的な動きで地面を蹴る。
何としてもこの森から……恐らくトレントで出来た森から逃げ出す為に。
「ダグザ……待ってて、必ず助けを連れてくるから!」
スレーシャに出来るのは、そう叫ぶだけだった。
とにかく今はこの森から……死の森と呼ぶに相応しい森から逃げ出そうと、そう考えながら森の中を走り続ける。
幸い……もしくはそれすらも向こうの事情なのか、森を構成しているトレントが動き出す様子はない。
ならば、このまま森から逃げ出せる。
そう思いながら走り続け……視線の先に見えてきたものが、スレーシャとソクナンの二人を絶望に叩き込む。
それは、自分達が野営していた場所。
いや、それだけであれば問題はない。
だが、野営をしていた場所が完全に森の中に呑み込まれているということが意味しているのは、この森が急速に大きくなっているか……もしくは木々が移動しているかのどちらかだった。
そしてトレントがいるということを考えれば、ほぼ間違いなく後者だろう。
「うわぁああぁぁあっ!」
「ソクナン!?」
野営地が森に呑み込まれたということに驚き、動きが止まったのは数秒……だが、その数秒があれば、森の中にいる……つまりトレントに囲まれている二人が襲われるには、十分な時間だった。
「逃げてくれ、スレーシャ! このことをギルムに早く伝えてくれ!」
胴体、足、手……身体中のいたる場所に蔦が巻き付けられ、森の奥にソクナンを引っ張り込もうとしてくる。
地面に短剣を突き刺し、何とかそれを防ごうとするソクナンだったが、蔦で引っ張ってくる力は想像以上に強いのだろう。
地面に刺した短剣で持ち堪えることが出来たのもほんの数秒でしかない。
スレーシャが咄嗟にソクナンに手を伸ばし、何とか蔦からその身体を引っ張ろうとするものの……手を伸ばした瞬間、ソクナンは森の奥に引きずり込まれていく。
「ソクナンッ、ソクナン!」
「ギルムに、頼む!」
そう叫びながら、ソクナンの姿はスレーシャの視界の中から消える。
「くっ!」
また仲間を失った。
それに一瞬だけ思いを寄せるが、スレーシャはすぐにその場を走る。
瞬間、スレーシャの身体があった場所を、森の奥から伸びてきた蔓が鞭の如く叩きつける。
「ごめんっ!」
その一言にどれだけの想いが込められていたのかは、スレーシャにしか分からないだろう。
森に呑み込まれつつある野営地からは荷物を持ち出すことも出来ず、手に持つのは弓と矢だけの状況で走り出す。
スレーシャにとって幸いだったのは、森の侵蝕速度がそこまで高くなかったことだろう。
おかげで、野営地から少し離れた場所はまだ森に侵蝕されていなかったのだから。
(トレントがこんなに集まってるなんて……それに、ダグザの件を見ても、とてもじゃないけどただのトレントじゃないわ!)
走るスレーシャの瞳からは涙が溢れる。
森から離れたことにより、少しだけではあるが気が緩んだのだろう。
色々とあったパーティだったが、スレーシャにとってダグザ達は決して悪い相手ではなかった。
冒険者という職業を選んだ以上、こうなる可能性は決して考えなかった訳ではない。
だが、それでも……と。
自分達に本当にそのようなことが起こるというのは、全く考えていなかったのだろう。
(ダグザが街道を外れると言った時にもっと止めてれば……違う、ギルムに行くって言った時に止めてればよかったのに。何で……何で……)
走りながらだが、スレーシャの目から涙が零れ落ちる。
普段はスレーシャの気の強さを表すように、少し吊り目がちの目なのだが……今のスレーシャからは、とてもではないがそのように気が強いとは思えなかった。
走っている途中に何度も背後を見ては、そこに森が……トレントと思しき存在がやって来ていないのかを確認しながら、スレーシャはひたすら走る。
当然冒険者であっても、走り続ければ体力は消耗する。
だが、少しでも足を止めれば、またどこからか蔦が伸びてくるのではないかという強迫観念から、必死になって走り続けた。
また、一刻も早く今回の件をギルムに知らせなければという思いもある。
もっとも、そこにある思いは使命感といったものより、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、ダグザ達を救うことが出来るかもしれないという打算もあった。
スレーシャにとっては、色々と問題もあるが気の許せる相手。
今まで幾度も共に命の危機を潜り抜けてきただけに、その絆は深く、固い。
ぜえはぁ、と荒い息を吐きながらもスレーシャはギルムに向かって走り続ける。
そうして走り続けてどのくらいが経ったのだろう。いつの間にか夜の象徴とも言える月は沈み、その代わりに太陽が空に上がっていた。
どのくらいの時間走り続けたのか、スレーシャ本人にも分からない。
踏んでいる地面も、いつの間にか草原から石畳に代わっている。
そう……自分達がダグザの言葉に乗って逸れた街道に戻ってきていたのだ。
「お、おい。どうした? 大丈夫か!?」
街道を走っているスレーシャの様子が尋常ではなかったからだろう。
偶然通りかかった冒険者……ギルムを拠点にしており、ポーションを作るのに使う為の特殊な魔力を持った薬草の採取依頼を受けた冒険者が、スレーシャにそう声を掛ける。
そしてスレーシャも、声を掛けられて初めて前にいる人物に気が付き……口を開く。
「お願いします、仲間を……仲間を助けて下さい、森が……森に、喰われて……」
それ以上は声に出せず、スレーシャは体力の限界を超えてそのまま意識を失い、冒険者の男に向かって倒れ込むのだった。