1284話
「ん!」
そんないつもの声と共に、ビューネは純白の刃を振るう。
パミドールが銀獅子の素材から作り上げたその短剣は、今までビューネが使っていた短剣の刀身よりも明らかに長い。
それでいながら、短剣を振るう速度そのものは以前よりも若干早くなっているというおまけ付きだ。
ここ暫く行われてきた戦闘訓練により、ビューネの戦闘能力が以前よりも上がっているのも影響している。
だが、それ以上に短剣その物の重量が、以前の短剣よりも明らかに軽くなっているのだ。
それでいながら刃の斬れ味は明らかに以前よりも増しており、短剣による戦闘を得意とするビューネにとって、その純白の短剣はまさに自分の戦闘力を一段……もしくは二段も上げてくれるだけのものだった。
勿論武器に自分の力量が付いていっていないというのは理解している。
だからこそこうして少しでも訓練を重ね、武器に使われるのではなく、武器を使いこなすようになるようにと訓練をしているのだから。
「甘いわよ」
ヴィヘラの声が響くと同時に、ビューネの一撃は空を切り、雪の地面に転ぶ。
足払いを仕掛けられたのだと気が付くビューネが、素早く起き上がる。
自分は手に入れたばかりの純白の刃を持つ短剣を使っているのに対し、ヴィヘラは手甲や足甲といったマジックアイテムを使ってはいない。
それでもビューネは自分がヴィヘラに手も足も出ないことに対し、悔しさを抱く。
いつものように顔にはその感情は表れていなかったが、それでも悔しさを覚えるのは何気に負けず嫌いなビューネにとっては当然だった。
既に半ば恒例になっている戦闘訓練に、裏庭に面している廊下や中庭からはビューネを応援する声が響く。
その声に背中を押されたのか、それとも単純にこの程度で自分は負けたくないと思ったのか、ビューネは倒れていた雪をしっかりと踏みしめる。
そうして再び純白の刃を握り、ヴィヘラと向き合う。
「ん!」
もう一回、と告げるビューネに、ヴィヘラは笑みを浮かべ……それこそ、見る者を虜にする程の艶然とした笑みを浮かべる。
女の艶という面ではマリーナに及ばないと思っているヴィヘラだったが、こと戦闘を楽しむ時に浮かべる笑みは一種凄絶と呼ぶに相応しいだけの色っぽさで見ている者を……それこそ男女問わずに目を奪う。
事実、先程まではビューネの応援をしていた者達は、そんなヴィヘラの微笑に目を奪われ、応援の声が消えてしまっていた。
そんな外野など全く気にした様子もなく、ヴィヘラはビューネに来なさいと人差し指で招く。
挑発的な態度にビューネの闘争心も刺激されたのか、一気に前へと出る。
それでもただ真っ直ぐに近寄ってはさっきの二の舞だと、ビューネは何本もの長針を牽制として放つ。
長針の中には見えにくいように透明な長針も含まれているが、ヴィヘラはその全てを回避していく。
その様子は、着ている服も相まってその辺の踊り子には負けないだけの舞踊だった。
「おわっ!」
雪の上に寝転がっているセトに寄り掛かっていたレイは、飛んでいった長針が自分の近くの雪に突き刺さったのを見て驚きの声を発する。
完全にセトに寄り掛かって動くに動けない状態だったので、それも仕方がなかった。
だが、ヴィヘラとビューネはそんなレイの声は全く気にした様子がないままに戦闘訓練を続ける。
長針を放ちながら間合いを詰めたビューネは、先程と同じような失敗はしないと、自分の足下に注意を向けながらヴィヘラに攻撃を仕掛けていく。
だが、その動きこそがビューネ本来の動きにぎこちなさをもたらし、結果として全体的な動きが鈍くなる。
「ほら、どうしたの? さっきはもう少し鋭かったわよ? 思い切りが足りないわね」
笑みと共にヴィヘラはビューネの一撃を回避し、そっと伸ばした手をビューネの胴体に当てる。
もしヴィヘラが得意としている浸魔掌を使用していれば、それだけで致命的な一撃になっただろう。
ビューネも革の鎧を装備しているが、そもそも浸魔掌は鎧が金属の鎧であっても直接相手の体内に衝撃を与えるという、そんな凶悪な技だ。
今回は模擬戦ということで、ヴィヘラも浸魔掌を使わずにただ触れただけだった。
そのおかげで、ビューネは今の一撃を受けるようなことはなかったが、それでも浸魔掌の威力を知っているビューネは一瞬動きを止める。
「ほらほら、もう少し頑張りなさいな」
笑みを浮かべるヴィヘラに、ビューネは改めて攻撃に出る。
ただし、今回は真っ正面から挑むのではなく、ヴィヘラの横に回り込む。
再び放たれる長針。
自分に向かって飛んでくる長針を、今度は踊るのではなく手甲で弾く。
しっかりと飛んでくる長針をその目で確認出来ているからこそ出来た行動。
「んっ!」
だが、ビューネもそれは理解していたのだろう。特に驚いた様子を見せず、ヴィヘラを中心にしながら、円を描くように移動しながら、長針を投げる。
ヴィヘラはそのまま左右の手甲を使って長針を弾いていく。
「どうしたの? そんな攻撃だけでは、強い相手にはすぐに見極められるわよ?」
その挑発に引っ掛かった訳でもないだろうが、ヴィヘラを中心に回っていたビューネは一気に間合いを詰める。
雪の上に幾つも並ぶ足跡は、その一つ一つが滑った様子がない。
それだけでも、ビューネの足捌きがどれ程のものかを表していた。
だが……それでも相手はヴィヘラだ。
多少足捌きが上手くても、真っ正面から戦ってビューネの敵う相手ではない。
それでも……それでも、と。
無表情ではあっても負けず嫌いなビューネは、自分の全身全霊の力を込めて短剣を振るう。
純白の刃が、雪に紛れるようにしてヴィヘラへと向かって襲いかかる。
普通なら周囲の雪の白に目を奪われ、一瞬であってもその刃の在処に迷ってしまうだろう。
しかし、ここにいるのは戦いを愛するヴィヘラだ。
その程度の動きに迷うようなことはなく、真っ直ぐに自分へと向かってくる一撃を見極め、回避する。
普段であれば、この程度の攻撃は回避せず、手甲を使って受け流すのだが……ビューネが使っている短剣は銀獅子の、ランクSモンスターの素材を使って作られた代物だ。
技量という意味ではビューネに負けるつもりのないヴィヘラだったが、ビューネの持つ短剣は非常に高性能な代物であり、下手をすれば手甲が斬り裂かれる恐れすらあった。
(もっとも、受けるのが駄目なら回避すればいいんだけど)
短剣の刃が振り下ろされる場所を見極め、身体を動かしながらヴィヘラは考え、口元に笑みを浮かべる。
その笑みは、闘争を楽しむ為の笑み……ではなく、自分の妹分がここまで戦えるようになったことの嬉しさからの笑み。
それでも姉代わりとして、ビューネに負ける訳にはいかなかった。
振るわれる一撃を回避し、白い刃が一瞬前までヴィヘラのいた場所を斬り裂くのを見ながらそっと手を伸ばす。
触れたのは一瞬。ビューネが振り下ろした一撃の威力を上手く使い、同時に自分の思う方向へと流す。
「ん!?」
驚愕の声を上げたのは、ビューネ。
ヴィヘラに向かって短剣を振り下ろし、その攻撃が回避されたと思った瞬間には自分の身体が空中に浮いていたのだから、驚くのは当然だった。
無表情なビューネだったが、投げられたと理解した瞬間にはその顔に驚愕が浮かぶ。
それでも空中で身体を回転させ、雪の上に落ちた時は背中からではなく両足と短剣を持っていない方の手で何とか落ちたのだが……
「はい、終わり」
気が付けば、ヴィヘラの手甲から伸びた爪が自分の眼前に突き付けられており、勝負は既についていた。
「……ん」
残念そうなビューネだったが、ヴィヘラはビューネの手を引っ張って起こす。
「総評としては、悪くなかったと思うわよ? 短剣の扱いもそんなに悪くなかったし。けど、まだ完全に慣れていないせいでしょうね。少し反応が鈍かったわ」
「ん」
ビューネも自覚はあったのだろう。ヴィヘラの言葉を聞き、残念そうに頷く。
「惜しいところもあったんだけどね。……ただ、ビューネ。貴方がその武器を使っていくつもりなら、武器を奪われないようにしなさい? 戦闘中でも、普段生活している中でも」
言い聞かせるようなヴィヘラの言葉に、ビューネは分かっていると頷き、純白の刃を鞘に収めて大事そうに抱きしめる。
多少なりとも武器を見た者であれば、純白の刃を持つ美しい……それこそ芸術品と言われても納得してしまいそうな短剣は、是非とも欲しいと考えるだろう。
交渉で売って欲しいと言ってくる者であればまだいいが、中には当然ビューネの外見から奪ってしまえばいいと考える者もいるのは間違いない。
春以降にレイとパーティを組んでいるという話が広まれば、そんな馬鹿なことを考える者も少なくなるだろうが、それはあくまでもレイが……そしてマリーナやヴィヘラといった面々がビューネとパーティを組むと知っている者だけだ。
今の時点でギルムに住んでいる者であれば、レイと行動を共にしているビューネを狙うような者はまずいないと言ってもいい。
だが、春。……そう、春になれば毎年ギルムには多くの冒険者がやってくる。
冒険者の中には粗暴な者も多い。
そして、レイやマリーナ、ヴィヘラといった面々を見て、自分達の方が強い、噂は誇張されたものだ、グリフォンの能力のおかげだ。
そう考える者が混ざっているのは当然だろう。
そんな者達がビューネに目を付けたら、どうなるか。
レイ達と行動を共にしていると言っても、ビューネは他の面子と違って隔絶した能力を持っている訳ではない。
春からの行動に備えて必死に戦闘訓練をしているが、それでも限度があるのは事実だった。
つまり、レイ達の中で最も弱く、それでいて銀獅子というランクSモンスターの素材から作られた……それも一流の腕を持つパミドールが打った、芸術品とも呼んでもおかしくないような武器を持っていればどうなるか。
それは、考えるまでもないだろう。
元々ギルムに集まってくる冒険者は、自分の腕に自信のある者が多い。
そんな者達がビューネを襲った場合、どうにか出来る筈もなかった。
その為には、ヴィヘラが言うように短剣を奪われないように注意する必要がある。
「ん!」
ビューネもそれは理解しているだろう。ヴィヘラの言葉に、頷きを返す。
「そう、分かっていればいいわ。……じゃあ、戦闘訓練はこの辺で止めておきましょうか」
「ん」
ヴィヘラの言葉に、少し残念そうな雰囲気を発しつつもビューネは頷く。
かなりの時間ここで戦闘訓練を続けていた以上、ビューネの体力もかなり消耗されている。
ここで今から無理をして戦闘訓練を続けても、怪我をするだけだと理解しているのだろう。
元々ビューネは今よりも更に小さい時から、たった一人でダンジョンに挑んできた。
それだけに、自分の体調がどのようなものであるのかというのは、しっかりと理解していた。
もしその見極めが出来なければ、今頃ビューネはもうこの世にいなかった可能性が高い。
「お疲れ。……ほら、これでも飲んで疲れを癒やしてくれ」
セトに寄り掛かっていたレイがヴィヘラとビューネに渡したのは、冷たく冷えた果実水。
アイテムボックスから取り出したもので、たった今まで身体を動かしていた二人にとっては、非常にありがたい代物だった。
……もっとも、冷たいというのであれば、雪を使えば幾らでも冷たく出来るのだが。
「あら、ありがと。気が利くのね」
「ん」
渡された果実水を口に運んだ二人は、しっかりと味わう。
冬で、周囲に雪が積もっていても、身体を動かせば当然汗を掻き、喉が渇く。
渇いていた喉は、その果実水によって潤された。
「……そう言えば、そろそろ年越しだな」
「あら、どうしたのよ急に」
「いや、何となくそう思っただけだ」
果実水を飲んでいたヴィヘラが、突然のレイの言葉に首を傾げる。
「折角だし、パーティでもするか?」
「そう言ってもね。この前もパーティをやったばかりじゃない。またパーティをやるのは……」
「別に、そこまで大々的なものじゃなくてもいいさ。俺とヴィヘラ、ビューネ、そしてマリーナ。春からパーティを組む面々で親睦を深める的な意味合いで」
「……あら、それならいいわね。特に親睦を深めるというところが」
レイの言葉に何を想像したのか、ヴィヘラは笑みと共にあっさりと意見を曲げる。
エレーナという最大のライバルがいない以上、今なら自分達がレイを独占出来ると……そう思ったのだろう。
「ん」
「グルルルゥ」
ビューネとセトの一人と一匹は、純粋にパーティになれば美味い料理を食べられるということで、賛成する。
こうして三人と一匹は、年末のパーティをすることをマリーナに提案することに決めるのだった。