1125話
キャシーの知り合いから情報を聞き出したレイは、そのままオウギュストの店へと向かった。
そうして店に戻ってみれば、そこでは店の周りに何人かの人影がある。
その人影は店に近づいてきた人影を見ると一瞬警戒した様子を見せたが、それがレイであると知ると安堵の息を吐いて口を開く。
「レイさん、無事でしたか」
「……別に戦いに行った訳じゃないんだから、無事なのは当然だろ」
自分が動けば必ずトラブルが起きると言いたげな男の言葉に、レイの顔に不満が浮かぶ。
だがそんなレイを前にして、男は苦笑と共に口を開く。
「ですが、ザルーストさんがそう言ってましたから」
「ザルースト……」
オウギュストを襲った犯人を追ってきた時は殺気をその身に纏っていたのだが、瀕死の重傷を負ったオウギュストがレイのポーションで回復してからは大分正気に戻ったのだろう。
でなければ、そんな軽口は出てこなかった筈なのだから。
「まぁ、いい。それでザルーストやオウギュストは店の中か?」
「はい。ただ、今は行かない方がいいと思いますけど」
どこか気を使うように告げてきたその言葉に、レイは首を傾げる。
元々情報を集めてきて欲しいと告げたのはザルーストなのだから、その情報を知らせるにはザルーストやオウギュストに直接説明する必要がある。
それも、アリバイ作りでも何でもなくダリドラが襲撃を受けたという報告だ。
その情報はオウギュストにとっても非常に大事な報告であり、早ければ早いほうがいい。
なのに何故? そんな疑問をレイが感じているのだと理解したのだろう。護衛の男は苦笑を浮かべて口を開く。
「実は、今店にはキャシーさんが来てて……」
そこまで聞いただけで、レイは現在店の中で何が起こっているのか理解してしまった。
恐らく店の中では胸の焼けるような空間が広がっているのだろうと。
何故襲撃の件を秘密にしていたのにキャシーが来ているのかは分からなかったが。
愛故に? と考えつつも、オウギュストとキャシーの熱愛ぶりを見ればあながち冗談ではないかもしれないと思ってしまう。
「……どうしたらいいと思う?」
「いや、俺に聞かれても困りますよ」
「そう言っても、今店の中に入らない方がいいって言ったのはお前だろ? なら、どうするかの相談くらいしてもいいと思わないか?」
「……えっと……諦める、とか?」
「それはないだろ。……ああ、そうだ。セトはどうした?」
ふと、オウギュストの護衛の為に自分と別行動を取っていた相棒のことが気になり、尋ねる。
「セトですか? セトなら、店の裏にいますよ。セトが入れる厩舎とかはないので、地面に寝転がっているらしいですけど」
「そうか。……じゃあ、取りあえずそっちに顔を出してくる」
結局レイが選んだ選択肢は、時間を置くことだった。
今のオウギュストとキャシーの二人に近づくのは、色々な意味で危険だ。
だが、少しでも時間を置けば多少なりともまともになるのではないかと、そう思ったのだが……何故か警備をしていた男の顔に浮かんでいたのは、哀れみに近い表情。
……オウギュストとキャシーという人物をよく知っているか知らないか。その違いが二人の判断を分けた形だった。
(多少時間を潰したところで、あの二人の熱が収まることはないだろうに。……それどころか、時間を掛けた分熱くなって手が付けられなくなるだけなのにな)
後で行くというのは、実は最悪に近い選択肢なのだが……と。
もっとも、本当に最悪なのはそのまま報告にいかないことだが。
去って行くレイの姿を眺めながら、男は再び店の護衛に戻る。
レイが来るまでの緊張感は既に消えてしまっていたが、それでも自分の雇い主であるオウギュストは絶対にこれ以上傷つけさせないという思いで男は自分の武器の長剣をしっかりと握り締めるのだった。
レイが店の裏へとやってくると、そこには表で聞いた通りセトの姿があった。
セトもレイが近づいてくるのは気が付いていたのだろう。寝転がったまま、嬉しそうに喉を鳴らす。
そんなセトから少し離れた場所には、何故かザルーストの姿もある。
「ザルースト? 何でここに?」
セトの方へと近づき、その身体を撫でながら少し離れた場所にいるザルーストへと声を掛ける。
そんなレイの言葉に、ザルーストは小さく肩を竦めてから口を開く。
「店に入る前に聞かなかったか? 今、キャシーさんが来てるんだよ」
「あー……うん、なんでザルーストがここに来たのか理解出来た」
ようは、レイと同じ理由でザルーストも甘い空間から抜け出してきたということなのだろう。
だが、今ここにザルーストがいるというのは、レイにとってありがたいのも事実だった。
「情報、集めてきたぞ」
「ダリドラが襲われたって話だったが?」
「ああ、それは間違いない。しかもオウギュストよりもよっぽど厳重に襲われてた」
「本当か? それが見せ掛けだったという可能性は?」
ザルーストも、レイと同じくダリドラの襲撃はオウギュストを襲ったことで自分を疑わせない為のアリバイ作りだと思っていたのだろう。
それだけに、本当の意味でダリドラが襲われていたという話を聞き、驚きと共にレイへと尋ねる。
「見せ掛けってのはないと思う。襲撃現場を見ていた奴の話だと、最初に三人が襲い掛かったらしい。それも痛みとかを全く感じない男が三人。で、それを倒したと思ったらどこからともなく何本もの矢が放たれたとか。ナルサスってのがいなければ、ダリドラの頭に矢が刺さっていたらしい」
そこまで言われれば、ザルーストもダリドラの襲撃が見せ掛けだったとは思えずに唸る。
「だがそうなると……今回の件は誰が裏で糸を引いている? オウギュストさんとダリドラの二人……いや、オウギュストさんはそこまで影響力はないが、それでもダリドラを敵に回すような奴がそうそういるとは……」
とてもではないが思えない、と。そう告げるザルーストに、レイはそうなのかと頷くしかない。
レイはまだこのゴーシュに来たばかりなので、ゴーシュにおける対立構造を全て網羅している訳ではない。
知っていることと言えば、オウギュストとダリドラがティラの木の扱いについて対立しており、そしてダリドラは領主のリューブランドと組んで……と、そこまで考えて一つの可能性に思い当たる。
いや、一つの可能性と言うよりもダリドラが今回の件の犯人ではない以上、残っている有力者はもうリューブランドしかいないのではないかと。
「もしかして、領主のリューブランドがダリドラを暗殺しようとした?」
「まさか。それはない」
ザルーストは即座にレイの言葉を否定する。
「ここの領主は正直なところ、ダリドラがいるから上手くやっていけているというのがある。勿論領主が悪辣って訳じゃないが、何て言えばいいんだろうな……典型的な貴族? 貴族とはこういう風だと思っている? うーん、迷うな」
言葉を濁すザルーストだったが、レイにも何となく言いたいことは分かった。
実際に一度会ってみたところでは、貴族とはこう思うから自分も同じように行動する……といったような印象を受けた為だ。
(例えば……)
レイは自分が撫でているセトへと視線を向ける。
貴族として珍しいセトを自分の物にしたいと口にはしたが、それも貴族なら普通そう言うだろうと思っているからであるように見えた。
事実、レイが一度断ると、それ以上言い寄ってくることはなかった。
欲望に目を濁らせている者達と比べると、明らかに違っている。
(まぁ、その割りには俺の言葉使いとか態度に目くじらを立てる様子はなかったな。……普通なら、貴族らしい貴族と言えば悪徳貴族になりそうなんだけど。そう考えると、善良なのか? ……危ないな)
内心で呟くレイ。
今のままのリューブランドでいるのであれば、それは全く問題がない。
だが、自分の貴族観とでも呼ぶべきものに自分を合わせるといった真似をしているのだから、もしその貴族観が横暴な貴族のそれになってしまえばどうなるのか。
想像するのは難しくない。
今は人並みの暮らしが出来ているゴーシュが、領主の搾取や略奪の対象となるだろう。
しかも、それを行うリューブランドには全く罪悪感が存在しないのだ。
決して豊かという訳ではないゴーシュだけに、もしそうなってしまえば遠くない内に壊滅してしまうだろう。
「レイ? どうした?」
「いや、うん。何でもない」
まさかゴーシュが壊滅する未来を想像していたと言える筈もなく、誤魔化す。
そんなレイの様子に疑問を感じたらしいザルーストだったが、何を考えていたのか突っ込まれたくないレイは、強引に話を進める。
「それで、今回の襲撃にリューブランドが関わっていないって言い切れる理由はなんだ?」
「……お前、領主の名前を呼び捨てにするなよ」
「そう言われてもな。オウギュスト辺りから聞いてるかどうかは分からないけど、一緒に食事をした仲だし」
そう告げるレイの言葉に、ザルーストは呆れたように溜息を吐いてから口を開く。
「領主とダリドラが組んでいるけど、その組んでいる理由の一つにダリドラがゴーシュを発展させている……具体的にはその為の知恵を貸してるってのがあるんだ。ゴーシュを発展させてくれるような奴を殺そうとするか?」
「……何かリューブランドにとって受け入れられないような意見をダリドラが口にして、その結果対立した……とかは?」
「考えられるとすればそのくらいだろうが、そもそもダリドラが領主と敵対するようなことってのは、ちょっと思いつかないな」
乱暴に頭を掻きながら告げるザルーストは、何がどうなって現在のような状況になっているのかと、不愉快そうに呟く。
「となると、やっぱり第三勢力か?」
「……それくらいしかない、か」
更に面倒になったと言いたげなザルースト。
そんなザルーストの様子を眺めながら、レイは気持ちよさそうに喉を鳴らしているセトを撫でながら、視線を店の方へと向ける。
すると、ちょうどそこではオウギュストが店から出てくるところだった。
幸い店から出てくるのはオウギュストだけであり、つい先程まで熱々の空間を作っていたと思われるキャシーの姿はない。
「おや、レイさん。戻ってきてたんですね。なら、私の所に報告に来てくれても良かったのですが」
「そうだな、うん。ここで一休みしてから行くつもりだったよ」
まさかお前達のラブラブ空間に関わりたくはなかったと正直に言う訳にもいかずにそう告げるレイだったが、オウギュストはそんなレイの態度に……そしてレイの側でお前の気持ちは分かると言いたげに頷くザルーストの様子に首を傾げる。
「そうですか? まぁ、それならそれでいいんですが……えっと、それで情報を集めてきて貰ったという話でしたが、どうなったんでしょう?」
首を傾げながらも尋ねてくるオウギュストに、レイは単刀直入に告げる。
「ダリドラも襲撃された。それもオウギュストの件を誤魔化す為の見せかけとかじゃなく、本当の意味で命を狙われた」
「……本当ですか?」
ザルーストと同様に、まさかという表情を隠しもせずに尋ねてくるオウギュストへ、レイは頷きを返す。
「キャシーの友人って女から話を聞かせて貰ったけど、オウギュストを狙った奴に比べると向こうはかなり大人数での襲撃だ。どっちかと言えば、多分オウギュストの方が陽動で本命は向こうだったんだろうな」
「話を聞く限りだと、確かにそうらしいですが……けど、私とダリドラの二人をほぼ同時に襲撃というのは……」
理解出来ないと言いたげなその様子に、ザルーストも頷く。
「恐らく第三勢力でしょうね。オウギュストさん、心当たりは?」
「いえ、残念ながら……」
その言葉から、オウギュストも自分が襲撃されたのはダリドラの仕業だったと半ば決めつけていたのだろう。
だが、砂賊にオウギュストの商隊を襲わせるように依頼をしたというのは公然の秘密なのだから、そう思ってしまってもおかしくはない。
「オウギュストにも心当たりがないのなら、手掛かりがないな」
「……すいません」
レイの言葉に頭を下げるオウギュストだったが、その姿を見て慌ててレイは口を開く。
「いや、別に責めてる訳じゃないから、気にするな」
「ですが、レイさんは私に雇われている訳じゃないですよね。家に泊まっているだけの方です。なのに、ここまで迷惑を掛けてしまうと……」
「ああ、その辺はいい。お前に何かあれば、キャシーも悲しむだろうし。そうなれば色々と問題が出てくるだろ? 料理とか、料理とか、料理とか」
「料理だけかよ」
呆れたように呟くザルーストだったが、そのやり取りにオウギュストは笑みを浮かべる。
「そうですね。キャシーの料理はそれだけの価値がありますから」
オウギュストの言葉に、ザルーストもキャシーの料理の味を知っている為に何も言えなくなる。
そんなやり取りを見ていたレイは、不意に口を開く。
「ここまで巻き込まれている以上知っておきたいんだけど、なんでオウギュストはそんなにダリドラと対立してるんだ? ティラの木を使えば、より安く安全にこのゴーシュを守ることが出来るんだろ?」
そう、尋ねるのだった。