1268話
空気を斬り裂くように自分へと迫ってくる長剣の一撃を、レイは足下を確認しながら足を一歩引いて右半身を下げ、回避する。
だが、長剣を振るっていた相手も今の一撃でレイに勝てるとは思っていなかったのだろう。次の瞬間には振り下ろした一撃から斬り上げるような一撃を放つ。
自分に向かってくる長剣の刃だったが、レイは特に焦る様子も見せずに黄昏の槍を振るう。
いつもであればデスサイズと黄昏の槍の二槍流で戦うのがレイの戦闘スタイルなのだが、今回はハンデということもあり黄昏の槍一本での戦いだった。
空中で長剣の刃と黄昏の槍の穂先がぶつかり合い……その瞬間、レイは手首を返す動きで長剣の刃を黄昏の槍の穂先で巻き込み、そのまま空中へと弾く。
「あ!」
槍を始めとした長柄同士の武器であれば、そんな光景は珍しくはなかったのだろう。
だが、まさか槍と長剣でそのような真似をされるとは思わず、長剣の持ち主は一瞬驚きで動きを止め……気が付けば、黄昏の槍の穂先が顔面に突き付けられていることに気が付く。
「……参ったわ。私の負けよ」
言葉を発した女……ミレイヌは、自分の負けを認めて悔しげに溜息を吐く。
それを聞いたレイも、大人しく黄昏の槍の穂先を下げる。
「この雪の中で振るわれたにしては、かなりの一撃だった。けど、やっぱり下が雪なのを気にしているせいか、以前と比べると斬撃の鋭さが足りないな。……まぁ、ここ暫くの生活で身体を動かしてなかったというのもあるんだろうけど」
「でしょうね。まぁ、だからレイには私の訓練に付き合って貰ったんだけど」
ミレイヌの視線が周囲を見渡す。
そこにあるのは一面の銀世界。
レイ達以外には誰の姿もない。
当然だろう。今日は雪が降ってないとはいえ、外の気温は十分に寒い。
そんな中、わざわざギルドの訓練場で戦闘訓練を行いたいと思う者がそれ程いるとは思えない。
レイも、ミレイヌに誘われなければわざわざギルドまでやって来はしなかっただろう。
「ん!」
レイの前から去っていったミレイヌと入れ替わるように、ビューネが姿を現す。
今度は自分の番だと、短剣を手にレイへと視線を向けていた。
そんなビューネの様子を、ヴィヘラは面白そうに、見守っている。
……いや、どちらかと言えば、ビューネの次は自分の番なので、それを楽しみにしているという方が正しいのか。
「じゃあ、準備はいいか?」
「ん!」
レイの言葉に、ビューネは頷く。
ビューネの様子はいつもと変わらない……と思いきや、普段無表情なビューネには珍しく、目には闘志の色がある。
普段なら無表情に近いビューネだったが、今はレイとの戦いを前にやる気に満ちているのだろう。
ここ暫く、ビューネはヴィヘラに戦闘の訓練をつけて貰っていた。
その成果を発揮する時、と。そう思っているのだろう。
(機動力を重視するビューネの戦闘スタイルだと、こんな場所だと完全に実力を発揮するのは無理だと思うんだがな)
足下にある雪の感触を靴の裏に感じながら、レイは槍を構える。
現在レイの足を包んでいるのは、スレイプニルの靴……ではなく、靴屋で作って貰った依頼の時に履く靴だ。
モンスターの革を使い、鉄板で補強されている靴。
レイの認識で言えば安全靴が一番近いが、日本にいる時に米運びのバイトを運送会社でした時に比べると、より履きやすく、頑丈になっている。
勿論レイが日本にいる時に履いたのは大量に量産された品であり、今履いているのは腕利きの職人がレイの足の形に合わせて作ってくれたオーダーメイドだ。
また、素材も合成革とモンスターの革という違いがあり、履き心地という面では明らかに現在レイの履いている物の方がいい。
靴を受け取ってから何度か履いてみたことはあったが、それでもこうして実戦――模擬戦だが――で使用するのは初めてということもあり、レイはそれなりに緊張していた。
だが、ギルムでも高い技術を持つ職人というだけあって、スレイプニルの靴には及ばずとも、全く問題はなかった。
「よし。……来い!」
「ん!」
その一言が合図になり、ビューネは行動を開始する。
先程レイが考えたように、雪の上だけにビューネの動きは本来の速度には及ばない。
それでも盗賊だけあってか、その辺の素人とは全く違う速度でレイはビューネとの距離を縮める。
ビューネも、このままただレイとの距離を縮めても勝ち目はないと理解しているのだろう、短剣を持っていない方の手で素早く長針を取り出し、投擲する。
空気を斬り裂きながら真っ直ぐ自分へと迫ってくる長針。
普通であれば目で捉えることも出来ないその長針の一撃を、レイは当然のように視界に捉えていた。
そうして黄昏の槍を振るい……
「な!?」
自分に飛んできた何本もの長針にふと違和感を覚え、黄昏の槍で叩き落とすのではなくその場から右に跳んで回避する。
(何だ、今の違和感)
空中でそう考えるが、ビューネはそんなレイの動きこそ絶好のチャンスと考えたのか、再び長針を投擲する。
……その時、レイは見た。
自分に向かって振るわれたビューネの左手。
指の間に長針を挟んでいるその中で、一つだけ何も挟まれていない……いや、非常に見づらい何かがあると。
それは、他の指の間に挟まれているのが普通の長針であるというのもあって、余計に見にくくなっていた。
だが、それでも普通の人間とは比べものにならない五感の鋭さを持っているレイの目には、微かにだが間違いなく何かがそこにあるのを見ることが出来た。
もしこれが普通の人間であれば、間違いなくビューネが握っている見えない長針のことを見抜くことは出来なかっただろう。
「っ!?」
そして放たれた長針は、見える物も含めて真っ直ぐにレイへと向かって飛んでくる。
ビューネが持っている時であれば見ることが出来たその長針も、今のように放たれてしまえばそれを見て判断するのは難しい。
そのまま黄昏の槍を使って弾くという選択肢ではなく、やはりレイが選んだのは回避。
一瞬前までレイの身体があった空間を、長針が貫いていく。
幾ら模擬戦用に先を尖らせていない長針であっても、当たれば痛い。
ましてや、素人が投げた長針ではなく、長針の扱いに長けているビューネが投げたものだ。
それに当たりたいとは、レイも思わなかった。
勿論ドラゴンローブがあるのだが、その隙間を縫うように生身に当たるという可能性もあるのだ。
「ん!」
長針の一撃をレイが回避したのを確認すると、ビューネは短剣を手に前へと踏み出す。
雪が積もっている中ではあったが、その踏み出す速度は普通の戦士よりも上だった。
これはビューネが盗賊で素早い動きに慣れているというのもあるが、非常に小柄で体重が軽いというのも影響しているのだろう。
また、雪の中でヴィヘラと戦闘訓練をしていたというのも大きい。
「頑張りなさい、ビューネ!」
自分の教え子……という訳でもないだろうが、戦闘訓練をした相手を応援するヴィヘラの言葉が訓練場に響く。
その声は、当然ビューネにも聞こえたのだろう。レイに迫る速度が更に上がる。
自分に向かってくるビューネを、レイは黄昏の槍を構えて待ち受ける。
間合いという意味では、圧倒的にレイが有利。
だが、間合いの内側に入り込むことが出来れば、一転してビューネが有利となる。
だというのに、レイはビューネが間合いを詰めてくるのを見てもそれを防ごうと、槍の間合いを維持しようとはせずにじっと待つ。
侮られた。
そう感じたのか、ビューネはここに来て更に一段速度を上げ、レイの胴体……ではなく太股目掛けて短剣を振るう。
空気を斬り裂くような、そんな一撃。
ビューネの素早さを最大限に活かした一撃がレイの太股へ向かい……
「甘い」
その一言と共に、手首の動きを使って半回転させた黄昏の槍の石突きでビューネの足を掬う。
速度自慢のビューネだからこそ、その一撃の効果は大きく、雪の上を転がっていく。
それでも何とか体勢を立て直し……次の瞬間、ビューネが見たのは、自分の顔へと突き付けられていた黄昏の槍の穂先だった。
「……ん……」
言葉だけではあるが、少しだけ残念そうに呟くビューネ。
それでも表情が殆ど変わっていない辺り、徹底した無表情と言えるだろう。
負けを認めて短剣を降ろしたビューネに、レイも槍の穂先を引く。
ビューネはそのまま立ち上がると、やがてヴィヘラの方へと戻っていった。
「ま、ビューネも頑張ったけど……もう少し腕を磨く必要があるわね」
ビューネの髪を軽く撫でながら、ヴィヘラが呟く。
励ますようにではなく、事実を言ってるだけというヴィヘラの言葉に、ビューネは小さく頷いた。
「ま、ビューネの仇は私がとってあげるから、安心しなさい」
「いや、死んでないから」
サクリ、と雪を踏み込みながら前に出るヴィヘラに、ミレイヌが思わずといった様子でそう口にする。
「そう? まぁ、私がレイに勝てばいいのよね?」
「……ヴィヘラ、もしかしてそれは貴方が戦いたいだけじゃない?」
ミレイヌのヴィヘラに対する言葉遣いは、とてもではないが元皇族に対するものではない。
だが、ヴィヘラは寧ろそれを喜んですらいた。
ヴィヘラは、自分は皇族ではなく冒険者だという認識なのだから、それは当然だろう。
「いい? 行くわよ?」
「ああ」
この模擬戦は、ヴィヘラにとってもダンジョンで意識を取り戻してから初めてのものだ。
ビューネとの戦闘訓練は行っていたが、それはあくまでも戦闘訓練だ。
いや、戦闘訓練という意味ではこの模擬戦も同様だが、相手が違う。
ビューネを妹のように思っているのは間違いないのだが、やはり戦う相手として考えた場合、ビューネに不満を抱くのは仕方がなかった。
それに対し、レイは戦うべき相手としてはこれ以上ない程に相応しい人物だった。
それこそ、ヴィヘラが本気を出してもレイには勝てたことがないのだから。
そう考えれば、この模擬戦はまさに絶好の機会と言ってもいい。
雪を踏む感触を楽しみながら進み出て、ヴィヘラはレイと向き合う。
そして二人の間にはそれ以上の言葉はなく……やがて一陣の風が吹き、地面に積もっている雪のうち、まだ踏み固められてない新雪を巻き上げる。
そのタイミングを待っていたかのように、ヴィヘラは一歩を踏み出す。
速度自慢のビューネを、更に数段上回る速度。
まずは軽い挨拶代わりだとでも言いたげに、手甲から伸びた爪による一閃。
空気を斬り裂きながら横薙ぎに振るわれた一撃だったが、そのくらいの動きであれば容易に回避は可能だったレイは、ギリギリ命中しない見切りで魔力による爪の一撃を回避し……
「なっ!?」
魔力の爪がレイの胸元を通りすぎる瞬間、伸びたのだ。それも一m以上も。
その動きを見た瞬間、レイは咄嗟に黄昏の槍を振るって魔力の爪を弾く。
黄昏の槍と、魔力の爪を生み出す手甲。
どちらもマジックアイテムという点では一緒であり、更にヴィヘラがつけている手甲、足甲の両方はまだベスティア帝国にいた時に他の国よりも高い技術を持っている錬金術師に全身全霊を以て作らせた逸品だ。
だが……それでも、幾つもの稀少なモンスターの素材を用いて作りだした黄昏の槍に比べれば、どうしても一段落ちる。
結果として、黄昏の槍と魔力の爪のぶつかり合いは、魔力の爪を黄昏の槍の穂先が斬り飛ばすといった結果となった。
咄嗟の対応でヴィヘラの攻撃は防いだが、それでも今のは驚いたのだろう。フードに隠されている筈のレイの目は、獲物を見つけた猛禽類の如く鋭い視線をヴィヘラへと向ける。
「随分と芸達者になったな」
「ふふっ、そう? これもレイのおかげよ? 私もこんなことが出来るようになるとは思わなかったし」
「……なるほど」
その一言で、何故ヴィヘラがこのようなことを出来るようになったのかを理解する。
瞳の色が銀色になったのと、それは同じ理由。
銀獅子の最も濃い魔力が詰まった心臓と。アンブリスという存在そのものを吸収したが故。
「さぁ、次行くわよ!」
欲情――戦闘欲のだが――による潤んだ瞳で、ヴィヘラは叫ぶ。
男であれば、大抵の男は今のヴィヘラを見ただけで男の獣欲を刺激されるだろう姿。
向こう側が透けて見えるような、そんな薄衣が宙を舞い、その度にヴィヘラの手と足が振るわれる。
一見すればとてもではないが誰かを殴るような腕や足には見えないのだが、実際には大の男であろうとも容易に殴り飛ばせるだろう力と鋭さを持つ一撃。
そんな一撃が止むことなく放ち続けられ、レイはその一撃を回避し、黄昏の槍で弾く。
二人が戦っているのではなく、演舞でもしているかのようなそんな戦いは……それから一時間近くも続くのだった。