1241話
厨房の方から聞こえてくる店主の声に、レイ達は思わずと言った様子で顔を見合わせる。
そこから聞こえてくる奇声とも、怒声ともつかない叫び声は、とてもではないが料理をしているようには思えなかったからだ。
「な、なぁ。どう思う?」
普段は傲岸不遜……というのは多少言いすぎかもしれないが、何があってもそう簡単には動じない性格をしているレイにとっても、驚きを感じざるを得ない光景だった。
「何事も、一流の人間というのは色々と普通の人間には理解出来ないことが多いのよ」
レイの言葉に、殆ど動じていない様子でオーク肉の串焼きへと手を伸ばしながら、呟く。
そんなマリーナの言葉に、何故かヨハンナやその仲間達がレイを見ながら納得したように頷いていた。
「……おい?」
とてつもなく理不尽な扱いを受けたように感じるレイがそう呟くが、ヨハンナ達にとってもそれは予想通りの言動だったのだろう。皆が揃って……それこそ、一糸乱れぬと表現した方がいいように視線を逸らす。
視線を逸らしても……いや、寧ろ視線を逸らしたからこそか、ヨハンナ達が何を言いたいのかは明らかだった。
「ほら、レイも落ち着きなさい。この料理も美味しいわよ? はい、あーん」
レイとヨハンナ達のやり取りを見ていたヴィヘラが、そう告げながらオーク肉の炒め物……シンプルに塩だけで味付けしたにも関わらず、下処理が丁寧だった為に非常に味わい深くなっている肉をフォークに刺してレイへと差し出す。
「んぐ」
そのオーク肉から漂ってくる匂いと滴る肉汁に、レイは殆ど反射的と言ってもいいような勢いでヴィヘラのフォークへと口を寄せてオーク肉を食べる。
『あ』
そんなヴィヘラの姿に、エレーナとマリーナがそれぞれ声を上げる。
「ふふん」
そしてヴィヘラはといえば、そんな二人に向かって勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「……なぁ、ヨハンナ。あの四人を見て、どう思う」
「どう思うって言われてもね。迂闊に関われば、ここで酷い目に遭うのは確実だから、関わらない方がいいんじゃない?」
「お前の場合、セトを独り占めにしたいだけだろ」
仲間が溜息と共に漏らした言葉に、ヨハンナは自分に後ろ暗いところはないと言いたげに胸を張る。
「あら、私が何かしたかしら? 私はこうしてセトちゃんを愛でてるだけよ? あ、ほらセトちゃん。こっちの野菜の煮物も美味しいわよ?」
「グルゥ」
厨房に運ばれていった銀獅子の肉は気になる……非常に気になるのだが、それ以上に今目の前にある料理の数々もセトは気になった。
目の前にある料理は、どれも絶品と言ってもいいような料理の数々であり、セトにとっては銀獅子の肉がくるまでは十分にこの料理を味わっていたいという思いが強かったのだろう。
……もっとも、それは銀獅子の肉を使った料理が出来ればそっちに集中するのは間違いないと、セトも理解しているからこそだろう。
肉の量その物はそれ程多くなかったのを見ていたセトとしては、あまり銀獅子の肉を食べることが出来ないだろうという予想もあったのだが。
セトの側で、こちらもまた同様にオーク肉の料理を楽しそうに食べているイエロもいるが、イエロの場合は元々身体がそれ程大きくはない……寧ろ小さいので、少しの量だけですぐに腹一杯になってきたらしく、食事の速度は落ちていた。
「それにしても、こうして見ていると肉系の料理が多いのだな」
ヴィヘラとの女の戦いを一段落させたエレーナが、改めてテーブルの上にある料理の数々を見ながら呟く。
「そもそも、ここの店名がオークの煮込み亭ですから、それはおかしくないのでは?」
女の戦いが起こっている間は自分が出る幕はないと料理に舌鼓を打っていたアーラが、シチューの残りをパンに付けて食べ終わるとそう言葉を返す。
「それに、ここはダンジョン……どうしても冒険者が多くなるし、身体を動かしていると肉が欲しくなるのは当然でしょうね」
「ちょっとヴィヘラ。冒険者の中には野菜を好む人もいるのよ?」
マリーナがヴィヘラへと告げる。
実際、それは決して間違いという訳ではなかった。
勿論ヴィヘラが口にしたように、肉料理を好む冒険者が多いのは事実だ。
これは、冒険者の割合として若い男が多いというのも影響しているだろう。
だが、中には当然魚が好きな者もいれば、野菜が、果実が、木の実が……と好んでいる物も多い。
「それは分かってるけど、ここはオークの煮込み亭よ? 当然肉料理を目的に来る人の方が多いでしょ」
「おい、別に俺の店は肉料理専門店って訳じゃねえぞ。野菜料理もそれなりにある。……テーブルを見たら分かるだろうが」
そう言ったのは、先程まで厨房で怒声やら奇声やらを上げていた店主。
珍しく……そう、今日初めてこの店にやって来たレイ達はともかく、何度もこの店に通っているヨハンナ達から見ても珍しい程に機嫌が良さそうに笑みを浮かべていた。
その理由は、やはり手に持っている皿だろう。
皿の上にあるのは、串焼き。
時間を掛けた割りには非常にシンプルな料理だったが、その出来がどれだけのものなのかというのは、店主の笑顔が証明している。
「おら、お待ち。取りあえずは銀獅子の串焼きだ。正直なところ、もっと色々と手を凝らしてみたかったんだがな。ランクSモンスターの肉だけあって、その性質がまだ掴めん。肉質をよく知る為に、単純に串焼きにしてみた。味付けは塩のみだから、これでひとまず食ってくれ」
店主の言葉は、レイ達にも納得出来るものだった。
そもそも、この辺り一帯……いや、ミレアーナ王国全体……それどころかエルジィン全体を見回してみても、ランクSモンスターの肉を料理したことがあるようなものなど、殆ど存在しない。
殆どいないということは、少しではあるがいるということでもあるのだが……ランクSモンスターといっても、それこそピンキリと言ってもいい。
とあるランクSモンスターの肉に合った調理法が、他のランクSモンスターの調理法として相応しいかと言えば、答えは否だ。
これが、ランクC……ランクBモンスター辺りまでであれば、まだそれなりに数も獲れる為、モンスターの種類ごとにある程度どのように調理したらいいのかといった情報は残っている。
……もっとも、大抵の場合そのような情報は秘伝という扱いになっており、一般の料理人が知ることは出来ないような重要事項なのだが。
ともあれ、この店主にとって銀獅子というのは初めて調理する以上、まずは単純な料理をして肉の性質を知る必要があった。
「味付けは塩だけだが、肉の旨味を活かすには悪くない選択だと思う」
その言葉を店主が口にすると同時に、皆の手が、そしてクチバシがテーブルの上にある皿へと伸ばされる。
最初に串焼きを手にしたのは、レイ。
続いてセト……以後、続々と銀獅子の串焼きを手にしていく。
「おい! そんなに急がなくても、全員分はきちんとあるから落ち着きやがれ!」
店主の怒声が店内に響くが、レイ達はそれを右から左に聞き流しつつ手にした串焼きを口へと運ぶ。
口にした瞬間、最初に味わうことが出来るのは香ばしい香りとしっかりと焼かれた銀獅子の肉の表面。
肉料理に自信のある店主だけに、肉に対する火入れは最高の状態と言っても良かった。
人によってはもっとしっかりと火を通した方がいいという者や、もっと生に近い方がいいという者もいるだろう。
だが、より多くの者が好むのは、間違いなく今の火加減だろう。
そして表面の部分を囓り、口の中に香ばしく焼けた匂いが充満すると、次に広がるのは驚く程に濃い肉の味。
肉の部位のせいか、肉汁そのものはそれ程多くないにも関わらず、肉! といった感じは十分に残っている。
また、肉の硬さというのはなく、非常に柔らかい食感だ。
(銀獅子……ライオンの肉なんかは食ったことがないけど、まさか地球にいるライオンもこんなに美味かったりしないだろうな? ……しないか。そもそも銀獅子がこんなに美味いのは、ランクSモンスターだからだし)
そんなことを考えながらも、レイの中の殆どは純粋に銀獅子の串焼きの味に感動すらしていた。
何がどのように美味いのかというのは、レイにとっても中々表現出来ない。
それこそ、ただ美味いと。その一言だけがレイの感想だった。
いつまでも食べていたいと思わせるその味は、まさにランクSモンスターの肉に相応しいものだと言えるだろう。
何か特殊な香辛料の類を使ったわけではなく、本当に素材そのものがもつ味だけでこれなのだ。
レイ以外の、他の者達も言葉が出ない様子で自分が囓った串焼きへと視線を向けていた。
それは、セトやイエロといった者達も同様であり、誰もがただその美味さの前には沈黙をするしかない。
ケレベル公爵家の令嬢として、ベスティア帝国の元皇族として、永き時を生きるダークエルフのギルドマスターとして……様々な美食を味わったことがあるエレーナ達ですら、圧倒的な美味さの前に言葉が出ない。
ましてや、ヨハンナを始めとした者達にとっては刺激が強すぎた。
『…………』
言葉も出せず、意識を肉の美味さに持っていかれているその姿は、傍から見れば何がどうなってこうなったのかは全く分からないだろう。
ヨハンナも、エレーナ達には及ばずとも一般的には美人と評してもいいくらいには顔立ちが整っている。
実家がそれなりに大きな商売をやっているということもあって、それなりに美味い料理は食べた経験があったのだが……そんなヨハンナも、他の仲間達と同様に魂を抜かれたかのような表情を浮かべており、普段は美人と呼ばれる顔がどことなく愉快なものになっていた。
「こいつぁ……」
最初に口を開いたのが店主だったのは、やはりこのような店をやっているだけあって美味い料理に対する耐性のようなものがあったのだろう。
一口、二口と食べながら、串焼きに刺さっている肉の部分に改めて視線を向ける。
その様子から、この肉をどう料理すれば一番美味く食べられるのかというのを悩んでいるのが分かるのだが、レイを含めて今は誰もがそのような余裕はなかった。
長年料理人として生きてきた。
それこそ、自分の腕にそれなり以上に自信を持てる程には。
だが……今こうして自分の前にある肉をどのように料理すればいいのか、全く思いつかない。
いや、正確にはこの肉はどのように料理しても極上の肉料理となるだろうことは容易に想像出来る。
しかし、それはとてもではないが肉の味を引き出しているとは言えないのだ。
銀獅子の肉という極上の素材を、最大限に活かす料理……そう考えても、店主には全く思いつかない。
(俺も、まだ未熟だったってことかよ)
自分が天狗になっていたのでは? 向上心をなくしていたのでは? 現状で満足していたのでは?
そんな風に思いながら、自分の未熟さに嫌気を覚えつつ目の前にある銀獅子の串焼きを口の中へと運ぶ。
焼き上がってからまだそれ程経っていない為、冷めてはいない。
口の中一杯に広がる銀獅子の肉の味は、まさに天上に昇る程……そう言ってもいい。
(しかも、いい肉ではあるんだが、脂そのものは驚く程に少ない。勿論部位にもよるんだろうが)
店主はこの肉がどの部位なのかは聞いていない。
だが、様々なモンスターの肉を扱ってきた経験から、恐らく牛で言う内ももの部分だろうと見当を付ける。
脂肪の少ない赤身の肉で、純粋に肉そのものの味を楽しむのであれば、下手に脂身のある場所よりも優れているだろう部位。
貴族が好んで食べるような脂身の多い肉は、一口、二口といった風に少し食べるのであれば十分に美味く感じるが、大量に食べると胃もたれをして気分すら悪くなってくる。
そのような肉に比べると、赤身というのは脂身のあるような肉とは違って量を食べることが出来るのだ。
……勿論それでも限度というものがあるのだが。
だが、今店主が持っている串焼きの肉は、脂身が多い肉と比べても非常に柔らかく、それでいてしっかりと肉の味が楽しめるという、ある種矛盾した奇跡のような肉だった。
どのように料理をすればいいのか迷い……だが、その迷いはものの数秒で晴れる。
結局自分は料理人なのだから、出来る料理を片っ端から試していくしかないと、そう判断したのだ。
「次の料理を持ってくる!」
そう告げ、自分の持っていた串に残っていた銀獅子の肉に齧りつきながら、厨房へと戻っていく。
結局この日……幾つもの銀獅子の肉料理が出て来て、それを食べては全員が唖然、呆然とするといったことを何度も繰り返し、レイは肉を幾らか追加して料理を作らせ、その中でも気に入ったものをちゃっかりとミスティリングへと収納するのだった。




