1160話
一切の躊躇すらせずゴブリンリーダーの魔石を飲み込んだセトに、当然ながらヴィヘラは驚く。
その躊躇のなさは、これまでにも何度となく魔石を飲み込んだということを示している。
「え? 今……私の気のせいじゃないわよ、ね?」
何かを確認するかのように尋ねてくるヴィヘラに、レイは頷きを返す。
そうしながら、新たなスキルを得た……正確には嗅覚上昇のスキルがレベルアップしたことにより、嬉しそうに喉を鳴らすセトの頭を撫でる。
「嗅覚上昇がレベルアップしたのか。よくやったな、セト。嗅覚上昇は結構使い勝手がいいスキルだし」
これまでにも何度か嗅覚上昇によって助けられた記憶のあるレイは、しみじみと呟く。
直近では、ゴーシュで起きた暗殺事件。
それを行っていた、百面の者と呼ばれる暗殺者達の本拠地を探すのに、セトの嗅覚上昇は必須だった。
純粋な能力だけでは、そこまで強力なスキルではないのだろう。
だが、セトの場合は元々がグリフォンとして非常に優れた五感を持っていた。
その中の一つ、嗅覚も当然優秀であり、その嗅覚を高める嗅覚上昇というのは、地味ながら役に立つスキルなのだ。
……もっとも、嗅覚上昇を使っている時に悪臭を嗅ぐと、よりダメージが大きくなるのだが。
「ちょっと待って。レイとセトだけで分かり合ってないで、私にもしっかりと説明してちょうだい。今の話を聞いている限りだと、魔石を飲み込んだことでスキルを覚えた……それとも強化? したって聞こえたんたけど」
戸惑ったように尋ねてくるヴィヘラ。
当然だろう。魔石を飲み込むといった真似をするのは完全に常識の外の出来事だったし、ましてや魔石を飲み込んだことでスキルを習得というのは完全に理解出来なかったのだから。
「取りあえず、これでも飲んで落ち着け」
そう言い、ミスティリングから取り出した水筒の中から冷たい果実水をコップに入れて、ヴィヘラへと差し出す。
ギルムで購入した果実水だったが、その効果は十分に発揮された。
受け取って一口、二口とコップに口を付けていたヴィヘラは、やがて落ち着きを取り戻したのだから。
これが普通の人間であれば、この程度で落ち着くようなことはなかっただろう。
だが、生憎と……それとも幸いと言うべきか、ヴィヘラはとてもではないが普通という範囲に入るような人物ではなかった。
エレーナや、そしてマリーナと同じく女傑と呼ぶに相応しいだけの能力や性格を持っている。
だからこそ、果実水を飲む程度のことで落ち着くことが出来たのだろう。
「……それで、説明してくれるんでしょう? だからこんな光景を私に見せたんだろうし」
落ち着いたヴィヘラが、レイに懐いているセトの頭をそっと撫でる。
そんなヴィヘラに、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。
セトが何であろうと、自分は絶対にセトを嫌わない。
ヴィヘラの態度からは、そのような思いを理解出来た為だ。
「ああ、勿論だ。……さて、何から話せばいいんだろうな。そうだな、まずはこれから聞くか。魔獣術という魔術の名前を知ってるか?」
「魔獣術? いえ、知らないわね。それに魔術? 魔法じゃなくて?」
「ああ、魔術だ。少なくても魔獣術というものが生み出された時は、魔法というものは存在せず、魔術しか存在しなかった」
魔術と魔法というのは同じ現象を示す言葉だ。
だが、魔術という言葉が廃れて魔法という言葉が使われるようになってから、随分と経つ。
勿論今でも魔術という言葉自体は残っているが、それはどちらかと言えば歴史に出てくる言葉でしかない。
「つまり、セトはその魔獣術とやらと何か関係があるの?」
「ああ。魔人ゼパイルが率いる、ゼパイル一門。この言葉にも聞き覚えはあるだろ?」
「当然でしょう。ゼパイルの名前を知らない人なんて……少しでも歴史を習ったことがある人なら、そんな人はいないわよ」
「だろうな。で、俺は元の世界で死んだところ、ゼパイルの魂によって助けられて、この世界に送り込まれた訳だ」
「……え?」
唐突にレイの口から出て来たその言葉に、ヴィヘラは一言、そう返すのがやっとだった。
それだけ、何気なくレイの口から出た言葉を理解するのは難しかったのだろう。
そんなヴィヘラの様子に、レイはもう少し詳しい説明を口にする。
「ゼパイル達は天才の集まりだった。それは知っているな?」
「ええ。それこそ天才と呼ばれた中でも、更に天才と呼ばれる人達が集まった集団だったんでしょう?」
「そうだ。で、そのゼパイルが生み出したのが、術を使う人物の魔力を使って魔獣……モンスターを生み出す魔獣術だ。その魔獣術によって生み出されたモンスターは、他のモンスターの魔石を吸収することにより、新たなスキルを習得していく」
「モンスター……魔石……成長? っ!? そ、それってもしかして!」
レイの説明を聞き、ヴィヘラの脳裏にゼパイル一門の伝説が過ぎる。
曰く、従えていた使い魔は単体で一軍を相手にすることが出来る……どころか、一国すら滅ぼすことが出来るだけの力を持っていた、という。
てっきり言い伝えや昔話のように話が広まっていく中で話が大きくなっていったのだろうと、そうヴィヘラは思っていた。
だが、もしかして……と。
そう視線を向けたヴィヘラに、レイは頷きを返す。
「多分……いや、間違いなく事実だろうな。残念ながらというか、幸いというか、今のセトはまだそこまで強力なモンスターじゃないけど」
そっとセトを撫でながら、何故かレイの口元には苦笑が浮かぶ。
「魔獣術に関してもだけど、てっきり俺がこことは違う人間だってところに突っ込まれると思ったんだけどな」
「それも驚いたけど……レイだからって言われれば納得出来てしまうのよ」
「いや、俺だからって……」
そう言って否定の言葉を口に出そうとしたレイだったが、すぐに自分が今までしてきた行いの数々が脳裏を過ぎり、何も言うことが出来なくなる。
「あー、うん。まぁ、ヴィヘラがその辺を気にしないのなら、こっちもこれ以上は何も言わないけど」
「そうね。正直、こことは違う世界というのに興味はあるけど……それを聞かされても、そこに行ける訳じゃないんでしょう? なら、今はもっと興味のある方に意識を向けるのが当然でしょ」
笑みを浮かべながら告げたヴィヘラが見たのは、セト。
グルゥ? と、ヴィヘラに見られたセトは、どうしたの? と喉を鳴らしながら小首を傾げる。
その愛らしさは、見る者全てを魅了してもおかしくないとレイにも、そしてヴィヘラにも思えた。
「……で、まだ何か言ってないことがあったりする?」
セトの愛らしさに負け、手触りのいい毛並みを持つ身体を撫でながら尋ねるヴィヘラに、レイはミスティリングからデスサイズを取り出す。
普通であれば、いきなり目の前に大鎌を取り出されたりすれば驚いても不思議はないのだが、レイを信頼しているヴィヘラは特に驚く様子もないままにデスサイズを見つめる。
「デスサイズがどうしたの?」
「魔獣術ってのは、被術者の魔力を使ってモンスターを生み出すという魔術だ。で、普通ならモンスターが生み出されたことで魔力を使い切るんだが……それでもまだ魔力が余っていた場合、マジックアイテムを生み出してくれる」
膨大な魔力が無駄にされるのが勿体なかったんだろうなと思いつつ、多分この仕掛けを考えたのは自分と同じ日本出身のタクムなのだろうというのがレイの予想だった。
ゲーム的に考えた結果もあるのだろう、と。
「じゃあそのデスサイズも……」
「ああ。魔獣術によって生み出されたものだ。だからこそ、このデスサイズでも魔石からスキルを習得することが出来る」
「ちょっと待って。じゃあ、普段レイが使っている魔法とかは……」
確認するように尋ねてくるヴィヘラに、レイは頷いて口を開く。
「そうだな、このデスサイズのスキルってのも多い。俺の属性としては炎だから、飛斬のような風系統の魔法は使えないし」
「……ふーん。それは少し便利ね。ねぇ、レイ。その魔獣術という魔術は、私にも使えるの?」
期待の込めた視線をレイに向けるヴィヘラだったが、そんなヴィヘラにレイは首を横に振る。
「残念ながらヴィヘラの魔力では到底無理だ」
レイはヴィヘラがどれだけの魔力があるのかを正確に理解出来ている訳ではない。
だがそれでも、魔法を使えない程度の魔力しかないのでは、到底魔獣術を成功させることが出来るとは思わなかった。
(マジックアイテムもだけど、ヴィヘラの場合はやっぱり使い魔とかそういう自分だけのモンスターが欲しいんだろうな)
ギルムに戻ってきてヴィヘラと再会した時、ヴィヘラがそんなことを言っていたのを思い出す。
だが、幾らレイがヴィヘラに魔獣術を使わせてやりたくても、そもそもモンスターを生み出す為の魔力がない以上、どうしようもないというのは間違いのない事実だった。
もし現状で魔獣術を試させても、間違いなく失敗に終わる。
不思議なまでに、レイの中にはそんな確信があった。
だが、ヴィヘラはレイがそんな確信を持っているなど知らないだけに、即座に駄目だと言われても納得は出来ない。
「やってみなければ分からないでしょう?」
「それが……分かるんだよ。そもそもの話だけど、魔獣術が非常に強力な魔術だというのは、分かるよな?」
突然話を変えたレイに、少しだけ不満を抱きつつも、魔獣術に関する話だと我慢してヴィヘラは頷く。
「そうね。伝説に残っているようなモンスターはともかく、セトを見ているだけでそれは十分に理解出来るわ」
ランクAモンスターのグリフォンというだけで強力極まりないのに、数々のスキルを使いこなし、そして何より大きいのはレイを絶対的に信頼しており、その言葉をしっかりと理解出来ることだ。
意思疎通出来、しっかりとレイの意志を理解してその通りに動くグリフォン。
そんな相手と敵対しようと思える者は殆どいないだろう。
そう説明するヴィヘラの言葉に、レイはその通りだと頷きを返す。
その上で、だが……と言葉を続ける。
「そんなに便利で強力な魔獣術が、何故今この時代に使える者がいないんだと思う? まぁ、俺は例外としてだけど」
「それは……それが、私が魔獣術を使えない理由?」
レイの言葉に、そう尋ねるヴィヘラ。
そんなヴィヘラに、レイは頷きを返す。
「そうだ。魔獣術を使う為には、どうしても大量の魔力が必要だ。更にデスサイズみたいなマジックアイテムを欲するなら、その大量の魔力以上の……莫大な魔力を必要とする。ここまで言えば、もう最後まで言わなくても分かるだろ?」
自分の魔力では不可能だ。そう告げられたヴィヘラは、少しだけ不服そうな表情を浮かべる。
だが、魔力というのは増やすことが非常に難しい。
何らかの切っ掛けで増えるということはあれど、それがどのような切っ掛けかは人それぞれであるし、人によってその増える魔力量にも差があった。
そう考えれば、今の状況でヴィヘラが魔獣術を試せるようになるかというのは、可能性は低いが、それでもまだ絶望的という訳ではなかった。
「それに、魔獣術というのは一人が一生に一度しか試すことが出来ない。それが失敗しても、成功しても……一度きりだ。それをこんな時に試す訳にもいかないだろ?」
「……そうね」
不承不承諦めの声を発するヴィヘラ。
それでも、出来れば……いずれは……そう思ってしまうのは仕方がなかった。
セトやイエロのようなモンスターを仲間にしたいと思うのはあるし、伝説に聞いたゼパイルの従えていたモンスターのような存在を自分でも従えてみたいと思うのも本心だ。
だが、今の自分ではそれが無理だというのもレイの説明で理解出来てしまった。
「分かったわ。今日のところは諦めるしかないようね。……ああ、そうそう。じゃあ、もしかしてエレーナが連れているイエロも実はその魔獣術で生み出されたものだったりするの?」
「いや、イエロに関しては完全にエレーナが竜言語魔法を使って生み出した黒竜の子供だ。……まぁ、魔獣術と似ているかと言われれば、間違いなく似てるんだが」
魔力を使ってモンスターを生み出す魔獣術と、エンシェントドラゴンの魔力……竜気とでも呼ぶべきもので使い魔を生み出す竜言語魔術。
この二つは、似ているようで色々と違う。
(いや、魔獣術を作り出す際に、こういうのを参考したんだろうけど)
そうであるのなら、こうして二つが似ていてもおかしくはなかった。
「そう。ならやっぱり私がやるべきなのは、ゴーレムやガーゴイルといったものを錬金術師に作って貰うことなのかしら」
「提案した俺が言うのも何だけど、別に無理にそういうのを作らなくてもいいと思うけどな。……それより、俺の説明を聞いて言うのはそれだけなのか?」
「それだけ? 他に何かあったかしら」
「いや、だから……その、気持ち悪いとか、そういう風には感じないのか?」
何でもないように尋ねているレイだったが、その内心ではもしヴィヘラに拒まれたら……という不安もあった。
だが、そう尋ねられたヴィヘラは、一瞬虚を突かれたように驚きの表情を浮かべ……次の瞬間には、そっとレイの唇へ自分の唇を重ねる。
そして数秒後、唇を離すと口を開く。
「馬鹿ね。私がレイを好きになったのは、レイがレイだからこそよ。今更そんなことで、私の気持ちが変わると思ってるの?」
笑みを浮かべ、そう告げるのだった。