1260話
雪上バーベキューパーティが始まってから、一時間程。
たった一時間程でしかなかったのだが、その一時間程の間に消費された料理の量はかなり多くなっていた。
元より、この手のパーティでは始まった最初のうちは食べることに集中する者が多い。
特に今回用意されたのはガメリオンの肉で、最初は不満を口にしていた者も一口食べてしまえばどうしてもそちらに意識を集中してしまう。
串焼き、鉄板、もしくは網焼きでガメリオンの肉や野菜、魚介類は次々と消費されていく。
中にはレイが出した果実を鉄板で焼くといった真似をしている者もいるが、それを口に運んで嬉しそうに笑みを浮かべているところを見れば、温かい果実というのも悪くはないのだろう。
「……最後の締めに銀獅子の肉を食うんだけど、こいつら忘れてないか?」
そんなパーティの参加者達を見ながら、レイは呟く。
だが、その口調に呆れの色が殆どないのは、やはりこのパーティの参加者がヴィヘラの目覚めを喜んでくれているというのを理解しているからだろう。
勿論この中には、ヴィヘラと直接会ったことがない者も含まれている。
それでもレイとは知り合いなのだから、と喜びを露わにしているのだ。
そんな姿を見て、レイも嬉しくない筈がない。
「ふふっ、どうしたの? 文句を言ってる割りには随分と嬉しそうじゃない?」
「そうか?」
まさに自分が考えていたことを、冷えたワインを手にしたマリーナに言われたレイは、そう言って誤魔化す。
……それでいながら、照れで頬が薄らと赤くなっているのを隠せなかったのは、ドラゴンローブのフードを脱いでいるからだろう。
そんなレイの様子に、マリーナは笑みを浮かべる。
それは普段の無意識に浮かべてしまう艶然とした笑みではなく、女として自分の愛しい男の姿を見ることが出来た充足感や満足感に満ちた笑み。
ふと、それを見た何人かの男は、思わずマリーナの笑みに見惚れてしまう。
元々過剰なまでに女の艶のある美人だと、そう思っていただけに、マリーナが浮かべた笑みには完全に意表を突かれたのだろう。
軽くガメリオンの串焼きを口にしながらマリーナと話していたレイは、ふとマリーナに聞いてみたいと思っていたことを思い出す。
「なぁ、マリーナ。レップルスの冒険って本を知ってるか?」
「レップルスの冒険? ええ、知ってるわよ? それがどうかしたの? ……それにしても、まさかレイからその名前が出てくるとは思わなかったわね」
「ちょっと図書館で見てな。……で、だ。あの話の作者が誰なのか知らないか?」
「作者? さぁ……ちょっと分からないけど、どうかしたの?」
何故レイがそんなことを聞いてくるのかと、不思議そうに尋ねるマリーナ。
「いや、多分……その作者は俺と同じか、似ている立場の奴らしいんだよな」
その言葉で、マリーナはレイの言っている意味を理解したのだろう。
驚きの視線をレイへと向ける。
「それ、間違いないの?」
「ああ」
「……そう言い切れる理由は?」
「あの話の中で出て来た展開とかが、俺が前にいた場所で売ってた本と似てるんだよ」
「それだけで決めるというのは、少し無理がない? そのくらいなら偶然って可能性もあるでしょ?」
「いや、ないな」
マリーナの言葉を即座に否定するレイ。
何でそう言い切れるの? といった視線を向けてくるマリーナに、レイは小さく肩を竦めてから口を開く。
「大体の流れが一緒なだけだったら、偶然の可能性もあると考えられる。けど、同じようなストーリー展開で、しかも俺が知っている他の小説の展開を何種類も詰め込んでるんだ。ここまで来れば、偶然の一致とは考えにくい」
「それは……そうでしょうね」
その意見にはマリーナも同意するのか、少し躊躇しながらも同意して頷きを返す。
「レイの考えも分かるけど、残念ながらさっきも言ったように作者は分からないわ」
「そうか……だよな」
「図書館で読んだのよね? なら、司書に聞けば多少は情報もあるんじゃない?」
考えることはやっぱり同じなのか、と思いつつレイは首を横に振る。
「一応聞いてみたけど、分からなかった」
「そう。……なら、ギルドで依頼にでも出してみる?」
「……見つかるか?」
冬ということで、図書館を利用している冒険者はそれなりにいた。
だが、それでも本を読むということはしても、その本を誰が書いたのかなどということを知っているような者がいるとは思えなかった。
「あら、情報を集めるのなら、とにかく多くの人に知って貰うことが必要よ? そうすれば、どこか思いも寄らないところから情報が得られるかもしれないでしょ?」
「それは……まぁ、そうだけど」
「例えば、ほら」
そう告げ、マリーナは視線の先でエルクの世話をしていたミンへと向かって手を振る。
そんなマリーナの姿に気が付いたのだろう。ミンはエルクに一言二言呟くと、レイ達の方へと近付いてきた。
「ギルドマスター、私に何か用事ですか?」
「ええ。ミンはレップルスの冒険という本を知ってるかしら?」
「ふむ。……そうですね。以前読んだ覚えがありますが。それがどうかしたのですか?」
「レイがその作者を探しているのよ。それでミンなら何か情報を持っていないかと思ったんだけど……どう?」
「どう、と言われても……」
マリーナの言葉に、ミンは困ったような表情で首を横に振る。
「そもそも、レップルスの冒険というのは私が生まれる前からあった本ですよ? その作者がエルフを始めとした長命種ではない限り、まだ生きてるとは思えないのですが」
「そうね。でも、どういう人だったのかでもいいから知りたい。……でしょう?」
「ああ。出来ればどんな小さなことでもいいから、情報が欲しい」
そんなレイの言葉に、ミンは興味深そうな視線を送る。
レップルスの冒険というのは、それなりに有名な作品だ。
だが、何故レイがそんな書物に……正確にはその作者に興味を持つのか、その理由が分からなかった。
「何故、そこまで?」
「あー……そうだな。レップルスの冒険にちょっと興味があるのも事実だからな」
「それ以外にも何か理由があるんだろう?」
「それは否定しない。……けど、あまり人に言えるようなことじゃないんだよ。だから、悪いが詳細な理由は教えられない」
「探している理由は教えられない。けど、自分の知りたいことは教えろって?」
言葉では不満を露わにしているミンだったが、それに反して視線には面白そうな光が宿っている。
「まぁ、そうなる。そっちには色々と不満もあるだろうけど、何か話を聞いたりしたら教えて欲しい」
「そうだね。私はレイにちょっとやそっとでは返しきれないだけの恩がある。そのくらいのことでいいのなら、協力させて貰うよ」
レイの秘密にも興味があるし。
そう告げるミンに、レイは笑みを浮かべて頭を下げる。
「悪いな」
「いいさ。ただ……あの本は相当昔の代物だ。その作者を見つけるのは、かなり難しいと思うが」
「それでも出来る限りでいいから、頼む」
改めて頼むレイに、やがてミンは頷いて承諾した。
元々、ミンはレイに対して大きな……信じられない程に大きな借りがある。
それを返せるのであれば、それこそ可能な限りのことはするつもりだった。
だとすれば、本の作者の情報を探すことなど造作もない。
「ふむ、そうだな。レイ、いっそエルクにも頼んでみるか?」
ミンの口から出たのは、レイにとってもちょっと信じられないような一言。
何故そこでエルクの名前が出てくるのか、と。
勿論エルクが異名持ちのランクA冒険者だというのは知っている。知っているが……それでも今回の件には明らかに向いていないのは事実だった。
「そもそも、エルクは本を読むのか? とてもそうは見えないけど……」
エルクの性格は、まさにガキ大将がそのまま大人になったようなものだ。
とてもではないが、本を読むようには思えなかった。
「だろうね。けど、エルクはああ見えても異名持ちの冒険者だ。それも異名持ちとしてはまともな方と言ってもいい」
「……また、微妙に答えにくいようなことを」
レイは苦笑を浮かべて言葉を濁す。
異名持ちというのは、普通では信じられないような偉業を達成したり、それだけ衝撃的な行動をした者につけられる。
そのような人物というのは、大概にして色々と癖のある人物であることが多い。
(一応、俺も異名持ちなんだけどな)
レイもまた深紅の異名を持つ冒険者だ。
自分では異名持ちの中ではまともな方……だと思っている訳ではない。
喧嘩っ早い性格をしているのは自覚しているし、セトの件もあって敵対した相手には容赦をしないというのもある。
ただし、自分から理不尽な要求をすることはないので、そこそこ真面目……という認識ではあるのだが。
レイの横で話を聞いていたマリーナも、笑みを浮かべてミンの言葉に無言で同意する。
そしてミンは、レイの言葉に何かを誤魔化すかのように口を開く。
「つまりだ。このギルムに限らず、エルクは色々な人に慕われている。そんなエルクがもし情報を集めていると知れば、様々な場所から情報が入ってくる可能性が高い」
「……なるほど」
数秒前の考えなど吹き飛んでしまったかのように、レイは納得の表情を浮かべる。
エルクはその性格がガキ大将なままなこともあって、非常に面倒見がいい。
ある程度名前が知られている冒険者の中でも、エルクに世話になったという者は決して少なくないのだ。
そんなエルクが情報を集めていると知れば、エルクに恩義を感じている者が色々と手を貸してくれるのは間違いなかった。
「どうだろう? エルクもレイの頼みとあれば、まず断ることはしないだろう」
「うん、分かった。頼めるか?」
「ああ、勿論!」
レイの言葉に、ミンは嬉しそうに笑みを浮かべて頷きを返す。
莫大な借りのあるレイに、何とかそれを返すことが出来る……そう思うと、ミンが嬉しく思わない筈がなかった。
これで全ての借りを返せるという訳ではないのだが、それでもいくらかは借りを返せるだろうと。
「じゃあ、私は早速エルクにその辺を言ってくるよ」
そう告げると、ミンは嬉しそうにエルクの下へと向かう。
「ま、エルクの協力を得られるというのは、結構よかったんじゃない?」
マリーナはギルドマスターをやっているだけに、エルクの影響力をレイよりもよく知っている。
だからこそ、今回の件でエルクが協力してくれるというのであれば、それなりに情報を得られるかもしれないと考える。
「あー! またギルドマスターがレイ君を独占してる!」
そう叫んだのは、ケニー。
相変わらずと言うべきか、寒さに対抗するべく何枚もの服を着込んでおり、着膨れと表現するのに相応しい姿になっていた。
そしてケニーの隣ではレノラが雪で冷やされた果実に舌鼓を打つ。
「ねぇ、ちょっとレノラ。ギルドマスターに何か言うことないの!?」
「え? えっと、そうね。ギルドマスター、ケニーがちょっとうるさいので、少しレイさんをケニーに譲ってあげてくれませんか? どうせギルドマスターはこれからレイさんといつでも一緒にいられるんですし、少しはこの哀れな猫に恵んでやって下さい」
果実に集中しているせいか、レノラの口から出たのは暴言と表現するのが相応しい言葉だった。
普段いつも言い争いをしているケニーに対するものだけに、色々と溜まっていたのだろう。
「レノラ……あんたねぇ。私のことをそういう風に思ってたの?」
「……ああ、幸せ。寒いけど美味しい。焚き火があるから、そんなに寒いのも気にしなくていいし」
ケニーの言葉を右から左に聞き流し、レノラは焚き火の側で果実を味わう。
雪上バーベキューパーティではあるが、当然何らかの熱源の類は必要となる。
炭火でバーベキューをしているので、その周辺にいる者は暖かいかもしれないが、この中庭はそれなりに広い。
とてもではないが、料理をしている周辺の熱だけでは寒さを凌ぐのは無理だった。
それを見越してか、中庭の何ヶ所かではいつの間にか焚き火が行われており、レノラとケニーがいるのも、その焚き火の中の一つだ。
……そんな焚き火の側にいても、ケニーは着膨れしたままなのだが。
「ちょっとレノラ! 私の話を聞きなさいよ!?」
「いいから、ほら。ケニーも少しパーティを楽しんだら? 折角ガメリオンの肉を食べられるんだし」
「何でレノラは果物で、私は肉なのかしら? ……まぁ、美味しいからいいんだけど」
不満を覚えながらも、ケニーはレノラから受け取った肉へと齧りつく。
……何だかんだと言いながら、結局皆がバーベキューパーティを楽しんでいるのは間違いのない事実だった。