1131話
リトルテイマーの31話が今夜12時に更新されますので、興味のある方は是非どうぞ。
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研究所が襲撃されたという報告を受けたダリドラは、すぐにオウギュストの屋敷から発って研究所へと向かった。
その際にオウギュストがレイにも一緒に行って欲しいと要請し、屋敷にはセトがいるので安全だろうとレイもその要請に従ってダリドラと共に研究所へと向かう。
ティラの木の件でダリドラはオウギュストと対立しており、ダリドラとしてはオウギュストの仲間であるレイを研究所に連れて行きたくはなかったのだが、レイの戦力を考えれば是非連れていった方がいいという護衛の意見により、レイの同行は許可されたのだ。
そうしてダリドラの乗ってきた馬車にレイも同乗して研究所へと向かったのだが……
「これは酷い、な」
研究所を前にして呟いたのは、護衛の一人。
オウギュストの住んでいる屋敷とは反対側にある街の外れにあるその建物は、外から見ても明らかに傷ついており、明らかに襲撃を受けた後の光景に見えた。
ダリドラがティラの木について研究させている研究所ということで、周囲には建物が殆どなく、人の少ない場所であるというのも今回の襲撃に影響したのだろう。
周囲に人が少ない以上、襲撃者側が大人数を用意してもそれを見咎められるということはないのだから。
それでも研究所が燃やされなかったのは、せめてもの救いといったところか。
……既に夕方に近くなっており、周囲は夕日の色で赤く染められているので、見ようによっては研究所が燃やされているのではないかと見間違えてしまう可能性もあるのだが。
「ぐぐっ!」
自らの中にある苛立ちを押し込める為だろう。研究所を見ながら、ダリドラの口から奇妙な声が放たれる。
オウギュストの屋敷程ではないにしろ、ゴーシュにある一般的な家なら複数入るだけの大きさを持つその建物は、混乱でもさせようとしたのか、燃やしたと思われる焦げ跡が幾つもあった。
それでも研究所が燃える程の火事になっていないのは、最初から研究所を完全に燃やす気はなかったのだろう。
他にも斬り傷と思しきものが付き、何らかの衝撃で建物の一部が砕かれ、致命傷と思われる程の血が地面や壁に残っている。
研究所……と呼ぶより研究所の跡地とでも呼ぶべきような光景は、ダリドラに極度の苛立ちをもたらすには十分過ぎる光景だった。
「こんな……何でこんなに……一体、誰が……」
この研究所で働いていた者の中に知り合いか……もしくはもっと親しい関係にある人物でもいたのか、護衛の一人が呆然と呟く。
まるで自分の見ているものが信じられないと言いたげなその様子は、声には出さずとも他の護衛達もまた同様だった。
(かなり濃い血の臭いが残ってるな。それと、あの焦げ目が原因だと思われるが火を使った焦げた臭い。……せめてもの救いは、襲撃者が大々的に研究所を燃やしつくそうとはしなかったことか。まぁ、研究所を思っての選択ではないだろうけど)
恐らく研究所の中に突入する前に火を掛けてしまえば、中にある研究資料の類まで燃えてしまうからだろう。
そう判断したレイだったが、それなら何故研究所から立ち去る前に燃やさなかったのかという疑問はある。
「……入りますよ」
「危険です!」
ダリドラが中に入ろうとすると、護衛の一人が咄嗟に反対する。
「こうして外から見る限りでは安全そうですが、まだ研究所の内部に襲撃者がいないとも限りません」
「では、どうしろと?」
護衛に返すダリドラの言葉には苛立ちが混じっており、反論した者もそれを理解しているのだが、護衛としてダリドラを研究所に連れて行くことは絶対に出来なかった。
「私達が中に突入しますので、他の護衛とここで待っていて下さい」
「却下です。そもそも、連れてきている護衛の数はそれ程多くありません。そうなると中に突入する者か、外で私の護衛をしている者のどちらかの人数を少なくする必要があります。護衛を無駄に危険に晒す真似をする訳にはいきません」
「ですが……その、レイ殿がいるのですから」
救いを求める視線をレイに向ける護衛の一人だったが、レイはその護衛に対して首を横に振る。
「出来れば、俺としては研究所の中に回して貰いたいんだけどな。これ程手際のいい襲撃者だ。多分中にはもういないだろうけど、万が一にも残っていたら是非捕らえたい。情報を聞き出す必要もあるし」
「レイさんには、出来れば研究所の中に入って欲しくないんですけどね」
レイの言葉で若干落ち着いたのか、ダリドラは即座にレイの意見を却下する。
「なら、俺はここで待ってろと?」
「ええ。出来ればそうして貰いたいところです」
「……中には多分もう誰もいないと言ったけど、それは確実じゃない。そんな中で一番腕の立つ俺を連れていかなくてもいいのか?」
自分達よりも腕が立つ。そう言われれば、普通なら護衛の者達も黙ってはいられないだろう。
優秀な冒険者であるからこそ、こうしてダリドラに高額な報酬を貰って雇われているのだから。
だがそれを言ったのがレイであれば、自分達が何かを言える筈もない。
異名持ちであり、グリフォンを従魔にしているのだから、外見はともかく純粋な力量では圧倒されているというのは十分に理解してしまう。
多少なりともレイに対抗出来るとすれば、現在は怪我の治療でこの場にいないナルサスだけだろう。
……そのナルサスであっても、少しやられるまでの時間が延びるだけだろうという思いがあったが。
「ダリドラさん。万が一のことがあれば、この面子でダリドラさんを守り切れるかどうか分からねえ。本当に万全を期したいのなら、レイを連れていった方がいい」
二十代程の男の護衛がダリドラに告げる。
自分の腕に自信はあるが、それでもレイの実力を考えれば一緒にいた方がいい。
腕が立つという自負より、今大事なのは護衛対象であるダリドラの身の安全なのだからと。
「むぅ……しかし……」
自分の身の安全を思ってレイと行動を共にした方がいいと言われているのは分かるのだが、この研究所ではティラの木の研究をしていたのだ。
ティラの木に関して反対派のオウギュスト側にいるレイを連れて研究所の中に入るというのは、色々な意味で危険すぎるように思えた。
護衛もそれは分かっているのだろうが、今はダリドラの身の安全が何より重要視される。
それぞれの認識の違いから意見が対立していたが、最終的に折れたのはダリドラだった。
研究所を襲った何者かと、今日自分が襲撃された時にどこからともなく何本もの矢が飛んできたことを思い出したのだ。
もしまだ研究所を襲った者達が建物の中に潜んでいた場合……そして、潜んでいるのがあの時に矢を射った者達だとすれば。
そう思えば、レイという腕利きの冒険者の側にいるというのはこれ以上ない安全を約束することになる。
「分かりました。では、レイさん。よろしくお願いします」
「……いや、別に俺はお前の護衛って訳じゃないんだけどな。まぁ、研究所の中にいるかもしれない奴を捕らえるんなら、自然とそういう風になってしまうだろうけど」
それでも研究所の中に入れるのであれば、ダリドラの護衛くらいなら引き受けてもいいとレイは考え、周辺の探索に何人かの護衛を残し、レイとダリドラ、他の護衛達は研究所の中へと入っていく。
研究所の中に入って、まず感じたのは濃厚な鉄錆臭だ。
まだ乾ききっていない血痕が床や壁といったいたる場所についており、床には幾つもの死体が転がる。
白衣を着ている者もいれば私服と思しきものもいるが、その数は入り口から見えるだけで十を優に超えている。
「そんな……これだけの人数をこうもあっさりと殺したというの?」
女の護衛が戦慄と共に呟く。
勿論女もダリドラにスカウトされたような冒険者だ。自分の腕に自信はあるし、これまでの依頼で盗賊のような人間を殺したこともある。
だがそれでも、女が殺したのはあくまでも自分と敵対した相手だ。
何の罪もない人間を、こうまであっさり殺すことが出来るような相手がいるとは、とてもではないが思えなかった。
「……行くぞ。多分もう研究所の中に襲撃犯は残ってないだろうが、生きている研究者はいるかもしれない」
護衛の一人がそう呟き、ダリドラもその声で我に返ったのか研究所の中に足を踏み入れる。
そして護衛対象であるダリドラが進むのであれば、当然護衛達も立ち止まっている訳にはいかない。
そんな一行から少し離れて、レイは進む。
別にこれはダリドラ達を信用していない訳ではなく――完全に信用している訳ではないが――何かあった時にすぐ反応出来るようにという考えからだった。
(死体を見る限り、どれも一撃で仕留められている。……ここで働いていた研究者はともかく、護衛をしていたと思われる者までだ。だとすれば、相当な腕利きが襲ってきたのは間違いない)
倒れている死体の中にレザーアーマーや長剣、短剣といったものを身につけている者の姿もあるのを見る限り、この研究所も一応警備の人員を置いていたのは間違いがなかった。
そんな人物でもあっさりと殺されているのを考えると、どうしても警戒せざるを得ない。
……もっとも、通路をこうして歩いていても特に何もないまま進んでいったのだが。
「ここです。この扉の向こうがこの研究所中で最も重要な部分」
ダリドラが一旦言葉を句切り、その視線をレイへと向ける。
出来ればオウギュストの仲間のレイをこの中に入れたくはないのだろう。
それでも何も言わずに扉を開いたのは、今更ここで何を言っても意味がないと理解しているからか。
そうして扉が開け放たれると、次の瞬間には部屋の中から今までよりも濃い鉄錆臭が漂ってくる。
「これはっ!」
ダリドラを庇うように、護衛の一人が咄嗟に床を蹴る。
背後にダリドラを庇いながら手にした長剣を構えるが、部屋の中から誰かが襲ってくる様子はない。
安堵の息を吐き、ダリドラやレイを含めて全員が部屋の中へと入る。
「クトガ!?」
部屋の中に入った瞬間、ダリドラが叫んで走り出す。
床に倒れているその人物の下へと向かうダリドラとその護衛達。
レイだけが何故ダリドラが焦った様子を見せているのか分からなかったが、それでもクトガと呼ばれた男がダリドラにとって重要な人物だというのは理解出来た。
「誰だ?」
近くにいる護衛の一人に尋ねると、一瞬話していいのかどうか迷った様子だったが、オウギュストとダリドラが手を結び、更にはこうして研究所に案内してしまった以上隠し立ては出来ないと判断したのだろう。クトガに駆け寄るダリドラを見ながら口を開く。
「この研究所で一番偉い人だ。ティラの木の研究を任されていた」
その言葉に、レイは改めて周囲を見回す。
すると、改めて部屋の大きさを理解出来た。
四十畳程の広さの部屋の中央部分に砂があり、何本かのティラの木が植えられているのが見える。
他にも巨大な植木鉢に植えられたティラの木があり、ここでティラの木の研究をしていたという護衛の言葉を裏付けていた。
「なるほど。……じゃあ、あのクトガって奴の周囲で死んでる奴等も研究者か」
呟くレイの言葉に、護衛が頷く。
「ああ。この研究所にはダリドラさんも随分と金を使ってたって話だ。そう考えれば、この襲撃は痛手だろうな」
「研究の方も遅くなる、か」
レイがオウギュストから聞いた、植えるとティラの木が人を襲うようになるという話。
それについての研究をしていたこの研究所が襲われ、同時に研究者が皆殺しにされてしまった。
そうなってしまえば、ティラの木の研究がどうなるのかは考えるまでもないだろう。
(誰がやったのかは分からないが、結果としてオウギュストの利益になるように動いているともとれる。もしかして、オウギュストに疑いを抱かせる為にこんな面倒臭い手段を選んだのか?)
何か事件が起きた時、真っ先に疑われるのは、その事件で利益を得た者だ。
特にオウギュストはダリドラと対立していながら、ゴーシュにおける影響力という意味では大きく引き離されている。
その差をどうにかするには、思い切った手段を取る必要があり……そう考えれば、対立している原因のティラの木を研究しているこの研究所の襲撃というのは、明らかにオウギュストに大きな利益を与えるだろう。
……ただ、この襲撃を行った者の最大の誤算は、まさかオウギュストとダリドラが一時的にしろ手を組むとは思えなかったことだろう。
もっとも、レイという要素があって初めて為しえたことである以上、今回の件を企んだ者にとっても完全に予想外のことだったのだろうが。
「それにしても……本当に、一体誰がこんなことを……」
護衛の一人が呟きながら、クトガから少し離れた場所に倒れていた死体へと近づいて行く。
そんな護衛の様子を見ていたレイだったが、不意に護衛が向かっていた死体が微かにだが動いたのに気が付いた。
(動いた? 生きてる? ……いや、違う!)
何を根拠に判断したのかは、自分でも分からない。
もし怪我をしているのなら、助けを求める声を上げるのが自然だと思ったからか。
「離れろ!」
ともあれ、殆ど反射的にレイは叫びながら床を蹴っていた。