1312話
説明のために警備兵達を屋敷の中に入れようとしていたガラハトだったが、話が決まろうとした時に一台の馬車がやって来る。
かなりの速度でやってきた馬車だったが、ガラハトの屋敷の前で特に何も騒動が起こっていなかったことが予想外だったのだろう。少し戸惑ったようにしながら、馬車から警備兵達が降りてくる。
そして最後に降りてきたマリーナの姿を見ると、レイ達も驚きながら納得する。
元々アジモフの件を警備兵に知らせるようにと、そう頼んだのはレイだったのだから。
「どうやら無事だったみたいね」
そんなマリーナが、レイの顔を……そして他の面々の顔を見ながら、安堵したように呟く。
レイなら問題ないだろうと思っていたが、もしかしたらガラハトの屋敷が、そして周辺一帯が燃やしつくされていても不思議ではなかった為だ。
マリーナの心配には気が付いた様子もないまま、レイは落ち着いた様子でマリーナに尋ねる。
「それで、アジモフは?」
「問題ないわよ。元々怪我はレイのポーションで回復してたでしょ? そのまま診療所に置いてきたし、その後は警備兵に引き取って貰って詰め所で寝てるわ」
「……そうか」
表情には出さないようにしながらも、レイは安堵の息を吐く。
もっとも、フードを被っているので、そんなレイの表情を見ることが出来た者は少ないだろうが。
そんなレイの様子を見て、マリーナはふと気が付く。
レイの靴が今朝見た物とは違うということを。
「レイ、スレイプニルの靴は取り戻したのね?」
「ああ。……誰だか分からないけど、ふざけた真似をしてくれた奴がいてな」
「その話は、取りあえず屋敷の中でしよう。色々と人に聞かれたくないものもあるし」
そう告げるガラハトの言葉に、レイ達はそれぞれ頷く。
事情を知りたいとやって来た貴族の私兵や冒険者達は、自分達もその話を聞きたいとは思ったが……実際に自分達は今回の件に何も関係ない以上、それを通すのは無理だった。
それでも警備兵が後で大まかな事情は説明すると告げたことで、ようやく大人しく戻っていく。
「ここはいいから、お前達は詰め所に帰ってくれ」
警備兵の一人がそう告げると、馬車に乗ってやってきた警備兵達は素直に頷く。
本来ならここまで急いでやって来たことに不満を口にしてもおかしくはなかったのだが、貴族街が……そしてギルムが壊滅するようなことにならなくて済んだことで、取りあえず安心出来たのだろう。
そうしてレイ達とガラハト達、警備兵の一人が屋敷の中に入っていく。
そこに留まっていた他の者達もそれぞれが去っていく。
「取りあえず、屋敷で話すとしよう。……コリス、お前もそれでいいな?」
確認の為に告げる言葉にコリスも頷き……セト以外の全員が屋敷の中に入るのだった。
「まず、ゆっくりと飲んでくれ。レイもさっきと違って、飲んでくれるだろう?」
紅茶を勧めてくるガラハトに、先程とは違ってレイも頷きを返す。
「ああ、飲ませて貰うよ」
そう言い、ガラハトの部下が用意してくれた紅茶を口に運ぶ。
今日最初にこの屋敷にやって来た時は、レイにとってガラハトというのは……そしてアゾット商会というのは、警戒すべき敵と見なしていた。
だが、実際にはコリスは誰かに利用されたことが明らかであり、そうである以上レイもコリスを敵ではなく巻き込まれた被害者と見ることにした。
だからこそ、今はこうして紅茶を飲んでいた。
「それにしても……マリーナ様がギルドマスターを辞めるという話は聞いてましたが、本当だったんですね」
ガラハトも、元はランクB冒険者だ。
高ランク冒険者としてマリーナに会った経験もあるガラハトだったが、それでもアゾット商会専属の冒険者として活動していたこともあり、関係は必ずしも良好とはいえなかった。
ボルンターが会頭をしていた時代のアゾット商会は、ギルドに対して色々と無理を言ったり横暴に振る舞っていたりしたので、それも当然だろう。
それだけに、負い目のあるガラハトとしてはどうしても低姿勢に出てしまう。
もっとも、それはあくまでもプライベートの時に限っての話だ。
公の場では、アゾット商会の会頭としてマリーナとも堂々と渡り合わなくてはならない。
「ふふっ、もうギルドマスターじゃないんだし、様付けはいらないわよ。今の私は、ただの冒険者よ。この三人とパーティを組んだ、ね」
レイとパーティを組んだと聞き、ガラハト、コリス、ムルトの三人が驚く。
その中でも一番驚いたのは、やはり現役の冒険者ムルトだろう。
「うげっ、レイがパーティを組んだって……本当か!?」
「いや、そんなに驚くことか?」
「だって、レイって言えば誰ともパーティを組まずにソロで活動しているって有名じゃないか。……しかも、こんな美人と……」
その言葉でムルトが何を言いたいのか分かったレイだったが、言葉で何を言っても無意味になるのは分かっていたので苦笑だけを返す。
自分が周囲にどう思われているのかというのは知っているし、またそれが決して間違っている訳でもないのは事実なのだ。
マリーナとヴィヘラの二人に好意を……いや、愛情を抱かれているのは、レイも自覚しているのだから。
ただ、ビューネもその中に入れられるのはちょっと困ってしまうのだが。
レイにとってビューネというのは、女という扱いではなく妹分という扱いに近い。
「……ガラハトはあまり驚いている様子がないな」
「ああ。元々レイはそちらのヴィヘラとは少し前から行動を共にしていただろう? そっちのビューネも一時期はいなかったみたいだが、結局去年には合流してるし。……マリーナさんがパーティに合流してるのは予想外だったが」
レイの言葉に、ガラハトは笑みを浮かべているマリーナに視線を向ける。
「ふふっ、元々ギルドマスターは近い内に後進に譲る予定だったのよ。レイのおかげでちょっとだけ早くなったけど」
「そうなんですか?」
「ええ。今はランクBパーティ、紅蓮の翼の一員よ。何か依頼があったらレイに言ってね。パーティリーダーはレイだし」
その言葉に、再びムルトが驚く。
異名持ちということやセトの存在もあって、レイが一番有名なのは事実だ。
だが、ムルトが知る限りレイはとてもではないがパーティリーダー向きの性格ではない。
そんなムルトの視線に気が付いたのだろう。レイが溜息を吐いてから口を開く。
「お前が何を思ってるのは分かってるよ。俺だって自分がパーティリーダーに相応しいとは思ってないんだから。けど、色々と理由があって、パーティリーダーが出来るのは俺しかいなかったんだ」
元ギルドマスターで現相談役のマリーナ、元ベスティア帝国皇女のヴィヘラ、近い将来パーティを抜けることが決まっているビューネ。
そうなると、何だかんだでレイがパーティリーダーをやるしかなかった。
(そう言えば、エレーナにも一応教えておいた方がいいだろうな。……対のオーブでってのが少し残念だけど)
アジモフの襲撃の件で色々とあったが、結果としてアジモフは傷もポーションで回復して特に問題なく、盗まれたスレイプニルの靴もこうして取り戻すことが出来た。
そのおかげで、当初抱いていた怒りは大分薄くなっている。
もっとも、それはあくまでも今の状況であり、下手をすれば……それこそもう少しポーションを使うのが遅ければ死んでいたアジモフや、レイにとっても大事なスレイプニルの靴を盗んだ相手に対しては、きちんとお礼参りをする必要があると考えていたが。
(にしても、スレイプニルの靴はそのまま履いてるし、特に問題もないけど……本当に改良が完成してるんだよな? アジモフの意識が戻ったら、後でその辺もきちんと聞いておいた方がいいか)
改良が終わったから、レイがアジモフに呼ばれたのは事実だ。
それを考えれば問題はないのだろうと思うが、アジモフが襲撃された時にスレイプニルの靴の最終調整をしていたという可能性も否定出来ない。
スレイプニルの靴に妙な細工をされたという可能性も普通なら考えるのだが、レイはそちらについては心配していなかった。
元々スレイプニルの靴はエスタ・ノールが作った代物であり、素人がどうこうちょっかいを出せるようなものではない。
いや、本職の錬金術師であってもあの短時間でどうにか出来るとは思えなかった。
それでも、念の為にアジモフにはきちんと見て貰おうと考える。
「……さて、世間話もこの辺にして、そろそろ本題に入りましょうか」
マリーナのその言葉で、その場にいた者達の表情が変わる。……ビューネのみは相変わらず特に表情を変えた様子もなく、テーブルの上に紅茶と共に出された果実の味を楽しんでいたが。
「そうだな。なら、どっちから言う?」
そう告げるレイの言葉に、マリーナは少し考えて口を開く。
「レイ達の方からお願い出来る? 一応こっちにも幾つか知らせる内容はあるけど、先にそっちを聞きたいわ」
「俺達はセトが臭いを追ったのをついてきて、それでこの屋敷に到着した。で、ガラハトを呼んで貰ったところ俺達がくる直前にそっちのコリスがやってきたというのを聞いて、ムルトに呼んで貰ったんだ」
その言葉に部屋の中にいた者達の視線がコリスに向けられる。
視線を向けられた本人は、少し申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
自分の馬車に盗まれた物を隠されるような真似をされたというのが、商人として色々と不甲斐ないと思っているのだろう。
そんなコリスを気遣ったのか、レイはすぐに再び口を開く。
「コリス本人は全く何も知らない様子だったので、何かおかしいと思ってセトに臭いを辿って貰ったんだが……その臭いがあったのが、コリスの馬車だった訳だ。それも馬車の下側に、隠されるようにしてスレイプニルの靴があった。どんな手段を使ったのかは分からないけど、臭いはそれ以上追えなかったが」
「……なるほどね」
レイの説明で、マリーナは自分に接触してきた者の言葉に納得出来た。
レイとアゾット商会を争わせようとしていると、そう告げていた言葉が証明された形となったのだ。
特にコリスの馬車にスレイプニルの靴を隠すまではあからさまに臭いを気にした様子がなかったのに、その後の臭いを追うことが出来ないというのはあからさまに怪しすぎる。
(もっとも、あの情報を伝えてきた相手のことを思えば、私達の意識を自分達の思うように誘導する意識操作の一つという可能性もあるんでしょうけどね)
いつもであれば、もっと相手の言葉を信用しただろう。
だがそれが出来なかったのは、やはり自分に接触してきた相手の不気味さがある。
平凡という言葉をそのまま形にしたかのような人物。
それでいながら、明らかに普通の人間にはない違和感を与える相手。
「マリーナの方はどうだったんだ?」
レイのその言葉に、ガラハトを始めとするアゾット商会の者達も興味深そうな視線をマリーナに向ける。
レイが言っていたことは、アゾット商会の者達が実際に経験したことだ。
それに対して、マリーナが持っている情報は全く未知の情報だった。
だからこそ、こうして今はマリーナに興味深い視線が向けられている。
そんな視線を向けられながら、マリーナは口を開く。
「まず最初に、アジモフはレイがポーションで回復させたし、今は警備隊の詰め所に預かって貰ってるから、余程のことがない限り身の安全は保証されていると思っていいわ」
前もってマリーナからその話を聞いていたレイ達だったが、それでもこうして改めて言われると安心する。
「で、肝心の情報だけど……警備兵に事情を話した後、一応私も独自に何か情報がないか探ってたのよ。そうしたら、妙な相手が接触してきてね」
そうして、マリーナはその人物から聞かされた話を口にする。
アゾット商会とレイ達をぶつけることとして行われたものだ、と。
それ自体は、レイやガラハトも当然ながら理解していた。
だが、問題は誰がそれを企んだのかということだ。
そう尋ねられたマリーナは、だが首を横に振る。
「残念ながら、追うことは出来なかったわ。ちょうど相手と話をしている時に、レイ達が貴族街に突入したって話が来たのよ。その知らせを受け取っている間に、人混みに紛れて消えたわ」
「警備兵が来たら……」
捕まえられなかったのか?
そう尋ねるガラハトの言葉に、マリーナは首を横に振る。
「直接警備兵が知らせにきたんじゃなくて、精霊魔法で何かあったら知らせて貰えるように頼んでおいたのよ」
「……精霊魔法って、便利ですね」
しみじみと呟くガラハトだったが、実際にそのような真似が出来るのは精霊魔法を使う者の中でもほんの一握りの腕利きだけなのだと知らされ、改めてレイ達……紅蓮の翼の面々が持つ規格外の能力に溜息を吐くのだった。