1102話
ゴーシュにある建物の中でも、一際立派な建物の中……その中の一室でダリドラは冷たく冷えた水を飲みながら部下からの報告を聞く。
外は四十度近い気温なのだが、ダリドラがいる部屋は三十度程度の気温しかない。
勿論普通ならそれでも十分暑いのだが、ダリドラもゴーシュで……砂漠で生まれ育った人物だ。
三十度くらいの気温は寧ろ過ごしやすい、丁度いい気温でもあった。
「それで? レイの行動は邪魔していませんね?」
「はい。ご指示の通り、一切手を出していませんが……本当によろしいのですか? あの者はダリドラ様の障害になるのでは?」
「そうですね。障害かどうかと言えば、間違いなく障害です。それも超が付く程に」
「なら、倒す……のは無理にしても、何とかゴーシュから追い出す手立てを考えた方がいいのでは?」
先代からエレーマ商会に仕えてくれている男の言葉だったが、ダリドラは即座に首を横に振る。
「いけません! 彼に手を出すということは破滅を意味すると思いなさい!」
普段は冷静でいることを心掛けているダリドラだったが、部下の言葉に思わず力を入れてそう告げる。
レイがどのような人物であるのか、多少の情報は持っていた。
だが……それよりもレイという人物を大きな脅威と認めたのは、自分が護衛に雇っている者達の助言だった。
大金を使ってこのゴーシュでも……いや、ソルレイン国や周辺の国からも集めた、自らの護衛達。
大金を支払って雇うだけの価値がある護衛達であり、そのような護衛達を雇っているということそのものがエレーマ商会にとって大きな力となっていた。
エレーマ商会と敵対すれば、あの護衛達を敵に回すことになる、と。
冗談でも何でもなく、ダリドラは自分の護衛達がいれば村程度であれば容易に滅ぼすことすら出来るという認識を持っている。
それだけ信用している冒険者達が……中にはランクB冒険者という高ランク冒険者までがいたというのに、その冒険者達が揃って言ってきたのだ。
あのレイという人物とは絶対に敵対するべきではないと。
それどころか、もしレイと敵対するというのであれば違約金を払ってでも自分達は護衛を辞めさせてもらうと。
高額の報酬で雇っているだけに、当然その違約金も莫大な金額になる。
それでも命を失うよりは金で片付けた方がいいと、護衛達はそう言っているのだ。
実力を信用していた冒険者達の言葉に、ダリドラも戦いを強制する訳にはいかない。……もっとも、レイの情報を得ている以上、ダリドラも迂闊にレイと敵対するような行為は一切考えていなかったのだが。
それでも、やはり自分の護衛達がそんな風に言ってきたのは衝撃以外のなにものでもなかった。
レイと敵対しようとは思っていなかったダリドラだったが、護衛達の言葉でその決意はより強固なものになる。
「……そこまで、なのですか?」
部下の言葉に、ダリドラは深々と頷く。
「ええ。私が聞いている限り、彼は一人で戦争の行方すら決定づけられるだけの実力を持っています。昨年に起きた、ミレアーナ王国とベスティア帝国の戦争……その戦いも最初は互角だったのが、彼一人の活躍でベスティア帝国軍の三割が殺されたとか」
「なっ!? ……そのようなこと……本当に有り得るのですか?」
主の言葉とはいえ、とても信じられないと告げる男に、ダリドラはぬるくなってきた水を飲み干すと言葉を続ける。
「勿論これは誇張された噂話でしょう。ですが、私が集めた情報によると戦争の流れを決定づけるような活躍をしたのは事実らしいです」
「……人間ですか? それこそ、噂に聞くドラゴンが人の姿を取っていると言われても……」
「ふふっ、ドラゴンですか。そうですね、私が集めた情報の中にはドラゴンを使役しているというものもありましたが……どうやらドラゴンではなく、グリフォンだったようです」
正確には、ブラックドラゴンや黒竜と呼ばれている種族の子供であるイエロと一緒にいるところを見られてそんな噂が広がったのだが。
ミレアーナ王国の中でも有名な異名持ちのエレーナについての情報をもっと集めていれば、エレーナがイエロを使い魔にしているというのを知ることが出来たかもしれないが……残念ながら、その情報はダリドラの下には入っていなかった。
「グリフォン、ですか。正直、本物のグリフォンは初めて見ました。……まさか、あれ程とは……」
男はレイがセトを連れて歩いているところを見たのだろう。しみじみと呟く。
外見だけを見れば非常に人懐っこそうに見えたし、事実オウギュストの商隊の商人や護衛の冒険者達と仲良くしているところを見てはいる。
だが……それでも男の目から見て、グリフォンというのはとてつもない存在に思えたのだ。
「そうですね。向こうの情報はどうなっていますか? いつレイがこのゴーシュを離れるのか調べさせるように指示をしたと思うのですが」
「残念ながら、今のところは何も。少し急がせますか?」
そう尋ねてくる男の言葉に、ダリドラは少し考えて首を横に振る。
「いえ、止めておきましょう。異名持ちだけあって、レイは鋭い筈。ここで無茶をさせれば、こちらの手の者だと向こうに知られてしまいます」
「では、向こうの情報は無理をしない程度……いつもと同じように、と?」
ダリドラが男の言葉に頷き、暫くはオウギュストやレイに対して様子見を決め込むことになるのだった。
ゴーシュにあるギルドのカウンターで、受付嬢は目の前にある物を見て一瞬驚きに息を呑むも、すぐに納得の表情を浮かべる。
そこにあるのはサンドサーペントの素材……折りたたまれた皮だったからだ。
全長約五m――ただしレイが頭部を粉砕したので実質四m程――のサンドサーペントの皮だ。
それだけの大きさの皮だが、綺麗に折りたたまれているのでカウンターの上にも何とか乗せることが出来ていた。
当然のようにランクCモンスターの存在は稀少なのだが、受付嬢は自分の前にいるのが異名持ちのランクB冒険者、深紅のレイだと知っている。
この街の冒険者がサンドサーペントの素材を持ってくれば、驚くだろう。
一部を除いてゴーシュの冒険者というのは、決して並外れた実力者という訳ではないのだから。
その一部というのも、エレーマ商会に雇われている冒険者が殆どであり、純粋にゴーシュ出身の冒険者で腕利きとなると非常に少ない。
「サンドサーペントの素材、ですか。少々お待ち下さい」
昨日レイが深紅であると告げた人物であるからこそ、その受付嬢はすぐに混乱から戻ると買い取りの査定を始めるべく準備をし、念の為にとレイへと向かって尋ねる。
「それで、サンドサーペントの素材は皮だけでしょうか?」
肉や内臓、骨といった部位もサンドサーペントは素材として有用だ。
特に内臓の中には毒を生成する部位もあり、それはモンスターに対しての毒として需要は大きい。
また、牙や眼球、舌といった部分もそれなりに高額で買い取って貰えるのだが……残念ながら、そちらはレイの放った黄昏の槍で砕け散ってしまっていた。
「あー、うん。肉はセトが食べる分こっちで取っておきたいけど、骨と内臓は売れる。頭部を吹き飛ばしてしまったから、そっち関係の素材はないけど」
「ふ、吹き飛ばし……そうですか。分かりました。買い取れる素材であれば買い取らせて貰います」
「ここだと骨とか取り出すのは少し難しいけど……そのまま出していいのか?」
「いえ、申し訳ありませんが倉庫の方に来て貰ってもいいですか? そこで出して貰えれば助かります」
受付嬢の言葉に頷き、レイはそのまま移動する。
そんな二人の姿は、ギルドにいる者達にとっては当然のように視線を奪われてしまう。
嫉妬、憧憬、不満、好意、好奇心……様々な視線を向けられながら、レイと受付嬢はギルドを出て行く。
……嫉妬の視線を向けている者の中に、何人かレイの実力ではなく受付嬢と一緒に行動することに対する思いもあるというのが、ギルドらしいと言えるだろう。
受付嬢は基本的に冒険者に好意を持たれるように、顔立ちの整っている者が採用されるのだから。
「羨ましいねぇ。俺もああいう立場になってみたいもんだ」
一人が不満そうに呟くと、近くにいた冒険者が苦笑と共に口を開く。
「なら、お前もあの人と同じように一人でサンドサーペントを倒せばいい。簡単なことだろ?」
「はっ! そんなことが普通の人間に出来るかよ。こちとら、ランクD冒険者だぜ? パーティで戦ってもランクCモンスターの上位に位置するサンドサーペントに勝てる訳がない」
「実力が足りないなら、上げればいいだけだろ。努力を怠ってそれであの人……レイさんのような人に嫉妬するってのは見苦しいぞ?」
「ああ?」
嫉妬していて見苦しいと言われた男は、不愉快そうに自分に話し掛けてきた男を睨み付ける。
だが、視線を向けられた男は全く怯んだ様子もないままに男を睨み返した。
冒険者になってからそれ程経っていない、本来なら自分の方が圧倒的に強い筈なのに、何故か目の前の男に強気に出ることが出来ない。
そんな真似をすれば、やり込められることになるのは間違いないと理解出来た。
この冒険者も、数日前まではごく普通の……という表現は似合わないかもしれないが、ともあれその辺に幾らでもいる冒険者だった。
本人はやる気に満ちており、積極的に依頼を受けてはいたのだが、それでも特筆すべき能力を持っている訳でもない新人冒険者だったのだが……男の様子が一変したのは、間近でレイの戦いを目にしたのが大きな理由だ。
自分一人では……それどころかパーティを組んでる仲間と一緒でも到底勝てないだろうランクCモンスター、サンドサーペント。
それが目の前に現れた時、死すら覚悟した。
だが……結局その覚悟は全く関係がないと言いたげにレイによる一撃で意味のないものとなってしまった。
ランクCモンスターの中でも上位に位置するだろうサンドサーペントを、あっさりと仕留めたレイ。
新人冒険者として、その姿に憧れるなという方が無理だった。
そして男の意識を決定づける決め手となったのが、砂上船を用いて襲ってきた砂賊達。
レイの従魔のグリフォンが一鳴きし、それだけで砂賊達は動けなくなってしまったのだ。
そんなレイのようになりたいと、どうすればそうなれるのかと考えた男は、とにかく何でも強気で進めるということを決意する。
本来ならレイが持っているデスサイズのような大鎌やサンドサーペントを一撃で殺した黄昏の槍のような長物を使いたかったのだが、少し前に長剣を買ったばかりの男にそんな余裕はない。
その辺は後で何とかすることにして、現在はとにかく討伐依頼を受けて強くなることを優先するべきだった。
「ちっ」
そんな男を見て、レイに嫉妬を向けていた冒険者の男は去って行く。
それを見送り、男は自分でも受けることが出来る依頼の中でも出来るだけ難易度の高い依頼を探すべく依頼ボードへと目を向けるのだった。
(レイさんのような冒険者に、いつか俺もなる。絶対になってみせる)
年下の少年に憧れを抱くこの冒険者は、この後色々な体験をし……将来的にはゴーシュの中では最高峰となるランクB冒険者まで昇り詰めることになる。
「では、確かに素材の受取を完了しました。代金の方はこちらで」
受付嬢から金貨と銀貨が混ざった袋を受け取ったレイは、そのまま中身を見ずミスティリングへと収納する。
「レイさん!? えっと、その……中身の確認はいいんですか?」
「ああ、ギルドを信用してるからな。それに何か誤魔化すような真似をした場合、こちらも相応の処置を取ることになるし」
フードの下から向けられる視線に、受付嬢が一瞬だけ息を呑む。
自分に向けられている視線が鋭いというのもあったが、それ以上に理由も分からず背筋に冷たいものが走った為だ。
自分をじっと見ているレイに対し、受付嬢は慌てて頷きを返す。
「勿論ですよ。そんな真似をする筈がないじゃないですか。きちんと処理させて貰います」
「そうしてくれると、俺も安心して素材を売ることが出来るな」
「その件ですが……素材の中に魔石の類がなかったのですが……討伐証明部位は頭部と共に消滅してしまったという話を聞きましたが、魔石の方はどうしたんですか?」
話題を変えようとする受付嬢の狙いは分かっていたが、レイもその件は言っておく必要があると判断して言葉を返す。
「俺は魔石を集めるのが趣味なんだ。保存用と観賞用にそれぞれ一つずつ。だから、魔石は基本的に倒したモンスターが三匹目にならないと売れない」
「……はぁ。魔石を集める、ですか。えっと、その……こ、高尚な趣味をお持ちですね。趣味というのは他人には理解しづらいものも多いですし」
何とか誤魔化そうとしてはいるものの、受付嬢がレイの趣味を一般的ではない……変人のように思っているのは間違いがなかった。