1085話
「お、二人共来たか。待ってたぞ」
レイとパミドールの二人へとそう声を掛けたのは、錬金術師のアジモフ。
今日もゴブリンの肉を美味く食べる為の研究に向かおうとしていたのだが、そんなレイをパミドールが迎えに来たのだ。
ようやく槍が完成したので、取りに来るようにと。
レイが槍を作ってくれるように頼んでから、それなりに長い時間が経っている。
ノイズの持っていた魔剣や、サイクロプスの希少種の持っていた鎚といったもの、そしてダークエルフの集落から戻ってきてからはマリーナから報酬として貰った世界樹の枝や樹液、葉といったものを渡し、それ以外にも細々とした物を渡してようやく完成した槍。
アジモフもその槍の完成に力を入れていたのか、目は隈に覆われている。
……それでもやる気に満ち溢れているのは、やはり長期間手間暇を掛けていた槍が完成したおかげだろう。
普通であれば、それだけで十分一級品の素材を、レイは幾つも提供している。
売れば数年……いや、数十年すら遊んで暮らせるだけの価値を持つ素材を、だ。
特に世界樹の素材は非常に稀少であり、しかも枝以外に葉や樹液といったものもある。
これらは、普通とてもではないが入手出来る代物ではない。
それこそダークエルフの集落と取引をしている商人であっても手に入れるのは難しいだろう。
そんな稀少な素材の数々を使用する機会を得たのだから、偏屈と言ってもいい性格をしているアジモフであっても張り切らない訳がない。
それでもレイが持ってきた各種稀少な素材はアジモフもそう簡単に使いこなせる訳でもなく、何だかんだと今まで掛かってしまった。
不眠不休に近い状態のアジモフを心配し、共にレイの新しい槍を作る仕事をしていたパミドールも、毎日のようにアジモフの様子を見に来るついでに料理を持ってきたりもしていたのだが……それでも現在のような、まるでアンデッドのようになってしまっている。
「お、おい。本当に大丈夫か? 昨日見に来た時と比べても一段と酷いぞ? もう少し眠っておいた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫だって。槍をレイに渡したら三日くらい冬眠するから」
「いや、お前は人間で冬眠出来ないし。そもそも今はもう夏だぞ」
少しだけ呆れた風に告げるパミドールだったが、その顔は相変わらず盗賊の大親分といった風であり、傍から見れば病弱な男を脅しているようにしか見えない。
(似合いの二人と言うべきか、似合っていない二人と言うべきか……まぁ、いいコンビなのは間違いないんだけど)
二人のやり取りを見ながらレイが妙に納得していると、そんなレイの視線を感じたのか、アジモフは不機嫌そうに口を開く。
「ほら、入ってくれ。俺の最高傑作を見せてやるから」
家の中へと入っていくアジモフの後を、レイとパミドールはついていく。
だが、後ろから見てもアジモフの歩く姿は揺れており、見ているだけで非常に危険そうに見える。
「なぁ、本当に大丈夫か?」
「そう言われてもな……俺も前から何度も注意はしてるんだけど、一つのことに集中するとどうしても……」
自分の友人兼仕事の取引相手だけに、パミドールは心配そうに呟く。……傍から見れば、何かを企んでいる盗賊の大親分にしか見えないが。
「けどまぁ、さっきも言ってたが、今回の件が終われば暫くはぐっすり眠るんだろうから、今はお前の魔槍を受け取ることを考えろよ」
アジモフのことを心配しながらも、パミドールの口調には強い自信が宿っている。
最後の仕上げはアジモフに任せたが、その前段階……槍を打った時に自分がこれまで打ってきた中でも最高峰の武器だと断言出来るだけの物が出来たのだから、当然だろう。
そんな自信に満ちた笑みを眺め、レイとパミドールはアジモフの研究室に到着する。
最初に部屋に入ったのは当然ながらアジモフ。
そして、レイとパミドールへと笑みを向け、自信に満ちた声で叫ぶ。
「これが、俺の最高傑作の魔槍……黄昏の槍だ!」
そう告げたアジモフが示した先には、一本の槍が……否、魔槍があった。
形としては、そう複雑ではない。普通にその辺の店で売ってる槍よりは多少柄の部分に彫り物があるが、それでも多少といった程度でしかない。
変わった場所としては、穂先の部分にも何かが彫り込まれていることだろう。
普通穂先にそのような真似をすれば強度が弱くなるのだが、今レイの前にある黄昏の槍と名付けられたその魔槍は違う。
姿は普通に武器屋で売っている槍と大差ないのに、存在感そのものが違うのだ。
見る者の目を奪うかのような、そんな磁力のような魅力を持った魔槍。
一流の品が持つ、見る者に対する不思議な力をその魔槍は持っている。
だが……それを見たレイは、槍に視線を奪われながらも口を開く。
「何かが、足りない?」
「そう、その通りだ!」
呟いたレイの言葉に、我が意を得たりと叫ぶアジモフ。
「……ああ。この魔槍を見ているだけでも極上の品だというのは分かるが、それでも何かが足りないというのも分かる」
パミドールもまたレイと同様の思いを抱いていたのか、黄昏の槍を眺めながら呟き……アジモフへとその凶悪な表情で睨み付ける。
「おい、アジモフ。どうなってんだ? お前はこれ程のマジックアイテムを中途半端な作りにしたんじゃねえだろうな?」
そうであれば絶対に許さねえ、と。拳を握り締めているパミドールに、アジモフは笑みを浮かべ、自信満々に口を開く。
「落ち着け、パミドール。俺がこんな極上の素材を前に手を抜くわけがないだろ」
普通であればパミドールの態度に怯えても良さそうなものだが、アジモフは黄昏の槍に絶対の自信を持っているのか、全く気にした様子もない。
そんなアジモフの様子に、パミドールも何かあると判断したのだろう。視線で話の先を促す。
「二人が気が付いたように、この黄昏の槍はまだこれで完成じゃない。……おっと、まだ説明は途中だ」
まだ完成していないという言葉にレイが口を挟もうとするが、アジモフはそれを遮って説明を続ける。
自分が生み出したマジックアイテムについての説明だからだろう。いつもより饒舌な様子でアジモフの視線がレイへと向けられた。
「この黄昏の槍の最後の仕上げ……それは、レイが魔力を流すことだ」
「……魔力を? マジックアイテムを起動させる時のようにか?」
「ああ。そうやってレイの魔力を馴染ませることにより、黄昏の槍は真の完成となる」
満面の笑みを浮かべて告げられたその言葉に、レイはパミドールの視線を感じながらもそっと黄昏の槍の前へと移動し……手を伸ばす。
「ちなみに今の魔槍が薄い緑なのは、世界樹の葉と樹液を使ったからだな」
「……パンみたいだな」
何となくアジモフの言葉に、パン生地や麺生地に野菜の絞り汁を入れる光景を思い出す。
そんなレイの言葉が予想以上に面白かったのか、アジモフだけではなくパミドールまでもが笑いを堪えていた。
笑いの衝動が一段落したところで、レイは改めて触れている黄昏の槍へと魔力を送り込み……まるでダークエルフの集落にレイが初めて入った時のように、ドクン、と脈動する。
以前と違うのは、その脈動をアジモフやパミドールが感じ取っていなかったことか。
黄昏の槍を手にしているレイのみが、その脈動を感じることが出来ている。
だが……次に起こった異変は、アジモフやパミドールの目でもしっかりと確認出来た。
何故なら、レイが握っている黄昏の槍が赤く染まっていったのだから。
黄昏……日没直後の夕焼けの名残を示すその言葉通り、その槍はレイの魔力によって赤く、朱く、紅く染まっていく。
そう、まるで深紅というレイの異名に相応しいかのように。
やがて黄昏の槍の色が全て変わった時、そこに残されていたのは全体的に赤がベース色となり、黄昏の槍に使う時に使用した世界樹の素材の影響か緑の槍の柄の部分には緑の蔦が絡まっているかのような紋様が浮かび上がっており、穂先の部分にも最初にあった装飾を塗り潰すかのように緑の蔦の紋様が浮かび上がっていた。
「これは……」
先程黄昏の槍を見た時に感じた物足りなさ。それが今は全くない。
今の状態が本当の意味で黄昏の槍と呼ばれる魔槍が完成した瞬間だと、そうレイは理解した。
「完成だ」
レイの思いを裏付けるかのように、アジモフが呟く。
その表情に浮かんでいるのは、満足そうな笑み。
自分の仕事がこれ以上ない程完璧な形で終わったと、そう確信している笑み。
事実、アジモフのその思いは決して間違っている訳ではない。
レイの手の中にある魔槍は、間違いなく一流のマジックアイテムであると言っても間違いではなかった。
「……この魔槍の能力は?」
短く用件だけを尋ねてきたレイの言葉に、アジモフは満足そうな笑みと共に口を開く。
「まず第一に、この槍で傷つけた相手は傷の治りが遅くなる。治癒が不可能になるって訳じゃなく、あくまでも治りにくいってだけだから、高位の回復魔法や高品質のポーションとかを使えば回復は可能だけどな。これは、お前が持ってきた鎚の効果だ」
「あの鎚は、持ち主に再生能力を与えるんじゃなかったか? 相手の傷を治さないってのとは全く逆なんじゃ?」
「物事は何でも表裏一体。良い効果も反転すれば悪い効果となる。まぁ、そういうことだ」
細かい手法までは分からなかったが、それでも相手の治癒の効果を遅くするということの利点はレイにも理解出来る。
「持久戦になったら、かなり有利な効果だな。……で、具体的にはどのくらい治りにくくなるんだ?」
「その辺は一定って訳じゃない。お前が黄昏の槍に込めた魔力の量や、相手がどれだけ魔法に対して抵抗力を持っているのか、それとお互いの体調や、戦っている場所といった様々な要素でその辺は変わってくる」
「……効果が一定じゃないってのは、微妙に使いにくいな。取りあえず効果が大きければ運が良かった程度に思っておいた方がいいか。……他には?」
まだ他にも能力はあるんだろう? そう確信しているかのようなレイの問い掛けに、アジモフは説明を続ける。
「レイは基本的に投擲用の武器として槍を使うんだったよな?」
「ああ」
「で、槍の投擲ってのは基本的に使い捨てらしいけど……この黄昏の槍は違う。投擲して敵に攻撃を命中させた後で使用者の下に戻ってくる」
「それは……また、随分と便利な機能だな」
レイが得意としている遠距離攻撃の、槍の投擲。
それはアジモフが口にしたように、基本的に槍は使い捨てだ。
だが今の説明が事実であれば、この槍を投擲してもすぐに自分の手元へと戻ってくることになる。
便利だと言ったレイの言葉に、アジモフは笑みを浮かべ……だが、注意するように口を開く。
「ただ、これだけは気をつけて欲しいんだが、この黄昏の槍は持っているレイも感じているだろうが、威力が強い。……強すぎると言ってもいい。特に槍の投擲でも敵の怪我の回復を阻害する効果は発揮する」
「つまり、時と場合によっては黄昏の槍よりも今までのような使い捨ての槍の方がいいこともあると?」
「そうなる。その辺の匙加減については、レイが自分で使って慣れてくれ」
「……となると、取りあえずちょっと使ってみたいんだが……この家の裏庭は?」
「槍の投擲を出来る程に広くはねえよ。俺も付いていくから、試しに使ってみるなら、ギルドの訓練場でも使った方がいい」
その言葉を聞き、レイ一行はそのままギルドへと向かうのだった。
……目の周りに隈のあるアジモフも共に。
ギルドの訓練場にやってきたレイは、当然のように周囲から注目を浴びていた。
(セトがいれば、多分もっと注目を浴びてたんだろうな)
ふと、子供達と一緒に遊ぶ為に別行動をしている相棒の姿がレイの脳裏を過ぎる。
もっとも、現在視線を集めているのはパミドールだったのだが。
「おい、何か物凄い悪人顔の奴がいるんだけど」
「……うわ、本当。でも、皆が動いてないってことは、多分悪人じゃないんじゃない?」
「何だ、お前等知らないのか? あの男はパミドールっつって、ギルムでも腕利きの鍛冶師だぞ?」
「鍛冶師!? ……うわ。似合わないわね」
そんな会話が交わされている中、レイとアジモフ、パミドールの三人は人のいない場所へと移動して準備を進める。
的として用意したのは、弓の練習で使われている人形。
その人形から最初ということで十m程離れた場所でミスティリングから黄昏の槍を取り出す。
ざわり、と。黄昏の槍を見た他の者達が騒ぎだす。
当然だろう。魔力を感知する能力を持っていない者であっても、見ただけで最高級のマジックアイテムだと理解出来るだけの格とでも呼ぶべきものを備えているのだから。
それでも、レイが実戦で使えるマジックアイテムを集めているというのは、魔石を集めているというのと同じくそれなりに知られており、何よりレイのような腕利きの冒険者であればこれ程のマジックアイテムを持っていてもおかしくないと、納得してしまう。
そんな視線を受けながら……レイは、魔力を込めた黄昏の槍を投擲する。
空気を斬り裂くような音を立てながら、真っ直ぐに標的へと向かっていき……人形の頭部を消滅させると、そのまま姿を消し、次の瞬間にはレイの手の中に戻っていたのだった。