1097話
「ああ、お待ちしてました。そちらの方はどうでしたか? こっちは無事に取引が終わりましたが」
待ち合わせ場所に到着すると、オウギュストは嬉しそうな笑みを浮かべてを手を振る。
その様子を見れば、取引が上手くいったのは明らかだった。
「はい、こちらの方も無事に終わりました。色々と騒動はありましたが」
ザルーストはセトと共に近くにいるレイへと複雑な表情を向ける。
レイが強い冒険者だというのは分かっていたが、ギルドで受付嬢が発した異名持ちというのは更に度肝を抜かれた形だ。
それはザルーストだけではなく、レイに絡んだゴルカスも……そして周囲でレイと受付嬢の話を聞いていた他の冒険者達も同様だった。
とてもではないがレイの外見を見て異名持ちだと信じることは出来ない。だが、受付嬢が……ギルド同士で情報の共有をしているギルドの職員が相手を見間違えるような真似をするとは絶対に思えない。
何より他の者達は知らなかったが、ギルド職員はマリーナからレイのことを聞いていたのだから間違う筈もなかった。
レイもまた深紅という異名を口にされても訂正をしなかったことが、異名持ちだということの信憑性を高め……結局レイに向けられる視線の中には、侮りの視線はなくなる。
特に酷かったのが、真っ先にレイに絡んだゴルカスだろう。
自分が絡んだ相手が異名持ちだということを知ってしまったゴルカスは、受付嬢との会話が終わったレイと視線が合うや否やその場を逃げ出してしまったのだから。
結局ギルドの中が変な空気になってしまい、ザルーストを含む護衛をした者達は依頼終了の手続きを素早く終えると、さっさとギルドを出ることになった。
中には酒場で一杯やろうとした者もいたのだが、今のギルドの状態でそんな真似が出来る筈もない。
結局皆でギルドから出て、ザルースト以外の者はそれぞれ街中に散っていった。
「騒動、ですか。……まぁ、何となく理解は出来ますけどね」
笑みを浮かべたオウギュストの視線は、当然のようにレイへと向けられる。
「グリフォンのセトを連れているのですから、騒ぎにならない方がおかしいですし」
「……いえ、それもなんですけど、それ以外にも騒動があったんですよ」
「それ以外にも?」
「はい。……実はレイが異名持ちの冒険者だったことが判明しました」
「ほう!? いや、レイさんが強いのは理解していましたが……そうですか、異名持ちですか。それは素晴らしいですね」
感心したようにレイの方を見て呟くオウギュスト。
ギルドにいた冒険者達と反応が違うのは、一晩だけであっても共に野営をし、レイという人物のことをよく知っているからこそだろう。
また、異名持ちであるレイと知り合いになれたというのも大きい。
異名持ちの冒険者というのは、色々な意味で特別な存在だ。
それは冒険者としてだけではなく、依頼を頼む商人としても同様の思いがある。
これはオウギュストにとって、予想外の幸運と言ってもよかった。
(あのようなとんでもないマジックアイテムを持っており、その上グリフォンを従魔にしている。そう考えれば、異名持ちでも全くおかしくはないのかもしれませんけどね)
改めてレイとセトの方へと視線を向けたオウギュストは、笑みを浮かべて口を開く。
「さて、ではそろそろ家の方に行きましょうか。先に伝令を走らせていますので、今頃妻は美味しい料理を作ってくれていますよ。ザルーストさんもどうです? いつも護衛をしてくれているのですから、たまには一緒に食事でも」
「いえ、俺もそうしたいところですが、レイにサンドサーペントの剥ぎ取りをするって言ってしまいましたから。その下準備を整える必要があるんですよ」
ザルーストの言葉に、オウギュストは納得する。
サンドサーペントの全長は五m程だ。頭部が消滅して四m程になったが、それだけの大きさのモンスターからの剥ぎ取りともなればその辺で少し……という訳にもいかない。
しかもここは砂漠であり、レイがギルムでやっていたようにその辺の川の近くで作業をするといった真似も出来なかった。
その辺の設備はきちんと申請しなければ使えないので、それをやるとザルーストは言っているのだろう。
(まぁ、やってくれるんならこっちも楽だし、大歓迎だけど)
レイとしては、そんな面倒な手続きを代わってくれるのであれば文句はない。
最悪、ここで剥ぎ取りをしなくてもギルムに戻ってから剥ぎ取りをするという手段もあったのだが。
「そうですか、それは残念ですね。……では、レイさん、それとセトも。そろそろ行きましょうか。きっと喜んで貰えると思いますよ」
ザルーストが用事で食事に来れないと告げると少しだけ残念そうなオウギュストだったが、それでもすぐに気分を切り替えてレイとセトへと声を掛ける。
レイもそれに異論はなく、すぐに頷きを返す。
「では、ザルーストさん。今回の護衛はありがとうございました。また、何かあったらよろしくお願いします」
「ああ、オウギュストさんも気をつけて。……まぁ、家にレイとセトがいるんなら、何か迂闊な真似をしようとすればそいつが後悔するだけだと思うけどな」
言葉の後半をレイに向けて告げる。
異名持ちの冒険者とグリフォンが滞在している家に忍び込もうなどと考える者がいれば、間違いなく勇者と言えるだろう。
(勇者は勇者でも、蛮勇だけどな)
それでも勇者は勇者だと、ザルーストは皮肉そうに笑みを浮かべながらレイとオウギュストに挨拶をして去って行く。
「……さぁ、じゃあ行きましょうか。妻の料理は絶品ですよ」
「ああ。何回も聞いてるし、期待してるよ」
オウギュストの妻自慢はこの短時間で何度も聞いている。
いわゆる愛妻家なのだというのは、考えるまでもなく明らかだった。
笑みを浮かべてレイの言葉を聞いたオウギュストは、そのまま案内していく。
ゴーシュはソルレイン国の中ではかなり栄えている方に入る街だが、それでもギルムとは比べものにならない。
また、オアシスを中心にしているというのも影響しているのだろう。
「まさか、レイさんが異名持ちの冒険者だとは思いませんでした」
「そうか? ……まぁ、そうだろうな」
自分の外見がどのように見えるのかというのはレイも知っている。
そんな自分の姿を見て強者だと見抜けるならともかく、普通であればとてもではないがそんな風には思えない。
「セトを従魔にしているんですから、有名だとは思っていたんですよ?」
オウギュストの視線が周囲へと向けられる。
殆どの住人が、セトを……グリフォンを見て驚き、中には怯えている者すらいた。
それでも大きな騒ぎになっていなかったのは、セトが従魔の首飾りを付けているというのもあるし、何よりもオウギュストがレイやセトと一緒にいるというのも大きいだろう。
エレーマ商会に目を付けられているオウギュストだが、ゴーシュの住民全てに嫌われている訳ではない。
寧ろ、その誠実な人柄と合わせて好かれていると言ってもいい。……もっとも、エレーマ商会の関係者の前で公然と仲良くは出来ないのだが。
(サンドサーペントの魔石の吸収もそうだし、砂上船も一度本格的に動かしておきたいよな。ダリドラとかいう奴が返して欲しいと言ってこないとも限らないし)
基本的に盗賊の所有物は討伐した者に所有権がある。だが、その所有者が返して欲しいと言えば交渉する必要があった。……その値段で折り合うことが出来れば、だが。
この場合の問題は、やはり砂上船の値段だろう。
具体的にどのくらいするのかはレイにも分からなかったが、それでも金貨や白金貨では買えないというのは予想出来た。
(とか何とか思ってるけど、実は金貨で買えたりしないだろうな? ……いや、エレーマ商会にとってもかなりの出費みたいなことを言ってたし、それはないか)
エレーマ商会の懐を心配したレイだったが、その後も延々とオウギュストの妻自慢が続き、飽きてくる。
オウギュストの家までどのくらい掛かるのかは分からず、このままだと面白くないということで話を逸らす意味でも、隣を歩くセトの頭を撫でながら、少し気になっていたことを口に出す。
「ちょっと聞きたいんだけど、俺が手に入れた砂上船って移動出来るのは砂の上だけなのか?」
オウギュストにそう尋ねたレイの脳裏にあったのは、ギルム近くの草原や川、海といった砂漠以外の場所。
基本的にレイは、街の外で移動する時にはセトに乗って移動している。
セトの空を飛ぶ速度は圧倒的であり、モンスターの類も殆どは近づいてこないという風に利点が多い為だ。
だが……物事には何でも利点ばかりという訳ではない。
セトに乗って空を飛ぶ際の欠点の一つは、レイ以外に乗せることが出来ないという点だ。
正確には小さい子供程度なら乗せることが可能だが、少し大きくなればそれも難しくなる。
大人となれば完全にお手上げだ。大人数で移動するというのは、夢のまた夢だった。
しかし砂上船がどこででも使えるとなれば話は別だろう。
そんな思いでレイはオウギュストに尋ねたのだが……戻ってきたのは、首を縦に振るという行為だった。
「砂上船というのは、その名の通り砂の上を移動することを目的として作られたマジックアイテムです。私も錬金術師という訳ではないので詳しい理論は分かりませんが、とにかく砂の上でなければ移動は出来ないらしいです」
「……砂上船という名前通り、か」
「はい。残念ながら」
その名前から予想してはいたが、それでもやはり砂の上だけだと言われるとレイとしても残念に思う。
「砂の上ってことは……岩石砂漠の方も駄目なのか?」
「そうですね。砂の上だけです。勿論私が知ってる限りなので、実は他にも移動出来るものはあるのかもしれませんが……ただ、レイさんが手に入れた砂上船は、魔導都市と言われたオゾスで作られた物ですよ」
「……よくそこまで知ってるな。砂上船を見た時は分からなかったのに」
疑問を口にするレイに、オウギュストは小さく肩を竦めてから口を開く。
「以前ダリドラと会った時に自慢されたことがあるんですよ。その時はオゾス製の砂上船を入手したということだけで、実際に見たのは昨日が初めてなのですが」
「魔導都市オゾス、か。今まで何度か名前は聞いたことがあったけど、直接行ったことはなかったな」
「そうなんですか? マジックアイテムを集める趣味があるという話でしたし、行ったことがあるのかと……」
「残念ながら機会がなくて行ったことがないんだ。いつか行ってみたいとは思ってるんだけど」
今まで何度もオゾスの名前は聞いてはいるのだが、そこに行ったことはない。
それは、レイにとってもおかしなものだった。
本来であれば、マジックアイテムを集めるという趣味を持っているレイだ。当然魔法という意味では最先端と言ってもいいオゾスに行きたいと思ってもおかしくはない。……いや、当然だったとすら言える。
なのに、何故かレイはオゾスに行きたいという思いを抱かない。
(何でだ? ……まぁ、いいか。そのうち機会があれば行きたくなるだろ)
普段とはまるで違う思考なのだが、レイ本人は全くそれに気が付いた様子もなく、そう結論づけた。
「そうですか。まぁ、私もオゾスについては聞いてるだけで行ったことはないんですけどね。いつか行ってみたいとは思っています」
笑みを浮かべて告げるオウギュストに、レイも成り行きで頷きを返す。
「それで……何の話だったか。ああ、そうそう。砂上船か。結局砂の砂漠でしか移動出来ないとなると、かなり使い勝手が悪いな」
「そうですね。ですが、エレーマ商会にとってはそれで十分だったのでしょう。元々見栄というのもあったのでしょうし、それに使うとしてもここはゴーシュ。砂漠の中のオアシスに作られた街なので、砂上船を使うには全く問題ありませんし」
「まぁ、ここに住んでる分にはその辺を心配する必要はないんだろうけど……俺にとっては、あまり使い勝手がよくないのは事実だ」
いっそ欲しがる者が多いゴーシュで売ってしまった方がいいのだろうか。
そんな風にも思うレイだったが、迂闊な人物に売ってしまえば、そこからエレーマ商会に手を回されるのは確実だった。
(となると、もし売るにしても他の街で売った方がいいってことか。エレーマ商会の影響力が強くても、ゴーシュだけだろうし。幸いソルレイン国は砂漠が大部分を占めてるって話だしな)
折角得たマジックアイテムだったが、レイはゴーシュに移住する気もなければ、砂上船をミスティリングの中で死蔵するつもりもない。
マジックアイテムは芸術品のように飾って愛でられるのではなく、実際に使ってこそ意味があると思っているからだ。
勿論世の中には鑑賞することを目的として作られたマジックアイテムというのもある。
動く絵画といったものや、ペットロボットのような人形といったような物のように。
そのようなマジックアイテムであれば、鑑賞されるのが目的であってもレイとしても納得出来るのだが。
そんな風に考えながら歩いていると、不意にオウギュストが口を開く。
「あ、あそこですよレイさん。愛しの妻キャシーが私を待ってくれている愛の巣は!」
「……いや、愛の巣って……」
もしかしてオウギュストの家に泊まるという選択は間違いだったのか?
愛の巣という言葉に、レイは短く悩む。
そんなレイを励ますように、セトが喉を鳴らしているのがなんとも心に響く光景だった。