1106話
冒険者達の真横を通り過ぎたレイは、微かに眉を顰める。
それは、別に冒険者達に対して何か思うところがあった訳ではない。
砂漠を蹴った時の速度が普段に比べて圧倒的に遅かったからだ。
考えてみれば、ゴーシュに……正確にはフェリス砂漠へとやって来てから、レイが最初に戦ったサンドサーペントにはセトの背から黄昏の槍を放った時点で勝負は決まった。
サンドサーペントの次に戦った砂賊も、基本的にはセトの王の威圧を使った雄叫びで動けなくしてから戦いになっており、その戦いも砂上船の甲板の上で行われたものだ。
そして先程戦ったヤシガニも、レイがやったのは最初にセトから飛び降りてヤシガニの注意を引いただけでしかない。
久しぶりに砂漠でまともに戦うが、やりづらい。
(分かっていたけど、予想以上に足を取られるな。速度が出ない)
見る間に近づいてくるサンドリザードマンを目にしながら、レイは内心で不満に思う。
もっとも、そんなレイの速度は冒険者や……そしてレイとの距離が急速に縮まっているサンドリザードマン達にとって十分に素早いと表現出来るものだったのだが。
レイにとって遅いという速度も、それ以外の者達にとっては十分以上に速いと思える速度なのだから。
「キシャアアアッ!」
今まで追っていた冒険者とは全く毛色の違う存在が真っ直ぐに自分達へと向かってきているのを見た先頭のサンドリザードマンが、警戒の声を上げる。
人間の顔を見て覚えられる訳ではないが、それでも大きさで判別は出来るし、数で判別も出来る。
何より、数秒前に何かが自分達の進行方向に落下してきたのは、サンドリザードマンにもしっかりと見えていた。
それが何なのかというのまでは判別出来なかったが、それでもこうして目の前に姿を現せば、それが何なのかはしっかりと理解出来る。
「キシャアッ!」
先頭のサンドリザードマンは、自分が持っていた三つ叉の槍……トライデントを自分へと向かってくるレイへと向かって突き出す。
レイが近づいてくる速度を考えれば、トライデントの穂先がその身体を貫くだろうと、そう確信しての攻撃。
小さいだけに食う場所が少ない。そんな風に考えたサンドリザードマンだったが……次の瞬間には頭部が砕かれ、そのまま意識は闇へと沈む。
「へぇ」
トライデントの一撃を回避しながら放った黄昏の槍の一撃は、容易に先頭を走っていたサンドリザードマンの頭部を砕く。
その一撃を放った後はスレイプニルの靴を使って空中を蹴って勢いを殺し、砂の上に立つ。
丁度サンドリザードマンと逃げていた四人の冒険者達の間に立ち塞がった格好だ。
手に持つ黄昏の槍を見て、レイは感心したように呟く。
投擲しての使用はギルムのギルドで試験的に使った時や、サンドサーペントとの戦いで体験した。
だが訓練での使用はともかく、直接槍として手に持って使って敵と戦うというのはこれが初めてだ。
だからこそ、こうして今の一撃であっさりとサンドリザードマンを倒したことに少しだけ驚きの表情を浮かべていた。
「ほら、どうした? お前達はあいつらを襲いたいんだろ? なら、俺を倒さないとどうにも出来ないぞ?」
黄昏の槍を構えて呟くレイの言葉をしっかりと理解した訳ではないのだろう。
だが、サンドリザードマン達は、レイが明確なまでに自分達の敵だと認識した。
「キシャアアアアアアアアアアッ!」
「キシャ、ギャギャギャギャ!」
「ギャシャアアアア!」
それぞれ叫びなら、手に持つ武器の切っ先をレイへと向ける。
「こいつらもトライデント、か。何だ? こいつらにとっては、この武器が標準なのか?」
自分に向けられる三つ叉の槍を目の前にレイは疑問を口にするが、そもそも言葉が通じていないのだから、サンドリザードマンがそれに答える訳もない。
奇しくも、レイもサンドリザードマンも全員が槍を武器に相対するという形になる。
それを見ていた四人組の冒険者は、今のうちにここから逃げられないかどうかを声に出さず視線で相談するが、結局は大人しく見ていることになる。
レイがどのような人物なのかはまだ分からなかったが、それでも自分達を助けてくれたのは間違いがないのだ。
もしレイが人間でなければ逃げ出した可能性もある。
だがフードを被っていて顔は見えないが、それでもレイはきちんと自分達が理解出来る言葉を話しているのだ。
全く言葉が通じないサンドリザードマンとは比べものにならない程に親近感を覚えるのは当然だろう。
それに、フードを被っていて顔が確認出来ないと言うのであれば、それは四人の冒険者達も同じことだ。
砂漠の中を進むのだから、少しでも日光を遮る為……そして身体の水分を蒸発させない為に頭をターバンで覆い、顔をなるべく外気に晒さないようにしているのだから。
自分達を助けに来てくれたのだから、間違いなく腕利きの冒険者で槍の達人なのだろう。
レイのことをそんな風に思っていた四人の冒険者達だったが、それだけに次の瞬間レイの口から出た言葉に思わず固まる。
「どうした? 来いよ。俺は槍は初心者だ。投げるのならともかく、こうして直接手に持って使うのであれば間違いなくな」
「ちょっ、おい!?」
自分達よりも圧倒的な強者だと思ったからこそ、レイに命を託したのだ。
そんな状況で、実はレイの使っている槍が初心者程度の扱いしか出来ないと言われれば、当然のように男達が不安に襲われるのは当然だった。
「心配するなって。槍は初心者でも、長物は別に初心者って訳じゃないしな」
背後を向いて四人の冒険者へと声を掛けているのを、隙と判断したのだろう。サンドリザードマン達が一斉に行動に移る。
後ろを向いているレイに気が付かれないよう、声を出さず一気にトライデントを持ってレイへ向かって駆け出す。
「ちょっ、おい! 後ろ! 後ろ!」
「分かってる、よ!」
四人組のリーダー格と思われる男の言葉に頷き、そのまま襲い掛かって来たサンドリザードマンへと向かって振り向く。
同時にその動きを利用して黄昏の槍を薙ぎ払う。
続いて周囲に響くのは連続した甲高い金属音。
その音の出所は、当然のようにレイの振るった黄昏の槍だ。
だが、驚くべきは今の一連の動作であっさりとサンドリザードマン達が繰り出したトライデントの攻撃全てを防いだことか。
(ちっ、デスサイズなら纏めて手から弾き飛ばすくらいのことは出来たんだけどな)
それでもレイは不満そうにしながら、不意を突いてきたサンドリザードマン達を一瞥する。
デスサイズはレイやセトが持つと非常に軽く……それこそ枯れ木の如き重量しか感じられないが、実際には百kg程の重量を持つ。
それだけの重量がある物を枯れ木でも振るわれるように気楽に振るわれ、更にそこにはレイの膂力と魔力が組み合わさっているのだ。
当然のようにそんな一撃を受けてしまえば、大抵の武器は破壊されてしまってもおかしくはない。
しかし、黄昏の槍は違う。
マジックアイテムとしては最高峰の品物ではあるが、重量がどうこうという風にはなっていない。
魔力を込めれば別だったが、今は槍の練習相手としてサンドリザードマンを見ている以上、そんな真似はしていなかった。
「ま、それなら槍での戦いに慣れればいいだけだけど……な!」
払った槍を素早く手元に戻し、そのまま突き出す。
砂地を踏んだ足から腰、背中、腕、手首……といった具合に身体の捻りが連動するようにして放たれた突きの一撃は、どう見ても槍の初心者が放った一撃には見えない。
少なくても、四人の冒険者達の目には熟練の戦士が放つ一撃にしか見えなかった。
特に、四人の中に一人だけだが槍を持っている人物がおり、その人物はレイの一撃に大きく目を見開く。
「鋭い……何て鋭い一撃なの」
顔の殆どの部分は他の者達同様に隠されてはいるが、それでも声を聞けば女だと理解出来るだろう。
女の目から見て、レイの放つ一撃は槍の扱いに慣れていないこともあってか、見て分かる程度に修正箇所を口に出来る動きではあった。
だが……それでもレイの放つ一撃は間違いなく強力な一撃であり、それだけに女の口から出た呟きには驚愕の色が濃い。
レイがやっているのは、女が長年の習練を最大限に活かして放ったのと同じような……いや、それ以上の一撃を、身体能力と身体を動かす勘のみで放っているのだから。
とてもではないが、女にとってレイの攻撃というのは理解出来るものでは……理解したいものではなかった。
そんな風に見られているとも知らないレイは、黄昏の槍で放った突きが一匹のサンドリザードマンが持つトライデントの三つ叉に分かれている部分へと入り込み、それを見た瞬間強引に黄昏の槍を撥ね上げる。
穂先が三つ叉に分かれているというのは、普通の槍よりも攻撃範囲が広いことを意味している。
しかしそれは同時に、一定以上の技量や身体能力を持つ者にとっては穂先の分岐している場所に己の持っている武器を刺して搦め取るといった真似すら出来ることを意味していた。
実際、レイの放った黄昏の槍の一撃はそれを証明していたのだから。
「キシャア!?」
何が起きたのか分からないといった様子のサンドリザードマンが声を上げているが……それは大きな隙となる。
「ふっ!」
その隙をレイが逃す筈もなく、トライデントを撥ね上げた動きの後で素早く手元に戻して再び突く。
真っ直ぐに放たれた黄昏の槍は、あっさりとサンドリザードマンの頭部へと命中し……そのまま頭部を貫く。
デスサイズを使って肉や骨を斬り裂く時とは、また違う感触。
デスサイズの石突きを槍のように使っている時にも同じような感触はあるのだが、今回は黄昏の槍であるというのも違うのだろう。
「キシャアアアアアッ!」
仲間がいきなり殺されたのを見て興奮し、怒ったのか他のサンドリザードマンも揃って威嚇の声を上げながらトライデントを突き出す。
「っと!」
砂漠の上での動きはどうしても鈍くなるというのを理解しているレイは、跳躍してトライデントの一撃を回避する。
だが、自分達の一撃を回避されたにも関わらず、サンドリザードマン達は特に焦った様子もなくそれぞれトライデントを手元に戻す。
理解している為だ。空中に飛び上がってしまえば、殆ど動けなくなるということを。
今の一撃が回避されたのはサンドリザードマン達にとっても予想外ではあったが、それでも結果としてこれでレイを倒すことが出来ると……そう判断していた。
サンドリザードマンの考えは、決して間違っている訳ではない。
事実、もしもレイが普通の人間であればその狙いはこれ以上ないくらい正しかったのだから。
だが……サンドリザードマン達の唯一にして最大の誤算は、レイが普通という言葉が決して当て嵌まらない人物だったこと。
特にスレイプニルの靴を使っての空中移動が出来るというのは、完全な誤算であると言っても良かった。
跳躍したままスレイプニルの靴を使用し、空中を蹴る。
落下してくるのを予想して放たれたサンドリザードマン達の攻撃は、その一挙動で全てを回避されてしまう。
そしてレイが次にやったのは、同じくスレイプニルの靴で自分の横の空間を蹴ること。
サンドリザードマン達がトライデントを引き戻そうとする動きに合わせて行われたその攻撃は、長柄の武器であるからこそ懐に潜り込まれるとどうしようもなかった。
……間合いが近いという意味では黄昏の槍を手にしたレイも同様だったのだが、咄嗟に近づかれたサンドリザードマン達とそれを狙って行ったレイとでは心構えが違う。
黄昏の槍の石突きで一番近くにいたサンドリザードマンの足を払って転ばせる。
砂の上に尻餅を突いたサンドリザードマンの顎へと石突きで掬い上げるような一撃を放つ。
その一撃は、舌を出していたサンドリザードマンにとっては致命的ですらあった。
鋭い歯でサンドリザードマンは自らの舌を噛み千切ることになってしまったのだから。
「キシャアアアアアアアアアアッ! ギャッ!」
己の舌を噛み切ったサンドリザードマンが痛みに転げ回っているのを見たレイが、スレイプニルの靴を履いた足で勢いよく首を踏みつける。
足には首の骨を折った感触が伝わってくるが、槍とは違ってこちらの感触は決して慣れていない訳ではない。
首の骨をへし折られて命を奪われたサンドリザードマンへと視線を向けることすらせず、レイは周囲を見回す。
ここまで来て、ようやくサンドリザードマン達はレイがただ者ではないと判断したのか、一斉に逃げ出そうとするが……
「馬鹿が」
背中を見せて去って行くサンドリザードマンを見据え、レイが小さく呟く。
今までの槍の持ち方ではなく、投擲用の持ち方へと変えてそのまま魔力を込めて黄昏の槍を解き放つ。
……サンドリザードマンは、一匹たりとも逃げることは出来ず、砂漠に死体を晒すのだった。