1237話
レイ達がギルドに入った瞬間、まるで前日の繰り返しのようにギルドにいた冒険者達の視線が向けられる。
もっとも、現在はまだ日中だということもあって人の姿は昨日よりは大分少ないのだが。
それでも、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、普通なら見ることも出来ないような美人は人の目を惹き付けるのは当然であり、昨日もレイ達を見た者は何人かいたが、そのような者達も昨日いなかったヴィヘラの姿に驚くことになる。
そして当然そのような者達と一緒に行動しているレイへと妬みの視線を向けてくる者もいるが、行動には移さない。
昨日と今日の二日だけで、レイのことは十分に知れ渡っているのだろう。……もっとも、グリフォンを連れているという時点でレイが誰なのかは分かりきっている話なのだが。
勿論中にはそれを分からないような者もいたが、それでもエルクのことは知っており、レイと敵対するような真似はしない。
周囲からの視線を向けられているレイ達は、それはいつものことと気にせずにカウンターへと向かう。
カウンターの受付嬢も、昨日の今日でこうしてマリーナがやってきたのを見ると、すぐに用件を理解する。
「いらっしゃいませ、マリーナ様。ワーカー代表に用事でしょうか?」
「ええ、昨日の件で進展があったと言って貰えるかしら?」
「はい、直ちに」
受付嬢が頷くと、すぐにカウンター内部にいたギルド職員の一人が奥へと向かう。
それを見送りながら、レイはそう言えばここの責任者はワーカーという名前だったな、と思い出す。
当然レイは以前エレーナと共に継承の祭壇へとやってきた時、ワーカーと会っているし、自己紹介もしている。
だが、数年前に会ったような人物のことを完全に覚えていられる筈もなく、今のやり取りでようやく思い出す。
「レイ、ワーカーの名前は忘れないようにしておいた方がいいわよ。いずれ有名になる人物なのは間違いないのだから」
「……有名に?」
マリーナの口から出て来た言葉に、レイは軽く首を傾げる。
そんなレイの姿を見て、笑みを浮かべるマリーナ。
エレーナやヴィヘラも、マリーナが何を意図してそのように言っているのかが分からず、不思議そうな表情を浮かべていた。
「ふふっ、これは秘密。ただ、今はワーカーの名前を覚えていてくれればいいから」
「まぁ、マリーナがそう言うのならいいけど」
レイ達の会話は、すぐ側にいた受付嬢にも当然聞こえていた。
だが、マリーナが何を言っているのかというのは分からず、近くにいる別の受付嬢と視線を交わすだけだ。
そのまま数分が経過し、やがて先程奥へと向かったギルド職員が戻ってくる。
「ワーカー代表がお会いになるそうですので、こちらへどうぞ」
「ええ。では、行きましょうか」
「エレーナ様、私はここで待っています。色々と込み入った話になるでしょうし」
早速カウンターの奥へと向かおうとしたレイ達だったが、不意にアーラがエレーナへとそう告げる。
「そう? 別にアーラが来てもワーカーは気にしないと思うけど」
そんなアーラにマリーナが告げるが、アーラは小さく首を横に振る。
これから行われる会話は色々と大きなものになるというのが予想出来るので、今の自分ではそれを聞かない方がいいと判断したのだ。
アーラに無理を言っても意味がないと判断し、レイ達はアーラをその場に残してカウンターの内部へと向かい……マリーナは昨日に引き続き、そしてレイとエレーナは数年ぶりにワーカーと顔を会わせる。
「ダンジョンから戻ってくるのが随分と早かったですね。……レイさん達とは久しぶりとなります。そちらは、初めてお会いする方ですよね?」
執務室へと入ったレイ達を迎えたのは、立ち上がって客人を出迎えるワーカーの姿だった。
以前にレイが見た時も若い――それでもレイやエレーナに比べれば十分年上なのだが――姿をしているワーカーだったが、こうして数年ぶりにあっても外見は以前と変わらないように思えた。
二十代……どんなに多目に見ても三十代前半といった容姿。
(もしかして、エルフの血を引いてるとか、そういうのか? ……その割りに、耳は普通の人間のようにしか見えないけど)
エルフの特徴の長い耳をしてる訳でもなく、あくまでも普通の人間の耳のように見える。
そのことに疑問を抱くレイだったが、よく考えればここは異世界……ファンタジー世界なのだから、特定の人間が普通より長生きしてもおかしくないだろうと納得する。
「ええ、私はヴィヘラよ。今回の原因になった……と言えば、分かりやすいかしら」
「ほう、貴方が……意識を失ってから随分経つと聞いていましたが、大丈夫なのですか?」
ヴィヘラの言葉に不思議そうな表情を浮かべるワーカーだったが、ヴィヘラは笑みを浮かべて口を開く。
踊り子や娼婦が着ているような薄衣を身についているヴィヘラだったが、そんなヴィヘラを見ても特に驚きや好色な表情を表に出さないのは、ワーカーの有能さを現しているのだろう。
「レイやマリーナのおかげでね。……ああ、それとエレーナも」
ついでのように言われたエレーナが少しだけ面白くなさそうな表情を浮かべるが、それ以上は特に口に出したりはしない。
そうして全員がソファへと座ってから、数分お互いに簡単に自己紹介を済ませると、やがて本題に入るべくワーカーが口を開く。
「それで、ヴィヘラ殿下の意識が戻ったという事は、昨日ギルドマスターが言っていたような結果に?」
ヴィヘラのことを殿下と呼ぶということは、ワーカーがヴィヘラの正体を知っているということを意味している。
もっともベスティア帝国で起きた内乱を含め、特に素性を隠そうとして行動してきている訳ではない以上、ある程度情報に詳しい者がいればヴィヘラの素性を知るのは難しくはないだろうが。
「殿下は止めてちょうだい。私はもう出奔したんだから、ただのヴィヘラで結構よ」
「……分かりました。では、改めて。ヴィヘラ様の意識が戻ったということは、銀獅子の討伐は行われ、ダンジョンの核も破壊された。そういう認識でいいでしょうか?」
じっとマリーナを見て尋ねるワーカー。
ダンジョンが出来てから、この地へと派遣されてギルドを運営してきたワーカーだ。
例え正規のギルドではなく出張所という扱いであっても……いや、だからこそこの地に愛着を持っていた。
そんなワーカーの思いを理解しているマリーナが、そのまま素直に頷いてから口を開く。
「ええ。銀獅子は倒して、ダンジョンの核も破壊された。……レイ」
マリーナに促されたレイは、ミスティリングからダンジョンの核を取り出す。
不思議な程に、そこにあるだけで周囲の視線を惹き付けるような……そんな魅力を持った存在。
「これが、ダンジョンの核……ですか。初めて見ました」
「でしょうね。そもそも、普通ならダンジョンの核を見るなんて真似はそうそう出来ないもの。いい経験をしたわね」
笑みと共にそう告げられたワーカーは、じっとレイの手の中にあるダンジョンの核を見ながら口を開く。
「その、少し触ってもいいでしょうか?」
「ああ、構わない。どうせギルドの方で一時的に預かるんだろ?」
「恐らくはそうなるかと。勿論このままこちらで没収するような真似はしないので、安心して下さい。出来れば今日このまま預けていって欲しいのですが……」
「それはちょっと困るな。近いうちにギルムに戻る予定だし。返して貰うのに、わざわざここまで来るのちょっと気が進まない」
「あら、問題ないわよ? ダンジョンの核を本格的に調べるのは、ここじゃなくてギルムでだし」
レイの言葉にマリーナがそう告げるが、それにエレーナが不思議そうに口を開く。
「ギルムで調べるのであれば、今日ダンジョンの核を預ける必要はないのではないか? それこそ、ギルムに戻ってからでも構わないと思うが」
ヴィヘラやレイもエレーナの言葉に同感だと頷くが、ワーカーはそんなレイ達に向かって首を横に振る。
「いえ、本格的に調べるのはギルムでとなるでしょうが、大まかなところはここで調べられます。そうすれば、ギルムで調べてからもレイさんに早く返せますけど」
「そうね。それに、ダンジョンが消滅する以上、当然この周辺に集まってきている人達も少なくなっていくでしょうし、同様に建っている建物もそのうち取り壊されていくわ。そうなればこの出張所も少しずつ規模を縮小していくことになるでしょうね」
意味ありげな視線が、マリーナからワーカーへと向けられる。
艶っぽいことを連想させる視線なのだが、マリーナは意図的にそうしている訳ではなく、自然にとった行動だった。
そしてワーカーもそんなマリーナの視線が何を意味しているのかを理解しているのだろう。小さく溜息を吐いてから口を開く。
「私にギルムのギルドマスターは荷が重いと思うんですけどね」
『え!?』
ワーカーの口から出た言葉に、レイ、エレーナ、ヴィヘラの三人がそれぞれ同時に声を出す。
そして三人の視線が向けられたのは、艶然とした笑みを浮かべてレイ達の様子を眺めていたマリーナ。
自分に視線が集まっている理由は理解はしているのだろうに、笑みを浮かべたまま口を開く。
「あら、どうかしたの?」
「どうかしたのって……今の話はどういうことなんだ? ワーカーがギルドマスターになるのなら、マリーナはどうするんだよ?」
そう、現在のギルムのギルドマスターはマリーナだ。
そのマリーナの代わりにワーカーがギルムのギルドマスターになるというのであれば、当然マリーナはギルドマスターではなくなるということになる。
「どうするって、ギルドマスターを辞めるんだけど?」
「そんな簡単に辞めるとか、出来るの?」
あっさりと告げたマリーナの言葉に、ヴィヘラは疑問を抱く。
いや、それはヴィヘラだけではない。他の皆もまた同様に抱いた疑問だった。
言うまでもなく、ギルムというのはミレアーナ王国に唯一ある辺境の地だ。
当然のようにその価値は非常に大きく、だからこそギルムを統治しているダスカーが中立派を率いることが出来ているのだ。
そんなダスカーが率いているからこそ、中立派は少人数でも存在感を示せている。
ダスカーがそれだけの存在感を示せる理由が、辺境という立地だ。
辺境でしか手に入れることの出来ない、稀少な素材の数々。
モンスターの死体から剥ぎ取る素材や、その生態系故に生えている様々な植物や鉱石。
また、辺境でしか入手出来ないそれらの素材を得る為に集まってくる大量の商人。
素材を少しでも安く、少しでも多く入手したい錬金術師や薬師、鍛冶師といった者達。
そして何より、それらの素材を集めることにより多額の報酬を貰うことが出来る冒険者達。
様々な要因があるとはいえ、ダスカーがギルムの領主として強い影響力を持っているのは、冒険者がいるからこそ……つまり、ギルドがあるからこそだ。
腕利きの冒険者というのは、色々な意味で突飛な性格をしている者も多い。
そのような冒険者を纏め、小さな騒動は幾つも起こしつつもギルムが崩壊するような騒動は起こさせなかったのは、マリーナの力が非常に大きい。
そんなマリーナがギルドマスターを辞めると言っても、そうすぐに認められる筈もなかった。
「ああ、大丈夫。ダスカーにはきちんと話を通してあるから。それに、別にギルドに一切関わらなくなる訳じゃないのよ? そうね、ギルドマスターはワーカーに譲るけど、相談役とかご意見番とか、そんな形でギルドには関わっていくと思うわ」
「相談役?」
何となくといった感じで相談役という言葉を繰り返すヴィヘラに、マリーナは頷く。
「ええ。幾ら何でも、私だってこのままギルムのギルドを放り出していいとは思っていないもの。もし何かあったら、すぐにでも口を出せるようにはしたいと思うわ」
「……それなら別に、ギルドマスターを辞める必要はないんじゃない?」
「そうね。けど……ギルドマスターのままだと、ヴィヘラと違ってレイと一緒にいられないでしょ? そろそろギルドマスターを辞めて冒険者に戻ろうとは思ってたのよ。それに……」
言葉を濁しつつ、マリーナの視線が向けられたのはワーカー。
その視線の意味が理解出来たのだろう。ワーカーは小さく息を吐いてから口を開く。
「今のギルドの状況は、全く問題なく回っています。ですが……ギルドマスターに頼りすぎている。そう言いたいのですね?」
「ええ。勿論私はダークエルフだから、人間よりも遙かに永い時を生きるわ。けど、いつまでもギルドマスターでいられる訳でもないのよ。それこそ、もし何かがあって私がいなくなった時……下手をしたらギルドはまともに動けなくなるかもしれない」
その言葉の意味を理解し……皆は何故マリーナがギルドマスターの座を降りようとしているのかを理解する。
もっとも、レイと一緒にいられる時間を増やしたいというのも、紛れもなく本心だったのだが。