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レジェンド  作者: 神無月 紅
群れの、群れ
1202/3865

1202話

 執務室の外に出てから、数十分……レイは壁に背を預けて立っていた。

 本来なら一階に戻ればギルド職員からお茶の一つでも貰えたのだろう。

 だが、今のレイはそのような気分ではない。

 まさかアンブリスが転移するような真似をして、いきなりヴィヘラの側に現れ、そのまま身体に染みこんでいく……などという真似をされるとは思わなかったが、そんな行動をされるよりも前にアンブリスを倒しきれなかったのは事実だ。

 幾ら攻撃をしてアンブリスの身体を消滅させても、すぐに復活するという厄介な相手ではあったが……それでも戦う際にヴィヘラの姿をもっと遠ざけておけばこのようなことにはならなかった筈だった。

 そんな風に考えていると、不意に執務室の扉が開く。

 そうして顔を出したのは、当然のようにマリーナ。

 もしかしたら、何気なくヴィヘラが顔を出すのでは? と一瞬期待してしまっただけに、レイの中には落胆があった。

 落胆した表情を浮かべたレイに、顔を出したマリーナは特に怒った様子もなく部屋に招き入れる。

 本来なら、自分が愛した男が他の女の心配をしているというのはマリーナにとっても面白くないだろう。

 それでもその対象がヴィヘラであり……もしくはエレーナであれば、マリーナにとっては不思議とそこまで嫉妬を抱かない。

 勿論それは、他の二人に比べてレイを愛していないから……という訳ではなく、自分達三人がレイと結ばれるというのを理解している為だ。

 もしこれがヴィヘラでもエレーナでも……そして自分でもない相手を心配しているのであれば、多少の嫉妬を覚えただろう。

 そんなことを考えながら、マリーナはレイを執務室へと通す。

 ソファの上で横になっているヴィヘラの姿は、先程レイが執務室から出た時と変わりはない。

 ヴィヘラの様子を調べる為に脱がせた服……と呼ぶのが躊躇われるような薄衣も、今は元通りになっている。

 だが、それでもヴィヘラの意識が戻る様子は一切ない。

 不幸中の幸いと呼ぶべきなのは、意識を失っているヴィヘラに苦しそうなところがないところか。

 何も知らない者が今のヴィヘラの様子を見れば、ただ熟睡しているようにしか見えない。

 もしこれで苦しそうな呻き声がヴィヘラの口から上がっていれば、レイはいてもたってもいられなくなってしまっただろう。

 眠っているようにしか見えないヴィヘラの顔から視線を逸らし、レイはマリーナに尋ねる。


「それで、ヴィヘラの様子は? いつ目が覚めるとか、そういうのは分からないのか?」


 その言葉に、マリーナは首を横に振って残念そうに口を開く。


「分からないわ。身体的な異常はないし、魔力に乱れもない。……それこそ、本来ならいつ起きても不思議じゃないのよ。私が診た限り、問題はないと思うのだけれど……」


 一旦言葉を切ったマリーナは、改めてヴィヘラへと視線を向ける。

 自分ではどうしようもない、と。そう態度で示すマリーナに、レイはミスティリングからポーションを取り出す。


「なら、このポーションを使っても意味はないのか?」


 そのポーションは、ただのポーションではない。

 世界樹の素材を使って作った、稀少なポーションだ。

 ギルムで売っているポーションと比べても、その効果は大きく違う。

 それだけのポーションであれば、もしかしたらヴィヘラも回復するかもしれない。

 そんな思いで告げるレイに、マリーナは首を横に振る。


「残念ながら駄目でしょうね。傷を負ってるのであれば、瞬く間に回復させることはできるのでしょうけど……」


 歯切れの悪いマリーナの言葉。

 マリーナも今のヴィヘラのような状況は初めて見る為、本当に世界樹のポーションを使っても効果がないかどうかが分からないのだ。

 今のヴィヘラはマリーナの目から見ても本当に眠っているようにしか見えない。

 それこそ、今すぐにでも欠伸をしながら目を覚ましても、何ら不思議ではない程に。


「回復魔法の使い手や医者に診せることも出来るけど……どうする?」


 多分診せても無駄だ。

 言外にそう告げているマリーナだったが、万が一にもヴィヘラが意識を取り戻す可能性を考えると、レイの中に診せないという選択肢はない。


「じゃあ、頼めるか? 今は色々と忙しいだろうけど」


 この場合の忙しいというのは、マリーナのことではなく回復魔法の使い手や医者のことだ。

 現在ギルム周辺で起きている……いや、起きていたアンブリスの件。

 生み出されたリーダー種が群れを作り、幾つもの群れがギルムの周辺を……より正確には辺境を動き回っている。

 その群れを倒す為に多くの冒険者が討伐依頼を受けて活動しており、そうなれば当然怪我をする者も多い。

 ギルムとしても、金がなくて治療が出来ない冒険者を見殺しにしてしまえば防衛戦力が減るということで、ダスカーは治療費を自分が持つということを宣言している。

 おかげで群れと戦って怪我をしても、ある程度のものであれば……それこそ命に関わるような怪我でもなければ、すぐに回復して貰えるのだ。

 勿論無料で治療を受けられるのは、群れの討伐をしている冒険者やアンブリスを探している冒険者に限るのだが。


「ええ、すぐに連れてくるわ」


 そう言いつつも、マリーナの口調には期待の色はない。

 恐らくギルムの中でも腕利きの回復魔法使いを連れてきても駄目だと、そう予想出来ているからだろう。

 それでも万が一、億が一の可能性に期待して部屋から出ていく。

 ギルド職員に回復魔法の使い手を呼びに行かせる為だ。

 他にも、アンブリスを倒したというのを領主のダスカーに知らせる必要もあった。

 ただし、アンブリスを倒したとしても、アンブリスによって生み出されたリーダー種が消えるということはない。

 これ以上リーダー種が増えることはないが、生み出されたリーダー種が率いる群れはギルムの者達が倒す必要がある

 ……時と場合によっては、群れ同士がぶつかり合って戦うこともあるし、より強力なモンスターに群れが蹂躙されるという可能性もあるが。

 だが、逆にリーダー種の群れが他の群れを吸収してより巨大になるという可能性も否定は出来ない。


「じゃ、ちょっとここで待っててね」


 そう告げ、執務室から去っていくマリーナを見送り、レイはヴィヘラが眠っているのとは別のソファへと座る。


「……はぁ……」


 深く溜息が吐き出され、窓の外の青空へと視線を向ける。

 そこにあるのは、夏らしく真っ青な空。

 レイの心境とは全く違う……正反対と言ってもいいような青空を眺めながら、レイは再度溜息を吐く。

 冒険者として活動している以上、レイも……そしてヴィヘラも依頼の中で危険な目に遭うのは覚悟していた。

 それでもやはり、こうして実際に意識を失ったヴィヘラの姿を前にすると、どうしても思うところがあった。

 そのままじっと熟睡しているかのようなヴィヘラの顔を見ながら、十分程が経ち……やがて執務室の扉がノックされ、開けられる。

 執務室の中に入ってきたのは、いつものように艶然とした様子を見せるマリーナ以外にもう一人、女の姿があった。

 年齢は二十代半ば程か。緑の髪が、動きやすいように肩の辺りで切り揃えられている。

 温和な表情を浮かべている整った顔立ちは、美人……と言ってもいいだろう。

 ただし、レイの場合はエレーナ、ヴィヘラ、マリーナといった時代を代表すると評してもいいような美人を日常的に目にしている為、その女の姿を見ても特に驚くようなことはなかったが。

 その女は、まず最初にソファで横になっているヴィヘラに視線を向け、次にレイへと視線を向ける。


「初めまして、レイさん。私はルナミリアと言います。……まぁ、実際には今までにも何度か会ったことがあるのですけど、こうして直接挨拶をするのは初めてですね」

「会ったことがある?」


 ルナミリアと名乗った人物の顔を良く見ると、すぐにレイも目の前にいる人物とどこで会ったのかを思い出す。

 セトを可愛がっており、餌を与えたり撫でたりする者の中で時々見る顔だった。


「そうか、セトの……」

「ええ。セトちゃんには何度か遊んで貰っています。……まさか、このような場所でレイさんと会うことになるとは思っていませんでしたが」


 微笑を浮かべたルナミリアだったが、すぐに厳しい表情を浮かべてヴィヘラへと視線を向ける。


「セトちゃんについての話もしたいところですが、今はとにかくこちらの方の治療が先ですね」

「……頼む」


 レイの言葉に頷き。ルナミリアは意識を失っているヴィヘラへと近づいてそっと顔に手を当てる。

 額に触れていない左手に持っているのは、魔法発動体の杖だろう。

 そして呪文を口にし……やがて手が光に包まれ、その光がヴィヘラへと移っていく。

 その光景を見ているレイの手を、マリーナがそっと握る。

 レイもまた、マリーナの手を握り返す。

 お互いがお互いの手の体温を通じて、しっかりとそこにいるというのを理解し……やがてヴィヘラの身体から光が消える。

 もしかしたら、すぐにでもヴィヘラが目を覚ますのではないか。

 そんな思いを込めてルナミリアに視線を向けるレイだったが……やがて魔法に集中していたルナミリアが目を開け、レイとマリーナの方を見るとゆっくり首を振る。……縦ではなく、横に。


「っ!?」


 何故、という思いと、やっぱりという思いの両方がレイの胸中に存在した。

 アンブリスという未知の存在が相手なのだから、そう簡単にことが済むとは思っていなかった。

 だが……それでも、もしかしたらどうにかなるかもしれないという希望も持っていたのだ。


「すいませんが、私の能力ではどうにも出来ないようです。……それ以前に、私が調べたところでは、ヴィヘラさんの身体に異常はありません。全くの健康体と言ってもいいかと」

「……健康体? けど……」


 言い募ろうとするレイに、ルナミリアは分かっていると言いたげに頷きを返す。


「はい。健康体であっても意識を取り戻すことはありません。つまり、ヴィヘラさんが意識を失ったままなのは、肉体的な問題ではなく精神的な問題かと」

「……つまり、世界樹の素材を使って作ったポーションを使っても意味はないってことか?」

「どうでしょう。普通のポーションであれば肉体的な回復のものが一般的ですから、無意味と言い切れるのですが……」

「世界樹というとんでもない代物を素材にしたポーションである以上、効果がない……とは言い切れない訳ね」


 レイとルナミリアの会話にマリーナが入ってくる。

 世界樹がどれだけの存在なのかをこの中で一番よく知っているのは、やはりマリーナだろう。

 世界樹のある場所で生まれ育っただけではなく、マリーナは世界樹の血に連なる者だ。

 それだけに、世界樹の素材というのがどれだけの効果を持っているのかというのは分かる。


「なら、試した方がいいと思うか?」

「ポーションを使っても、身体に悪いということはないわ。なら問題ない……わよね?」

「はい。ただ、世界樹から作られたポーションを無駄にしてしまうことになりかねませんが」


 マリーナの問い掛けに、ルナミリアが丁寧な口調で答える。

 レイにはセトの主人ということでそれなりに軽い口調で接していたのだが、やはりギルドマスターのマリーナに対しては相応の態度を取るのだろう。

 マリーナはそんな事に慣れているのか、特に気にした様子もなくレイへと視線を向けてくる。


「世界樹のポーションを使っても問題ないようだし、試してみたら? もっとも、無駄に終わる可能性の方が高いけど」


 どうする? と挑発するような視線を向けてくるマリーナ。

 世界樹の素材というのは、非常に稀少だ。

 それこそ、金を積めば手に入るという物ではない。

 それを無駄にしてでも試すのか? そう視線で尋ねてくるマリーナに対し、レイは躊躇なくミスティリングからポーションを取り出す。

 出す場所に出せば、光金貨で取り引きされてもおかしくないだろう代物。

 ルナミリアも、ポーション自体が持つ格とでも言うべきものに目を奪われてしまう。

 レイはそのままポーションをヴィヘラの口元へと持っていき……だが、当然ながら意識を失っているヴィヘラが、ポーションを飲める筈もない。

 いや、無理に口に突っ込めば飲むかもしれないが、反射的に吐き出す可能性があった。

 世界樹のポーションはレイが今持っている物だけではないとはいえ、無駄に出来るだけ大量にある訳でもない。

 どうやって飲ませるかを少し考え……レイの脳裏を過ぎったのは、日本にいた時に見た漫画やアニメでの一シーンだった。


(仕方がない、か。意識がない相手にこういう真似をするのは好きじゃないんだけどな)


 意を決し、世界樹のポーションを自分の口へと流し込む。

 そしてヴィヘラの顔に手を当てると、直接口移しでポーションを流し込んでいく。

 そのまま吐き出さないように唇を重ねたまま数秒。

 ヴィヘラの喉が動いてポーションを飲み込んだのを確認し、そっと重ねていた唇を離す。

 普段であれば、マリーナもこの光景を冷やかしたりするのだが……今はそんなことが出来る雰囲気ではない。

 レイもマリーナも、そしてルナミリアもじっとヴィヘラの様子を見る。

 だが……目を覚ます様子は一切なく、眠ったままだ。


「駄目……ね」

「……ああ」


 マリーナの言葉に短く呟くレイ。

 そんなレイを励まそうと、マリーナはレイの顔へと視線を向けるが……そこにあるのは、落ち込んだ表情ではなく、決意に満ちた表情。


「ヴィヘラ……お前は絶対に俺が起こしてみせる。絶対にだ」


 そう呟くのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] もうケニーは嫁候補からすっかり消えてるのね(笑) ケニー派のワイ号泣…
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