1301話
雪も完全に解け、ギルムで冬の間を休養期間としていた冒険者達も動き出し始めた頃……ギルドの中では、職員や冒険者が見守る中でマリーナがワーカーに話し掛ける。
「ワーカー、今日からこのギルムのギルドマスターは貴方よ。この冬の間、引き継ぎとして色々と教えてきたけど、貴方は十分にここでギルドマスターとしてやっていけるだけの実力を持っているわ」
「……非才の身ですが、精一杯頑張らせて貰います」
マリーナの言葉に、ワーカーは神妙な表情でそう言葉を返す。
そんなやり取りを見ているギルド職員や冒険者の中には、本当にワーカーで大丈夫か? と思っている者もいる。
それは当然だろう。今まではマリーナがギルドマスターとしてこのギルドを動かしてきて上手くいっていたのだから。
そこでトップが変わるようなことになってしまえば、どうしても今までのように上手くいくのかどうか……それを心配になってしまう。
ギルド職員は冬の間にワーカーと共に仕事をした者もいるのだが、それでもやはり多少不安に思ってしまうのは、それだけマリーナがギルドマスターとして確固とした存在感を持っていたからだろう。
ワーカーもダンジョンの近くでギルドの出張所を運営してきた経験がある。
それでも、やはりマリーナに比べると不安に思ってしまう者が出てくるのは仕方がなかった。
ワーカーもそれは分かっているのだろう。
冬の間、マリーナと共に仕事をしてきたが、それだけにマリーナがギルド職員に慕われているのが分かる。
そこには魅力的な女として慕っている者もいるだろうが、それ以上に自分達の上司として信頼している者の方が多い。
それは一朝一夕で身につくものではなく、マリーナも長年ギルドマスターとして活動してきたからこそ、皆からそのような信頼を受けているのだ。
それが分かっているだけに、ワーカーはすぐに自分を信頼しろとはいえない。
「皆さんはこれまで、前ギルドマスター……マリーナさんの下で働いてきました。そのような方々にとって、すぐに私を信頼出来ないと思うのは分かります。ですが、安心して下さい」
その言葉に、話を聞いていた者達は何を言うのかと疑問を抱く。
そんな視線を向けられたワーカーだったが、特に動揺した様子もなく言葉を続ける。
「皆さんも知っての通り、マリーナさんはギルドマスターを私に譲りました。ですが、それはマリーナさんがギルドに何の関わりも持たないということを意味しません。相談役という立場になる以上、もし何かあった場合、マリーナさんに頼ることは出来ます」
マリーナが相談役として残る。
それは前から知らされていたことだったが、それでもこうして実際に目の前で言われれば安堵するのだろう。
見て分かる程に、ワーカーの話を聞いていた者達の表情が緩む。
「もっとも、いつまでも相談役のマリーナさんに頼ってばかりはいられません。私は……そして私達は、このギルドの運営をマリーナさんから託されたのです。そうである以上、いつかは独り立ちをする必要があるということを、皆それぞれ忘れないようにして下さい」
その言葉に、皆が頷く。
目の前のやり取りを見て、マリーナも安堵の息を吐いた。
ワーカーが有能であるというのは、引き継ぎをしたマリーナにはよく分かっている。
だが、それでも他の者達に受け入れられるかどうかというのは、また別の話なのだ。
だが、幸いなことに、今マリーナの目の前ではワーカーが受け入れられていた。
勿論そこにはいざという時にマリーナという存在がいるからこそというのもあるのだろうが、それでもここでワーカーが受け入れられたのは間違いのない事実だ。
(後は、ここからワーカーが頑張って、自分の実力や存在感を周囲に示していくだけね)
そんなやり取りを、ワーカーから少し離れた場所でマリーナはじっと見つめていた。
「マリーナさん、今までギルドマスターとしての業務、ご苦労様でした。これからは冒険者として……そして、ギルドの相談役として、よろしくお願いします」
「ええ。何か分からないことがあったら、いつでも手を貸すわ。だから、そっちも頑張ってちょうだい」
こうして、ギルドマスターの継承は正式に終わる。
もっとも、手続きの上では今朝の時点で既に終わっていたので、今行われたのは冒険者や職員……もしくは、ギルドマスターが変わると聞いて見に来た街の住民に対する式典、もしくはパフォーマンスのようなものだったのだが。
そうしてワーカーはカウンターの中へと入り、その奥……ギルドマスターの執務室に続く階段に向かって消えていく。
ギルドの中も最初はそれなりに静かだったのだが、ワーカーが消えてしまえばいつもの喧噪に戻る。
マリーナも、そんなギルドの様子を一瞥し……やがて、歩き出す。
向かった先にいるのは、当然これから苦楽を共にし、運命を共にするレイ達の姿。
「待たせたかしら?」
満足した笑みと共に、レイ達に向かってそう声を掛ける。
「いや、そうでもない。……けど、あんな簡単なので良かったのか?」
ギルドマスターの交代ということで、レイはもっと大々的な式典を予想していた。
だが、実際にギルドの中で行われたものは、レイが予想していたものよりもかなり小さな式典……いや、式典と呼ぶのも躊躇われるようなものだ。
「あら、そう? でも格式だけを整えてもそこに心がなければ意味はないでしょう? それに、結局はギルドマスターの交代よ? そこまで大々的にやるようなものでもないわよ」
「うーん……そんなものなのか?」
呟くレイの脳裏を過ぎったのは、日本にいる時にTVで見た光景だ。
県知事やら市長やらといったお偉いさんが辞める時には、職員総出で見送りしたり、花束を渡したりしていた光景。
そのような感じのものだと思っていたのだが、それだけに肩すかし……とまではいかないが、意表を突かれた形だった。
だが、ミレアーナ王国唯一の辺境のギルドではあっても結局ギルドの一つでしかないというのは変わらない。
レイの感覚で言えば、それこそ学校の校長が辞めたり、他の学校に転勤になったりといった感じの方が正しいのだろう。
「そうよ。とにかく、これで私はギルドマスターじゃなくなったの。……まぁ、相談役という立場ではあるけど」
「けど、相談役というのは公式な立場という訳ではないんでしょ?」
ぼーっとしているビューネの頭を撫でながら、ヴィヘラが尋ねる。
「ええ。あくまでも何かあった時にワーカーから……いえ、ギルドマスターから相談される私的な存在というところね。当然ギルドから給料の類も出ないし」
実際には何か相談され、それを解決すれば報酬やお礼という名目である程度の金は貰える。
だが、長い間ギルドマスターを続けてきたマリーナにとっては、その程度の報酬はあってもなくてもそう変わらない金額でしかない。
寧ろ、これから冒険者として活動するのだから、そちらで得られる報酬の方が多いだろう。
普通の……それこそランクDやCといった冒険者であれば、ギルドマスターより多くの報酬を得ることは出来ないだろう。
だが、マリーナがパーティを組むのは、レイ、ヴィヘラ、ビューネという三人。更にそこにセトもいる。
マリーナがギルドマスターをやっていた時のレイの行動を考えれば、間違いなく大きな稼ぎになる筈だった。
実際にレイは、これまでの数年で普通の人間なら一生……それどころか、来世や更にその来世の先まで遊んで暮らせるだけの金を得ているのだから。
「とにかく、これでマリーナは自由に動けるのよね?」
「ええ。勿論相談役という立場である以上、どこか遠くに出掛ける時はギルドに言っておいた方がいいでしょうけど、別にそんな予定はないでしょ?」
「そうだな。戦いの時の連携もまだ完璧って訳じゃないんだし、出来ればその辺りはしっかりとしておきたい」
レイの言葉に、他の面々も……それこそビューネもしっかりと頷きを返す。
戦いの時に下手な動きをすれば、それは仲間の足を引っ張ることになると、そう理解しているからこそだろう。
小さい頃からソロでダンジョンに潜っていただけに、ビューネもそこまで連携は上手いとは言えない。
そういう意味ではヴィヘラもソロで活動していた時期が長かったし、レイも同様だ。
この中で真っ当にパーティとして長期間活動していたのは、それこそマリーナだけだろう。
「じゃあ、どうするの? 今日から早速モンスターとの戦闘をしに行く? それとも、ギルドの訓練場で練習する?」
マリーナの問い掛けに、レイは少し考え……やがて口を開く。
「出来れば訓練場がいいんだが……今は混んでるだろ?」
「そうね。春になったばかりだし、休みの間に鈍った身体を鍛え直そうとしている人も多いし、私達みたいにパーティの連携を確認しようとしてる人もいるでしょうね」
連携の確認をするのに、一番いいのは当然実戦だ。
だが、実戦ともなれば当然怪我をする危険があった。
ゴブリンを相手にしても、油断をして怪我をするということは珍しくない。
そして怪我をすれば、当然回復するのにポーションや薬を使い……今の時季は決して裕福ではない懐を直撃する。
回復魔法を使える者がいれば話は別だが、そもそもこのギルムにおいても魔法を使える者は決して多くはない。
ましてや、その中で回復魔法を使える者ともなれば、非常に稀少な存在だろう。
「とにかく、訓練場に向かうか」
「……ねぇ、レイ。その前にまずやるべきことがあるでしょう?」
ギルドから出ようとしたレイだったが、それをヴィヘラが止める。
「やるべきこと?」
「ええ。マリーナが正式にギルドマスターを辞めたんだから、今まで出来なかったパーティの結成を申告する必要があると思わない? ここで早めに手を打っておかないと、後できっと面倒臭いことになるわよ?」
ヴィヘラの言葉は、レイにも理解出来た。
精霊魔法によって様々な……それこそ回復魔法も使え、弓の腕も一級品。更にはその美貌だ。
元ギルドマスターだけあって、周囲の人望も厚い。
そんな人物がパーティも組まずソロで活動しているのだから、普通に考えればパーティに誘う者が次から次に出てくるだろう。
ある程度ギルムで暮らした者であれば、マリーナが誰の為にギルドマスターの地位を降りたのかは分かっているので、そんな自殺行為はしない。
だが……春というのは、一番多くの冒険者がギルムにやってくる季節だ。
今まで活動していた場所では腕利きと言われていたような者達……良く言えば自信に満ちた、悪く言えばお山の大将と呼ぶべき者達。
情報の重要性を理解している者であれば、ギルムに来てすぐに情報を集めるだろう。
だが、中途半端に才能があり、それでいて戦ってきた相手がそれ程強くなく……挫折の一つもした経験のない者達であれば、情報がどれ程大事なものかは分からない。
そんな人物がマリーナのことを知った場合、どのような行動に出るのかは考えるまでもないだろう。
そのような面倒を減らす為にも、ここでパーティ結成の届けをギルドに出しておくのはレイ達の現状を思えば当然のことだった。
「じゃあ、行くか」
そんなレイの言葉に、他の三人は頷いて受付のカウンターへと向かう。
先程……まだマリーナがギルドマスターを辞めてから十分も経っていない為か、本人はどことなく照れ笑いに近い笑みを浮かべていたが。
「あ、レイさん。ギル……いえ、マリーナさん、ヴィヘラさんにビューネさんも。どうしたんですか?」
自分に近付いてきたレイを見て、レノラはそう声を掛ける。
先程の件でどこか慣れない様子なのはマリーナだけではない。その下で働いてきたレノラもまた同様だった。
そしてレノラの隣では、ケニーもまたどこか微妙な表情を浮かべていた。
レノラもケニーも、自分達がマリーナに可愛がられているという自覚はある。
だからこそ、こういう時は何と言えばいいのか迷ってしまうのだろう。
「あ」
そんな中、不意にレノラが声を上げる。
その視線が向けられているのは、マリーナの胸元。
いつもであれば、自分よりも遙かに巨大なその膨らみに思うところがあったのだろうが、今は違う。
何故なら、そこにはケニーを含めて受付嬢達で金を出しあって買ったブローチがあったのだから。
……そう。ギルドマスターを辞めるマリーナに対して、皆で贈ったブローチが。
それを見た瞬間、レノラは目の前にいるのがギルドマスターではなくマリーナという一冒険者なのだと、納得出来た。
そんなレノラの様子に、マリーナは笑みを浮かべ……自分の後ろでマリーナが笑みを浮かべていることに気が付かないレイは、そのままレノラに向かって言葉を発する。
「パーティの申請を頼む。メンバーは、ここにいる四人。パーティ名は、紅蓮の翼で」