1128話
エレーマ商会にある部屋の一室。その部屋の主でもあるダリドラは、苛立ちも露わに拳をテーブルへと叩きつけた。
その衝撃で矢の突き刺さった場所が痛んだが、それでもダリドラの中にある苛立ちは痛みを無視して叫ばせる。
「誰が私を襲ったのか、まだ分からないのですか!」
普段も神経質なダリドラだったが、今のダリドラの目はいつもより更に神経質そうに周囲を見回していた。
その視線の先にいるのは、エレーマ商会で働く者達でも荒事に長けた者達。
同時に裏の情報網を構築している者達でもあり、ゴーシュにおける噂話の類はいち早く知ることが出来る者達だ。
だがそんな者達でさえ、今のダリドラが満足する言葉を発することは出来ない。
執務机から少し離れた位置では、護衛の数人が大人しく周囲を警戒している。
本来ならここに護衛を統率しているナルサスがいるのだが、そのナルサスはダリドラが襲撃された際に負った怪我の治療の為に今はこの場にいなかった。
「すいません、ダリドラ様。ですが、今のゴーシュにこんな大きな騒動を起こすような者はいない筈なんですけど……」
言葉を濁す男だったが、それでダリドラの機嫌がよくなる訳でもなく、視線が一層鋭くなるだけだ。
「このゴーシュであれだけの騒ぎを起こしたのですよ!? それなのに情報の一つもないというのですか!」
「はい。申し訳ありませんが、こちらには襲撃者の情報は入ってきていません。ああ、ですが恐らく今回の件に関係があると思われる情報が一つ」
「……何ですか?」
少しでも情報を得たいダリドラの視線を受け、執務机の前に立っている男達の一人が少し迷ったように言う。
これから口にするのは、恐らく今回の件に関係のある情報ではある。
だが……この情報を口にした場合、エレーマ商会に最悪の結果をもたらす可能性すらあるのだ。
それが分かっているだけに、出来れば口にしたくなかった情報ではあるのだが……それでもダリドラに雇われている以上、この情報を隠し通すことは出来なかった。
「ダリドラ様が襲われている時に、もう一人同じように襲われた者がいます」
「……ここで貴方が言い淀むということは、もしかして……リューブランド様ですか!?」
切迫した表情で告げてくるダリドラ。
自分の後ろ盾のリューブランドが何者かに襲われて怪我をしたとなれば、この先色々と不味いことになるのは確実だった。
ゴーシュでエレーマ商会が大きな影響力があるのも、リューブランドが……領主が後ろ盾となっている理由が大きい。
勿論後ろ盾がいるだけでここまでエレーマ商会が大きくなるということはなく、そこには純粋にダリドラの力もある。
だがそれでも、やはり後ろ盾がいるのといないのとでは大きく違う。
「いえ、違います。襲われたのは領主様ではありません」
ダリドラに情報のことを口にしたのとは違う人物が、即座にリューブランドの襲撃を否定する。
「そう、ですか。では一体誰が襲撃されたのですか?」
安堵のしながら尋ねるダリドラ、リューブランドの襲撃を否定した男が覚悟を決めて口を開く。
「オウギュストです」
「……何ですって?」
一瞬何を言われたのか分からなかったダリドラだったが、すぐに理解する。
自分とオウギュストの両方が襲われたのだから、それを狙った者は二人共を邪魔者として考えているのだろう。
「向こうの襲撃者は?」
「一人のようです」
「なるほど。そうなると、今回の襲撃を考えた者の本命は私ですか」
オウギュストと自分では自分を狙う方が本命なのは当然と言いたげなダリドラだったが、影響力を考えればそれはおかしくない考え方だ。
「それで、一応聞きますが向こうの被害は?」
「オウギュストが重傷を負ったとの話ですが、レイのポーションで持ち直したとか」
「……うん? レイがいたのにオウギュストが傷を負ったのですか? たった一人を相手に? その一人が相当の腕利きだったとしても、ちょっと考えられませんね」
レイの実力をナルサス含む護衛達から聞き、自分が集めた情報もその技量を裏付けている。
それだけに、レイがいてオウギュストが傷を負うというのは全く想像出来ない。
それはダリドラだけではない。その護衛として部屋にいる者達も同様だ。
ナルサス程に腕が立つ訳ではないが、それでもダリドラによってその強さを見込まれて雇われている者達だ。
以前に一度会っただけではあるが、レイの強さというのは十分に理解してる。
また、レイだけではない。グリフォンを従魔にしている以上、その辺の……自分達を襲ってきたような相手を前にして遅れを取るというのは全く信じられない。
そんなダリドラ達の疑問は、男が事情を説明すると納得する。
オウギュストを害した男が逃げている途中でレイと遭遇し、槍を振り回していたこともあって鎮圧されたと。
「そういうことですか。……それならまぁ、納得も出来ますね」
頷くダリドラだったが、今の情報をもたらした男がまだ何かを言いたげに口籠もっているのを見ると、首を傾げる。
「どうしました? まだ他に何かあるのですか?」
これを報告すれば、本格的にダリドラはオウギュストに攻撃を仕掛けるかもしれない。
そんな思いを抱いた男だったが、ダリドラの視線に押されるようにして口を開く。
「実はこちらに入っている情報では、オウギュストを狙った相手をレイが気絶させて向こうが確保したと」
「……なんですって?」
その言葉を聞いた瞬間、ダリドラの目が鋭く光る。
自分達を襲った襲撃者達の中でも、矢を射った者はそもそもどこから攻撃をしたのか全く理解出来ず、捕らえるどころか姿を確認することも出来なかった。
最初に襲ってきた三人の方にいたっては、迎撃した時に殺したのだが、ダリドラ達が店の中に避難した後で持ち物から何か情報が得られないかと思って護衛が外に出た時には死体は完全に消えていた。
(ナルサスが言うには、恐らく矢を射った者達の仕業だろうということでしたが……あそこには、私達の他にも野次馬が多くいた。そのような者達の目がある場所でどうやってそんな真似をしたのか)
とにかく、情報源が何もない状況というのは非常に厳しい。
だからこそこうして目の前にいる男達を呼び出し、何か情報がないのかと探していたのだから。
だが……今、その情報は手に入った。
それを理解しながらも、ダリドラは悔しげに唸るしか出来ない。
もしこれが十日程前であれば、間違いなく自分は護衛達を引き連れてオウギュストの店に向かっていただろう。
しかし、今となってはそんな真似をすることが出来る筈もない。
もしそんな真似をすれば、自分達はレイを敵に回してしまうのだから。
(ですが、私を狙った報いは受けさせなければなりません。……どうするべきでしょうかね。強攻策は論外)
強攻策……オウギュストの店や屋敷に戦力を引き連れて向かえば、レイと敵対してしまうだろう。
そしてレイと敵対した時点で自分の破滅は確定的だ。
(何をするにしても、とにかくレイが問題ですか。厄介な。せめてもう少し後にゴーシュへ来てくれれば良かったものを。それに偶然ゴーシュに来たという割りには、まだ出て行く様子はないですし。……いえ、当然ですか)
何もない状況であれば、レイもゴーシュを出て行ったかもしれない。
だが、今日のこと……自分が泊めて貰っている屋敷の主人が殺されそうになったことを考えれば、無責任に出て行くような真似はしないだろう。
そこまで薄情ではないだろうし、そうなれば余計にレイという存在はダリドラにとって邪魔になる。
「やはり、レイですね。……出来ればこちらに引き込みたいものですが」
呟くダリドラの言葉に、執務室の中にいた全員が同意するように頷く。
レイのような存在を味方にすることが出来れば、それは間違いなく大きな力になる。
ダリドラも、オウギュストよりも自分の方がレイの力を上手く使えるという自信があった。
「……いえ、今更有り得ないことを考えても意味はありませんね。今の私に出来るのは……」
いつまでも願望を考えていても意味はない。
そう考えたダリドラは、すぐに考えを切り替える。
現状で最も危険なのは誰か、そしてどのようにして狙われるのか……打開策は。
そのようなことを考えていたダリドラは、やがて結論が出たのだろう。小さく溜息を吐いてから口を開く。
「リューブランド様にこの件を知らせる者は既に向かいましたね?」
「はい。護衛をしっかり行うようにという言葉と共に」
護衛の一人がそう言葉を発すると、ダリドラは安堵の息を吐く。
自分とオウギュストが狙われた以上、当然自分の後ろ盾のリューブランドも狙われる可能性がある。
それを考えると、警戒はしておくにこしたことはなかった。
そしてリューブランドに使者を派遣したということを確認したダリドラは、小さく溜息を吐いてから若干嫌そうにしながらも口を開く。
「では……行きましょうか」
「行く? どこにですか? ナルサスがいない以上、こちらの力は下がってしまっています。それを考えると、あまり街中を出歩いて欲しくはないのですが」
護衛としては、先程の襲撃で戦力が減っている現状では外を出歩きたくはない。
先程襲撃してきた中でも最初の三人のような者達であれば、今の戦力でも何とかなる。
だが、その後の矢を射ってきた者達は、その姿を捉えることすら出来なかった。
そう考えれば相手の正体が分からないことが不気味であり、不気味であるからこそ迂闊に戦いたいとは思えない。
「貴方達の心配は分かります。ですが、今のうちにオウギュストに接触しておくのは絶対条件です」
「……オウギュストに会いに行くのですか?」
てっきり先程の会話から領主の館に行くのだとばかり思っていたダリドラの言葉に、護衛は意外そうな表情を浮かべる。
しかし、そんな護衛にダリドラは頷きを返す。
「ええ、そうなります。何しろ向こうの手掛かりになるような人物はオウギュストの手元にあるのですから。そうである以上、情報を得る為にはこちらから出向くしかありません。……まさか、こっちに出向かせる訳にもいきませんし」
「それは……まぁ」
ダリドラとオウギュストの関係が最悪に近いというのは、ダリドラの護衛をしていれば嫌でも分かる。
そもそも、そこまで関係が悪化しているからこそ砂賊を使って処分しようとしたのだから。
「ほら、行きますよ。さっさと準備をして下さい」
「……分かりました。ナルサスに一応報告はしておきます」
これ以上は何を言っても無意味だろうし、それどころかダリドラが自分を厭う可能性すら出てくる。
護衛として仕事をする上で護衛対象に嫌われるようなことになってしまえば、それは間違いなく最悪な未来しか待っていないだろう。
そう思ったが故に、ダリドラに命じられた護衛は取りあえずナルサスに話を通しておくという選択をする。
「そうですね、一応知らせておいて下さい。ただ、ポーションを使ったとはいってもすぐに動けるようになる訳ではありません。……正確にはすぐに戦闘を出来るように、ですか。なので、ナルサスには暫く安静にしておくようにと」
「分かりました」
ダリドラが護衛の者達と共に店を出て、数十分。
最初はダリドラも敵の襲撃があるのではないかと不安を抱いていたのだが、それでも何もない時間が続けば多少は安心してくる。
護衛の者達は、その気の緩みが死を招くと知っているので気を抜いていないが、護衛対象であるダリドラは最初の緊張は既にないかのように振る舞うことが出来ていた。
「どうやら今のところは攻めてくるような相手はいないみたいですね」
「そうかもしれません。ですが、そうではないかもしれません。その辺は十分気をつけるとして……今更聞くのもなんですが、本当にオウギュストと手を組めると思っているのですか?」
「さて、どうでしょうね。オウギュストはあれで色々と目端の利く男です。人が良すぎて結果に結びついてはいませんが、馬鹿ではありません。私が襲われ、自分も襲われた。そうなれば当然第三者の存在に気が付くでしょう。それに……」
そこから何か言葉を続けようとしたダリドラだったが、その先を言う前に馬車が止まる。
馬車の窓からは、オウギュストの店が見えた。
……そして、店の前に商人達が揃って自分を警戒している様子も。
「オウギュストは……いないようですね。家でしょうか」
呟きながら、ダリドラは馬車から降りる。
当然護衛達も一緒であり、馬車の外にいた護衛達はオウギュストの店の前にいる商人達を警戒したままだ。
そして馬車を降りたダリドラが真っ直ぐに店の前へと進み、見るからに警戒している商人達へ向かって口を開く。
「オウギュストさんと話をしたいのですが、取り次いで貰えませんか?」
自分の部下達の前での話し方と違い、さんづけでオウギュストの名前を呼ぶダリドラに商人の一人が緊張した様子で口を開く。
「何の用件でしょう?」
「今日の襲撃の件で少しお話しがありましてね。彼もきっと興味を持つ筈ですが」
「……残念ですが、オウギュストさんはもう家に帰りました」
そう告げる商人達の様子を見ながら、ダリドラはそれならばここにもう用はないと馬車へと戻ろうとする。
だが、そんなダリドラに向けて今受け答えをした商人が口を開く。
「ダリドラさんも今日襲撃を受けて、怪我をしたと聞いたのですが……それは本当ですか?」
「ええ、残念ながらと言うべきか本当ですよ。ちなみに、言うまでもありませんがオウギュストさんを襲撃させたのは私ではありませんから」
そう告げると、ダリドラはまだ何か言いたげな商人をその場に残してその場を後にするのだった。