1127話
オウギュストの言葉に、レイは数分の間考えを纏め……やがて目を開くと、頷きを返す。
「分かった。なら俺はお前に手を貸そう。本来ならこの手の争いに手を出すような真似をしたくないんだけど、今回の件は色々と不味そうだし」
「……いいんですか? 本当に?」
そう尋ねてくるオウギュストは、まさか本当にレイが自分に力を貸してくれるとは思っていなかったのだろう。
事情を説明する必要があるというのは理解していたが、結局最後には自分達だけでやらなければならない。
そんな風に思っていた。
だがそんなオウギュストの思いとは裏腹に、レイは自分に手を貸してくれると言ったのだ。
まさに望外の喜びと言っても差し支えがなかった。
「何だ? 俺が話を聞くだけ聞いて、手を貸さないと思ってたのか? ……まぁ、場合によってはそうなった可能性もあるけど、今回に限っては安心してくれ」
「ありがとうございます!」
深々と一礼するオウギュストの横で、黙って話の成り行きを見守っていたザルーストも安堵の息を吐く。
もしこれでレイが自分達に見切りを付け……その上、更にダリドラにつくような最悪の可能性すら脳裏を過ぎっていたのだから当然だろう。
特にザルーストは、オウギュストの仲間の中で自分が一番腕が立つというのを知っていた。
そして同時に、自分がダリドラの雇っている護衛達と同じくらいの力しかないというのも知っていた。
ダリドラの護衛の数を考えると、自分達の方が圧倒的に不利だったのは間違いない。
だが……今、この場を以てその戦力差は逆転した。
レイがどれだけの力を持っているのかというのは、このゴーシュでは恐らくザルーストが一番理解している。
勿論情報という意味でダリドラに勝てるとは思わないが、直接その目でレイの戦いを見たことがあるというのは大きい。
(まぁ、ダリドラの護衛ならレイと会っただけでその力を理解してもおかしくはないけどな)
しみじみとレイと……そしてレイの従魔であるグリフォンのセトが自分達の力となったということに安堵の息を吐く。
「まぁ、オウギュストの味方になったからって、ダリドラと即正面から戦うって訳じゃないんだろ?」
尋ねるレイに、オウギュストとザルーストは頷く。
別にオウギュストもダリドラを憎いわけではない。
いや、砂賊をけしかけられたことについては色々と思うこともあるのだが、その件は最終的に砂上船という非常に高価なマジックアイテムをレイに奪われ、手駒だったのだろう砂賊も自分達で始末し、結果的にダリドラに大きな損害をもたらしている。
また、今日起きた襲撃でもオウギュストはレイのポーションにより一命を取り留めたが、ダリドラは本人も含めて大きな被害を受けている。
その辺の話はレイから又聞きではあるが聞いている為か、不思議と今はオウギュストの中にダリドラへの憎悪の類はなかった。
……もっともキャシーが被害を受けていれば、憎悪に塗れていたのは間違いないだろうが。
「勿論です。そもそもダリドラは領主のリューブランド様との付き合いもあるので、戦って勝てるとは……」
そこで言葉を止めたオウギュストが、恐る恐るとレイへと視線を向ける。
その視線の意味を理解したレイは、小さく肩を竦めてから口を開く。
「言っておくけど、俺が得意なのは範囲攻撃だ。個人としての戦いも苦手って訳じゃないけど、適性としては圧倒的にそちらの方が上だ」
「つまり?」
「もし本気で戦いになれば、ゴーシュそのものが廃墟と化す可能性が高い。それを承知の上で戦いを挑むのなら、協力してもいいが?」
「いえ、遠慮しておきます」
オウギュストもゴーシュを廃墟にしたい訳ではないので、即座に首を横に振って断りの言葉を告げる。
そんなオウギュストの様子に、レイは苦笑を浮かべて頷きを返す。
レイも、本気でゴーシュを瓦礫に変えようなどとは考えてはいない。
寧ろ今のやり取りでオウギュストが頷いていれば、困惑するのはレイだったろう。
「で、これからどうする? オウギュストがティラの木は危険だと幾ら言ってもダリドラは聞かないんだろう?」
「はい。高名な研究者を雇って、その人にティラの木についての研究を任せているらしいですしね。何かあっても、すぐに対処出来るだけの戦力もあるでしょうし」
「ああ、あの護衛はそういう意味もあったのか」
オウギュストの言葉に、レイは納得したように呟く。
ダリドラを護衛するにしても、あれだけの人数は多すぎるだろうと。
……もっとも神経質なダリドラだけに、護衛として働かせることが出来るのであれば平気で働かせるのだが。
事実、レイと最初に遭遇した時にその実力を感じ取ってダリドラに忠告したような出来事を思えば、決してそれは無意味ではない。
何より、今回の襲撃で護衛がいなければダリドラは間違いなく命を落としていただろう。
「となると、リューブランドの方に手を出してみるか? ダリドラは話を聞かなくても、領主ならあまり危ない真似をしたいとは思わないんじゃないか?」
領主としては自分の治めている街が危険に晒されるような真似は絶対に認められないだろう。
そんな思いから出たレイの提案だったが、オウギュストはこちらにも首を横に振る。
「いえ、リューブランド様はダリドラと深い関係にあります。これまでのことを考えれば、リューブランド様もティラの木について問題があるのは理解している筈。……それでも手を出したりしないのは、それだけダリドラを信用しているからでしょう」
「じゃあ、第三勢力か? ……正直、そいつ等を探した方がいいのは確実なんだが、どこにいるのか全く分からないんだよな。何も手掛かりのようなものはないし。唯一の手掛かりは……オウギュストを襲った奴から情報は?」
オウギュストを襲い、レイに気絶させられ、そのままオウギュストの店に運び込まれた男。
現在残っている手掛かりらしい手掛かりはその襲撃者だけということもあって、期待を込めた視線を向けるが……ザルーストは溜息を吐いて首を横に振る。
「話を聞いてみた限りだと、誰かに雇われたらしい。で、その時に気分が高揚するという薬を貰って、それを飲んでからオウギュストさんを襲撃したとか。あの様子だと、詳しいことは何も知らないな」
「雇われた上に、操られていた?」
「ああ、そうなる。……正直、ここまで徹底して姿を隠されると、こっちとしてはどうしようもないな」
ザルーストが呟いたところで、部屋の扉がノックされる。
「オウギュスト、お茶を持ってきたんだけど、今ちょっといいかしら」
扉が開いてキャシーが顔を出す。
そのキャシーの手には言葉通りお茶の入ったカップが人数分あり、そうなればオウギュストが愛妻の心遣いを無碍にする筈もない。
「ああ、勿論大丈夫。良く来てくれたね。キャシーの顔を見ることが出来れば、身体の中にある疲れも吹っ飛んでいくようだよ」
瞬間的に出来上がる、甘い空気。
その空気に、レイとザルーストは嫌そうな表情を浮かべて顔を見合わせる。
ザルーストはオウギュストの父親に対して強い恩義を感じているし、オウギュストにも強い友情を感じてはいた。
だが……それでも、オウギュストとキャシーのいる空間に自分がいたいとは絶対に思えない。
それはレイも同様だった。
オウギュストの屋敷に寝泊まりしている身ではあるが、そうである以上は普段からそんな二人の様子を見せつけられることになる。
出来ればそのようなやり取りは見たくないのだが、それでもこの屋敷に泊まっている以上は付き合わなければならなかった。
だからこそ、必要のない場所でそのような雰囲気に巻き込むのだけは止めて欲しいという思いと共に、レイは口を開く。
「丁度喉が渇いていたんだ。お茶を持ってきてくれて助かる。……まぁ、俺が普段飲むようなお茶じゃないけど」
そんなレイの言葉で我に返ったキャシーが、ようやくオウギュストとのやり取りを止めると、ザルーストやレイへとお茶の入ったカップを渡していく。
レイの言葉通り、そのカップの中に入っているのはレイの認識ではミルクティーに近いものだった。……幾つも香辛料が入っているミルクティーだが。
甘い香りと香辛料の複雑な香りが入り混じり、一種独特の香りを生み出す。
口に含むとミルクの濃厚な旨味と香辛料、甘みといった複雑な味が舌を楽しませる。
このミルクティーに使われている香辛料も、キャシーが自分で配合したものだ。
それだけに、このミルクティーを楽しむことが出来るのはゴーシュの中でもこの屋敷でしかない。……もしくは、キャシーをお茶会か何かに招待するか。
「もう少しこうしてオウギュストと一緒にいたいところだけど、そろそろ行くわね。……あまり根を詰めすぎないで」
「ああ、もちろんだよ。キャシーの淹れてくれたお茶があれば、気分爽快で疲れも吹っ飛ぶから!」
元気溌剌といった笑みを見せるオウギュストだったが、それでもキャシーの心配は消えない。
ポーションを飲んだことにより、今のオウギュストは味覚が破壊されているに等しい状況だったが、愛する妻の為にそんな様子は一切表情に出さない。
(まぁ、今日腹を刺されて殺されそうになったのを思えば、それは当然かもしれないけど)
本人はキャシーに隠したかったのだろうが、レイがダリドラの件で情報を集めてオウギュストの店に行った時には、既にキャシーの姿は店にあった。
第六感や、女の勘といったものでオウギュストの危険を感じ取ったと言われても、目の前の二人の熱々ぶりを見ているレイは驚いたりはしないだろう。
それでもキャシーは今の相談がオウギュストにとって重要なものだというのは分かっているのか、いつもより短く――それでも数分――オウギュストとの愛を確かめると、そのまま部屋を去っていく。
「さて。それで第三勢力ですが」
一瞬で顔と雰囲気が変わったオウギュストに、レイは少しだけ呆れを込めて呟く。
「随分と切り替えが早いな」
「当然でしょう。今回の件はそれ程重要なのですから」
「いや、そういう問題じゃなくてだな。……はぁ、まぁ、いい。それで第三勢力についてだけど、何か覚えのあるような勢力は本当にないのか?」
これ以上は何を言っても無駄だと判断したレイが尋ねる。
そんなレイを、この人は何を言ってるんだろう? といった目で見たオウギュストだったが、ザルーストが小さく咳払いしたことで我に返り、少し考えながら口を開く。
「うーん……さっきも言いましたが、本当に覚えはないんですよね。ダリドラは色々と強引な真似をしているので、嫌っている人も多いでしょうが。ザルーストさんは何か心当たりがありますか?」
「……いえ、残念ながらないですね。そもそもオウギュストさんを襲ったのが陽動だとすれば、やっぱりダリドラの方が本命で、こっちは失敗しても成功してもいいという感じかと」
「もしくは……今回の襲撃でどっちも生き残った場合、お互いを疑心暗鬼にして争いを過熱させようとしている、とか?」
ふと思いついたように口に出したレイの意見だったが、すぐに自分で首を横に振ってその意見を却下する。
「違うな。もしそれなら、オウギュストの方の襲撃を成功させる必要は全くない。寧ろ失敗させないと、元々お互いの戦力に差があるのに、余計に力の差が大きくなる」
「そうだろうな。……俺としては、色々と理由はあってもあんな奴にオウギュストさんが攻撃されてしまったのが致命的だった」
「それだよ。お前ならあの程度の敵はオウギュストに手を出すよりも前に無力化出来ただろ? なのに、なんでむざむざ攻撃させたんだ?」
レイの疑問に、ザルーストは無念そうに溜息を吐く。
「言い訳にしかならないが、人の数が多くてな。奴は人混みに紛れて近づいてきた。……しかも、放った突きの一撃はかなりの威力だった」
「うん? 一撃がかなりの威力だった? ……俺と戦った時には、そんな様子は一切なかったぞ? それこそ、その辺の素人と殆ど変わらないくらいに」
「……何?」
レイの言葉に、ザルーストは疑問を口にする。
お互いの持っている情報に齟齬があると理解したのだろう。二人は慌てて情報交換を始めた。
そして情報交換をすればする程、二人の疑問は強くなる。
ザルーストはオウギュストに放たれた一撃をその目で見て、槍の威力や速度、鋭さが自分でも何とか防ぎ切れるかどうかといったものだったと言うのに対し、レイが見た男はその辺の素人……とまではいかないが、冒険者としてはとても高ランクの人物とは思えなかった。
「……ザルースト、お前誰か他の奴と見間違えていたって可能性はないか? それこそオウギュストに攻撃して逃げ出してから、俺に捕まるまでにある程度の時間はあったんだろ? その隙に自分と似てる誰かと入れ替わったとか」
「いや、それは……どうだろうな。ちょっと分からないな。槍の穂先に血が付いてたけど、それは槍を渡せばそれでいいし」
情報を交換した結果、更に謎が増えたのだが……お互いに疑問を持ちつつ、男の謎についてオウギュストと三人で話し合うのだった。