1197話
良く晴れた空の下、レイはいつものようにセトに乗って空を飛んでいた。
セトの足にはいつものようにヴィヘラがぶら下がっており、地上に緑の絨毯が広がっている。
そんな中を飛んでいるレイは、手の中にあるマジックアイテムに従ってセトを誘導していた。
「セト、もう少し右方向だ」
「グルゥ」
レイの言葉にセトが翼を羽ばたかせて進行方向を変える。
「ねぇ、レイ。後どれくらいのアンブリスがいると思う?」
セトの前足にぶら下がりながら尋ねてくるヴィヘラに、レイは軽く肩を竦めてから口を開く。
「どうだろうな。俺達が最初に倒したアンブリスとミレイヌ達が見つけたアンブリス。一匹いたのを見つけたら他に三十匹はいると思え……とまではいかないといいんだが」
日本にいた時に何度か見たことがある、台所の黒い虫を思い出しながらレイはヴィヘラにそう返す。
(そう言えば、カブトとかクワガタなんかは普通に触れるのに、何でゴキブリだけは気持ち悪く感じるんだろうな?)
そんなどうでもいいことを考えつつ、青くどこまでも高い空を見上げながら欠伸を我慢する。
アンブリスを見つける為の探知機が完成したことにより、朝早く……まだ夜中と表現してもいいような時間に起こされたレイとヴィヘラだったが、結局あの後は寝るにしても中途半端な時間だったので、食事を済ませると軽く戦闘訓練をしてすごした。
レイとの戦いにヴィヘラが熱中し、本気の戦いになりそうにもなったのだが……幸いヴィヘラはその寸前で我を取り戻した。
レイも二槍流の訓練としてはヴィヘラはいい相手であり、ヴィヘラは我慢しなければならなかったので多少不満そうだったが、それでも充実した訓練だったと言えるだろう。
そんな訓練に集中していると宿に泊まっている者達も起きてきて、その中の何人かは裏庭で行われている訓練……という名の戦いを見て驚きで完全に目が覚めることになったのだが。
そうして朝の訓練を終えると食堂で朝食を済ませ……今はこうしてセトと共にアンブリスの探知機を使ってその姿を探していた。
当然のように今日もゴブリンリーダーの群れを何度か見つけ、上空からの炎の魔法で纏めて焼き殺している。
セトの速度で移動していてもアンブリスの姿を発見出来ないのは、やはりアンブリスが黒い霧であるというのが影響しているのだろう。
空を飛んでいるのであれば見つけやすいのだが、地中を移動していれば見つけることは出来ない。
また、地中ではなくても地上を這うように移動していれば、草に隠されて見つけることは難しいだろう。
空を飛びながら、これまで何度かアンブリスの反応のあった場所に到着はしているのだが、そこから先は見つけることが出来ないでいた。
今もこうして地上や空を見ながらアンブリスの姿を探していたが……別のものを見つけることになる。
「あ、レイ。あそこにいるのはオークじゃない」
「何?」
ヴィヘラの言葉に、レイは慌てて周囲を見回す。
あそこと表現されても、ヴィヘラが掴まっているのはセトの前足だ。
当然ながら、レイにはヴィヘラがどこを見ているのかというのは分からない。
それでも周囲を見回せば、ヴィヘラが言ったオークの群れというのは発見することが出来た。
オークリーダーに率いられていると思われる、二十匹程のオークの群れ。
その数がオークリーダーに率いられているオークの群れとして多いのか少ないのかは分からない。
だが、レイにとってオークというのはそのランク以上に肉の美味い食材という認識が強い。
普通の群れの数がどうであれ、オークの数が少なくて文句を言うことはあるかもしれないが、多くて文句を言うことはなかった。
(まぁ、不満を言えば出来ればもっと上位種のオークが出て来て欲しかったってところだけどな)
オークの肉は同ランクのモンスターに比べても美味いが、極上! と言える程ではない。
どちらかと言えば、普段食べる肉という感じの肉の中では上物といった感じだ。
勿論それでも普通の冒険者達にとってはそれなりに稀少――保存性の問題で――なのだが。
レイの場合はミスティリングがあるので、問題はないのだが。
ともあれ、地上を移動しているオークの群れが向かっている方にあるのは、当然のようにギルム。
ゴブリンは全く何も考えずにギルムへと向かっていたのだが、オークは人と敵対することの危険さを知ってはいる。
それでもゴブリンと同様にギルムへと向かっているのは、オークリーダーの個性か何かか。
「ま、ギルムに向かっている以上、こっちも見逃す訳にはいかないよな」
「……とても不承不承攻撃しようとしている口調には聞こえないんだけど?」
レイの口調に喜びが混ざっているのを理解したヴィヘラが呟くが、レイはそんなヴィヘラに対して何も言わない。
事実、オークの群れと遭遇するのを喜んでいるのは間違いないからだ。
レイやセトにとっては普段から食べる肉というのがオークの肉だ。
勿論他のモンスターの肉も食べているし、ギルムにいる時は店で売っている料理や、食堂で食事を食べることも多い。
だがそれでも、やはり野外ではオークの肉を食べることも多く……オークの集落で得た分も、かなり心許なくなってきていたのだ。
そういう意味では、ここでオークを見つけることが出来たのはレイにとって運がよかったと言えるだろう。
「ヴィヘラ、悪いけど俺は先に行く。セトと一緒にオークを逃がさないようにしてくれ」
「そうは言っても、私達だけじゃ……いえ、正確にはレイが最初に突っ込むんだから、私とセトだけじゃどうしても一匹も逃がさないなんて真似は出来ないわよ?」
「心配するな。セト、いざとなったら王の威圧を使ってもいい。そうすれば向こうは逃げ出すことが出来ないか……動けても動きが鈍る」
「……それなら、最初から王の威圧とかいうスキルを使った方が手っ取り早いんじゃないの?」
ヴィヘラの口から出た当然の疑問に、レイは頷き……それではヴィヘラから見えないことに気が付き、口を開く。
「そうだな。普通に倒すだけなら王の威圧を使えばそれで十分かもしれないけど……王の威圧を使えば、相手は動きを止める。つまりそれは緊張するのと似たような感じになる。だとすれば、肉の味が多少なりとも落ちるんだよ」
日本にいたときにレイがTV番組でそのようなものを見たことがある。
その時に見たのが、動物を殺す時のやり方。
リラックスして死んだ状態……もしくは自分が死んだと気が付かずに死んだ状態の肉と、自分が殺されると分かり、暴れた末に殺された動物。
殺すという意味では同じなのだが、死んだ時の状態によっては同じ動物の肉でも全く違った味となる。
当然リラックスした状態で殺された動物の肉の方が圧倒的に美味く、暴れたり緊張したりした状態で殺された動物の肉は不味くなる。
勿論それは一般的な例であり、中には暴れた状態で殺された肉の方が美味いという種類もいるのだが。
ともあれ、オークは当然前者に位置している。
モンスターの肉だからか、緊張した状態で殺してもそこまで不味くはならないのだが、それでも味が落ちるのは事実だ。
だからこそ、最初に王の威圧を使うような真似はせずに倒したかった。
「じゃ、そういうことで……頼んだぞ」
オークの真上までやって来たところで、レイはそう告げてセトの背から飛び降りる。
丁度ヴィヘラの真横を通る時に、どこか呆れたような視線を向けられたが……レイにとっては、強者との戦いを好むヴィヘラも相当に変わっていると思う。
そんなヴィヘラに比べれば、食欲を優先させる自分はそれ程おかしくないだろうと。
空中でミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出し、スレイプニルの靴を使って空中を蹴って速度を殺す。
そうして最後に空中を蹴った反動で、オークの群れの中でも上位種で肉の味は他のオークよりも上のオークリーダーへと向かって落ちていく。
デスサイズを振るい、オークリーダーの身体が左右に分かれて、内臓や血が地面へと零れ落ちる。
オークリーダーは、自分がいつ死んだのかも分からないままに命を絶たれただろう。
地上へと着地したレイと、左右に切断されたオークリーダー。
自分達にとって予想外の光景だった為か、群れのオーク達は一瞬動きを止める。
「飛斬!」
動きを止めたオークへ飛斬を放ち、数匹のオークの頭部が斬り飛ばされ……同時に放たれた黄昏の槍で一匹のオークの頭部が粉砕された。
その後も数匹のオークがレイの攻撃によって命を落とし、そこでようやくオーク達は攻撃を受けていることに気が付く。
「ブヒヒヒヒィ!」
レイの近くにいたオークが、そんな声をあげながら手に持っている棍棒を振り下ろす。
そのままであればレイの頭部へと命中していただろうが、当然レイがそんな攻撃をあっさりと受ける筈もない。
「甘いんだよ!」
自分に向かって振り下ろされた棍棒へと向かい、魔力を流したデスサイズを振るう。
デスサイズの重量で弾き飛ばす……のではなく、その刃が棍棒を斜めに斬り裂く。
「ブヒ!?」
棍棒の一撃を受け止めたり回避されたのであれば、オークもそこまで混乱するようなことはなかっただろう。
だが、まさか棍棒が……それもゴブリンが使っているような、その辺の木の枝を適当に折って作ったものではなく、きちんと武器として用意された棍棒が切断されるというのは、オークにとっても完全に予想外だった。
驚愕の声を上げたオークだったが、次の瞬間には黄昏の槍を頭部に叩き込まれてその大半を失い、地面に崩れ落ちる。
地面に倒れるオークを見ながら、レイは別のオークへと向かってデスサイズを振るう。
「多連斬!」
その一撃を受けたのは、長剣を持っていたオーク。
本来ならデスサイズの一撃を受け止めることが出来た筈だった。
だが、長剣の刃は魔力を込められたデスサイズの一撃によりあっさりと切断され、同時に本来であれば刃が触れていないオークの身体の場所までもが斬り裂かれる。
一度の攻撃で複数の攻撃が可能になる多連斬というスキルによる攻撃だったが、そのスキルを知らないオークにとっては、何が起こったのかすらも分からなかっただろう。
「次!」
叫ぶレイに、オーク達は一斉に混乱する。
これがまだ、自分達でどうにか出来る相手であればレイを倒そうとしたかもしれない。
だが、目の前でいきなり自分達を率いるオークリーダーを殺され、それどころか次々に仲間達も殺されていった。
そんな状況でレイに立ち向かう程、オーク達に勇気はない。
この状況で出来ることといえば、ただ一つ。必死にレイから距離を取り……少しでも遠くへと逃げることだ。
そう判断して一気に走りだろうとしたオーク達だったが、既にレイはそれに対策を行っている。
「グルルルルルルルルルルゥ!」
周囲に響くセトの鳴き声。
王の威圧を使った状態で放たれたその鳴き声は、間違いなくオークの動きを止めた。
何とか動いているオークもいるが、その動きは非常に鈍い。
そんなオーク達を、セトは次々に前足を振るって仕留めていく。
……その際に、頭部だけを狙って身体を一切傷つけていないのは、胴体を破壊するとそれだけ食べられる肉の部分が減るからか。
ヴィヘラの方は格闘が主な攻撃方法ではあるが、それでもセトのように拳の当たった場所を砕くといったような真似は出来ない。
だが、ヴィヘラには魔力の爪を生み出す手甲があり、同じく魔力の刃を生み出す足甲がある。
そして何より、幾ら筋肉と脂肪で強力な防御力を持っていようとも、全く関係なく内部にダメージを与える浸魔掌というスキルがある。
それらを使えば、ただのオーク如きにヴィヘラを止められる筈もなかった。
次々に息絶えていくオーク達。
当然レイもそんな戦いをただ見ている訳ではなく、この状況になってもまだ逃げようとしないオークを相手にデスサイズと黄昏の槍を振るう。
結局、五分と経たないうちにオークの群れは全滅し、立っているのはレイとヴィヘラ、セトの二人と一匹だけとなる。
「……手応えがないわね」
不服そうに呟くヴィヘラだったが、それでも言葉程に表情に不満がないのは、元からオーク達は弱いと判断していた為か。
「ま、強い敵を相手にしたいヴィヘラの気持ちは分かるけど、その辺はまた後でだろうな」
オークの死体を収納しながら……特にオークリーダーの死体と魔石を手に入れたことに笑みを浮かべつつ、レイはヴィヘラにそう告げる。
「分かってるわよ。全く、本当にサイクロプスのリーダー種でも現れないかしら。もしくは、オーガとか?」
その言葉が切っ掛けになった訳ではないのだろうが、次の瞬間にレイは自分達のいる方へと向かって走ってくる冒険者達の姿に気が付く。
戦士、盗賊、魔法使い。
そんな服装の三人は、レイにも見覚えのある人物だった。
「アロガン、キュロットにスコラ?」
「レイ! いいところに! 向こうにアンブリスが……それもギルドの説明とは全く違う、巨大なアンブリスがいたんだ!」
アロガンが、レイの姿を見てそう叫ぶのだった。