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レジェンド  作者: 神無月 紅
陰謀の商会
1337/3865

1337話

 レイ達がアジモフの家の中庭で模擬戦を行っている頃……トリスはスピール商会の執務室で部下からの報告を聞いていた。


「そうですか。プレシャスはまだ尻尾を見せませんか」

「はい。プレシャスの周囲にいる者達が予想以上に厄介です」


 部下からの言葉に、トリスは冷たく冷えた果実水を飲みながら溜息を吐く。

 一般人にとっては物を冷やすマジックアイテムというのは非常に高価なのだが、スピール商会ギルム支部を任されているトリスにとっては、少し無理をすれば購入出来る代物だ。

 ましてや、商会に所属している者達が気持ち良く仕事を出来るのであれば、この程度の出費は問題ないと考えている。

 だが、今のトリスはその冷たい果実水を味わっているような余裕はない。

 今回の、レイとアゾット商会をぶつけ、トリスの失態とさせようとする策略。

 それについての調査の進展が殆どなかったからだ。

 その最大の原因が、今の報告にもあったプレシャスの周囲にいる者達。

 護衛や自身の側近としてプレシャスが連れてきた者達が、トリスの調査を妨害するのだ。

 勿論あからさまに邪魔をする訳ではない。

 さりげなく邪魔をするその様子は、非常に厄介であるとしかいえなかった。


「こちらに寝返らせる……のは無理ですか」

「はい」


 確認の意味を込めて呟かれたトリスの言葉だったが、報告を持ってきた部下はあっさりと頷く。

 プレシャスの周囲にいるのは、プレシャスが……正確にはプレシャスの家が代々運営してきた孤児院の出身者だ。

 孤児というのは、生きるよりも死ぬ方が多い。

 また、孤児院の中には孤児を自分達の商売の道具としか見ていない者もいる。

 奴隷の如く働かせ、その資金を自分達のものとしたり……中には孤児を欲望の対象とする者もいた。

 そのような孤児院に比べると、プレシャスの家で運営している孤児院は食事もしっかりと出て、理不尽な目にも遭わない。

 それだけに、孤児院出身の者達はプレシャスに強い信頼を覚えていた。

 ……もっとも、その中には孤児院で行われた教育が強く影響しているのも事実なのだが。

 それだけに、孤児達がプレシャスを裏切ってトリスにつくような真似をする可能性は、皆無だった。


「分かっていたことではありますが、厄介ですね」

「一応、プレシャスやその護衛の周辺に気が付かれない程度で調査は進めているのですが……」


 言葉を濁すが、それは調査が思うように進んでいないことの証だった。

 もっとも、プレシャスの方はそんなトリスの部下の調査でも厄介に思い、スレインに対して協力要請をするという手段に出たのだが。


「しょうがないですね。では、もう少し頑張って下さい。今の状況で、レイさんに下手に暴れられる訳にもいきませんので。そうなる前に、何とかする必要があります」

「はい。可能な限り。……ですが、スラム街の方は……」


 言いにくそうにする部下の言葉に、トリスも分かっていると頷く。

 数日前、プレシャスがこれ見よがしにスラムに向かった情報は、当然トリスも得ている。

 また、そこにレイが向かったというのも同様だ。

 その情報を得た時は、もしかしたらスラム街でレイがプレシャス達に手を出すつもりか? と思ったものの、その当時はスラム街に派遣出来る部下がおらず、一歩出遅れてしまう。

 すぐにギルムで雇った者のうち、スラム街に詳しい人物を派遣したのだが……その時、既に事態は終わっていた。

 それでも集めた情報から、スラム街で行われたのはあくまでもレイによる牽制で、実際にプレシャスに具体的な危害が加えられなかったというのを知ることは出来た。


「そちらの方の人材も、何とか集めているところです。出来るだけ早く集め、そちらに回すので今は何とか現状で頑張って下さい」

「はい、分かりました。では……」


 そう言い掛けたところで、男は唐突に言葉を止める。

 そして何かを警戒するように周囲を見回す。

 そんな部下の姿を見れば、トリスも現在何が起きているのかを悟るのは難しくはない。

 トリスはあくまでも商人で、戦いに身を置く人物ではない。

 だが、それでもギルムの支店を任されるだけあって、修羅場はそれなりに潜り抜けてきている。

 部下の反応だけで、現在の状況が決して良いものではないということは理解出来た。


「プレシャスですか?」

「どうでしょう。その辺りはまだしっかり分かりません。ですが、状況的に考えれば間違いはないかと」


 懐から短剣を取り出し、いつ何が起きても大丈夫なようにトリスの側に近寄りながら、男は周囲を警戒する。

 トリスもここにいたっては果実水を飲んでいるような余裕はないと判断したのだろう。自分では直接相手に対抗出来ないが、それでも部下の邪魔にならないように立ち上がった。


「誰かいないか、来い!」


 叫ぶ部下の声が周囲に響くと、すぐ二人の男が扉から中に入ってくる。

 護衛として扉の前に立っていた二人の男だ。

 手には長剣を持ち、厳しく引き締まった表情でトリスを見て無事を確認すると、少しだけ安堵の表情を浮かべる。

 だが……ちょうどその瞬間、強烈な衝撃と共に支店が揺れ、同時に悲鳴が聞こえてくる。

 トリスの部屋には何もなかったのは幸運だったのだろうが、今の悲鳴はただごとでないのは確実だった。


「ちっ、トリス様ではなく、ここを狙ってきたか。……ルスクル、お前は店の様子を見てこい。サウスはここで俺と一緒にトリス様の護衛だ。今の悲鳴が陽動という可能性は十分にある」

「は!」

「分かりました!」


 ルスクルと呼ばれた男は素早く部屋から出て行き、サウスと呼ばれた男はトリスの側で待機する。


「エジストール、どう思うかね? やはりこの件はプレシャスの仕業だと?」


 トリスの言葉に、護衛二人に指示を出していた男……エジストールは、素早く頷く。


「恐らく間違いないかと。トリス様が他に誰かの恨みを買っていて、そちらに襲撃を掛けられたのであれば話は別ですが」

「……そっちも否定出来ないんですよね」


 スピール商会は……いや、この場合はトリスはと言うべきだろうが、多少強引な取引をしている自覚はある。

 それだけに誰にも恨まれていないかと言われれば、正直に頷くことは出来ない。

 だが、同時にこうして店に直接襲撃を仕掛けてくる程に恨まれているのかと言われれば、こちらもまた正直に頷くことは出来なかった。


(そもそも、襲撃の類ではなく事故か何か……という可能性もありますか)


 そう思うものの、長年商人として活動してきたトリスの勘は、このタイミングで響いた悲鳴が襲撃ではないという可能性は小さいだろうとも判断をしていた。


「プレシャスにしては、随分と行動に出るには早いと思いますが……どう思いますか?」

「分かりません。スラム街の一件でレイ殿を完全に敵に回したと判断して、機先を制しようと思ったのかもしれませんが」

「……つくづく、スラム街の方に人をやるのが遅れたのが痛いですね」

「仕方がありませんよ。元々プレシャスがスラム街と繋がりがあるとは思っていなかったのですから。そもそも、プレシャスがギルムにやって来たのは、春になってから。トリス様よりも随分と後です」

「それでもスラム街の人物と接点を持ったのは、プレシャスやその部下が有能だった他に……それだけスラム街の住人にも利益があったんでしょうね。恐らく報酬を弾んだのでしょうが」


 頬の肉を揺らしながら呟くトリスに、エジストールが頷く。

 そして次の瞬間、執務室の扉が開き、ルスクルが姿を現す。


「どうやら、馬車が突っ込んできた模様です。馬が何かで恐慌状態になっていたらしく……が……」


 説明の途中で、不意にルスクルの言葉が途切れ……額から不意に角が生えた。

 いや、それを角と思ったのは一瞬だけでしかない。

 やがてそれが角ではなく、細長い……レイピアやエストックと呼ばれる、刺突に特化した武器の切っ先であるとエジストールは察すると、トリスを守る為に前に出る。

 一瞬遅れてサウスも自分の相棒が背後からの攻撃で殺されたというのを理解したのだろう。

 白目を剥いて床に崩れ落ちるルスクルを見ながら、エジストールの後を追う。


「ふふっ、残念だけど私の役目はこれで終わり。また会うことにならないといいわね?」


 黒い髪が肩で切り揃えられた、女。

 顔立ちは整っている方ではあるが、それでも絶世の美女という訳でもない。

 本当にどこにでもいそうなその女は、笑みを浮かべてレイピアを振るう。

 その切っ先に付着していた脳髄や血、体液といったものが、飛沫となってエジストールの顔に掛かる。

 だが、エジストールはそれには全く気にした様子もなく女との距離を詰める。

 しかし……次の瞬間、女は床に何かを叩きつけ、周囲を煙で満たす。


「ぐっ!」


 その煙に一瞬動きを止めたエジストールだったが、その一瞬がこの場合は致命的だった。

 気が付けば何故か既に煙は完全に消えており、同時に女の姿もまた消えていた。


「くっ、逃がしたか」

「エジストールさん!」


 サウスの言葉にエジストールは頷き、改めて視線をトリスに向ける。


「まさか、この時点で向こうから仕掛けてくるとは思いませんでしたが……どうしますか?」

「そう、ですね。今回の件は些か不審なところがあります。実力行使をすれば、レイさんが出て来やすくなるというのは向こうも理解している筈です。なのに、何故このような真似をしたのか。……エジストール、一応聞きますが、先程の女に見覚えは?」


 尋ねるトリスの言葉に、エジストールは首を横に振る。


「プレシャスの手の者であれば大体の顔は知っていますが、それでも全員ではありません。周囲に明らかにしていない者という可能性は高いかと。もしくは……」


 床に倒れているルスクルを一瞥したエジストールは、改めて口を開く。


「先程も聞きましたが、プレシャス以外の手の者という可能性はあると思うのですが、どうでしょう?」

「ここまで露骨な真似をする相手に、そう心当たりはないのですが……それでも絶対という訳でありませんね。それより、ルスクルは丁重に扱って下さい」


 ルスクルとの付き合いはそう長い訳ではない。

 ギルムに来てから雇った人間なので、まだ数ヶ月程度だ。

 それでも同じスピール商会の人間として、少しの間ではあるが共にすごしてきた仲間である以上、その死体は丁重に葬るのがトリスの流儀だった。

 エジストールもそれは理解しており、小さく頷く。


「くそっ、誰がこんな真似をっ!」


 サウスが拳で床を叩く。

 ルスクルとはパーティを組んでいた訳ではなかったが、それでも数年来の友人だった。

 それだけに、こうして殺された光景を見て大人しくしていられる筈もない。

 そんなサウスの様子を一瞥したトリスは、改めて悩ましい表情を浮かべる。


(本当に、何故こんな真似を? ここまでやってしまっては、プレシャスももう後には退けない筈。それを承知の上で、行動を実行に移す必要があった?)


 まだ今回の件が確実にプレシャスの仕業と決まった訳ではないが、トリスは半ば確信していた。

 だが、同時に疑問を抱く。

 何故このような乱暴な真似をしたのか、と。

 そもそも、こうしてあからさまに店に襲撃を……と考えたところで、先程の悲鳴を思い出す。

 店に様子を見に行ったルスクルは、全てを説明する前に刺客に命を絶たれてしまった。


「エジストール、店の様子を見てきてください。先程の悲鳴も気になります」

「ですが……」


 普段であればトリスの命令にはすぐに従うエジストールだったが、今は躊躇ってしまう。

 ……当然だろう。先程死んだルスクルとサウスは同程度の強さだ。

 その片方が背後からの不意打ちに気が付かず、一撃で殺されてしまった。

 であれば、もし自分がいない時に先程の女が再び現れた場合、トリスの身を誰が守れるというのか。

 既にこの場を逃げ出してはいるのだが、相手がそう見せ掛けて再び襲撃にやってくるという可能性は捨てきれない。

 襲撃が終わった直後ともなれば、緊張感がなくなっても当然なのだから。

 そんなエジストールの言いたいことを理解したのだろう。トリスは何かを考え、やがて口を開く。


「分かりました、では私も一緒に行きましょう」

「ちょっ、待って下さい!」


 自分から刺客に狙われやすい場所に出て行くのは絶対に止めて下さいと告げるエジストールに、トリスは首を横に振る。


「私はエジストールを信じています。さぁ、行きますよ。店で何か起きているのなら、責任者の私が向かわなければ……」

「トリス様!? ええい、サウス、俺達も行くぞ!」

「え? あ、はい! ……またな」


 ルスクルに短く告げ、サウスはエジストールの後を追う。

 そうして見たのは、店の中に馬車が突っ込んでいる光景。

 幸いにも軽く身体をぶつけたり、少し擦ったりといった軽傷の人物はともかく、死者や重傷者はいないようだった。


「皆、落ち着いて。まずは怪我人を治療します。お客様の無事を確認して下さい。それと手の空いている者は馬車を店の外に出すように」


 トリスが指示をし、周囲の混乱は次第に収まるのだった。

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