1294話
「……ちょっと、期待させておいてこれはないでしょう?」
茂みから飛び出してきた存在に拳を振るい、その一匹の頭部ををあっさりと砕いて殺したヴィヘラが、呆れたように呟く。
何故なら、現在砕かれた頭部によって新雪を血や脳、骨、肉、体液といった代物で汚しているのが、ゴブリンだったからだ。
こうして冬の森の中で茂みから飛び出してくるモンスターということで、強力なモンスターだろうと期待していたヴィヘラだったが、それがただのゴブリンで戦う価値もないとなれば、その戦闘欲も発揮されはしない。
一緒に茂みを飛び出し……偶然にもヴィヘラに攻撃されなかったゴブリン達は、レイ達を囲みながらも既に逃げ腰だ。
元々ゴブリンはセトを相手にしても逃げずに襲いかかるだけの勇気……いや、蛮勇がある。
だが同時に、相手が強いと分かればすぐに逃げ出すだけの臆病さも持っていた。
そんなゴブリン達がまだ逃げ出していないのは、ヴィヘラに殺されたのが出会い頭の一撃……偶然だと思っているからだろう。
見る者が見れば……いや、ある程度以上の実力がある者であれば、すぐに実力で倒したと分かるのだろうが、相手はろくな判断力を持たないゴブリンだ。
それだけに、今もギャギャ、ギョギョ、と鳴き声を上げながら、木の枝を折って作った棍棒を手にヴィヘラを牽制している。
(木の枝の、折った方を相手に向ければ、まだ鋭利な分だけ武器になるんじゃないか?)
ふとそんなことを考えながら、レイは黄昏の槍を左手に持ち変え、右手をドラゴンローブの中に入れる。
そして腰のネブラの瞳へと触れて魔力を流し、魔力による鏃を生み出す。
手の中の鏃の感触を確認し……
「はっ!」
ドラゴンローブから抜いた手で、素早く鏃を弾く。
放たれた鏃は、空気を斬り裂きながら一直線にゴブリンへと向かい、その顔に当たった。
鏃により、顔を斬り裂かれ、目を潰され、喉に突き刺さり……
「ギャグアァァアギャ!」
「ギョギャギャ!」
そんな悲鳴と共に、地面をのたうち回る。
ゴブリン達にとっては、どのような攻撃を受けたのかすら分からなかっただろう。
元々決して身体能力が高くないゴブリンは、レイの放った鏃を目で追うことすら出来なかった。
そして自分達が何によって攻撃されたのか気が付くまでもなく……あっさりとその命を落とす。
「勿体ぶって出て来た割りには、ちょっと呆気なかったわね」
地面に倒れたゴブリンを見ながら、呆れたように……そしてつまらなさそうに、ヴィヘラが呟く。
ヴィヘラは戦いを好みはするが、明らかに弱い相手との戦いを好む訳ではない。
そんなヴィヘラにとって、モンスター中でも底辺に近いゴブリンというのは、戦うべき相手としては明らかに失格だった。
「ま、そう言ってもな。ゴブリンはモンスターの中でも数が多いんだから、どうしても戦うことは多くなるだろ」
「……それは分かってるんだけど、それでも面白くないのは事実なのよ」
取りなすレイの言葉に、不服そうに呟くヴィヘラ。
そんなヴィヘラに、マリーナが落ち着かせるような笑みを浮かべて口を開く。
「けど、ギルドとしては、出来ればゴブリンというのは多くを殺してくれた方が嬉しいのよ? この繁殖力が脅威なのは分かるでしょ? 一匹見つけたら三十匹……いえ、五十匹はいるんだから」
ほう、と溜息を吐くマリーナ。
もうすぐギルドマスターの地位はワーカーに譲るのだが、それでも今はまだギルドマスターだ。
そしてギルドマスターとして考えれば、ゴブリンというのは非常に厄介な相手だった。
今の戦いを見ても分かるように、ゴブリンというのは単体では非常に弱い。……今回はレイ達のような強者を相手にしたが、冒険者ではなくても腕自慢であればゴブリンの一匹や二匹は倒すことは難しくない。
その弱さを補うように繁殖力が高く、それがより一層ゴブリンの厄介度を上げている。
これで相手の強さを見て襲わないといった真似をするのなら、まだ多少は楽なのだが……実際にはセトのいるレイ達に襲いかかったように、取りあえず相手に襲いかかるといった性格をしている。
魔石や討伐証明部位もギルドでは安く買い取っているということもあって、何気にギルドにとってゴブリンというのは厄介な相手となっていた。
特にギルムの場合は辺境にあって腕利きの冒険者が多いのだが、それが影響してゴブリンは相手にしないという者も多い。
ましてや、他に金になるモンスターが幾らでもいるとなれば……ゴブリンを相手にしようと思う者が多くないのは、当然だろう。
常時依頼としてゴブリン討伐の依頼はあるが、大抵は他の依頼を受けた後でついでに遭遇したゴブリンを倒して……というのが多い。
これがゴブリンの上位種や希少種の討伐であれば、もう少し依頼を受ける者もいるのだろうが。
自分からゴブリン討伐の依頼を受けるのは、それこそギルムにやってきたばかりのレイのように冒険者といえばゴブリン討伐だろうと考えている物好きや、ギルムで冒険者になったばかりのような者達が殆どだろう。
「魔石はともかく、討伐証明部位に支払う金額はもう少し高めにした方がいいんじゃないか?」
何となく思いついたレイのアイディアだったが、それに返ってきたのは少し呆れたマリーナの視線だった。
「それを考えなかったギルドがあると思う?」
「……つまり、上手くいかなかったと?」
「ええ。それこそ討伐証明部位に支払う金額が銅貨三枚。けど、これを銅貨四枚や五枚程度にしても殆ど意味はないわ。どうしてもというのなら、それこそ銀貨一枚とかにすればいいけど……そうなると、どうなるか分かるでしょう?」
「ゴブリンだけを狩るようになる、か」
「ええ。もっと強いモンスターを狩ってもゴブリンよりも安い金額しか貰えないんだから、ゴブリンだけを狙うのは当然でしょう? そうなると、当然他のモンスターの討伐証明部位に支払う金額も上げる必要が出てくるし、そうなればまたゴブリンは放って置かれて……」
「あー……なるほど」
納得して頷くレイだったが、更にマリーナが口を開く。
「それに、こう言うのはなんだけど、ギルドにも無尽蔵に予算がある訳じゃないのよ」
「……うん、無理を言ってごめん」
生々しい話になりそうなのを察して、レイは素直に頭を下げた。
ギルドの収入は色々とある。
冒険者から買い取った素材や魔石の売却、大手の商会や貴族といった者達からの寄付、他にもギルドに併設している酒場の売り上げ……それ以外にも様々な収入源があるが、メインの収入源が依頼を受けた際の仲介料なのは間違いない。
討伐証明部位の買い取り額を上げるということは、どこからかその金額を工面しなければならない訳で……とてもではないが、ゴブリンの討伐証明部位に銀貨を支払うようなことは出来なかった。
まさか、ゴブリンの討伐証明部位の金額を上げる為に依頼料を上げる……などという真似は出来ない。
そう考えれば、ギルドマスターとして色々と難しい判断をしなければならないのは、レイにも理解出来た。
これが、以前のアンブリスの時のようにゴブリンの群れが現れて暴れまくっているという話であれば別なのだが。
「はいはい、それよりもさっさと先に進みましょ。冬ならではのモンスターが出てくるかもしれないし」
そんなヴィヘラの言葉に、そう言えば何故自分達がここにいたのかを思いだしたレイはゴブリンの死体に手を伸ばしてミスティリングに回収する。
「レイ、それも回収するの?」
殆ど使い道のないゴブリンの死体を回収したレイに、ヴィヘラが不思議そうな視線を向ける。
そんなヴィヘラの様子に、レイは躊躇いもなく頷く。
「ああ。このまま死体を置いていけばアンデッドになる可能性もあるし……それにゴブリンの肉はあった方がいいからな」
「そう言えば、ゴブリンの肉を美味しく食べる方法とか、そんなのを探してるんだっけ?」
以前にレイから聞いた話を思い出しながら尋ねてくるヴィヘラに、レイは再度頷く。
「そうだ。上手くいけば、食糧事情はかなりよくなる筈だぞ? ……まぁ、冒険者になったばかりの奴とか、スラム街に住んでるような奴とかが一番恩恵を受けるだろうけど」
「それが出来たら、本当に凄いと思うけど……上手い具合に進んでるの、それ?」
多分無理。
そんな雰囲気を滲ませながら尋ねてくるヴィヘラに、レイは小さく溜息を吐いてから首を横に振る。
「まだ全然だな。そもそもの話、この研究を主に続けてる奴が、今は色々と忙しくてそれどころじゃないらしいし。何だかんだで、研究は進んでないよ」
「でしょうね。そう簡単にゴブリンの肉が美味しく食べられるのなら、それこそ凄い発明なんだけど。……まぁ、いいわ。行きましょ」
その言葉に頷き、レイ達は再び森を歩き出す。
十分程雪の中を歩き続けるが、スノウサラマンダー、ゴブリンと立て続けにモンスターと遭遇した割りに、今度は他のモンスターと遭遇することはない。
それでも緊張感があまり強くないのは、レイ達の中に索敵能力の高い者が多いからだろう。
五感が鋭いセト、セトよりは落ちるが、それでも高い五感を持つレイ、盗賊のビューネ、戦闘を好むが故に戦闘に関する勘が発達しているヴィヘラ、精霊魔法により高い察知能力を持つマリーナ。
……パーティの全員が、ある程度以上の高い察知能力を持っているのだ。普通のパーティにとっては、羨ましすぎて嫉妬を覚える者も多い筈だ。
魔法使い程ではないにしろ、敵を察知する能力に長けている盗賊の数はそれ程多くない。
ましてや、その盗賊以上の察知能力を持つ者が何人もいるのだから。
もっとも、先程のゴブリンのように待ち伏せをしていれば若干見つけにくいのは事実なのだが。
「うーん……私はもう少し強い敵と戦いたいんだけど。サイクロプスとか良かったわね」
以前の戦闘を思い出したのか、ヴィヘラは情欲に目を潤ませながら赤い舌で唇を舐める。
その光景は男が見れば酷く扇情的なものだったのだが、幸か不幸かレイはそれを見ていなかった。
周囲に生えている木々に雪が積もっている光景は、レイにとってはとてもではないが面白いものではない。
それでも他にモンスターがいるかもしれないと思うと、全く無視する訳にはいかず……
「あ、レイ。ちょっと、見てよほら」
数秒前の淫靡な雰囲気を綺麗さっぱり消し去ったヴィヘラが、少し離れた場所にある木を見ながらレイに呼び掛ける。
一瞬モンスターか? と思ったレイだったが、自分の名前を呼ぶ声にはとてもではないが緊張感の類がない。
もっともヴィヘラは戦闘を楽しむという性癖を持っているのだから、戦うべき相手が現れたのなら、そこに喜びの感情が混ざっていてもおかしくはない。
寧ろ納得すら出来た。
そんな思いを抱きながらヴィヘラの視線を追ったレイは、雪の上に緑と赤の斑模様をしたリスという、見るからに自己主張の強い動物を見つける。
「……動物? いや、モンスターか?」
「ジュ!」
そんなレイの呟きに危険を察知したのか、持っていた木の皮を咥えると、そのリスは枝の上から跳躍して姿を隠す。
「あれは動物よ。見た目からモンスターに見えたかもしれないけど」
「随分と派手なリスだな」
唖然としたレイの呟きに、背後で話を聞いていたマリーナは小さく笑いの声を漏らす。
「ん」
先頭を進むビューネが、そんなやり取りを注意するように短く声を出した。
盗賊としての能力を最大限に発揮している今のビューネにとって、背後で騒がれるのはあまり面白くないのだろう。
それに気が付いたヴィヘラが声を潜め、レイも同様に口を噤む。
そのまま視線を先程の派手なリスが去っていった方に向けながら、歩を進める。
(随分と派手なリスだったな。……あれでモンスター化してないとは思わなかった。まぁ、こっちに敵意の類はなかったし、問題はないんだろうけど)
あまりにも派手なリスだった為か、その姿はレイの脳裏に強く印象づけられた。
そうしてビューネに率いられるように、レイ達は森の中を進んでいく。
時々音が鳴る時もあるが、姿を現すのは動物が殆どだ。
そして時間が過ぎていき……
「レイ、そろそろ時間よ。戻った方がいいわ」
マリーナの言葉に、レイは上空へと視線を向ける。
そこにあるのは、傾いてきた太陽。
冬だけあって、今の時季は日が落ちるのも早い。
マリーナの言う通り、これ以上無理をすればモンスターの討伐云々よりも前に、日が暮れてしまうのは確実だった。
レイやヴィヘラ、ビューネだけであればこのままレイのマジックテントを使って野営をしてもいいのだが、ギルドマスターのマリーナがいる以上、そこまで無理は出来ない。
今こうしてレイ達と一緒にいるのも、かなりの無理をしてスケジュール管理をした結果なのだから。
「……分かった、帰るか」
そう判断し、レイは結局今日の探索はこれで終わりにするのだった。