1238話
ワーカーとの話が一段落し、レイ達は執務室から出てアーラと合流する。
これから忙しくなるというのは間違いのない事実だったが、ワーカーやこの出張所で働いているギルド職員にとって幸運だったのは、今が秋も深まっており……そう遠くない内に冬がやってくるということだろう。
冬の間は基本的に出歩く者は少なくなり、このダンジョンにも新たにやってくる者はかなり少なくなる。
また、冒険者達も冬を越す資金を貯め込めばギルムへと向かう者も多い。
つまり、ギルドの業務を段階的に縮小し、最終的にはギルムへと戻る為の準備をするには最適だということだ。
勿論レイ達がダンジョンを攻略し、ダンジョンの核を破壊しても、すぐにでもダンジョンが使えなくなる訳ではない。
いつくらいにそうなるのかは未知数だが、それでもある程度の期間があるのは事実だった。
その間にギルドの業務を縮小していくように手を回し、冬で人が集まってこない間にダンジョンの周辺に出来ている様々な店の店主へと話を通す。
勿論ダンジョンの特需とも呼べるものを目当てにして店を建てた者……それも、つい最近に店が完成したような店主にとっては青天の霹靂以外のなにものでもないだろう。
だが、それでも様々に手を回す必要があるのは事実だった。
今この話をしなければ、最終的には店にもっと多くの被害が出るのは間違いないのだから。
(そう考えると、俺は恨まれるのかもしれないな)
レイはアーラと合流し、ギルドから打ち上げを行うというオークの煮込み亭という店を目指して歩きながら、そんなことを考える。
「グルゥ?」
そんなレイの様子に、セトがどうしたの? と心配するように喉を鳴らしながら、顔を擦りつける。
「いや、ちょっと色々とあったからな。攻略の件も、ワーカーが……いや、ギルドが発表するまでは出来るだけ言わないで欲しいと要請されたし」
「でも、そっちの方が良かったんでしょう? もし私達が公表してしまえば、間違いなく騒動に巻き込まれることになってただろうし」
「……それは否定出来ない事実だな」
ダンジョンを攻略したというのは、それだけ大きい出来事だ。
レイ達が以前攻略したダンジョンのように、そこまで大きなダンジョンではないとしても間違いなく騒ぎになるのは確実だった。
それも、レイ達を祝福してくれるのであればまだしも、嫉妬を抱いた冒険者、ここで店を経営している者……それ以外にも様々な者達がレイ達に負の感情を抱くのは止めることが出来ない。
勿論、中には素直に心の底から祝福してくれるような者達も多いのだろうが。
そのような騒ぎに巻き込まれるのはごめんだと、レイ達はワーカーからの要望を素直に受け入れることにしたのだ。
だが、ここはギルムの近くであり、このダンジョンで活動していた者の何割か……もしくは大半は、ギルムで冒険者として活動することになるだろう。
それはここに建っている店も同様であり、ギルムに移住してくる者がそれなりにいる筈だった。
そうなれば、当然のようにレイ達がダンジョンを攻略したというのはギルムでも騒がれることになるのは確実だろう。
それでもある程度時間が経ってからであれば、幾らか落ち着くのは事実だった。
また、レイ達が自分の功績を誇って大々的に発表して欲しいと言えば、その通りにもなるのだろう。
あくまでもそれを望めば、の話なのだが。
冒険者の中には自分の実力に自信がある者も多く、自分の功績を誇示することを好む者も多い。
しかし……幸いと言うべきか、今回ダンジョンを攻略したメンバーにそのようなことを好む者はいない。
参加したメンバーの殆どが、既に一定の知名度を得ているというのも大きかった。
敢えて有名ではないメンバーを上げるとすればヨハンナ達だが、そのヨハンナ達もここ最近はダンジョンに挑んでは大金を稼ぎ、多くのモンスターの素材を手に入れと、この近辺では名を馳せている。
……ベスティア帝国に行けば、内乱の時にレイ率いる遊撃隊として働いたということで、より名前が知られているのだが。
「それより……」
このまま面倒な会話を続けるのは気が重いと、レイは気分を切り替える意味を込めて話を変える。
「オークの煮込み亭だったか? その店の場所は分かるのか?」
「ああ、それは私が聞いているので問題ありません」
レイの言葉に真っ先に口を開いたのは、アーラだった。
アーラは自分が有名に云々ということは全く考えていないので、レイの話に真っ先に乗ったのだろう。……もっとも、エレーナの名前を広めるという意味で考えれば、現在の状況は少し不満かもしれなかったが。
元々エレーナを敬愛しているアーラなので、エレーナの名前が知らしめられるというのは迷惑がるどころか、歓迎すらしたいというのが正直なところだ。
だが、それでも何も言わなかったのは、レイと行動を共にしている今のエレーナがとても嬉しそうだったからだろう。
「オークの煮込み亭、ね。いつの間にか寒くなってきてるんだし、美味しい煮込み料理だといいんだけど」
夏にアンブリスに襲われ、気が付けば既に晩秋といった季節になっていたヴィヘラとしては、より寒さが強く感じられるのだろう。
季節感というものを飛ばしてしまったヴィヘラにとって、煮込み料理は非常に食欲を刺激するものらしい。
「ヨハンナが美味いって言ってたんだし、その辺は期待してもいいんじゃないか? ……あいつが、セトに美味くない料理を食べさせるとは思えないし」
ヴィヘラに対するレイの言葉を聞いていた皆が、問答無用で納得してしまう。
それだけヨハンナのセトに対する思い入れは強い。
ヨハンナと同等の想いの強さを持つ者は殆ど存在しないのは間違いのない事実だった。
そしてヨハンナが、セトと一緒に食事をする場所として選んだのが今回の店なのだから、その店の料理が不味いというのはまず有り得なかった。
……口に合わない、と考える者はいるかもしれないが。
「では、安心していくとするか。アーラ、案内を頼む」
「はい、エレーナ様」
エレーナの言葉にアーラは心のそこから嬉しそうに言葉を返すと、そのままレイ達を案内していく。
当然そんなレイ達一行は周囲から見れば目立つので、当然のように注目を集める。
だが、周囲から注目の視線を向けられることに慣れているレイ達は、特に気にした様子もなく街中を進む。
そうして肌寒さを感じさせる秋の風に何人かが眉を顰めながら道を進み……やがて、目的の店へと到着する。
何らかのトラブルがあるかも? と予想していたレイだったが、幸いそのようなトラブルの類はないまま店へと辿り着けたらしい。
……そのようなトラブルがそうそう起こるというのが、そもそも異常な話なのだが。
だが、それが起きるのがレイであり、エレーナであり、マリーナであり、ヴィヘラなのだ。
「あ、セトちゃん! もう来たんですね。思ったよりも早かったようでなによりです」
店の外で待っていたヨハンナが、真っ先にセトへと声を掛け、そのままセトの下へと向かうとセトを撫でながらレイ達へと向かって声を掛ける。
その様子は、レイ達が来る途中で話していた様子そのものであり、思わず全員が笑みを漏らしてしまう。
「え? あれ? その、どうしたんですか?」
当然ヨハンナは何故自分が笑われているのかというのは分からず、疑問を抱く。
「いや、何でもない。それより、セトも入れるって話だけどどうだった?」
「あ、はい。他の客がいる時は駄目ですが、やっぱり貸し切りという形でなら構わないそうです。……ただ、この季節ですので、料金の方も相応になるらしいですけど」
「あー……だよな」
言いにくそうにしているヨハンナだったが、レイにもそれは理解出来た。
冬が近づいてきて、外で何かをやるといった真似をするのも厳しい。
そんな中で食事というのは数少ない楽しみだ。
そしてオークの煮込み亭は料理の美味さでそれなりに有名であり、店を開けば毎日繁盛間違いなしの店なのだ。
そのような店を貸し切りにするのだから、店側が多目の料金を要求してくるのは当然だった。
「ま、今回は俺が出しておくよ。銀獅子の素材も殆ど俺が貰ったし、そう考えれば打ち上げの金を出すくらいは問題ない」
寧ろ銀獅子の素材を売った値段を考えれば、この程度の打ち上げを何十回、何百回、何千回、何万回とやっても有り余る。
「いいんですか? 良かった、実はもう貸し切りにするって言ってあったんですよね」
「……いや、まぁ、いいけど」
ヨハンナの言葉に少し呆れた表情を浮かべながらも、告げるレイ。
事実、今回の件はヨハンナが前もって話を通したおかげもあり、その上で店の店主と仲が良いからこそ出来たことだった。
「当然セトちゃんが店の中に入ってもいいってことになってるから、セトちゃんも一緒に打ち上げしようね」
「グルルルゥ!」
「キュウ! キュキュ!」
嬉しそうにセトが鳴き、その背の上のイエロが自分も忘れるなと鳴き声を上げる。
「勿論イエロちゃんの分もきちんと用意してあるから、心配はしなくてもいいわよ?」
ヨハンナの中では、当然セトが一番だ。
だが、だからといってそれ以外を愛でないという訳ではない。
基本的に可愛いもの好きのヨハンナにとって、イエロも十分に愛らしいと思える相手だった。
もしセトと出会う前にイエロと会っていたら、もしかしたらセトではなくイエロを一番に持ってきたかもしれないと思う程には。
「キュ!」
自分が忘れられてないのならいい、とセトの背の上でイエロが嬉しそうに鳴く。
そうして話が一段落つくと、いよいよヨハンナお勧めのオークの煮込み亭へと入る。
店構えその物は、それ程周囲と変わった様子はない。
それだけ自分の店で出している味に自信があるからか、それとも単純にその辺りを気にしていないだけなのか。
ただ一つ……扉の大きさだけが、普通の店よりも大分大きい。
それこそ、セトが中に入るのも難しくはない程に。
「じゃ、入りますね。……驚かないで下さいよ?」
「うん?」
ヨハンナの意味ありげな言葉に疑問を感じるレイだったが、何かを尋ねるよりも前に扉が開かれる。
瞬間、店の中から漂ってきたのは、濃厚なスープの香り。
「グルゥッ!?」
暴力的な香りともで表現すべきその匂いに最初に反応したのは、当然と言うべきか五感の鋭いセトだった。
もっとも、その反応は決して暴力的なものではない。寧ろ、店の中から漂ってきた香りにうっとりとすらしていた。
「うわ、この匂いは凄いわね。……外に全く匂いが漂ってこなかったのは何で? 私達ならともかく、セトなら扉を開ける前から匂いを嗅ぎ取っても不思議じゃないと思うんだけど」
そのスープの匂いに驚きながら、ヴィヘラが疑問を口にする。
人間よりも遙かに鋭い嗅覚を持っているセトが、扉を開くまで匂いを嗅ぎ取ることが出来なかったというのは、不思議としか言いようがなかったからだ。
「ああ、それはこの建物には消臭のマジックアイテムが使われているらしいですよ。今の匂いを嗅げば分かると思いますけど、かなり濃厚な匂いですから……その、この店が建った当初は、近くにある店から色々と苦情が入ったそうです」
「なるほど、ね。マジックアイテムをこういうことに使うというのは少し驚きだけど、考えてみれば不思議でもなんでもないんでしょうね」
「寧ろ、この為にある……と言っても過言ではないな」
「いや、過言だろ」
エレーナの言葉に、レイが思わずといった様子で突っ込む。
セトにすら臭いを嗅ぎとらせないような、完璧な消臭を可能にするマジックアイテムなのだ。
本来なら、とてもではないがこんな場所で使われるべき代物ではない。
(変な場所に流れるよりは、こういう店で使われた方がいいのは間違いないんだろうけど)
これ程のマジックアイテムである以上、出すべき場所に出せば相当な値段がつくだろうし、欲しがる者は幾らでもいるだろう。
それこそ、食堂を開いてあくせく働くような真似をせずとも、遊んで暮らせるだけの金が得られるのは確実だった。
そう告げたレイだったが……
「けっ、俺は俺がやりたくて料理をやってるんだよ。それより、いい加減中に入って扉を閉めろ。また周囲の店から文句を言われるだろ」
店の中から、そんな声が聞こえてきた。
聞くからに頑固親父と呼ぶのに相応しいだろう、そんな声。
その声に導かれるように、レイ達は店の中に入る。
もしここで躊躇していれば、間違いなく店に入ることを拒否される。
半ば本能的にそう思ってしまったからだ。
これだけの香りを嗅いで、それでこの店の料理を食べないという選択は、レイ達にはなかった。