1143話
空を飛ぶセトに跨がっていたレイは、視線の先の地上に幾つかの明かりを発見する。
それがゴーシュであると確信した瞬間、思わず安堵の息を吐いた。
以前にゴーシュから移動した時は、これ程近くにある場所にも関わらず道に迷ってしまったからこそだろう。
もっとも、レイにも言い分はある。
街道がしっかりと存在している場所であれば道に迷うこともなかったのだ。
だが、こうして自分が移動したのは砂漠であり、何か目印になるようなものは存在していない。
そんな状況で空の上を高速で……それこそ地上を走る馬とは比べものにならない速度で移動するのだから、勝手が違って当然だった。
……地上を移動する者達にしてみれば、贅沢な悩みだと言いたくなるだろうが。
「グルルゥ」
「そうだな、じゃあゴーシュの前に降りてくれ」
ともあれ、今は地上に降りて暗殺者達の本拠地の村について知らせる必要があった。
出来ればゴーシュの外れにあるオウギュストの屋敷に直接降りたいのだが、そんな真似が出来る筈がない。
もしそんな真似をすれば、ゴーシュに張ってある結界によりダメージを受けるか、それとも結界を破壊するか……どちらにしろ、決していい状態にならないというのは間違いがなかった。
(それに、ギルムから来た俺がそんな真似をすれば、マリーナに非難がいくかもしれないしな)
マリーナから提案されてこのゴーシュにやってきた以上、ここで何か失態を起こしてしまえば、それはレイだけではなくレイを派遣したマリーナにも迷惑を掛けてしまうことになりかねない。
勿論これが普通の冒険者であれば話は別なのだが、良くも悪くもレイとその異名、何よりグリフォンのセトを従えているというのは目立つ。
そうなれば、自然とレイがミスをすると、そのレイが所属しているギルムのギルドマスターであるマリーナに絡めて考えてくる者も出てくる。
特にマリーナの場合はダークエルフで元ランクA冒険者であり、そして何より男の本能を刺激するような過剰な色気を持つ女として有名だった。
そんなマリーナだけに、色々と敵が多いのも事実。
本来なら冒険者が何かミスをしても、それが所属しているギルドのギルドマスターに関係はしてこないのだが……何事にも例外というものはある。
「お、ナルサスのおかげか?」
ゴーシュの正門前にセトが着地すると、すぐにゴーシュの中で反応があった。
中で何か言い争うような声がして、数分。ゆっくりと正門が開いたのだ。
勿論日中のように全開になっているという訳ではなく、セトが何とか入れる程度にしか開いていない。
僅かに開いた隙間から、レイとセトはゴーシュの中へと入る。
すると正門を潜った先には、顔を緊張で引き攣らせている警備兵達の姿が篝火に照らし出されていた。
それでもレイとセトに武器を向けてこなかったのは、ゴーシュから出る前にナルサスがしっかりと言い聞かせていたからだろう。
今夜中にでも戻ってくるかもしれないと言っておいたので、レイとセトが戻ってきたのを見て、すぐにと正門を開けたのだ。
……本来であれば戻ってくると言ったナルサスの姿がなく、レイとセトだけだったのだから正門を開けるかどうか警備兵達も迷ったのだが……ここで正門を開けなければ、ダリドラの護衛のナルサスの命令に背いたことになる。
夜の砂漠のモンスター怖さにそんな真似をしたと知られれば、エレーマ商会を敵に回すことにもなりかねなかった。
だからこそ、こうして正門を開けたのだ。
どことなく怯えたように見える警備兵達だったが、それでも事情を聞く必要はあると判断したのだろう。責任者らしい中年の男が一歩前に出る。
「その、ナルサスさんはどうしたんだ? 彼も戻ってくると聞いてるんだが」
「ああ、ナルサスとザルーストの二人はまだ外にいる。俺はちょっと伝言を頼まれて戻ってきたんだ。……セトがいるから、な」
「グルゥ?」
軽くセトの背を叩きながらそう告げると、セトはどうしたの? と首を傾げる。
レイから見れば、愛らしいとしか言えない仕草なのだが……不幸なことに、今の警備兵達にとってはとても愛らしい姿には見えない。
だが、それも無理はないだろう。
元々セトと親しい訳でもなく、自分達が決して強い訳でもないと理解している警備兵だ。
それが、例え集団であっても篝火と月明かり、星明かりしかない状況でランクAモンスターのセトと向かい合う……それも、レイ達がゴーシュから出る時とは違い、腕利きと評判のナルサスやザルーストもいないのだから。
「そ、そうか。それで、これからどうするのか聞いてもいいか?」
見るからに緊張した様子で尋ねてくる警備兵だったが、レイは特に気にした様子もなく口を開く。
「ああ。これからオウギュストの屋敷に行く。……それからはどうなるか分からないけど、もしかしたらまた外に出ることになるかもしれないから、そのつもりでいてくれ」
また外に出ると聞かされた警備兵達は、微かに嫌そうな表情を浮かべる。
夜の砂漠には当然強力なモンスターがおり、そんなモンスターを相手にするかもしれないのだ。
どう考えても、自分から進んでやりたいことはでない。
だからといって領主を通してされた命令である以上は逆らう訳にもいかず、渋々とレイの言葉に頷く。
せめて、もう数時間もすれば次の担当に変わるので、街の外に出て行くのは出来ればそれからにして欲しいと内心で思いながら。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
「はい、お気を付けて」
気持ちの入っていない……それどころか面倒事は持ってこないで欲しいと思っている言葉だけのやり取りだったが、レイも自分が迷惑を掛けているという自覚はあるので、それ以上は何も言わずに従魔の首飾りを受け取ってからセトの背に跨がる。
「じゃあ、セト。オウギュストの屋敷まで頼むな」
「グルゥ!」
レイの言葉に短く鳴き、セトはそのまま地面を蹴って走り出す。
空を飛んで移動するのが得意なセトだったが、ランクAモンスターだけあって、決して走るのが苦手な訳ではない。
それこそ、その辺の馬とは比べものにならない速度で走る事が出来るし、持久力に関しても明らかにセトが上だ。
(ああ、でもここはゴーシュだからか、基準は馬じゃなくて駱駝なのか? ……駱駝ってのも、何気に結構速いらしいけど)
セトの背の上で、月や星の明かりにより次々に流れていく光景を眺めながら、レイはそんなことを考える。
そうして考えている間にも、セトは走り続けていた。
幸いなのは、今が夜で、更にセトが向かっているのがオウギュストの屋敷……つまり、ゴーシュの中でも端の方だったことだろう。
既に真夜中……というのは多少言い過ぎだが、それでも寝てる者が多くなっている時間帯だ。
……もっとも、そんな時間であっても酒場や娼館といった場所はまだまだ人が多く、それどころかここからが稼ぎ時だと頑張っている者も多いのだが。
そんな場所をセトが走ってしまえば、まだセトという存在に慣れていないこの街の住人は驚き、恐怖する者もいるだろう。
そういう意味では、オウギュストの屋敷がゴーシュの端にあるというのは誰にとっても運が良かったと言うべきか。
人目につかずに道を走り続けていると、やがて見覚えのある屋敷が見えてくる。
正門だけではなく、屋敷を囲むようにして幾つもの篝火が焚かれているのは、やはり暗殺者対策か。
『誰だ!』
セトに乗ったレイが近づいてくるのに気が付いたのだろう。正門の前に待機していた冒険者が何人かと、そして何よりこの屋敷の本来の門番のギュンターが緊張した様子で叫ぶ。
暗殺者が来たのか。そんな思いを込めて叫ばれた声だったが、やがて月明かりと篝火によってその姿が誰なのかを確認出来るようになると、その中の何人かが安堵の息を吐く。
安堵の息を吐いたのは、ギュンターとダリドラの護衛としてレイのことを知っている者、そしてギルドでレイを見たことがある者達。
未だに緊張しているのは、やたらと広いオウギュストの屋敷を守る為、ダリドラが臨時の護衛として雇った冒険者の中でも、これが初めてのレイとの接触になる者達。
それでもギュンターを始めとした者達が警戒を解いたのだからと、レイに見覚えのない者達も武器を下ろす。
……もっとも、どちらかと言えばセトを前にして抵抗するのを諦めた……と表現するのが正しいのかもしれないが。
全員が武器を下ろしたのを一瞥し、レイはセトの背の上から降りる。
「悪い、驚かせてしまったな」
「全くだ、こんな夜にあんな速度で真っ直ぐにここに向かってくるような真似をすれば、問答無用で攻撃されてもおかしくないぞ?」
溜息を吐きながらそう告げるギュンターに、レイは再度頭を下げる。
「悪かったって。けど、こっちも急いでオウギュストやダリドラに知らせることがあってな。それで急いでたんだよ」
「……そう言えば、ザルースト達はどうしたんだ? 暗殺者のアジトを襲撃しに向かったんだよな?」
「ああ。それで色々とあって……」
そう告げたレイの表情を見たギュンターは、沈痛な表情を浮かべる。
「そうか……ザルーストも逝ったか……いい奴だったんだが」
「いや、生きてるけど」
『生きてるのかよ!』
ギュンター以外にも、ザルーストやナルサスのことを知っている者達が浮かべた悲しみの表情は一変し、全員が一斉にレイへと突っ込む。
そんな行為に驚きながら、何故自分が怒られているのかと、レイは若干戸惑う。
「何で俺が怒鳴られるんだ?」
「紛らわしい真似をするからだろ。……それで、何でお前は一人なんだ? ザルーストとナルサスは?」
今度変なことを言ったら承知しないと言わんばかりのギュンターの言葉だったが、それを気にした様子もなくレイは説明する。
「詳しいことは言えないけど、本……いや、アジトがあったのが思ったよりも遠い場所でな。それでセトがいる俺が、一足先にやって来たんだ」
「……遠い? そう言っても、ゴーシュの中だろ?」
「あれ? 警備兵が来なかったのか?」
ナルサスがオウギュストの屋敷に伝言を頼んでいたのを思い出して尋ねると、ギュンターは頷きを返す。
「うん? 警備兵か? 来たけど、わざわざ伝言の内容を俺達に知らせたりはしないだろ。……まぁ、レイのその言葉で大体理解出来たけど」
「そうか。なら、入ってもいいか? 取りあえずオウギュストとダリドラの二人に報告しておきたいことがあってな」
「ああ、お前なら問題ないだろ。セトもだろ?」
ギュンターの問いに当然と頷きを返したレイは、そのままセトと共に正門を潜る。
初めてセトを見る冒険者の何人かは、そんな一人と一匹の姿に完全に固まってしまっていた。
……元々ゴーシュの冒険者は、決して腕自慢という訳ではない。
それだけに、間近でセトを見てしまえば動くに動けない者が出てくるのは当然だった。
せめて以前に一度でも見ていれば、それなりに衝撃は少なかったのだろうが……そういう意味では、動きの固まった冒険者達は不運だったと言えるのだろう。
「じゃあ、セト。厩舎で待っててくれ。一応言っておくけど、ダリドラやオウギュストが雇った冒険者が結構いるみたいだから、知らない奴を見掛けても襲ったりはするなよ」
「グルゥ!」
任せて! と喉を慣らしたセトと別れ、レイはオウギュストの屋敷に入っていく。
わざわざ厩舎まで連れていかずとも、自分で勝手に厩舎まで移動してくれるというのは、馬――ゴーシュでは駱駝――や従魔の類を持つ者にとってみれば非常に羨ましいのだろう。
事実、何人かの冒険者がレイに羨ましそうな視線を送っていた。
「レイ……戻ってきたのか」
「ああ。中に入ってもいいよな?」
「ああ」
屋敷の前にいた冒険者達の一人はダリドラの護衛として雇われていた男で、研究所にもレイと共に行った男だった。
だからこそ、レイから詳しい事情を聞かずとも屋敷の中へと通す。
この男が屋敷の前を固めている冒険者達のリーダー格だったらしく、その人物が言うのならと、他の冒険者は口出しすることはなかった。
そうして屋敷の中に入ったレイが真っ直ぐに向かったのは、応接室。
扉の前に護衛がいるのを見れば、そこに重要人物がいるというのは考えるまでもない。
(これって腕利きの刺客が来たら、標的がどこにいるのか教えてるようなもんじゃないか?)
ふとそんな疑問を抱きつつ、レイは護衛の冒険者と軽くやり取りをして応接室の中に入る。
するとレイの予想通り、応接室の中にはオウギュスト、キャシー、ダリドラ、そしてダリドラが直々に雇っている護衛達の姿があった。
その場にいる全員が応接室の中に入ってきたレイの姿に注目し……そんな注目を受けながら、レイは口を開く。
「村を見つけた」